第145話 鉄道とネジ

 グレイ商会の王都支店とは言っても、街のど真ん中にあるわけではない。

 小規模な販売店舗は街中にもあるが、金物屋として必要な作業場や倉庫は町はずれにある工業区画にある。

 今回はこちらの拠点に集まる予定だ。

 広さもあるので、護衛が多くても大丈夫だからだ。

 アイザック達が到着すると、作業場の方から鉄を叩く音が響いてくる。

 ラルフが青い顔をして、アイザックを出迎えた。


「アイザック様、陛下が今日お越しになられるなんて聞いていませんよ」


 連絡を受けて驚いていたようだ。

 それもそうかと、アイザックは思った。

 アイザックだって驚いたのだ。

 それなりに規模の大きい商会とはいえ、一商人のラルフが国王のエリアスと会う機会などまずない。

 しかも、心の準備をする時間もなく訪れるとあっては、とても平常心ではいられない。


「僕だって聞いてないよ。恨み言なら陛下に言って」

「言えるわけないじゃないですか!」

「じゃあ、諦めて」

「じゃあって……」


 ラルフはまだ何かを言いたそうだったが、アイザックはアイザックで強く問い詰める事を躊躇う相手だ。

 不満をグッと抑え込む。


「準備はできているんだよね?」

「もちろん、できています。ですが、こんなうるさい場所に陛下を……」


 まだラルフは思い悩んでいた。

 作業音が聞こえる場所に呼んでもいいのか不安でしょうがなかった。


「そんなに不安だったら、みんなに休憩でも与えておいたら? 急ぎの仕事がなかったらだけど」

「それです! おい、みんなに仕事を中止するように伝えろ。そうだ、みんなで陛下を出迎えよう」

「仕事で服が汚れていたりしないの?」

「……出迎えはなし! 休憩だ。しばらく休憩させておけ」


 アイザックの指摘を受けて、慌ててラルフが命令を出し直す。


(慌てすぎじゃないのか? どうせ周囲から作業音が聞こえるから、少しくらい気にしなくてもいいと思うんだけどなぁ)


 アイザックはそう思ったが、一般的にラルフのような反応をする方が普通だ。

 野心を持っているかどうかはともかくとして、王家に対する敬意を持たないアイザックの方がこの世界では異常だった。

 しかし、その本心を知らないラルフやグレンは「さすがアイザック様だ。こんな状況でよく落ち着いておられる」と感心していた。



 ----------



 エリアスが大勢の護衛を連れて到着する。

 馬車からエリアスが降りる。

 同行者の中には一緒にくるだろうとわかっていた祖父だけではなく、クエンティンの姿まであった。


(そんなに暇なのかよ!)


