第139話 洗濯バサミの思わぬ効果

 クエンティンは戦場で戦う方法を知っていても、交渉の場での振る舞いに経験がまだ少ないのだろう。

 しかし、それは前当主が突然死したので致し方ない面もある。

 交易がどうなるのか心配になっているクエンティンとは対照的に、モーガンは落ち着いていた。

 こういう交渉の場では、ハッタリでもいいから堂々としている方がいいからだ。


 ――何か切り札を隠している。


 そう思わせられれば、少しでも話が有利になるからだ。

 だが、今回はブラフではない。

 強いカードを隠し持っている。

 モーガンは心に余裕をもって対応できた。


「そうですか、残念ですな。しかし、ザルツシュタットのドワーフ達が救われるのは何よりです。せっかくここまで足を運んでいただいたのですから、一杯飲んでいってください」


 モーガンは落ち着いた声で話しかける。


「ああ、一杯やるのはいいな。森の中を歩くのは疲れた。エルフが近場で済ませようと思うのも少しはわかった気がする」


 ウォルフガングが呟く。

 確かに森の中を十日も歩くのは疲れた。

 森を歩き慣れているエルフでも辛いだろうというのは、嫌でも理解させられた。


「……よろしいのですか? そちらの方は我々との取引に興味を持たれているようですが」


 ジークハルトは、クエンティンの方をチラリと見る。

 それでクエンティンは、交渉の場でうろたえるという自分の失態に気付いた。

 ミスを恥じてうつむく。


「何も問題はない。こちらの事はこちらで解決させてもらおう。そちらと同じようにな」


 モーガンは堂々と答える。

 ジークハルトも「追い詰め過ぎたか?」と思い、ルドルフの方を見る。

 孫の視線に、ルドルフはフッと笑って返すだけだった。


(やはり、人間とは友好関係を持てんな。利益を得られそうにないと感じたら、あっさりと手のひらを返すとは……)


 そう思うと、何かを言う気にはなれなかった。

 孫の練習台に使ってやる事すらもったいない。

 さっさと切り上げて、木を削るか鉄を叩いている方がよっぽど有意義だ。

 ルドルフの中から、急速に人間に対する興味が薄れていく。


「では、皆さんに酒をお出しするように」


 モーガンが指示を出すと、大人達に酒の入ったコップが出される。

 一緒にワインと、柑橘類の搾り汁や水も添えられていた。

 子供達には少し砂糖を加えたジュースが出された。


「こちらは新しいお酒です。ですが、まだ作りたてで寝かせていません。味わいが物足りないと思いますので、最初の一口はそのままお試しいただいて、二口目からはワインか搾り汁などを入れてお楽しみください。酒がきついと思ったら、水で少し薄められるといいでしょう」


