第146話 ブリストル伯爵に仕掛けた罠
――軍備拡張の許可。
そのインパクトが効いたのだろう。
階段の手すりで遊んでいた事は怒られなかった。
屋敷の階段は、ちょっとはしゃぎたくなってしまうほど立派だった。
つい欲望に負けて滑ってしまったのだ。
(いや、そうじゃない。今はそんな事はどうでもいい)
だが、今はその事に考える時ではない。
アイザックはかぶりを振って、手すりで遊んでいた事を忘れようとする。
(王家と戦えるほどの軍備拡張を行うには金が必要だ。ドワーフの利益は独占したい。そうなると、ブリストル伯爵の進めようとしている、もう一本の交易路が目障りだ。誰にも後ろ指を指されない方法で計画を頓挫させないと……)
アイザックは「なんとかできないか」と知恵を絞る。
こういう人を陥れる考えをする時、なぜか頭が冴え渡った。
元々、体のスペックが良かったのか。
それとも、若い体が頭の回転を早めてくれているのかはわからない。
だが、経験や知識の不足まではカバーしてくれないので、そこは残念だった。
(ジークハルトに気に入られているから、取引に関してはある程度こっちを優先してくれるはずだ。無理をする必要はない。自分は安全圏にいて、相手が一人で勝手に踊ってくれるように仕向ければいいだけだ)
それが難しいんだけどな、とアイザックは疲れた笑みを浮かべる。
さすがにアイザックも、最近は自分が注目を浴び始めている事に気付いている。
カーマイン商会の時のように、暴力による解決をしてしまうと、多くの人々に失望を与える事になるだろう。
それに、お隣のブリストル伯爵に根強い禍根を残す事になってしまう。
将来に向けて、自分がどういう行動を取るのかをよく考えてから行わなければいけなかった。
――自分の責任を回避しつつ、相手に自分が間違っていたと後悔させる。
そんなやり方を考え、実行する必要がある。
王都の商人相手には多少強引に出る事はできても、同じ貴族であるブリストル伯爵には穏便な手法を使わなくてはならない。
(穏便な方法か。殺すだけなら、いくつか思いつくのになぁ……)
こんな時、もっと地味な政治話を題材にした小説や漫画を読んでおけば良かったと後悔してしまう。
参考にできるものがないので、方法を考え出すのに一苦労だ。
(……いや、ある! あったよ、方法が!)
持つべきものは家族だ。
一度も会った事のない曾祖父ジュードが、アイザックを悩みから救ってくれた。
曾祖父のやった事を読んで「なんて事をしているんだ」と何度思った事か。
だが、それが今になって役に立つ。
(そのまま使うとバレるから、多少はアレンジしないとダメだな。けど、上手くいけば相手の自滅を狙える)
先人の知恵は偉大だ。
人の心を逆手に取った悪辣な罠も、ジュードのしでかした事を参考にすれば簡単に思い浮かぶ。
かつてドワーフ達が言っていた“新しいものを思いつくのが大変だ”という言葉が身に染みてわかる。
(それじゃあ、遠慮なく曽爺さんの知恵をお借りするとしよう)
せっかく思いついた対応策。
無駄にする事のないよう、準備に取り掛かり始めた。
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年が明け、周囲がドワーフとの交流再開を目前にして浮つき始めた頃。
アイザックは行動を開始した。
――目指すはブリストル伯爵邸。
策略は時として、大胆かつ単純に行うのも効果的である。
誰もが「そんな事をするはずはないだろう」と、油断させる事ができるからだ。
アイザックはグレンのみを同行者とし、敵地に乗り込む事にした。
しかも、アポなしでだ。
当然、予定にない来客にブリストル伯爵邸で働く使用人は戸惑った。
だが、来客はアイザック・ウェルロッド。
王都で話題に事欠かない相手だ。
「予約がないから帰れ」と無下にして帰すわけにはいかない。
