第159話 関税
リサの騒動から三日が過ぎた。
最初は顔を合わせるとお互いにぎこちない笑顔を浮かべていたが、さすがに三日も過ぎれば自然に戻った。
学校に行くリサをケンドラと一緒に見送り、そのあと一緒に遊び部屋へ向かう。
今はモーガンが仕事に行っている間、ランドルフが客の対応をしている。
だが、しばらくして王都に到着する貴族が増えれば、アイザックに会いたいと面会を申し出てくる者達も増えてくるはずだ。
特に今年はドワーフとの交流が再会してから初めての王都滞在。
来客が増えると容易に予想できる。
今のうちにケンドラと遊んでおこうと、アイザックは考えていた。
「アイザック様。グレイ商会のラルフを仲介にして、王都の商人達から面会の申し出がありました。いかがいたしましょうか?」
アイザックの考えを、ノーマンが打ち砕く。
彼は引き継ぎの際に、なぜか晴れ晴れとした表情をしていたグレンから去年の出来事を聞いている。
王都の商人をアイザックに会わせていいものか迷っていた。
しかし、自分一人の判断で決めていい事でもない。
前もってアイザックから「王都の商人とは会わない」と言われていれば別だったが、そのような事は言われていない。
勝手に断るわけにもいかず、ひとまずアイザックの返事を聞かねばならなかった。
「うーん、断る理由はないんだけどねぇ……」
断る理由はないが、会う理由もない。
どうせなにか泣きついてくるだけなのだろうと思うと、スルーしてもいいのではないかと思える。
だが、ここで問題が一つ。
――彼らがグレイ商会を仲介として使っている事だ。
これを無視すると、グレイ商会の面子が丸潰れになってしまう。
最近はドワーフとの交易を一手に引き受けるなど、実質的にウェルロッド侯爵家のお抱え商人だという認識が広まりつつある。
そんな時にラルフを軽んじる行動をとってしまうと、グレイ商会も商売がやり辛くなる。
理由はどうあれ、アイザックとの仲介を頼まれる程度には、周囲に繋がりが深いとおもわれているようだ。
だったら、その後押しをしてやるべきだろう。
「いいよ。会おう」
アイザックが、そう返事をする。
その時、アイザックはノーマンの目が輝いている事に気付いた。
「えっ、なに?」
「あっ、いえ。アイザック様がどんな話をなさるんだろうかと思うと、つい気になってしまいまして」
そう言って、ノーマンが笑う。
久々にアイザックの秘書官として働き、王都に来て早速刺激的な内容の案件に関わる事になったので、つい興味を引かれてしまったのだ。
「私も気になるわ」
「お婆様!」
二人が話しているところに、マーガレットが口を挟んだ。
予想外の乱入者に、アイザックは戸惑う。
「商人と会うなら私も同席させてくれる? あなたがどんな話をするのかが気になるのよ」
「それは構いませんが……、突然ですね。どうされたんですか?」
「孫の成長を見てみたい。それだけよ」
真剣な眼差しで言うマーガレットに、アイザックは不安を感じていた。
(もしかして、商人を俺から助けて恩を売ろうっていうんじゃないだろうな)
アイザックがそう考えた原因は、マーガレットがウェルロッド侯爵家傘下の貴族から信頼を失っているという事を知っているからだった。
彼女はネイサンを後継者に推し、そのために傘下の貴族をメリンダに協力させていた。
中には「アイザックの方にこそ正当性がある」と思いつつも、マーガレットの説得によって渋々ネイサンを支持していた者もいる。
なのに、ネイサンは後継者争いに破れ、アイザックが後継者になってしまった。
こうなると、マーガレットの説得によってネイサンを支持していた者達は馬鹿馬鹿しい気持ちになる。
「自分はアイザックを支持していたはずなのに」と思うと、勝ち組になれなかった恨みを持ってしまう。
同じ不満は、自分の意思でネイサンを支持していた者達にも広がった。
ネイサンとメリンダの死後「マーガレット様に言われなければ、自分はアイザック様を支持していた」と、厚顔無恥にもうそぶき、アイザックの味方であるとアピールし始めていた。
この事は、アイザックのご機嫌伺いに来た貴族達の口から聞いていた。
それでも当主の妻という事もあり、マーガレットは今でもある程度の影響力を保っている。
だが、四年前の事件以前と以降とでは雲泥の差だ。
この機会に王都の商人達に恩を売り、少しでも影響力を取り戻そうとしているのではないかと、アイザックは考えた。
「いいですよ。ノーマン、予定の空いている日に会うと言っておいて」
「明日の午前中でよろしいでしょうか?」
アイザックの予定は空いている。
なので、ノーマンはマーガレットに視線を向けながら尋ねた。
「ええ、私も大丈夫よ」
「では、そのように伝えておきます」
そう言い残して、ノーマンが立ち去っていく。
アイザックはマーガレットに笑みを浮かべる。
