第164話 ニコルの根回し

 モーガンが休みの日。

 サミュエルがウェルロッド侯爵家の屋敷を訪れた。

 客人だったアイザックを自分の都合で帰した詫びと、ジュディスの事を気付かせてくれたお礼を言いにだ。

 訪問の理由が理由だけに、アイザックも同席していた。


「アイザックのお陰で、私達がとんでもない過ちを犯していた事に気付く事ができた。息子夫婦も反省していたよ。まだスタートを切ったばかりだが、一歩ジュディスに踏み出せた事を嬉しく思う。ありがとう」

「いえ、僕は何もしていません。ただジュディスさんとお話ししていただけです。お気になさらないでください」


 頭を下げるサミュエルに、アイザックは気にするなと伝えた。


「妻が占い好きだった事が悪かったのかもしれない。妻がジュディスに占いを教えると、ジュディスの占いは的中率が高い事がわかった。それから、みんな占わせる事に気を取られてしまっていた。髪の毛で顔を隠していたのも占い師としての雰囲気があったので、似合っていると思ってしまっていた。才能があるというのも、必ずしも良い事とは限らないんだな」


 サミュエルがしみじみと話す。

 才能があったから、ジュディスに寂しい思いをさせてしまっていた。

 今は彼も深く反省している。


「ところでアイザック。どんな用件でサムに会いに行ったのだ?」


 ここでモーガンがアイザックに疑問をぶつける。

 ランカスター伯爵家を訪問するという事は聞いていたが、その理由までは聞いていなかった。

 ジュディスの件で会いに行っただけだとも思えないので、会いに行った理由が少し気になっていたからだ。


「両家の友好のためです。去年、僕がブリストル伯爵家を訪問したせいで騒動が起きてしまいました。あちらの早とちりとはいえ、僕の事を憎んでいると思います。ですので、ランカスター伯爵家とは友好的な関係を築いておきたいと思ったのです。周りが敵ばかりでは大変な事になりますから」

「アイザック、私とサムは友人だ。ランカスター伯爵家との関係は良好。心配する必要はないぞ」

「いえ、それではお爺様とランカスター伯との個人・・の友誼に頼り過ぎます。次代、次々代の友好のためにも、家同士・・・の関係を深めておいた方が良いと思いましたので、ランカスター伯との面会を申し込んだのです」

「そうか……」


 モーガンはアイザックの返事を聞き、悲しそうな顔をして隣に座るアイザックの頭を撫でる。

 本来ならば、そういった事はランドルフが行うべき事だ。

 だが、アイザックは家族を頼る事なく自分で行動した。

 その事が意味するのは、ただ一つ。


 ――全て自分でやらねばいけないと、アイザックが思い詰めてしまっているという事だ。


 これも「自分が不甲斐ない大人だったせいだ」と、モーガンは悔やむ。

 家督争いを勝ち抜くために、アイザックは自分一人で行動しないといけなかった。

 そのせいで、アイザックが自分で問題を解決しようとしたのだと思うと、モーガンは自分の不甲斐なさを思い知らされる。

 そして同時に、これからは頼られる祖父になろうと決意する。

 もし、この時アイザックの野心を知っていれば「ただの欲望に駆られただけの行動だったのか」とガッカリしていただろう。


「それにしても、複雑な家庭環境だったのが本当に悔やまれる。家督争いの火種がなければ、迷うことなくジュディスをアイザックの婚約者にしていたのになぁ」


 サミュエルは、アイザックを見ながら正直な感想を言った。

 当時はアイザックが家督争いで勝利するとは思わなかった。

 ジュディスが婚約者を失ったり、ランカスター伯爵家が家督争いに巻き込まれたりする事を恐れ、彼はブランダー伯爵家のマイケルとの婚約を進めた。

 もちろん、それはそれで間違いではない。

 ブランダー伯爵家は、採掘を始めたお陰で急成長している。

 伯爵家の中では大当たりだ。


 だが、アイザックは別格。

 侯爵家の嫡男というだけではなく、すでに実績を残している。

 自力で家督争いに勝利しているので、宮廷内における政治抗争でも活躍が期待できる。

 サミュエルには、アイザックが孫娘を安心して預けられる相手のように見えていた。


「過ぎた事は仕方がない。……ところでサム。屋敷に来てからずっと、なぜ私と目を合わそうとしない?」


 普段とは違う友人の態度を疑問に思ったモーガンは、サミュエルに不審な態度の理由を尋ねる。


「ん? これはまぁ、あれだ……。お礼の言葉を伝えるために来たのに、お前を笑うのも悪い気がしてな」


 モーガンに問われて、モーガンの醜態を思い出したのだろう。

 言葉とは裏腹に、サミュエルの顔がほころび始める。


「……アイザック。何を話した?」


 気まずさを感じたアイザックは、スッと横を向いて視線を逸らす。

 