使用人では対応できないと見た執事長が、アイザックに対応するために玄関まで出てくる。
「足をお運びいただいたところ申し訳ございませんが、当主のロジャーは出掛けております。面会のご予約でしたら承りますが」
いくら今を時めくアイザックとはいえ、伯爵家の当主相手に無作法は許されない。
言葉の中にやんわりと「アポを取れ」と含ませる。
その意味を理解していたが、アイザックは平然としていた。
全てわかってやっている事だからだ。
「うん、ブリストル伯が不在だという事は知っているよ」
「では、どのようなご用件でしょうか?」
彼もブリストル伯爵家がドワーフとの交易路を作ろうとしている事は知っている。
その用件でロジャーに会いに来たのでなければ、何の用件で来たのかがわからなかった。
「コンラッドさんとお話ししたいんです。これからの僕達の事をね」
アイザックはニヤリと笑った。
その笑みは子供の笑みではなく、薄暗い何かを含んでいるように執事長に感じさせた。
コンラッド・ブリストル。
彼はロジャー・ブリストル伯爵の腹違いの弟だ。
温和なおじさんといった容姿をしている。
ブリストル伯爵が出掛けて、彼が屋敷に残っている時を狙い、アイザックが訪ねてきたのには理由がある。
彼がアイザックの目的を果たすための鍵だったからだ。
「それで、用件とは?」
コンラッドは呆れたような表情をしていた。
だが、それでもアイザックと会ってくれている。
彼は兄のロジャーをサポートするのが役目だったので、アイザックと会う事も役目の内だと思ってくれたのだ。
そういう性格も調べた情報に入っていたので、こうして会ってくれる事も全て計算の内だった。
「突然押しかけて申し訳ございませんでした。ですが、ブリストル伯爵のいない間にお話がしたかったので……」
その言葉に、コンラッドは露骨に顔をしかめる。
彼も色々とアイザックの噂は聞いていた。
「ブリストル伯爵家にドワーフとの取引をやめさせようと、阻止するために来たのではないか?」と警戒する。
その考えは正しかった。
だが“どう阻止するか”までは考えが及ばなかった。
「重要な案件であれば、当主不在の間に決めるような事はできない。その事はわかっているのではないか?」
コンラッドはチラリとグレンの方を見る。
大人の付き添いがいるのなら、すでに忠告されているだろう。
頭が良い子供として有名なアイザックなら、そのくらいの事は理解しているはずだ。
それなのに、あえて面会に訪れた。
「きっと何かをしてくるはずだ」と、コンラッドは警戒のレベルを最大限まで引き上げる。
「僕もその事はわかっています。でも、今日訪ねたのはブリストル伯の人柄を知りたいからです」
「兄上の人柄を?」
コンラッドは首をかしげる。
アイザックが切り出した話題は警戒していた内容とは違う。
あまりにも予想外な質問に、少しの間固まってしまった。
「ドワーフとの交易は人間相手の交易とは違います。考え方も違いますので、すれ違いで争いになったりすると皆が困ります。ですから、ブリストル伯がどんな方なのかを知りたかったのです。それに……」
「それに?」
「腹違いの兄弟でも本当に仲良くできるのかをお聞きしたかったというのもありまして……」
「あぁ……」
ウェルロッド侯爵家であった家督争いは有名だ。
――アイザックが自分の手で兄のネイサンを殺した。
その事は多くの者が知っている。
もちろん、コンラッドもだ。
だから、使者を送るのではなく、アイザック本人がわざわざやってきた事にも理解を示す。
(噂では凄まじい子供だったが、今でも兄を殺さずに済んだのではないかと後悔しているのだろう)
彼はそのように考えた。
そうでもなければ「腹違いの兄弟でも仲良くできるのか知りたい」などと言わないはずだ。
噂で聞くアイザックの姿とは裏腹に、彼の前には苦悩する一人の子供の姿が見えていた。
フッと一度笑うと、アイザックに兄の姿を語り出す。