 アイザックはそのような事を考えたが、これはタイミングの問題だった。

 クエンティンは、ウォリック侯爵領の報告をエリアスにするために登城していた。

 そこにモーガンが廊下でちょうど出くわした。

 ドワーフ関連ならば、彼もまったくの無関係ではない。

 一応は知っておきたいだろうと、一緒に見学はどうだと声をかけたのだ。

 エリアスもその考えに賛同し、クエンティンが同行する事になった。 


 だが、アイザックはそんな事情を知らない。

 クエンティンが目ざとくエリアスの行動に気付き、同行を願い出たのだと思っていた。

 しかし、今はそれを尋ねられるような状況ではない。


「ようこそおいでくださいました」


 エリアスを前にして、クエンティンにツッコミを入れる余裕などない。

 今は大人しく歓迎する事しかできなかった。


「なに、たまにはこうして視察に出かけるのも悪くはない」


 王族は商人を呼びつける側だ。

 こうして自分で足を運ぶ事などなかったのだろう。

 エリアスは物珍しそうに周囲を見回す。

 だが、同行しているモーガン達は「こんなところに来なくても……」という表情をしていた。


「アイザック、陛下はお忙しいところ足を運んでくださった。すぐにご案内するように」

「はい」


 だからか、すぐに用件を済ませようとモーガンはアイザックを急かす。

 アイザックも祖父の心中を察してか素直に従う。


「しょ、商会長のラルフでございます。私がご案内致します。こちらへどうぞ」


 ――案内するなら自分の出番だ。


 そう思ったラルフが緊張で震えながら先導する。

 強張った表情で名乗りでたラルフに、エリアスはフッと笑う。


「そう緊張する事はない。気楽にせよ」

「滅相もございません。あの名高き国王陛下直々にお越しいただける。それだけでこの上ない栄誉でございます。感動のあまり、震えが止められません」


 エリアスは一般的には”賢王”と呼ばれている。

 元々は無難な統治をしていただけだったが、近年ではエルフとの友好やウォリック侯爵領の減税など派手な結果も残している。

 ラルフのように詳しい事情を知らない者にとって、エリアスは歴代でも指折りの国王だった。

 ラルフが考えているように、平民にはウォリック侯爵領の減税は良い事だと受け取られている。


 ――重税を課していたウォリック侯爵を国王陛下が叱りつけた。

 ――ウォリック侯爵領で起きた混乱は欲をかいた商人達のせいで、それを抑えきれなかったウォリック侯爵も悪い。


 というのが一般的な感想だった。

 そのため、エリアスは名声だけを得るというおいしいとこ取りをしていた。

 ラルフのような者にとって、こうして声を掛けてもらえるだけでも感動で打ち震える相手だった。


 エリアスは満足そうにうなずく。

 彼は「たまにはこうして下々の者と話すのも悪くない」と感じていた。

 王宮にいる者達は心を隠して働いている。

 ラルフのような態度を見る事ができるのは、エリアスにとって新鮮だった。

 こうして賛美の言葉を聞く事は気持ちが良かった。



 ----------



 ラルフが案内したのは倉庫の脇にある駐車スペース。

 そこに三台の馬車が用意されていた。

 二台は鉄製の馬車で、その内一台は何かの上に乗っていた。


「順番にご説明させていただきます。まずはこちらの荷台をご覧ください」


 まず、ラルフは普通の荷馬車の荷台を見るように伝える。

 幌は外され、荷台の中が見やすくなっている。


「鉄を載せた普通の荷馬車だな」

「うむ」


 クエンティンが呟く。

 モーガンもその言葉に同意した。


「これならもっと荷物を載せられるのではないか?」


 しかし、荷馬車を見慣れないエリアスは疑問を口にする。

 これこそ聞いてほしかった事だ。


「僕も最初はそう思いました。ですが、鉄は重いのでこれ以上載せると馬車が壊れてしまうそうです」

「そうなのか?」

「まずはそれを実際にお見せします。少し馬車から離れていてください。ラルフさん、やってください」


 アイザックが実践した方が早いと、ラルフに命令する。

 すると、あらかじめ比較的小奇麗な格好で用意していた十人程度の商会員達が鉄を荷台に積んでいく。

 やがて、ミシミシという音が鳴り始め、馬車の底が抜けた。

 ガラガラと鉄のインゴットが地面に落ちる音が響く。


「これではダメだな」

「はい。ですから、車体を鉄にしたら大丈夫じゃないのかと思ったのが隣の荷馬車です。車体と車軸を全て鉄で作りました」


 アイザックが指し示したのは、見るからに鉄という重量感のある荷馬車だった。

 荷台には木製の馬車に載せていたよりも明らかに多い鉄が山積みになっている。


「確かに丈夫そうだな」

「ですが、問題もあります。それをわかりやすくするために、護衛の騎士の方々十人ほどにお手伝いしていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」


 アイザックの頼みに、エリアスは不思議そうに首をかしげる。


「十人ほどでいいのなら、その者達を使えばいいではないか」


 エリアスは、先ほど木製の馬車に鉄を積み込んでいた者達を見る。

 だが、アイザックは「それではダメだ」と首を横に振る。


「色々と証明するために嘘を吐かない者が必要だからです。彼らはグレイ商会で働く者。自分達の商品をよく見せるために嘘を吐いていると思わせないために、騎士の皆さんのお手伝いが必要なんです。もちろん、彼らは陛下に嘘を吐いたりはしませんけど、100%の保証のためです」

