第140話 アイデア料

「お爺ちゃん。ザルツシュタットの工房だけじゃなく、僕達も取引しようよ。きっと大きな利益になる」


 ジークハルトは鼻息荒く、ルドルフに詰め寄る。

 他の工房に利益を独占させるのを、指をくわえて見ている事などない。

 自分達も人間と取引するべきだと考えていた。


「どの程度の規模で取引するかを決める権限はあるが……」


 ルドルフは洗濯バサミや布団バサミを見て、怪訝な表情をしている。

 先ほどジークハルトが言った事には驚いたが、職人の目から見て大した物ではないので、どうしても凄い物だという確信が持てなかった。

 本腰を入れて人間と取引する事に及び腰だった。


「それじゃあ、ルドルフ工房だけでも人間と――」

「待ってください」


 ここでアイザックが、ジークハルトの話を遮った。


「最初はザルツシュタットの街との取引だけでいいと思います」


 アイザックの意見はジークハルトと正反対だった。

 いきなり大規模な取引をする事を避けた。


「でも、人間だって僕達と取引をしたいんじゃないの? だったら、少しでも取引の規模が大きくしたと思わないの?」

「あくまでも僕個人の考えですが、大きな取引をしたいとは思いません」


 アイザックは自分個人の考えであって人間の総意ではないという事を主張しつつも、ハッキリと言い切った。


「数年の付き合いがあるエルフでも、リード王国内を自由に移動したりはできません。人間もエルフの住む森を自由に移動したりはできません。問題が起きないよう、お互いに護衛や案内人を付けています。それくらい慎重に交流を進めているんです。欲に目が眩んで、いきなり大規模な取引を始めるのは僕達の未来のためになりません。最初は街単位での取引に抑えた方がいいでしょう。種族が違うという事は文化も違うという事。お互いを理解する時間が必要です」


 アイザックは慎重論を主張する。

 この言葉に嘘はない。

 ただ「大規模な取引を始めてボロが出るのが怖い」という気持ちから、慎重になっている面もあった。

 勝手に高く評価して誤解してくれているのは嬉しいが、高評価過ぎて恐れてしまい、本能的に守りの考えになってしまっている。

 ルドルフが慎重意見に賛同する。


「ジーク、その子の言う通りだ。二百年も付き合いがなかった。その間に常識や考え方も大きく変わっているかもしれん。すり合わせる時間が必要だ。今はザルツシュタットとの取引だけで我慢するべきだろう」

「そんな……、何とかなりませんか?」


 ジークハルトは悔しそうに唇を噛む。

 商人を目指す者として、人間との取引は剥き出しの金鉱に見えている。

 それをむざむざ手放すのはもったいない。

 簡単に受け入れられる決定ではなかった。


「これは一個人の感情で動かせる問題ではない。本当に良い関係を築きたかったら、時間を掛けるべきだろうな」


 ルドルフが孫に優しい声で諭すように語り掛ける。

 それでもジークハルトは納得できない。


「でも、良い関係を築けそうですが……」

「それは、ここにいる方々は友好的な話し合いに来ているからだ。実際に現地で応対する相手まで友好的だとは限らない。取引の規模が大きくなれば、トラブルが起きる確率が高くなる。最初くらいはトラブルを最小限に抑えたいと思うのは当然の事だ。お前ならわかるだろう?」