「まずは家庭環境によって変わるという事を忘れないでほしい。私は妾の子という事は知っているか?」
「はい」
先代のブリストル伯爵は、正妻を一人だけ持っていた。
「コンラッドは妾の子だ」という事も、調べた情報の中にあったのでアイザックは知っている。
「ウェルロッド侯爵家と違ったのは、その点が大きい。第一夫人と第二夫人の複雑な力関係で後継者の問題で揉めなかったからな」
コンラッドは、昔を思い出して遠い目をする。
「初めて兄上と出会ったのは五歳の時、母が亡くなった私がブリストル伯爵本家に引き取られた時だ。子供ながらに妾腹の息子がどう扱われるのか不安だった私に、兄上は良くしてくれたよ。ある日、兄上は父上に肩車されていた。全然私に構ってくれなかった父上も、嫡男である兄上には父親としての一面も見せるのだと羨ましかったよ」
寂しそうな顔を見せると、一口お茶を飲む。
「兄上は羨ましそうに見ている私の視線に気付いた。その時、兄上はなんと言ったと思う? 『次はコンラッドの番だね』だったよ。その言葉は今も忘れていない」
「優しそうな人ですね」
アイザックの相槌に、コンラッドは微笑みを返した。
「その通り、兄上は子供の頃から優しい人だ。もちろん、これだけではないぞ。他にもたくさんあるんだ」
そう言って、コンラッドはロジャーの話を続ける。
よほど兄を慕っているのだろう。
ロジャーの話ができるのが楽しそうだ。
そんな彼の事を、アイザックは内心可哀想に思っていた。
(これだけ慕っていても、兄に好かれているわけではないんだよなぁ……)
アイザックの調べたブリストル伯爵兄弟の情報。
その中で、兄のロジャーがコンラッドの事を好いてはいないという情報もあった。
理由としては「コンラッドの方が優れているから」というわかりやすいものだった。
確かにブリストル伯爵家では、アイザックとネイサンのような家督争いが起きなかった。
長男であるロジャーが順当に後を継いだ。
だが、だからといって「争いにならなくてよかったね」とはならない。
――能力面ではコンラッドの方が優れている。
その事実は、ロジャーの性格を歪ませていった。
子供の頃は本当に優しかったのだろう。
しかし、時が経つにつれてロジャーの中で「自分が後を継げたのは、実力ではなく血筋だけだ。きっと皆もコンラッドの方が当主にふさわしいと思っている」と悩み始める。
幼い頃は頭の良い弟を自慢に思っていたが、年を取るにつれて疎ましく思い始めたのだ。
ロジャーはネイサンと違い、弟の存在を発奮材料にできなかった。
――ロジャーは他の貴族に、弟の事を愚痴っている。
この情報は、屋敷の書斎にあった。
貴族社会の人間関係を記録した書物の中で、ブリストル伯爵家に関して書かれている一冊の本に書かれていた。
比較的インクが新しかったので、モーガンが書いたものなのかもしれない。
書いた本人はちょっとしたゴシップのような感覚で書いたのだろうが、アイザックには宝の地図を見つけたような気持ちだった。
「おっと、話をし過ぎたかな。兄上の良い所はわかってもらえたと思う」
コンラッドは自分ばかり話をしていた事に気付いた。
恥ずかしそうに笑う。
これにはアイザックも愛想笑いを浮かべた。
「はい、よくわかりました。安心してドワーフとの交易を任せられそうなお方ですね」
お世辞ではあったが、コンラッドは嬉しそうに笑った。
「そうだ。兄上ならきっと上手くやってくれる。交易路も一つよりは、二つあった方がより多くの品物を取引できるしな。ウェルロッド侯爵家とは協力していきたいと思っている」
――アイザックがロジャーの事をわかってくれた。
そう思い、コンラッドはホッとする。
ここでアイザックに「何が何でもブリストル伯爵家の交易を認めない」と言われれば、色々と厄介な事になっただろう。
最大の難関が乗り越えられた事により、一安心といったところだ。