「ふむ……。まぁ、かまわんか。手伝ってやれ」


 エリアスが護衛の隊長に命じる。

 彼は部下から十人を選ぶ。

 何をさせられるのかわからなかったが、選ばれた者達に不満の色は見えなかった。

 むしろ、エリアスのために働ける事を誇りに思っているかのようにすら見えた。


「それでは、この馬車を押してくれますか?」

「えっ?」


 アイザックの要求に、騎士達は困惑する。


 ――鉄の馬車に山積みのインゴット。


 こんなものを押せるはずがない。

 エルフによって整備された道の上ならともかく、普通の地面の上だ。

 すでに車輪が少し地面にめり込んでいるようにすら見える。

 一目見ただけで「動かすのは無理だ」と思えてしまう。


「これをですか? 馬を使った方がいいのでは?」

「動かそうとしてダメだったという事実を証明してくださればいいんです。動かせなくてもいいんですよ」

「そうですか……」


 だが、騎士達はダメだとわかっていても「やる以上はやってやる」と意欲に燃えた目つきをする。

 騎士達が馬車の周囲を取り囲み、配置につく。


「せーのっ!」

「うおおおおおお!」


 騎士達が雄叫びを上げる。

 しかし、鉄の荷馬車はピクリとも動かない。

 十秒ほどしてから、アイザックが彼らを止める。


「ありがとうございました。鉄の馬車は頑丈です。だからといって、荷物を載せすぎると動かせなくなってしまいます。車体も重くなりますからね。そこで、様々な問題を解決したのがこちらです」


 アイザックは三つ目の馬車に案内する。

 それは二つ目の馬車と同じ。

 だが、一点だけ大きな違いがあった。

 10メートルほどの鉄骨のような物の上に乗っていた。

 車輪も鉄骨を挟むような不思議な形をしている。


「今度はこちらを押してくれませんか?」


 騎士達はお互いに顔を見合わせたあと、エリアスの方を見る。

 エリアスはうなずく事で、アイザックの指示に従うようにと仕草で示した。

 また動かない鉄の馬車を押さなくてはならないと思うと憂鬱な気分になる。

 だが、命令が出てしまっては仕方がない。

 もう一度馬車を取り囲む。


「せーのっ!」

「うおおおおおお! ……?」

「おぉっ!」


 今度は先ほどとは違い、ゆっくりと動き始めた。

 驚いたのは周囲で見ていた者達だけではない。

 動かないと思っていた騎士達も、予想外の動きに驚いていた。

 徐々に速度が速くなっていく。


「あっ、ちょっと待って。ストップ!」


 だが、アイザックの制止は遅かった。

 かなりの質量がある馬車は止まる事なく、10メートル分の鉄骨の上を過ぎ去り、車輪が地面に接触する。

 すると、馬車は勢いあまってそのまま前方に半回転した。

 積荷のインゴットが周囲に散らばり、凄まじい騒音が周囲に響き渡った。

 音の大きさに驚いて、アイザックはビクリと肩をすくめていた。

 いや、アイザックだけではない。

 周囲の大人達も皆が同じようなものだった。


「も、申し訳ございませんでした!」


 押していた騎士達が口々に謝る。

 それはエリアスの前で騒音を立ててしまった事への謝罪と、鉄の馬車を壊してしまったかもしれない事への謝罪だった。


「確かに驚いたが、まぁよい。それよりも、なぜあれが動いたのだ? 重いはずだろう?」


 エリアスはアイザックに質問する。

 叱りつけるよりも、なぜ重い馬車が動いたのかの方に興味を引かれていたからだ。


「これは単純な事です。グレン、紙と書く物を」

「はっ」


 アイザックはグレンから紙と鉛筆を受け取ると、絵を描き始める。

 まずは丸太を並べた簡素な絵だ。

 それをエリアスに見せる。


「陛下は石切り場とかで大きな岩を運ぶ時に、このように丸太を敷いて運ぶという事をご存じでしょうか?」

「ああ、本で読んだ事があるというだけだが」

「それで結構です」


 まず前提条件をエリアスが知っている事に、アイザックは満足する。


「重い物でも、地面との間に丸太を敷く事によって運びやすくなる。ですが、丸太で運ぼうとすると大量の丸太が必要になり、しかも木材ですので削れたりしてしまいます。そこで、簡単に削れたりせず、地面よりツルツルで動かしやすい鉄の道を作り、その上を鉄の馬車を走らせようと考えました。エルフが整備した道でも多少はざらざらしていますので、こっちの方が動かしやすいはずです」