「……はい」


 ジークハルトも、その事を理解していないわけではない。

 ただ、チャンスが目の前にあるので焦っているだけだ。


「それじゃあ、これの扱いはどうするつもりなの?」


 洗濯バサミを見ながら、ジークハルトはアイザックに問いかける。

 地味だが売れる商品の扱いがどうしても気になっていた。


「自由に生産してくださって結構。と言いたいところですが、代わりに何かを教えてくださいませんか? 例えば、石炭を使った製鉄のやり方とか」


 アイザック本人としては「洗濯バサミくらい勝手にしてくれ」と思ってはいるが、目の前であれだけ喜ばれたのだ。

 タダで手放すのはもったいない。

 何かの技術と交換できないかと思い、ダメ元で石炭の使い方と交換を持ちかける。

 本当は火薬が欲しかったが、本当に欲しい物だからこそ、がっつくような真似はしなかった。


「石炭の使い方はダメだ! 絶対にダメだ!」


 ウォルフガングがアイザックの提案を即座に拒否した。

 これは彼だけでなく、他のドワーフ達も同じ思いだと表情が語っている。

 それだけ重要な技術なのだろう。

 アイザックは無理に要求せずに、大人しく諦めた。


「わかりました。では、火薬の作り方はどうでしょうか? 僕達も塩を掘ったりしているので、楽に採掘ができるようになるのは歓迎なんですけど」

「火薬もダメだな。火薬は扱いが難しい。取り扱いに失敗して、人間が死んで『ドワーフの作った物のせいで人が死んだ』と難癖を付けられても困る」


 今度はルドルフが拒否する。

 しかし、その理由を理解できるだけに、アイザックも強くは要求できなかった。


「アイザック、何か新しい技術が欲しいのはわかる。だが、これで多くを求めるのは酷というものだろう」


 モーガンがアイザックに求め過ぎだと諭した。

 その手には洗濯バサミが握られている。

 ジークハルトがどれだけ高い評価をしていても、たとえどんな裏があったとしても、やはり彼には木切れのような価値のない物にしか見えなかった。

 新技術を求めるには、あまりにも吹っかけすぎているとしか思えない。

 彼も「全ては交渉次第」とわかっているとはいえ、さすがにこのような物で引き出せるとは考えられなかった。


「そうですね……」

「あー、色々心配しとるようだが、アイデア料は利益からちゃんと支払うぞ。黙って作って儲けるような真似はしない」

「えっ、アイデア料?」


 アイザックはルドルフの申し出に首を傾げる。

 この反応には、思わずルドルフも首を傾げて答えた。


「簡単に真似できる物だから、勝手に作られるのを心配しとるのだろう? だから、今のうちに取引で何かを得ようとしている。その点は大丈夫だ。ワシらは最初に新しい物を考えた奴を尊重する。考えた者が生きている間は、利益の一割を渡すのが通例だ。その事を心配しているのではないのか?」

「まぁ、確かに技術が取引できればとは思ってましたが……。今のお言葉で新しい心配ができました」


 アイザックはウォーレンを見る。

 彼もルドルフの発言で頭を悩ませているようだ。


「アイデア料……、という概念が難しいですね。一回支払えばいいというのではなく、継続的に支払うというところが特に」


 彼は法務大臣として、ドワーフの通例となっている「アイデア料」という考えが人間には難しいと考えた。

 知的財産権・・・・・という概念が、まだこの世界にはない。

 蒸留器は職人の口から作り方が外部に漏れているだろうが、誰も作ろうとしない。

 それはウェルロッド侯爵家が王家の後ろ盾を得て「作るな」と周囲に圧力を掛けているからだ。

 平民や外国人の作った物なら、真似をして類似品を堂々と作られていただろう。


 ここで問題になるのは「ドワーフの作った物の類似品が作られるかもしれない」という事だ。

 ドワーフ側は知的財産権の意識があるらしい。

 人間の誰かが勝手にドワーフ製の何かを勝手に作ると不興を買うだろう。

 もちろん”作る技術力があれば”というハードルの高さはあったが、考慮しなくてはならない問題ではある。


「アイデア料を頂けるのは嬉しいですが、その前に解決しないといけない問題がありそうですね。それに関しては、法律の専門家にお任せします。一輪車やバネは元々自由に作ってもらって結構ですよ」


