第七章 交流編

第154話 物を見定める目

 調印式が終わったあと、大人達はぐでんぐでんに酔っぱらっていた。

 やはり、ドワーフのペースに合わせるのはきつかったようだ。

 だが、友好的な雰囲気で調印式が終わったので、二日酔いで苦しみつつも喜んでいるという不思議な状態だったのが、アイザックから見て面白かった。


 今は調印式が終わってから一週間が経っている。

 ここで、アイザックは現状を一度考え始めた。


(未来に備えての準備自体は上手く進んでいるから、今のところは問題はないな)


 一番の問題点だった軍備の拡張が解決した事が特に大きかった。

 戦争を起こすのなら、兵士の数が必要だ。

 少数精鋭の部隊など、戦争に負けそうになった国が悪足掻きで取る悪手でしかない。

 精鋭が集まった部隊は、当然強いだろう。

 だが、ベテランの兵士ばかり集められるわけではない。

 他の部隊で必ず新兵ばかりの部隊ができてしまうはずだ。

 極端な強弱があれば、弱いところから崩されて戦線が崩壊する。

 それでは強い部隊も、敵に側面や背後に回り込まれてやられてしまう。


 ――適度な練度を持った均一な戦力を持つ部隊を多く揃える事。


 それが戦争に勝利するために必要だと、アイザックは考えていた。

 ドワーフとの交易で資金を得られるお陰で、今から戦える軍隊を作る事ができる。

 これは大きな進展だった。


(これで王家と戦いやすくなる。……この準備を無駄にしないためにも、ニコルを上手くジェイソンに押し付けないといけないけどな)


 ――ニコルにジェイソンを攻略させる。


 この大前提をなんとかせねば、反乱を起こす事すらできない。

 何も波乱が起きず、スムーズにジェイソンとパメラが結婚するのがリード王国にとって一番良い事だとはわかっている。

 だが、パメラを誰かに渡すなんて、想像するだけでも胸が締め付けられる思いだ。

 アイザックは上手くニコルを焚き付けて、ジェイソンとパメラの間を引き裂くつもりだった。

 婚約を破棄されるパメラには悪いとは思う。

 それでも、二人の結婚だけは認められなかった。

 そのためにも、ニコルには頑張ってもらわなければならない。


(俺を攻略しようとするのはいい。……嫌だけど、そこは問題じゃない。問題は逆ハーエンドを狙ってくれるかどうかだ)


 幸い、ニコルは肉食系女子として育ってくれているようだ。

 おそらく、周囲から「ニコルちゃんは可愛いね」と言われているので、自分が可愛いとは気付いているはずだ。

 自分の魅力に気付いているのならば、調子に乗ってジェイソン達にも食指が動くかもしれない。

「いや、動いてほしい」と、アイザックは願っていた。

 そうでなければ、自分だけを攻略しようとニコルが動くかもしれないからだ。


(それでもニコルなら、ニコルならきっとなんとかしてくれる!)


 むしろ、なんとかしてくれないとアイザック一人が困る事になる。

 彼女がジェイソンだけでも攻略してくれないと、アイザックがニコルに全力で狙われてしまうからだ。

 最悪の場合を考えると、自分で反乱の火種を作らないといけなくなってしまう。

 さすがにそこまで重い責任を負うのは嫌だった。

 卑怯かもしれないが、やはり火種はジェイソン自身に作ってもらいたいとアイザックは思っていた。

 そのため、ジェイソンにニコルをなすりつけなければならない。

 ここでもう一つ、違う未来の可能性についても考えた。


(もしも、ニコルがジェイソンを狙わなかったら……)


 この可能性は考えたくない。

 だが、考えねばならない事でもあった。


 反乱を起こすとなれば、自分一人の責任ではない。

 家族もその責任を問われてしまう。

 失敗する可能性が高い場合は、自重せねばならない可能性だってあるのだ。

 もちろん、その場合はパメラを諦めないといけない。

 辛い事だが、今世でも人生が上手くいかないという覚悟をしておかないと、その時になって冷静な判断ができなくなる恐れがあった。


(もし、ニコルが俺だけを狙うとどうなるか)