 アイザックは線路の鉄を触り、次に地面を触る。

 それを見て、エリアスやモーガン達も真似をした。


「なるほど、確かに地面よりも滑りは良い。だから重い物でも動かしやすいというわけか」

「はい。そして、鉄道を考えたのはそれだけが理由ではありません」

「というと?」

「鉄道を敷くとなると、大量の鉄が必要になります。きっと、ウォリック侯爵領の鉄だけではなく、ブランダー伯爵領で採れる鉄も使う事になるでしょう」


 アイザックの言葉で、エリアスは合点がいったようだ。


「ブランダー伯爵への配慮というわけか」

「はい」


 ウォリック侯爵ばかり優遇していては、ブランダー伯爵からよけいな恨みを買うかもしれない。

 そちらへも配慮を示す事で、アイザックは敵に回る者を減らそうと考えていた。


「しかし、石切り場の丸太だけでこんな事を思いつくのか? 思いついたきっかけはなんだ?」


 いくらなんでも、こんな発想をできる事はおかしい。

 どんな思考をしているのかが気になったモーガンがアイザックに尋ねる。


「階段の手すりで滑っている時にツルツルだと――」

「アイザック、危ないから手すりで滑って遊ぶなと言っただろう!」

「す、すいません。つい……」


 以前にラルフと荷馬車の積載量について話をしたあと、ちょっと童心に返って手すりで遊んでいたところで、アイザックは鉄道について思い出した。

 鉄の荷馬車で動かせなくなるのなら、動かせるようにすればいい。

 それで思い出したのが線路と電車だった。

 エンジンが無くとも、代わりに馬に引かせればいいだけ。

 普通の馬車サイズなら大丈夫だろうと思って、ラルフに作らせていた。


「それでこの鉄の道を思いついたわけか。鉄道……。うむ、ピッタリの言葉だ」

「ありがとうございます」


 エリアスが感心しているので、アイザックはすぐに返事をする。

 しかし、モーガンは「あとで危ない遊びをする子供には説教だ」という視線をしたままだった。

 エリアスの相手をして逃げようとしても、説教からは逃げられそうになかった。


「この鉄道で街と街を繋いで、大量の荷物を運びやすくするのか」

「はい、その通りです。これをドワーフに教えれば、かならず喜んでくれる事でしょう」


 エリアスは理解が早い。

 アイザックも説明しがいがあるというものだ。

 だが、それにクエンティンが待ったをかける。


「アイザック、それは無理だ」

「えっ、なぜですか?」


 まさかこの案に待ったがかかるとは思ってもみなかった。

 しかも、一番得をするであろうクエンティンが言い出すなど、可能性すら考えた事などなかった。


「街と街を繋ぐとなれば、かなりの鉄が必要となるだろう。鉄道のためだけに鉄は使えん。国内の需要を満たしつつ鉄道に使う分を捻出するなら、かなり増産に励まなければならない。それに、予算も掛かるぞ。鉄の代金だけではなく、燃料代や人件費などで数千億、もしかすると数兆リードが必要になるかもしれん。やろうと思ってすぐにやれる規模では収まらなくなる」