 アイザックは最も困難な作業をさりげなくウォーレンに丸投げした。

 そもそも、彼もそのためにここまで来ているので悪い事ではない。

 むしろ、出番ができて喜んでいるだろう。


「そうだな。とりあえず、ザルツシュタットと取引をして様子見をする。そのために、必要な事を話し合うという方向性で構わんか?」

「こちらも友好の一歩目として、それで十分だと思います」


 ルドルフの提案にモーガンが賛同する。


「ウォリック侯もそれで構わないか?」

「ええ、構いません。取引量などは要相談という事で頼みます。ザルツシュタット周辺の街も欲しがってくれるかもしれませんので」


 クエンティンも賛同する。

 彼もいきなりドワーフ全土に売り込む事までは考えていなかった。

 もし、そんな事をすれば今度はドワーフの鉱夫が職を失う。

 要らぬ恨みを買ってしまうところだ。

 とりあえず、未来に希望を持つ事ができればそれで良しとするつもりだった。


「では、友好的な関係を持つという事を前提に話を続けましょう」


 まず「友好的な関係を築ける」という事は、今回の交渉で最も重要な事だった。

 しかし、それはアイザックの作ったよくわからない物のお陰で解決した。

 敵対せずに済んだので、心に余裕を持ってモーガンが交渉に挑む事ができた。



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 交渉自体はすんなりと進んだ。

 アイザックやウォーレンが心配したアイデア料。

 最初はそんな心配をしなくてもいい、食器や調度品という物を取引するという事になったからだ。

 これは交流を深めていくうちにいつかは問題になるので、これは時間を掛けて解決方法を話し合うという事になった。


 基本的にアルスターとザルツシュタットの間での交易となり、塩の山と森の間に広がる荒野に、エルフの協力を得て街道を敷くという事になった。

 中間地点に交易所を作るかという話にもなったが、荒野付近の地下水には塩が溶け出していて飲み水に適さない。

 野宿するよりはマシなので、誰でも泊まれる宿泊所を作るだけに留めた。


 そして、一番大きいのは治外法権についてだ。

 エルフの時と違って、ドワーフ相手には治外法権を認めなかった。

「アルスターで問題が起きたら人間の法律。ザルツシュタットで問題が起きたらドワーフの法律で裁く」という事になった。

 最初はザルツシュタットまで人間が取引しに行くが、ある程度慣れたらアルスターにまでドワーフに来てもらうようになる。

 もちろん、明文化はされていないが判決にはお互いの文化の違い、法律の違いを考慮するという事も決められていた。

 エルフとは違い、今回は王宮で膝蹴り騒ぎにならなかった事が大きい。

 お陰でドワーフに必要以上の配慮をせずに済んだ。


 鉄の取引も「余っている分をあるだけ持ってきてくれ」と、太っ腹な買い取りをしてくれた。

 これにはクエンティンも喜び、満面の笑みを浮かべていた。

 在庫が一気にさばければ、また売れるようにと領民も頑張ってくれるだろう。


 当然、ウェルロッド侯爵家にも利益がある。

 ウォリック侯爵領から鉄を仕入れ、それをザルツシュタットまで運ぶ。

 そして、ザルツシュタットから商品を仕入れて帰ってくる。

 これをグレイ商会が一手に引き受けるからだ。

 グレイ商会から商品を買い取ろうとする商人達も、ウェルロッド侯爵領に集まる。

 当然、税収も大幅に増えるはずだった。


 何もかもが上手く進んでいる。

 そう思っていたが……。

 翌日の朝、大人達は強烈な頭痛を味わっていた。


「それでは調印の時を楽しみにしている」

「うっぷ……。また後日お会いする事を楽しみにしています」


 ルドルフ達を見送りために集まっていたが、モーガン達は二日酔いでふらついていた。

 主に普通のワインなどを飲んでいたが、ドワーフ達の早いペースに合わせてしまい飲み過ぎてしまっていた。

 これはエルフも同じで、アロイスも吐きそうになっている。

 年寄りのマチアスなど、酔ってまだ寝ているくらいだ。

 平気な顔でノイアイゼンに帰ろうとしているルドルフ達の方がおかしい。


 ドワーフ達が出発する直前、別れ際にジークハルトがアイザックのもとへやってきた。


「アイザック、君も調印式に来るよね」

「もちろん。と言いたいところだけど、国王陛下やお爺様が許してくれたらだけどね」

「許してくれるさ。それどころか、絶対に出席しろって言われると思うよ」


 ジークハルトが笑う。

 アイザックも愛想笑いを浮かべたが、彼に人間側の事情まで見透かされているようで少し怖くなった。


「君とは長い付き合いになりそうな気がする」


 ジークハルトが一本の短剣を差し出す。


「ナイフ?」

「うん、僕が商人になろうと決める前。職人見習いとして最後に作ったナイフだ。受け取ってくれないか」

「そんな大事なナイフ受け取れないよ!」


 さすがにそこまで思い入れのありそうなナイフを受け取る事はできない。

 アイザックは断るが、ジークハルトは押し付けるように手渡した。


「これは最初に失礼な態度を取ったお詫びも兼ねているんだ。遠慮なく受け取ってよ」

「……わかった、大切にするよ。ありがとう」


 ここまで言われては断れない。

 それに、ドワーフとの友好の第一歩でもある。

 未来の事を考えれば、仲良くなっておいた方が良い。

 アイザックはありがたく受け取る事にした。


「それじゃあね。調印式の時に、また新しい物を見せてもらえるのを楽しみにしているよ」

「えっ、ちょっと!」


 アイザックはジークハルトを呼び止めようとするが、彼はさっさと行ってしまった。


(やべぇ、受け取るんじゃなかった!)


 アイザックは、まるで詐欺の被害にでも遭ったかのような気分になっていた。

 そのせいか、手の中のナイフがズシリと重みを増したような気がした。

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