(別にいいさ。俺一人で全てを動かせるなんて思っていない。王都の商人は婆ちゃんに手綱を握ってもらってもいい)
王都の商人は数が多い。
自分一人で彼らを管理する事は困難だ。
それならば、マーガレットに商人の手綱を握ってもらった方がいい。
アイザック自身はマーガレット一人の動きを管理すればいいのだから、自分で商人を管理するよりはずっと楽になる。
アイザックは、そのように考えていた。
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翌日、応接室にはラルフと、王都の商人を代表する三人の男が待っていた。
アイザックとマーガレットが来たのを確認すると、彼らは立ち上がって出迎えた。
「お久しぶりですね」
王都の商人は数が多いので顔を覚えていないが、とりあえず覚えているかのように挨拶をしながら、アイザックとマーガレットは椅子に座った。
「どうぞ、お座りください」
アイザックは座るように勧めるが、ラルフ以外の三人は座ろうとしなかった。
三人は直立不動のまま動こうとしない。
アイザックが不思議そうに見ていると、その中の一人。
白髪でモーガンよりも年配であろう者が口を開く。
「アイザック様のご配慮、我ら一同感謝しております。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
三人が口々に礼を言う。
アイザックはこの状況が理解できず、頭の中で大きなハテナマークが浮かんでいた。
彼らに対して何も配慮などしていない。
思いもしなかった事を言われ、反応できないままジッと彼らを見つめる事しかできなかった。
三人の男達が話を続ける。
「アイザック様の深謀遠慮と、寛大なるお心に我ら一同感服した次第でございます。陛下がドワーフとの友好を考えて関税を設けなかったにもかかわらず、ウェルロッド侯爵家が独自に100%の関税を課した。そのお陰で我らは助かりました」
「ドワーフの商品は日用品ですら、芸術品と見紛うような素晴らしい物ばかり。もしも、関税を掛けられずに流通していればどうなっていたか……。考えるのも恐ろしい」
「ドワーフと取引をすれば儲かる。そんな目先の欲に目が眩み、ブリストル伯爵家に交易路の新設を働きかけた己が愚かさを恥じ入るばかりです」
そこまで話すと、彼らは深く頭を下げた。
(??? えっ、なに? どうなってんの?)
この場にいる者の中で、唯一今の状況についていけていないのはアイザックだけだった。
「全てわかっていますよ」という顔をしたまま、頭の中では混乱している。
誰か助けてほしいと思うが、この状況はアイザックの言葉待ちだという事は理解できている。
自分でなんとかするしかないと、意を決して口を開く。
「頭を上げてください。そして、お座りください」
意識して感情を押し殺した声で語り掛ける。
そうでもしないと、慌てふためく情けない声になってしまいそうだったからだ。
アイザックに言われた通り、三人は席に座る。
そして、アイザックの言葉を待った。
「僕が何かをしましたか?」
これは純粋な疑問だ。
まずは彼らの感謝の理由を詳しく知らねば、アイザックも反応が難しい。
だが、感情を押し殺した声のせいで、周囲には――
「俺は何もしていない。この程度の事で恩に着せるつもりはないから気にするな」
――と、平然と言ってのけたかのように聞こえていた。
まだあどけなさを残すアイザックが、まるでモーガン――いや、ジュードのような超大物の風格を纏っているかのようにすら見えた。
白髪の男が答える。
「アイザック様には些末な事かもしれません。ですが、我ら商人にとっては一大事。いえ、リード王国にとっても大きな事でした。もしも、ウェルロッド侯爵家が高い関税を掛けねば、高品質なドワーフ製の商品に、いずれ国内産業が駆逐されていたかもしれません。欲に目が眩んだ我らと違い、アイザック様の遠く見通す目のお陰で我らは命拾いを致しました。本日はそのお礼に参った次第でございます」
また三人の男が深く頭を下げる。
この時になって、ようやくアイザックは彼らが訪れた理由を理解した。
とはいえ、やはり内心では戸惑ってはいたが。
(あー、グレイ商会からドワーフの商品を買いあげて、倍額でグレイ商会に卸すっていうあれか。関税っていうか、儲けたかっただけなんだけど……)
あれは少しでも軍を大きく拡張したいという欲望から生まれた行動だった。
それが関税として働き、国内産業を守る事になるなどとは思わなかった。
ドワーフとの交易はまだ始まったばかり。
国内産業を揺るがすほどの量は取引していない。
アイザックは、彼らが大袈裟になっているだけだと思っていた。
どうせ予想もしない事態で慌てて大きく言っているだけだろうと。
経験豊富な老人に見えても、予期せぬ状況で慌てふためくのは自分と同じ。