 まずはモーガンが一口飲む。

 毒が入っていないという事を証明するためだ。

 同じく、クエンティンやウォーレンも飲んだ。

 次はルドルフとウォルフガングが飲む。


「むっ」

「ほう」


 普段飲む酒とは違い、酒精が強い。


「酒精は強いが、味わいがイマイチなのが残念だ」

「まったくもって同感ですな」


 酒精が強いのはいいが、寝かせていないと言う言葉通り風味がない。

 何とも味気ない酒になっている。

 二人は迷う事なくワインを選んで、ブランデーに混ぜる。


「だが、混ぜて飲めば悪くない」

「新鮮な飲み口だ。おかわりをくれ」


 アルコール度数が高いはずなのに、一息にグイッと飲み干すとウォルフガングがおかわりを催促する。

 給仕は言われたままにコップに注ぐ。


「相変わらず、ドワーフはうわばみだな」


 マチアスが彼らに呆れたように呟く。

 エルフ達は搾り汁を多めに入れて、アルコールを薄めてチビチビと飲んでいる。

 ストレートで飲むには、少しきついようだ。


「おやっさん達だけ飲むのはずるい。俺達にはないのか?」


 ウォルフガングの背後に立っていた護衛のドワーフがブランデーを要求する。

「新しいお酒」と聞けば、自分達も飲んでみたくなる。

 彼らの視線がモーガンに集中する。


「もちろん、皆さんの分もありますのでご安心を。ですが、酒盛りは交渉が終わってからという事で、今しばらくお待ちいただこう」


 モーガンの言葉に「交渉は終わったんじゃないのか?」と、ドワーフ達は思った。

 今度はモーガンがニヤリと笑う番だった。


「本当に人間の作った物は必要ありませんか?」

「むぅ」


 ルドルフが呻く。

 先ほどまでとは違い、この酒には興味が出てきた。

 数年ほど寝かせれば、この酒がどんな味わいになるのかが気になる。

 しかし、モーガンが「隠し玉があったから最初はあっさり引き下がったのだ」と思うと、してやられた気分になっていい気分ではない。


「確かに寝かせた酒がどうなるのか気にはなるが、美味いものになるとは限らない。我らが酒好きだからといって、新しい酒だけで交易を認めるのはな……」


 ルドルフの言っている事は正しい。

 だが、少しだけ「他にもあるなら見せてみろ」というモーガンへの挑戦も含まれている。


「我々にあるのは酒だけではありませんよ。ベンジャミン」

「ハッ」


 モーガンの合図により、秘書官のベンジャミンが食堂の外へ向かう。

 そして、すぐに兵士を一人連れて戻ってきた。

 兵士は一輪車を押している。


「あの一輪車は狭い場所や足場の悪い場所で使うためのものです。ドワーフの方々はあのような物を使われていますか?」

「いや、小さめの二輪車だ。……その一輪車は荷台が小さい。運搬量が少ないのではないか?」


 ルドルフは見てすぐにわかる欠点を指摘する。

 一輪車はその形状から、どうしても運搬量が二輪車よりも少なくなってしまう。

 だが、それは利点でカバーできる事だった。


「役割が違います。一輪車は坑道の中など、狭いところや悪路で使うためのものなのですよ」


 モーガンが手を振って兵士に指示を出す。

 すると、兵士は一輪車のタイヤを支点に回転し始める。

 次に食堂内のテーブルやイスの間を軽やかに歩きだした。


「ほう、なかなか小回りが利くようだな」

「積荷の土砂などもすぐに降ろせるようになっている」


 モーガンの言葉に合わせて、兵士が取っ手の部分を持ち上げた。

 これにはルドルフ達が驚く。


「そうか! 車輪の位置のせいで荷台が台形になっていると思っていたが、積荷を降ろしやすくもなっているのか!」

「運搬量の代わりに利便性を追求しているのか。坑道だけではなく、他のところでも使えそうだな。ちょっと貸してくれ」


 ウォルフガングが兵士からひったくるように奪い取り、食堂の中を歩き始める。


「うむ、悪くない。だが、積荷を載せた時にバランスがどうなるかが心配だな」

「慣れれば大丈夫ですよ」


 ここに来て、ようやくアイザックが発言する。

 出席者の視線がアイザックに集まった。


「……そうか、君が考えたんだね」


 ジークハルトがアイザックに尋ねる。


「なんでそう思うの?」

「直感……かな。君からはお金の匂いがするから」


 ジークハルトはアイザックを見定めるようにジッと見つめる。 

 アイザックはその視線を微笑みながら受け止めた。


「そうだよ。僕が考えたんだ。ウォルフガングさんと会って、ドワーフに売り込める商品をどうしようかって思ったからね。他にもあるよ。……ノーマン、あれを」

「ハッ」


 今度はノーマンがアイザックの指示に従い、カバンからバネと洗濯バサミなどを取り出す。

 それを出席者の前に並べていった。


「これも僕が考えた物です。まずはこちらのバネを見てください」


 アイザックは最初に十センチほどの大きさをした円筒形のバネを手に持って見せる。

 バネと聞いて誰もが思い浮かべるものだ。

 しかし、この世界の住人には初めて見る物だった。


「今はこんな大きさですが、いつかもっと大きな物を作って馬車に取りつけたいと思っています」

「こんなものをか? 弾力はあるが……」

「弾力性があるので、馬車の車輪の部分に取り付けたりすると揺れが抑えられるかなと思いました。ですが、どうしても耐久性という問題が出てきます。ドワーフの技術力なら、馬車に使えるほど大きくて耐久性の高い物を作れるんじゃないかなと思って見せるために持ってきたんです」


