第155話 ロックウェル王国の代替わり
「ふぅ。この季節はエルフがいると別世界だな」
八月に入った頃、モーガンがウェルロッドにやってきた。
今はクロードの魔法で涼しくなった食堂で一服している。
ついでに、テーブルの片隅に大きな氷を置いていってくれたので、氷からひんやりとした冷気が感じられて気持ちがいい。
「ところで父上。なにがあったんですか?」
ランドルフが、モーガンに帰ってきた理由を尋ねる。
いくらなんでも「里帰りしたかったから」というものではないはずだ。
そんな理由なら家族を連れて一緒に来ている。
なによりも、普段よりもずっと多い護衛を連れてくる事などありえない。
アイザックも同様の疑問を持っていたので、モーガンがどのような答えをするのか静かに見守っていた。
「ロックウェル王国のサイモン陛下が崩御なされた。その弔問と、ギャレット殿下の即位式に出席してきたところだ。帰りにウェルロッドに寄ったのは、お前達の顔が見たかったからというのと、今の状況を聞くためだ」
「そういう事でしたか」
この季節にモーガンが帰って来た理由を聞き、ランドルフは納得する。
外務大臣として出かけた帰りに寄っただけ。
何か問題が起きてやってきたわけではなかった。
「こちらは特に問題はありません。商人達もドワーフとの交易は慎重に行ってくれていますので、トラブルはまだ起きていません。兵士の募集も順調に進んでいます」
ランドルフが言うように、今は問題なく物事が進んでいた。
グレイ商会を始めとした取引を任されている商会は、細心の注意を払って交易を行ってくれている。
儲けようとしてドワーフを騙そうとしたり、過剰な値引き交渉などをしたりはしていない。
ドワーフ側の商人が不思議に思うくらい、大人しい対応をしていた。
これには「ガツガツとしなくてもいい」という理由もあった。
ドワーフ製の品物は、そこそこの値段で仕入れても高値で売れる。
相手に不快な思いをさせてまで、しつこく値引き交渉をしなくてもいい。
もちろん、友好をぶち壊したりして、王家の怒りを買いたくないという思いも抑止力になっていた。
軍備の拡張はまだ交易が始まったばかりなので、一年間で一気に兵士を増やすのは財政の負担が大きくなる。
そのため毎年五千の兵士を集め、四年かけて二万の兵を集める予定だった。
リード王国では、有事に備えて領地持ちの貴族は兵を揃えておく事が義務付けられている。
各侯爵家が三万の兵、伯爵家は領地の規模に合わせて五千から一万五千程度だ。
二万の兵を徴募するという事は、伯爵家二家分の兵を増やすという事。
これは軍備拡張というだけではなく、ちょっとした国家事業のような計画でもあった。
だが、こちらも農家の三男坊や四男坊が志願してくれており、徴募は上手く進んでいる。
むしろ、想定よりも多い志願者から、今年度分の兵士を選抜するのが大変なくらいだった。
ただ、これは領内の治安維持活動に従事する衛兵を含めた数。
戦場に動員できる兵士の数ではない。
ランドルフの話を聞き、モーガンは満足そうにうなずく。
「大変だろうが、頑張ってくれ。軍の拡張の方も陛下が期待されておられる」
計五万の兵士数は、リード王家直轄の王国軍に匹敵する規模となる。
本来ならば、急激な軍の拡張は叛意を疑われてもおかしくないが、国王であるエリアス本人お墨付きの行動なので問題にはならない。
むしろ、推奨されているくらいだ。
言われるまでもなく、ランドルフもかなり気合を入れて取り組んでいた。
「ところでお爺様。ギャレット殿下というのはメリンダ夫人の婚約者だった方ですよね?」
「……そうだ」
モーガンは「嫌な話題になってしまった」と顔をしかめる。
アイザックの事を考えると、あまりメリンダやネイサンの事に触れたくなかった。
だが、そのアイザック本人が触れてきたので、答えないわけにはいかない。
ギャレットがメリンダの元婚約者だったと素直に認めた。
なんとなく重苦しい空気が場に流れる。
その空気を作り出したアイザック自身が、重い空気を吹き飛ばした。
「ケツを蹴り上げてきてくれましたか? ギャレット殿下……、今は陛下ですか。その方が余計な事をしてくれたお陰で、色々と大変でしたから」