 当然、アイザックはニコルと結婚などする気はない。

 だが、同時にパメラとの結婚も諦めるしかない。

 さすがにジェイソンとパメラの婚約を、自分の手で破棄にまで持っていかせる自信がない。

 そして、二人が婚約をしたままなら、下剋上も諦めるしかなかった。

 ウィンザー侯爵家を味方にできるかできないかの差が大きいからだ。


 ニコルがジェイソンを攻略せず、反乱を諦めなければいけない場合。

 アイザックは他の誰かと結婚して、王国貴族の一人として生きる事を強いられてしまう。

 さすがに「勝てる」という確信もなく、反乱を起こすわけにはいかない。

 アイザックに自殺願望はないし、家族を道連れにする覚悟もない。

 そうなると、普通に誰かと結婚する事になるだろう。

 アイザックの結婚相手となるであろう女の子が一人思い浮かぶ。


(家柄を考えると、有力なのはやっぱりアマンダだよなぁ……。嫌じゃないけど、ちょっとなぁ……)


 アマンダの事は可愛いと思う。

 だが、どうしても受けられない一点があった。


 ――アマンダは貧乳ぺたん娘


 アイザックは巨乳派だ。

 胸が小さいのは我慢できるが、まったくないのは許容できない。

 アマンダは顔だけなら100点満点中90点以上は確実にある。

 しかし、胸がペッタンコという事実は、それだけで-20点にはなる。

 そうなると、その辺りにいる80点くらいの可愛い町娘Aの方が魅力的に見える。


(せめて第二夫人とかならともかく、第一夫人にはなぁ……)


 もし、アマンダを第一夫人にして、第二夫人や妾を囲うとしよう。

 そうすると、どうしても自分好みの第二夫人や妾の相手ばかりをする事になるだろう。

 そのような状況になってしまうと、アマンダは確実に心を痛めるはずだ。

 第一夫人である自分が蔑ろにされてしまうのだから。

 さすがにアイザックも、何の恨みもない相手にそのような仕打ちをしたくはない。


(他の子は……、結局ニコルが婚約者を奪わないとフリーにならない。やっぱりニコルの矛先をジェイソンに向けさせるのが一番だな)


 ティファニー、ジュディス、ジャネット。

 他の婚約者キャラも、ニコルが攻略キャラを落としてくれないと手出しができない。

 いくら侯爵家の跡取りとはいえ、他人の婚約者を奪うような事はできないからだ。

 結局「ニコルを煽り立てた方がいい」という答えに落ち着いた。

 しかし、そうなると避けられない問題に直面する。


(ニコルと……、会わないといけないか……)


 そう、彼女を扇動するのなら、会って話をしなくてはならない。

 手紙では細かいニュアンスが伝わらないかもしれないからだ。

 言葉を勘違いされて、自分への攻勢が強まるような事になっては自殺行為となる。

 誤解を生まないように、ちゃんと口頭で伝える必要があった。

 しかし、いきなり呼び出したりすると、それはそれで誤解を招く恐れがある。

 というよりも、単純にニコルと会いたくないという思いが強い。

 パメラに感じていた魂を惹かれるような思いが、ニコルに汚されたように感じてしまうからだ。


(ニコルに関しては、入学前までに接触すればいいだろう。本番はそれからだしな)


 アイザックは問題を先送りにした。

 これは心のどこかで「ジェイソンを攻略するなら学院で」という思いがあったからだ。

 それに、これからも準備は続けるが、深く考える事で「ダメかもしれない」という答えを導き出すのが怖かった。

 一度ここで考えをやめ、ニコルがアイザックの知るニコルであってほしいと願うばかりだった。



 ----------



 調印式から二週間が経った。

 この日は、ザルツシュタットで仕入れた商品が届く日だった。

 アイザックは、父と共に荷物を確認する。


「素晴らしいな」


 ランドルフは燭台を一つ手に取り、鼻息を荒くしてマジマジと見つめる。


「そうですか? 屋敷にあるのとあまり変わらないような気もしますが」


 だが、アイザックはそこまで良い物だとは思わなかった。

 屋敷にある家具だって、かなり良い物だ。

 人間が作った物もドワーフ製の物も「どちらも良い物」という感想しか持たなかった。


「アイザックにも苦手な分野があって安心したよ。屋敷にあるのが家具なら、これは芸術品だ。今は価値がわからなくてもいいけど、アイザックもいつかはわかるようにならないとな」