 クエンティンは、ここ数年かなりの苦労をしてきた。

 侯爵家の当主としては珍しく金にこまかくなっていた。

 なので、鉄道を敷設する規模と金額が膨大になるという事をアイザックに教えてやった。


「あー……、それは……」


 アイザックは技術に溺れて、実現可能なものかどうかまでは考えていなかった。

 失敗だったと悟り、エリアスの様子を窺う。


「確かにウォリック侯の言う通りだ。鉄道を作るのなら、十年単位で取り組まなければならない事なのかもしれんな……」


 エリアスも予算の事を言われると弱いのか、渋い表情をしていた。


「じゃあ、ドワーフに教えるだけなら……」

「鉄道を作る鉄を売ってほしいと言われた時に、ありませんと答えて落胆されないか?」

「うっ……」


 クエンティンは、的確な指摘をしてくる。

 アイザックは、何も良い返答が思い浮かばなかった。

 言葉が詰まってしまう。

 嫌がらせではなく、本当に心配しての発言だとわかっているので無視する事もできない。


「何か他にはないのか? まぁ、調印式には何もなくても大丈夫だとは思うが……」


 エリアスが心配そうな顔でアイザックに尋ねる。

 本人が言っているように、通商協定を結ぶ調印式自体は問題はない。

 だが、国王自身が出向くので、どうせなら手土産を持っていきたいところだった。


 ここで問題になるのが、エルフやドワーフとの交流再開自体が原作ゲームにはなかったという事だ。

 そのため、人間はドワーフ相手に売りとなる珍しい物を持っていない。

「アイザックの考える何かが頼り」という状況になっていた。


「ありますよ」

「おお、そうかそうか」


 エリアスは嬉しさを隠そうとしない。

 まだ他にもあった事を喜ぶ。


「ラルフさん、あれを」


 ラルフは近くにいた部下から木切れと短い鉄の棒を受け取り、アイザックに手渡す。


「これはネジとドライバーです。こうやって回すだけで――」


 それはマイナスネジとマイナスドライバーだった。

 プラスでないのは、プラスにすると工程が増えてしまうからだ。

 初期量産品として、作りやすい仕様にしていた。

 アイザックは、あらかじめ木切れに固定されていたネジを回して外す。


「――大工仕事をした事のない僕でも簡単に外せます」

「それは凄い事なのか?」


 これはエリアスだけではなく、モーガン達もわからない様子だった。

 貴族の間で日曜大工という趣味が流行っていれば別だっただろうが、ほとんどの者が自分で物を作るという経験がない。

 外しやすさの利点がわからなかった。


「釘を抜く時に釘が曲がったり、木が割れたりするそうです。荷物の運搬に使う木箱の蓋も釘で固定しているので、ネジを使えば何度も使いまわしができます」

「あぁ、なるほど。洗濯バサミとかいうのと同じで、あったら便利な物の類か」

「その通りです」


 エリアスは良い恰好をしようとする悪癖があるだけで、頭自体は良いようだ。

 ネジがそれ単体で価値があるのではなく「便利な使い方ができる」という事に価値があると理解した。

 アイザックからネジを受け取り、マジマジと見つめる。

 そして、渋い顔をして鉄道の方に向き直った。


「しかしなぁ、あれと比べると……」


 鉄の荷馬車を使えるようにする鉄道と、釘の周囲にクルクルと回る溝が彫られているだけの物とでは、どちらが価値があるか比べるまでもない。

 どうしてもネジは見劣りしてしまう。

 エリアスは「どうせなら鉄道の方をドワーフに見せたい」と思ってしまう。


「僕もあちらの方が自信があったんですが、ウォリック侯の言われる事が正しいとも思います。今回はネジだけ売り込んで、数年後に鉄道の設計図を売り込むというのでいかがでしょうか?」

「そうだな。数年後ならウォリック侯爵領も増産体制が整っているだろう。ブランダー伯爵領もだ。その頃に話を持ち掛けた方が効果的だろう。ウェルロッド侯、そなたはどう思う?」


 エリアスはモーガンに話し掛ける。

 こういう問題は彼に聞く方が確かだったからだ。


「一度に出してインパクトを与えるという方法も有効でしょう。しかし、それは前回で十分効果がありました。慌てず、小出しにしていくというのは賛成です」


 モーガンの返答を聞き、エリアスは満足そうに「うんうん」とうなずく。

 やはり、外務大臣に意見を肯定してもらった方が頼もしい。

 エリアスはアイザックに笑顔を向ける。


「これだけ役立ってくれているのだ。ウェルロッド侯爵家だけではなく、アイザック・ウェルロッド個人にも何か褒美を与えてやらねばならぬな。どういう物が欲しいか希望はあるか?」

「希望ですか」


 ――突然降って湧いたチャンス。


 アイザックは頭をフル回転させて、何を希望するかを考える。


(……そうだ、意外とこの要求は通るかもしれない!)