「僕も上手くいくようにお手伝いをしたいと思っていたんですよ。グレン、例のメモをコンラッドさんに」
「ハッ」
アイザックはグレンに命じて、一枚の紙を渡させる。
それは、ルドルフ達の印象を書いた紙だった。
『ルドルフは孫のジークハルト可愛さに、交渉に同席させる考え無し。職人としての腕は未知数だが、商会の当主としては不適格』
『ジークハルトはルドルフの孫。商人としての才能はあるのかもしれないが、まだまだ未熟。ルドルフ商会における将来の当主となるかもしれないので、仲良くしておいた方がいい』
『ウォルフガングは礼儀知らず。元々自分の無能さを逆恨みして殴り込みをかけてきたにもかかわらず、対処方法を考えてやったこちらにお礼の一つも言わない。だが、それ故にドワーフの中から裏切り者を出すなら、彼のように自分勝手な者が狙い目だ』
「これは……」
コンラッドは露骨に顔をしかめた。
アイザックが会ったドワーフの情報を教えてくれるのは嬉しいが、非常に手厳しい評価だったからだ。
「あぁ、やっぱり書きすぎですか?」
「うむ。もうちょっと……、柔らかい方がいいな」
「すみませんでした。インクとペンをお貸しいただけますか?」
「わかった」
アイザックは照れ笑いを浮かべる。
それは「しくじったなー」という子供らしい笑みだった。
書いている内容は厳しいが、アイザックの反応が「子供らしいものだ」と思って、コンラッドの表情も和らぐ。
インクとペンを受け取ったアイザックが、紙に書かれた文章を消していく。
だが、文章を全て消したところで、その手が止まる。
「……思ったんですけど、ブリストル伯爵領の近くの街がザルツシュタットというわけではないですよね」
「おそらく、他の街になるだろうな。隣町か、もっと離れた町かまでは道を通してみないとわからない」
「それじゃあ、これって役に立つんですかね? 同じ人と取引するとは限らないし、余計な先入観を持たせるだけになるのでは?」
コンラッドは返事をする代わりに、そっと視線を逸らす事で答えた。
言葉にして同意する事は躊躇われたので、視線で答えるという配慮を行う。
良かれと思って持ってきてくれた物に「そうだね」とは答え辛いからだ。
「申し訳ありません。こちらの紙は捨てておいていただけますか? やっぱり、ブリストル伯爵には変な先入観なしでドワーフと接していただきたいので、僕の偏見に満ちた感想は不要だと思います。勝手に押しかけてきて申し訳ありませんが、今日はこの辺りで……」
「いやいや、兄上の事を知って帰ってもらうというだけでも、こちらにとっても収穫といえる。隣同士、仲良くやっていきたいものだ」
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
アイザックが帰るというので、コンラッドは玄関まで見送る。
コンラッドがわざわざ玄関に、執事長や手隙の使用人まで集めてくれた。
気持ちよく見送ろうという気持ちが嬉しい。
「コンラッドさん、今日はあなたとお話ができて良かったです。年は離れていますが、お互いに弟同士仲良くやっていきましょう」
アイザックが笑顔で右手を差し出す。
コンラッドも笑顔で手を握り返した。
「そうだな、仲良くやろう。兄上の話を聞きたいのなら、まだまだ話す事は残っているからな」
「ええ、またブリストル伯の事を詳しくお聞きしたいですね」
アイザック達は笑顔で別れた。
その笑みには多くの感情が含まれている。
(話をする機会があるといいけどな)
アイザックは本当に
だが、求めた結果はそれだけではなかった。
運に頼る要素は多いが、何もしないよりはマシだ。
種は蒔いた。
それをどのように収穫するかは、ロジャー次第。
あとはどういう結果になるのかを見届けるだけだった。
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