 そんなアイザックの事を、ランドルフがフフフッと笑う。

 今まで勝手に育っていたアイザックにも、ようやく教えられそうな分野を見つける事ができた。

 その安心感からか、自然と笑みがこぼれていた。


「そうですね。物の価値はわかるようにならないと……」


 アイザックも、物の価値を見抜く目を鍛えないといけない事は理解している。

 芸術などの分野は母が教えてくれたが、どうしても無理だった。

 どうしても前世の記憶が邪魔をする。

 一定ラインを越えて良い物は「全部高そうだな」くらいの判断しかできなかったのだ。


「でも、僕だってこれらの品物が価値があるってわかっていますよ。だから、一括買い取りをするんです」

「まぁな、うん……」


 アイザックの言葉に、ランドルフは顔を曇らせる。

 それはアイザックの言った「一括買い取り」のせいだった。

 商人の動きが活発になって税収が増えるが、アイザックはそれだけでは満足できなかった。


 ――ウェルロッド侯爵家が、ザルツシュタットでグレイ商会が仕入れた物を全て買い取る。

 ――そして、買い取った物を倍額でグレイ商会などに売る。


 こうする事で、アイザックは安定した収入を得ようとしていた。

 何もしていないのに利益だけを得る「中抜き」という行為を、ランドルフはあまり好ましく思っていなかった。


「倍額にして売るとしたら、当然グレイ商会から品物を買う人も高いお金を払わなくてはならなくなる。迷惑を掛ける事になるんじゃないか?」


 ランドルフが心配しているのはこの事だった。

 商会の手に渡った段階で仕入れの倍額になっている。

 当然、利益を得るために商会ももっと高い値を付けるだろう。

 そうなると、高値で手が出せない者もいるかもしれない。

 しかし、アイザックの意見は違った。


「良いんですよ。どうせドワーフ製の物を欲しがる人なんて見栄っ張り。高い値段で店に出されていれば、やっぱりいい物なんだって、喜んで買ってくれますよ」

「そういうものかなぁ……」

「そういうものです」


 ドワーフ製の品物は仕入れ始めたばかり。

 最初は希少価値を活かしてブランドイメージを高めておいた方がいい。

 一度「品質の割に安い」というイメージが定着してから価格を上げては不満が出る。


「より良い品物をより安く」なんていうのは、よく聞くフレーズだが、本当に安くしては「良い品物っていうのは嘘じゃないのか?」という疑念を持たれる。

「本当に良い品物だから高い」と思わせておく方が、客も満足するし店も儲けられる。


 ――ウェルロッド侯爵家が儲かる。

 ――商人も儲かる。

 ――購入者も価値のある高価な品物を持っていると見栄を張れる。


 価格を高く設定しておいた方が一石三鳥で丸く収まる。

 決して自分一人が儲けたいという考えだけではなかった。


「いや、待て。そういう意味の物の価値がわかるじゃない。それは商人としての考え方だろ? 芸術品として価値がわかっているわけではないじゃないか」

「うっ……」


 アイザックは、ランドルフに痛いところに気付かれ言葉が詰まる。

 確かにアイザックは物の価値をわかっているが、それは売り物としての価値だ。

 芸術品としての価値ではない。

 話の流れでわかっている風に見せようとしたが、ランドルフに見抜かれて失敗した。


「そういう考え方ができるというのは悪い事じゃない。けど、美術品を見たりする目も鍛えないといけないぞ。少しずつだが勉強していこうな」

「お手柔らかにお願いします」


 アイザックは庶民的感覚が染み付いているので、内心では「絶対無理」と思っていたが逃げたりはしなかった。

 貴族である以上、いつかは必要とされる知識だ。

 誰かを陥れるだけではない。

 自分を向上させる事も必要だった。


 まだまだ野心のゴールは遠く、先行きは不透明。

 だが、それでもアイザックは諦める事なく、一歩ずつゴールに向けて歩み続けている。

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