「ランカスター伯とは、今まで全然話した事がありませんでした。ですので、話ができる共通の話題となればお爺様の事くらいしかなかったんです」


 そこで、アイザックは口を閉ざした。

 だが、モーガンは満足しない。


「それで?」


 何を話したのかを説明する事を求めた。

 頭を撫でていた手が、今ではアイザックの肩をガッシリと掴んでいる。

「逃げられない」と思ったアイザックは、大人しく白状する事にした。


「ケンドラが生まれた時の事なんかを少々……」

「なにっ!?」


 モーガンが驚くと同時に、我慢できなくなったサミュエルが噴き出して笑う。


「なんて事をしてくれたんだ。こいつは笑い上戸なんだぞ。一度、笑いのツボにハマるとなかなか抜け出せないんだ」

「こうなるとは思わなかったんです。先にお爺様からランカスター伯の事を聞いてから訪ねるべきでしたね」


 アイザックとモーガンは、大声で笑いだしたサミュエルを見る。

 彼の笑いはすぐに止まりそうにない。

 どうしたものかと、二人揃って途方に暮れていた。



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 モーガンが笑い続けるサミュエルの事を引き受けてくれたので、アイザックは挨拶をして退出した。


(こんな事になるなんてなぁ……)


 サミュエルの見た目は、年老いても凛々しさを感じさせられる立派な政治家といった感じだった。

 笑い上戸だなんて考えもしなかった。

 もしかすると、見た目とは違い愉快な性格なのかもしれない。

 明るい性格だからこそ、ジュードの息子であるモーガンの友人でいられたのだろう。


(そもそも、ジュディスはテレビ画面から這い出てくるホラー映画の幽霊みたいなのに、その祖父は笑い上戸ってなんなんだ。極端過ぎるんだよ)


 ジュディスの両親と兄は普通らしい。

 だが、これではどこまで普通だと信じて良いのかわからなくなってしまう。

 二人に比べれば・・・・・・・普通だという意味かもしれない。

 彼らに会うのが楽しみであり、怖くもあった。


(ん? 花の香り?)


 廊下に漂う香りがアイザックの鼻孔をくすぐる。

 精神的に疲れていたアイザックは、その香りで心が安らいでいく。


(ケンドラへのプレゼントかな?) 


 かなり強い香りだ。

 花の数も多いはず。

 どこかの貴族がケンドラに大量に贈ってきたのかもしれない。

 ケンドラも三歳。

 自分の息子と婚約させようとして、マーガレットやルシアのご機嫌取りをしている可能性も考えられる。


(まったく、三歳なのに気が早いんだよ。貴族だからって焦るなよ。もうちょっとゆっくり決めたらいいじゃないか)


 ブツブツと不満を呟きながら、アイザックは匂いの元へと足が向く。

 花の送り主が誰か気になったからだ。


 ――だが、それはすぐに後悔へと変わった。


「な、なんでニコルが……」


 匂いの元を辿ると、リビングに着いた。

 そこまではいい。

 だが、マーガレットとルシアがニコルと話していた。

 その光景にアイザックは衝撃を受ける。


「あら、アイザック。ランカスター伯とのお話は終わったの? ちょうど良かったわ。こっちにいらっしゃい」


 あまりの衝撃で固まっているアイザックに気付いたルシアが、アイザックを誘う。

 ここで逃げたりすれば「可愛い子の前だから、恥ずかしがっているのね」などと誤解を招きかねない。

 大人しくルシアの隣に座る。

 アイザックが視線をニコルに向けると、ニコルもこちらを見ていた。

 熱い視線を向けながら、ニコリと笑い掛けてくる。

 アイザックも無視するわけにはいかないので、引き攣った笑みを返した。


「あの、お母様。今日はニコルさんが来られるとは聞いてなかったんですが……」


 聞いていれば、心の準備くらいはできた。

 これはアイザックに予定を教えるノーマンの怠慢ではないかとすら考えていた。

 だが、ルシアの答えはアイザックの予想とは違った。


「そうよ。今日は私とお義母様のお客様なのよ」

「えっ、なんで……」


 アイザックは、母と祖母を見る。

 そして次に、テーブルの上に並べられている小瓶に目をやった。


(そうか、香水か!)