 アイザックが言うように、グレイ商会でもバネは作れる。

 しかし、実際に馬車に取り付けられそうな実用レベルの物は作れなかった。

 大きなバネは負荷をかけると簡単に折れてしまう。

 グレイ商会の技術力では、丈夫で弾性に富んだ鉄を作る事ができなかったのだ。

 こればかりは試行錯誤していくしかないが、ドワーフならすぐに実用化できるのではないかと持ち込んだ。


 これには、ルドルフとウォルフガングも興味を持つ。

 馬車は揺れるものだ。

 その揺れを抑える部品を作ろうという新しい試みは、職人魂に火を付けられるような思いだった。


「バネは揺れを抑えるためではなく、こういった物にも転用できます。洗濯物を干す時に風に飛ばされないようにする洗濯バサミです」


 今度は洗濯バサミを手に取った。

 そして、自分の袖口に付けて見せたりして実演した。

 洗濯バサミにはモーガンだけではなく、ルドルフ達の表情も微妙なものだった。

 人間側は貴族の当主などが多いため「こんな物が何の役に立つ?」と思って反応が悪い。

 ルドルフ達は「こんな粗末な物……」と、簡素な作りに呆れていたからだ。


「へー、洗濯物が風で飛ばないようになるのは便利ね」


 しかし、今ブリジットが口に出したように、貴族ではなく腕のいい職人でもないエルフ達は違った。

 洗濯とは身近なもの。

 洗濯物が風に飛ばされて洗い直すという事も時々ある。

 風に飛ばなくする道具があるなら、興味が出るというものだ。

 少なくとも馬車の部品よりは身近な物だけに、洗濯バサミを興味深げに触っていた。


「あっ、そうか!」


 ジークハルトが驚きの声を上げる。


「どうした?」


 ルドルフが何かに気付いた孫に問いかける。


「たかだか洗濯物を挟む物と思っていましたが、これには深い裏があります」

「なんだって!」


 今度はアイザックを含め、その場にいた者達が驚きの声を上げる。


「お爺ちゃん。この洗濯バサミという商品。どれだけ売れると思います?」

「……あれば便利そうだが、これが売れるか?」


 ルドルフは何度も洗濯バサミを開いたり閉じたりする。

 あまり価値はなさそうだ。

 少なくとも職人として心が動かされるようなものではない。

 ジークハルトは祖父の言葉にかぶりを振る。


「絶対に売れます。ノイアイゼンだけでも、数万……いえ、数百万は売れるでしょう」

「これがか!?」

「はい、これがです。服やズボンを干すのに二個ずつ使うとしましょう。四人家族の家庭で八個。他にも色々干す事を考えれば、一家庭あたり二十個くらいは売れます。これは最低の数でです」

「そんなにか?」


 ルドルフやウォルフガングは洗濯バサミを見る。

 子供のおもちゃともいえないしょぼい物に、そこまでの価値があるとは今でも思えなかった。


「それに、これは美しい。僕達だったら無駄に装飾に凝ったり違う用途にも使えるようにするところ。そんな無駄な事をせずに機能美を追求しています。最高の仕上がりと言えるでしょう」


 ジークハルトがウットリと洗濯バサミを見る。

 その姿を、アイザックは「気持ち悪い奴だ」と思って見ていた。


「それで、裏とはなんだ?」

「この洗濯バサミを我々に作らせる事で、バネの製造に慣れさせるつもりです。大量生産していれば、自然とよりよい品質の物を、より効率的に作れるようになるでしょう? ただ品質改良をさせるだけではなく、実験段階の物を商品とし、資金を稼ぐと同時に品質の改良をさせるという遠大な計画が裏に見えます」

「なっ……」


 ルドルフだけではない。

 モーガンやマチアス達も絶句し、アイザックを見つめる。

 その視線にアイザックは、フッと皮肉な笑みを浮かべた。

 周囲の者は、まるで「そこまで見抜かれたか」と言いたげな笑みに見えていた。

 しかし、アイザックの本心は違う。


(たかが洗濯バサミで考え過ぎだろう。どんだけ深読みしてるんだよ、こいつ。馬鹿なんじゃないのか?)