「そんな事ができるはずなかろう」
モーガンが呆れたような声で答える。
確かにメリンダの件で家庭内が混乱した時もあった。
だが、ギャレットに文句を言うのは筋違いだ。
「アイザック、メリンダの事は私が悪かったんだ……」
ランドルフが気まずそうにしながら口を挟んだ。
彼がメリンダを引き取ったせいで、ウェルロッド侯爵家の家督争いに繋がった。
その事をまだ気に病んでいる。
「いえ、やはりギャレット陛下が悪いと思います。ギャレット陛下がメリンダ夫人と結婚していれば全て丸く収まっていたんですから」
「アイザック、それは違うぞ。メリンダが問題を起こしたから、婚約を破棄される事になったのだ」
モーガンが「そういえばアイザックには詳しく話していなかったな」と思い、説明を始める。
元々、ギャレットにはスカーレットという婚約者がいた。
それもそのはず、王太子なのだから婚約者がいないはずがない。
二人の仲は良好だったらしい。
だが、その二人の仲が引き裂かれる事が起きた。
――十七年前の戦争だ。
ロックウェル王国とファーティル王国の間に起こった戦争で、リード王国はファーティル王国に援軍を送っていた。
その縁もあって、戦線が膠着した時にジュードを停戦の使者として送った。
しかし、そのジュードがロックウェル王国の奇襲に巻き込まれて戦死。
混乱したリード王国は、講和条約の中に「王族の血縁者をギャレットの婚約者として送る」という内容を盛り込んだ。
だが、これが良くなかった。
ギャレットとスカーレットの仲を引き裂く事になってしまったのだから……。
当時、ギャレットとメリンダは十五歳。
ロックウェル王国の学院で共に過ごして愛を育み、卒業後に結婚させようと考えられた。
問題はスカーレットも十五歳だったという事だ。
同級生としてギャレットに近い場所にいる。
当然、ギャレットもスカーレットの事を意識し、いちゃついたりしていたらしい。
その事がメリンダには面白くなかったのだろう。
スカーレットへの嫌がらせを始めたらしい。
ギャレットはメリンダの嫌がらせを知り、卒業式にてメリンダとの婚約の破棄を告げたそうだ。
国王であるサイモンは、講和条約の一部である婚約を破棄する事を渋った。
だが、ギャレットの強い希望もあり、このまま夫婦にしても良い事はないと判断し、メリンダをリード王国に送り返した。
「メリンダに非はない。息子の責任が大きいので、彼女を責めないでやってほしい」という内容の手紙を添えて。
「その手紙があったから私は『メリンダが悪い』と思い切れず、手を差し伸べてやりたいと思ったんだ」
当時の事を思い出しているのか、ランドルフは遠い目をしている。
「なるほど、確かにギャレット陛下は悪くないのかもしれませんね……」
アイザックはギャレットの事情を知り、逆恨みのような感情も薄れた気がした。
代わりに、ついジト目をして父を見てしまう。
(そうなると、やっぱり親父の過失割合は大きいんだよなぁ)
ギャレットがメリンダと結婚してくれていれば問題は起きなかった。
とはいえ、その後メリンダを引き取ったランドルフが一番悪い。
いくら好きだった時期があるとはいえ、すでに結婚していたのだから手を差し伸べてやる必要などなかった。
妻を上手くコントロールできないのなら、今ある家庭を守る方向でいてほしかった。
「アイザックやルシアには苦労を掛けたと反省している。すまなかった。でも、あの時はそれが正しい事だと思っていたんだよ」
アイザックの視線に気付いたランドルフが気まずそうに言った。
さすがにあのような事態を引き起こしてしまった事を反省している。
「他にもっとやりようがあったのではないか」と、悔やまない日はないくらいだ。
「そうですね……。実際に行動してみないと、どうなるかはわかりませんから」
そう答えてから、アイザックはランドルフだけが悪いわけではない事を思い出した。
(メリンダを引き取った親父が半分悪いとすると、残り半分は婆ちゃんが悪いんだったな)
――もし、マーガレットがメリンダの後援者となっていなければどうなったか?