そう思うと、アイザックの顔に自然と笑みが浮かぶ。
「いえいえ、僕はただ儲けたかっただけですよ。そこまで深い考えがあったわけではありません」
だからか「全てを正直に話して、落ち着かせてやろう」という余裕すら湧き出てきた。
しかし、彼らは言葉通りには受け取らなかった。
「そんなご謙遜を……。アイザック様が深い考えをお持ちだという事は重々承知しております。リード王国の経済的安定という大きな目的があったとはいえ、もう少しで商売敵となっていた我らにまで救いの手を差し伸べていただいた。アイザック様のご厚情、感謝の念に堪えません」
「そ、そう。なら、そう思えばいいんじゃないかな」
――深読みによる勘違い。
それを訂正できそうにないし、訂正する必要もなさそうだった。
「もうどうにでもなれ」と、アイザックは突き放すような言葉を言った。
しかし、それすらも今の彼らには好意的に取られた。
「はい、我らはこのご恩を忘れません!」
彼らには――
「俺はリード王国のために必要だと思われる事をしただけだ。お前達に恩を着せるつもりはない。恩義を感じるなら勝手に感じておけ」
――と、アイザックが言っているように聞こえていた。
マーガレットもアイザック本来の器量を知り、感極まっていた。
(どうしようもねぇな、これ)
なにかとんでもない勘違いをされていると感じていたが、否定しても肯定されるという異常事態。
アイザックは、すでに心の中で匙を投げる事しかできなかった。
彼らはそれからもアイザックを賛美する言葉を並べ、感謝の気持ちを伝えると帰っていった。
話が終わると、アイザックはフゥと溜息を吐く。
褒められ続けるのも、なかなか心理的負担が大きいものだと、この時実感した。
「アイザック」
「なんですか?」
ノーマンが商人達を見送りに行ったので、今は祖母と二人きりだ。
どんな話をされるのかと思い、アイザックは少し身構える。
「あなたは凄いわね。頭脳だけじゃない。敵対した相手を許す懐の大きさも持っている」
マーガレットがしみじみと語り出す。
その目には涙が浮かび始めていた。
「もっと早くにあなたの才能に気付いていれば……」
「子供のうちからは、そう簡単にはわかりませんよ」
アイザックは慰めの言葉をかける。
だが、マーガレットは首を横に振る。
「いいえ。本当は、本当はわかっていたの。鉄鉱石の入札を言いだした頃からね。でも、長男が後を継ぐ方が正しいと思っていたし、今までやってきた事全てが無駄になると思うのが怖かったの。止められなかったのよ」
マーガレットは大粒の涙を流しだす。
ある意味、この時になって初めて自分のミスを受け入れたのかもしれない。
――アイザックの方こそ後継者にふさわしかった。
そう思うと、涙が止まらなくなっていた。
「ランドルフ……、あの子だけが後継者に誰がふさわしいかわかっていたのね。きっと本能的に感じていたのかもしれないわ」
(いや、それはどうだろう)
アイザックは父に対して、ちょっと冷たかった。
さすがに子供が成長する前からわかるはずがないし、ルシア可愛さに決めた事だと知っているからだ。
「メリンダとネイサンには悪い事をしたわ……。そして、あなたにも」
涙を流す祖母の体を、アイザックは優しく抱き締める。
「悪いと思っているなら、これからは僕の一番の味方になってください。誰よりも一番。リード王家よりも僕の味方である事を優先するくらいに」
「それだけでいいの?」
「ええ、もちろんです。あぁ、お爺様やお父様の次でもいいですよ」
アイザックはおどけるように言った。
それは
だが、言質は取った。
陰謀という点において、マーガレットはウェルロッド侯爵家内で一番頼れそうな相手だ。
味方に付けておいて損はない。
「普通なら誰もが恩に着せる場面でも、あなたは恩に着せるような事は言わない。本当に大きくなったわね……。私なんかが計り知れない器量を持っていたのね」
マーガレットは、さめざめと泣く。
そんな彼女をアイザックはしっかりと抱き締め、自分も泣きそうになっていた。
(評価が高まるのはいいけど、失敗したらその分落差も大きい。なんでここまでハードル上げられているんだ?)
アイザックも高みを目指している。
だから評価が上がって、自分を見る周囲の目が厳しくなるのは覚悟していた。
だが、それは積み重ねた結果、そうなるという事を覚悟していただけ。
自分で考えていないところで、評価が急激に上がる事までは覚悟していない。
祖母が本当にアイザックの成長を見に来ただけなのは良かった事だとは思う。
でも、アイザックは「なんで想定の範囲内で収まってくれないんだ」と、泣き言を漏らしそうになっていた。
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