「あったら便利だなー」と思う物を、バネの使い方を教えるために作らせただけだ。

 ジークハルトが言った遠大な計画などない。

 だが、勝手に深読みしてくれているのに、訂正するのはもったいない。

 何となく笑顔を浮かべて、誤解させておこうと思っていた。


「その顔を見る限り、他にも何かありそうだ……」


(ない、ない)


 まだ深読みしそうなジークハルトに、アイザックは心の中で否定する。


「あぁ!?」


 ジークハルトが大きな声を上げて、椅子から立ち上がった。

 一輪車と洗濯バサミを交互に見る。


「そうだ! やっぱりそれだけじゃない! 人間にはドワーフの作っていないものがたくさんあるという自信の表れです」


 ジークハルトは悔しさを隠そうとせず、唇を噛み締めて屈辱に耐える。

 これにウォルフガングが不思議そうな顔をする。


「そうか? こんなもの、見習いでも一度見れば簡単に真似できるぞ」

「そう、このバネも一輪車も一度見れば形を真似する事は容易。ですが、最初に思いつくという事が最も難しい事ではありませんか?」

「まぁ、確かに」


 ウォルフガングも「今ある物を改良するより、最初に新しい物を思いつく」という事が難しい事だとわかっているつもりだ。

 ジークハルトの意見に同意する。


「見れば真似できるような物を、あえて我々に見せるという事は真似をされても痛くも痒くもない程度の物だという事。人間側には、これよりももっと凄い物があるのでしょう。いえ、絶対にあります。その新しいお酒というのも、人間にしかない物です。人間の物に興味がないなんてとんでもない。今、凄く興味を引かれています。先ほどの発言を謝罪させていただきます。申し訳ございませんでした」

「う、うむ。先ほどの発言は本心ではなく、交渉テクニックで使ったという事は理解している。謝罪を受け入れよう」


 ――何に使うのか?

 ――そもそも、本当にそれが必要なのか?


 そう思っていた物が予想外の効果を表した。

 少々戸惑っているが、良い方向に流れが動いたので、流れを戻すような事はせずにモーガンは謝罪を受け入れた。

 そして、この状況に一番戸惑っているのはアイザックだった。


(えぇぇぇ……。一目見れば真似できそうっていうのはその通りだけど……)


 確かにアイザックですら「前世でこんな物あったな」と、うろ覚えで製品としての形にできた。

 しかし、そこに深い意味など無い。

 自分の説明で作ってもらえそうな物を、この世界の職人に作ってもらっただけだ。

 ドワーフと交易できそうな流れになったのは嬉しいが、高評価過ぎて逆に「怖い」とさえ思い始めていた。

 いつの間にか引き攣った笑みを浮かべていた。

 その笑みがまた周囲に「やはり、ジークハルトの言う通りだったのか。見抜かれて動揺している」と誤解させてしまう。

 そして同時に、アイザックの深い考えを見抜いたジークハルトの評価も上がる。


「アイザックくんだったね。君とはあとで話したいところだ」

「軽い世間話でしたら歓迎しますよ」

「フフフ、そうだね。そう簡単には手の内は明かせないよね」


 ジークハルトは商人としてだけではなく、一人の少年として未知の物との出会いに目を輝かせ始めた。

 まだ子供で酒が飲めないので、一輪車やバネを考えだしたアイザックの頭脳に興味を持ったようだ。


(誰か、助けて……。これ以上の知恵とか出せないんだけど……)


 アイザックはそう願って大人達の方を見るが、急激に変わった一連の流れによって少し混乱しているようだった。

 今の状況に追い付こうとしているばかりで、アイザックに助け舟を出せる余裕はなさそうに見える。


 ――洗濯バサミ。


 バネの使用用途の一例として示すだけのつもりで持ってきた。

 少しはドワーフが興味を持ってくれるだろうから、話の種にしようというだけだった。

 それがここまで食いついてくるなど、アイザックにとってまったくの想定外であり、達成感よりも「これからどうなるのか」という恐怖心の方が大きかった。

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