少なくとも、あそこまで一方的な事にはなっていなかったはず。
せめてルシアとメリンダの二人を支持する貴族が半々であったなら、メリンダも大人しかったかもしれない。
そうだったなら、ランドルフも上手く舵取りができたかもしれない。
――メリンダの婚約者が子供の頃に決まっていたら。
――ギャレットがメリンダとの婚約を破棄しなければ。
――ランドルフがメリンダを引き取らなければ。
――マーガレットが後援者にならなければ。
複数の偶然が重なって、後継者争いという事態になってしまった。
ランドルフ一人を責めてはいけないと、アイザックは考え直す。
ここでアイザックは、もっとも重要な事を忘れていた。
――アイザックが転生者でなければ、どうなっていたか。
これはもっとも重要な事だ。
アイザックが転生者でなければ、おそらくネイサンが家督争いに勝利していた。
アイザックは家庭環境の事ばかり考えていたが、もっとも影響の大きい事に関して考えが抜けていた。
「とりあえずだ。ギャレット陛下は悪くない。そもそも、他国の王族のケツを蹴り上げるなどと言うものではない。敵対した事のある国とはいえ、最低限の敬意を払いなさい」
モーガンがアイザックに注意する。
それによって、話を変えようとしていた。
「はい、申し訳ございませんでした。言葉遣いには気を付けるようにします」
アイザックは素直にモーガンの考えに乗った。
しかし、次に出された話題のせいで、これは間違った行動だったと後悔した。
「ところで、アイザックも年頃。気になる娘はできたか?」
「えっ、いやそれはその……」
アイザックは言葉が詰まる。
「まだパメラの事が好きで、王家に反旗を翻す事を考えています」などとは言えない。
だが、モーガンはそれを「好きな子がいる」という反応だと受け取った。
彼には心当たりがあるからだ。
「ネトルホールズ男爵家を継いだ娘が大層美しく育っているそうだな」
モーガンはニヤニヤとしている。
先代のテレンス・ネトルホールズ男爵はアイザックの家庭教師をしていた。
それにチョコレートの縁もある。
「アイザックも、少しは彼女に気があるのではないか」と考えていた。
「いえ、それはないです」
「なにっ、恥ずかしいから誤魔化そうとしなくてもいいんだぞ?」
「いえ、本当に彼女はありえません。まったく興味がありません」
「そ、そうか……」
無表情の顔で答えるアイザックに、モーガンは戸惑う。
彼としてはかなり自信のあった答えだったのに、そこまで感情を殺して返事をされると思っていなかったからだ。
「先走って婚約話を進めようとかしないでくださいね。そんな事をしたら一生恨みます。というよりも、強硬手段を使ってでも、家督を奪い取って無かった事にしますから」
「わかった。落ち着け、そんな事をはしないから」
「そうだぞ。大きくなるまで婚約者を決めたりしないって約束しているじゃないか」
真顔で怖い事を口にするアイザックに、モーガンだけではなくランドルフも一緒になって宥めようとする。
「そんなにあの娘は嫌いなのか?」
「嫌いというよりも、まったく興味がありません。僕にはリサお姉ちゃんの方がずっと美人に見えます」
「そうか……」
――アイザックは少し美的感覚がおかしいんだな。
そのようにモーガンは受け取った。
アイザックと同じ十二歳でありながら、すでに大人も魅了する美しさを持つニコル。
彼女に興味を持たないというのは、通常あり得ない事だった。
だが、美的感覚が他人と違うというのならば納得できた。
今思えば、アイザックは他の面でも他人とは違う感性を持っている。
美的感覚も
しかし、それはそれで問題がある。
「では、どういう娘が好みなのだ?」
どんな娘が好みなのか。
これは非常に重要な事だった。
あまりにも
社交界で惨めな思いをする事になるからだ。
念の為に好みのタイプを聞き、あまりにひどい場合は矯正しておいてやれねばならないと、モーガンは心配していた。
「可愛いに越した事はありませんが、リサお姉ちゃんやティファニーのようなタイプの女の子がいいですね」
「ふむ、
「そうですね、
アイザックは、モーガンの考えている事など知らない。
とりあえず性格面で問題のないタイプを答えた。
しかし、モーガンは容姿の面で聞いていた。
リサやティファニーも可愛い事は可愛いが、特別目立つ容姿ではない。
(それもそうか。子供の頃から接しているのがそういう女の子だからな)
だから、彼女らのような女の子が好みなのだろうと、モーガンは受け取った。
ルシアも派手に着飾ったりするタイプではない。
母親の影響もあってか、地味なタイプが好みになっているのだろうと考えた。
「そういう事なら良い。どういう娘を連れてくるのか楽しみにしている」
「ええ、きっと驚かせてみますよ」
「いや、驚きはいらん」
「それをお爺様が言いますか? サプライズですよ」
「どういう事だ?」
アイザックがモーガンをからかうように言っているのに自分はわからない。
疎外感を覚えたランドルフがアイザックに質問する。
「そういえばお父様は知らないんですね。実はお爺様が――」
「おい、アイザック」
モーガンが制止するが、アイザックはランドルフに「サプライズ事件」の事を話す。
「えぇっ、父上がそのような事を!」
ランドルフは奇妙なものを見るような目でモーガンを見る。
父に意外な一面があったと知って驚いていた。
恥ずかしい過去を曝け出されたモーガンは恥ずかしそうにしている。
これをきっかけに、ケンドラが生まれた時の話にもなった。
ランドルフは自分が塞ぎこんでいる時に、そんな愉快な事があったのかと笑う。
ここから話題が明るい内容へと移り変わり、食堂には明るい笑い声が響き出した。
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