 アイザックは大胆な要求をしてみる事にした。

 一歩間違えれば大変な事になる。

 だが、エリアスは自分の事を気に入ってくれているように感じているので、最悪の事態にはならないだろうという確信もあった。


「それでは、褒美というわけではありませんが……。ウェルロッド侯爵家に軍備拡張の許可をいただけますか?」

「軍備拡張? なぜだ?」

「アイザック、理由を答えなさい」


 当然、この要求にエリアスは疑問を感じる。

 それはモーガンも同じだ。

 軍備拡張の許可を求めた理由を話すように要求した。

 これに、アイザックは深刻な顔をして話しだした。


「ドワーフと仲良くする前にこんな話をするのもどうかと思いましたが……。ドワーフ達は強そうでしたし、武器や防具も立派な物でした。万が一にも武力衝突が起きた時の事を考えると、兵士の数だけでも揃えておいた方がいいのかと思いました」


 アイザックは一度深呼吸する。

 周囲の大人達も息を呑んで、続きの言葉を待った。


「ドワーフと戦争が起きるとしたら、ウェルロッド侯爵領は最前線になります。リード王国の盾として戦う用意はしておいた方がいいでしょう。もちろん、今すぐにというわけではありません。お金も掛かる事ですので、ドワーフと取引を始めて利益が出始めてからの話です」


 ――軍備拡張を支える経済的な裏付け。


 これはかつて、大叔父のハンスに指摘された事だった。

 ドワーフとの取引によって、税収が増える見込みだ。

 きっと軍備拡張にも耐えられるだろう。

 だが、兵士を集める時に問題になるのは大義名分だ。

 理由もなく兵士を集めれば、アイザックの叛意が疑われる。

 この機会に正当な理由を得ようと、ドワーフを口実に一歩踏み込んだ要求を行った。

 これに最初に反応したのは、クエンティンだった。


「なるほど、兵士を集めるというのは良い考えだ。兵士を揃えているという事が、戦争の抑止力にもなるだろう」


 彼は軍人らしい考え方をした。

 争いが始まる前に、立派な軍が整っている事を見せる。

 それによって、相手に“攻めたら簡単に勝てるのでは?”という余計な隙を見せないという、予防的な措置として有効だと考えた。


「交易の利益を国防に回す事によって、周囲の嫉妬も避けられるな」


 モーガンもアイザックの話を聞けば、納得できる理由だった。

 ドワーフとの交易で利益を貯め込んでいれば、ウェルロッド侯爵家はかならず「自分達だけ良い思いをしている」と周囲から嫉妬される。

 だが、その利益を半分でも有事に備えるために使えば、誰も表立ってウェルロッド侯爵家を非難できない。

 私利私欲で金を貯め込むのではなく、公益のために儲けた金を使っているのだ。

 むしろ、非難した者が「不見識だ」と馬鹿にされる事になるだろう。

「アイザックは上手い事を考えたものだ」と感心していた。


 二人の侯爵がアイザックの意見に賛同した事により、エリアスも前向きに考え始めた。

 しかし、気になる事もある。


「ドワーフと通商協定を結ぶ前後に軍を拡張し始めるというのはな……。敵意があると思われないか?」

「それは『ドワーフとの交易を求めて商人が増えるはず。その商人を狙う泥棒が出ないよう、治安維持のために衛兵を増やした』とか最初は言っておけばいいんじゃないでしょうか。事実必要になりますので」

「ふむ……」


 エリアスは考え始めた。

 確かに悪い申し出ではない。

 王家に負担はないし、有事に備える事もできる。

 この要求を呑む事に障害はなかった。

 あるとすれば一つだけ。


「だが、それを褒美とするのはなんとも……」


 どちらかと言えば「ドワーフと交易をして儲けたのだから、軍を増強せよ」という命令の色が強い。

 これをアイザックへの褒美にしてしまうと、他の者達がエリアスの治世に不安を感じてしまうかもしれない。


「でしたら、ジェイソン殿下とお話しする権限をいただけないでしょうか。今年は色々と忙しいので、来年あたりにお会いする機会をいただけたら嬉しいです」

「それくらいなら、いくらでもかまわん。それにしても、そなたは無欲だな」


 エリアスは微笑みながら、アイザックの頭を撫でる。

 先代ウェルロッド侯爵家当主であったジュードも無欲だった。

 きっとアイザックも、ジュードのようによく働いてくれるだろうという確信を抱いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る