 前世で、香水にはアルコールが使われているとどこかで聞くか見たかした覚えがある。

 ニコルには家庭用サイズの蒸留器を渡しているので、きっと自分で香水でも作ったんだろうと考えた。

 ルシアが小瓶を一つ手に取り、蓋を開ける。

 すると、柑橘系の香りがアイザックにまで漂ってきた。


「エッセンシャルオイルとフローラルウォーターというのを作ったそうよ。お肌にいいんですって」


 アイザックの知る香水ではなかったが、前世で母が使っていた物の名前が出てきた。

 ルシアも肌のハリなどが少し不安になってきた年頃。

 そんなところに、美容にいい物を持ち込まれたので飛びついてしまったのだろう。


「ハンカチなどに少し付けておいて、香りを楽しめるというのもいいわね」


 マーガレットも、ニコルが持ってきた物に興味を持っているようだ。

 ただ、孫の前だからか、美容に飛びついたのではなく香りを楽しめるという事を強調している。


「アイザックくん、蒸留器をくれてありがとう。簡単には作れなかったんだけど、色々と試してたらエッセンシャルオイルとかが作れるようになったの。だから蒸留器のお礼に、お母様達にお裾分けに来たんだ。……本当はアイザックくんにも会えたらいいなぁって思っていたりもするんだけれどね」


 ニコルが家を訪れた理由を話す。

 だが、アイザックとっては、蒸留器のお礼などどうでも良かった。


お母様達・・・・ってなんだよ。なに? もう嫁に来る気なのかよ!)


 アイザックにとって、そちらの方が重要だった。

 ニコルはプレゼントを渡すためと称して、ルシアやマーガレットに取り入ろうとしている。

 外堀を埋められていく恐怖感を覚えていた。


「それでね、良かったらエッセンシャルオイルの作り方を教えるから、またチョコレートの時みたいに買い取って売り出してくれないかなって思ってたの。お母様とお婆様にも気に入ってもらえているようだし、たくさん作れるように商会に任せた方がいいかなーって」

「……お母様とお婆様はどう思われますか?」


 上目遣いで見てくるニコルから視線を逸らしたいので、アイザックは母と祖母に話を振り、そちらに視線を移した。


「花の香りを身に纏うというのは、とても素敵な事よ」

「社交界でも興味を持たれるでしょうね」


 二人は香油に強い興味を持っていた。

 アイザックの作らせた洗濯バサミや一輪車よりも、ニコルの作った物の方が彼女らには魅力的に見えているのだろう。

 アイザックが通りかからなくても、自分達でどこかの商会を呼び寄せて作らせ始めただろう事は想像に難くない。


「では、また製法を買い取って、ウェルロッド侯爵家の権威で守りつつ、売り上げからいくらか渡せばいいのではないのでしょうか。商人との話はお母様にお任せします」

「アイザックは話に参加しないの?」


 母に任せるというアイザックに、ルシアは不思議そうに尋ねた。


「ええ、実はランカスター伯はまだ帰っておられません。少し席を外しただけで、また戻るつもりです。お母様とお婆様で話を進めておいてください」

「そう。そういう事なら、こちらで進めておくわ」


 マーガレットは「トイレに行くために席を外したのね」と、アイザックが中座した理由に当たりをつけた。

 ちょっと席を外しただけだったのなら、ニコルのために留めておく事はできない。

 ニコルとサミュエルならば、ランカスター伯爵であるサミュエルを優先するのが筋だからだ。


「アイザックくん、今度はゆっくりお話しできるといいね」

「……そうですね。では、失礼します」


 アイザックは、ニコルに別れの挨拶をするとその場を離れていった。

 足早に歩いている事が、早く離れたいというアイザックの心境を表していた。


(クソッ、クソッ! 俺だって一生懸命やってるっていうのに、ニコルの奴がドンドン迫ってくる!)


 将来に備えて下準備をしているのは、アイザック一人ではない。

 ニコルも外堀を埋め、アイザックを攻略する下準備を始めている。

 まさか、美容方面でルシアやマーガレットを攻めてくるとは思わなかった。

 このままでは、家族がニコルの事を認めてしまうかもしれない。

 何かイベントがあってアイザックの心が揺れ動いた時に、その隙を突かれて一気に攻略されてしまう可能性だってある。

 足早にリビングから離れているのに、まるで自分の背後にピタリとニコルが貼り付いているような気分だ。


 ――ネイサンを殺した時、家族が崩壊すると思って感じた恐怖。


 それとは質が違う得体の知れない恐怖感に、アイザックは心を激しくかき乱されていた。

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