第135話 ニコル来襲

 アイザックはラルフに一輪車を作るように頼んだ。

 これは遊具の方ではなく、工事現場などで使われる手押し車の方だ。

 一輪車は二輪の荷車より悪路に強い。

 もちろん積載量は二輪や四輪の荷車の方が多い。

 だが、車輪を中心にして方向を変える事が容易で、狭い場所での方向転換も難しくない。

 坑道内に持ち込んで使えるので、ドワーフ相手に最適の商品だと思われた。


 一輪車にはラルフもアイザックの発想を絶賛した。

 ドワーフにだけではなく、人間にも売れそうな商品だ。

「アイデア料を支払うから、グレイ商会の専売にさせてほしい」と頼んできた。

 自分の小遣いを増やせるのは良い事だし、グレイ商会が力を付けるのは将来的に良い事だ。

 軍資金が必要な時に、資金を供出させる事ができる。

 この申し出をアイザックは快諾した。


 そしてもう一つ、バネを頼んだ。

 人間製では耐久力が不安だったので、バネはドワーフに頼むつもりだった。

 だが、実物があった方がわかりやすいだろうと思い、グレイ商会に作ってもらう事にした。

 将来的には、バネを使ってドワーフに馬車のサスペンションを作ってもらうつもりだ。

 完成するかどうかは完全にドワーフの技術力に頼りになるが、物作りが好きならばきっと試行錯誤してやってくれるだろう。


 だが、アイザックが売れそうな商品をそれ以上作らせる事はなかった。

 まずはドワーフと話して、何を求めているかを知らなくてはならない。

「考えた商品がすでに実用化されている」という可能性だってある。

 まずはドワーフの実態を知らねばどうしようもなかった



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 年が明けても、アイザックはモヤモヤとした気持ちを抱えていた。


 ――何事もドワーフと会うまでどうなるかわからない。


 そのせいで話が進まないからだ。

 友達と遊び、妹を可愛がり、祖父から貴族としての心得を学び、訪問客の相手をする。

 そんな毎日だった。


(まるで普通の貴族の子供みたいな暮らしだな……)


 その事自体に不満はない。

 だが、アイザックは普通の貴族を目指しているわけではない。

 普通の暮らしをしていては夢に手が届かない。

 何とも言えないもどかしい気持ちのまま、日々を過ごしていた。

 そんなアイザックのために、神は素晴らしい刺激を与えてくれた。




「来ちゃった」


(来ちゃったぁぁぁぁぁぁ!)


 アイザックは心の中で叫び声を上げる。

 訪問客の一人として「ニコル・ネトルホールズ女男爵」が訪れたからだ。

 ドワーフの事もあって、大勢の客がモーガンだけではなくアイザックにも会いに来る。

 疲れたアイザックは、客の相手が流れ作業のようになっていた。

 そのため、アポを取った客の名前を確認するのが会う直前となっており、直前に「やっぱり会わない」とは言えない状況だった。

 しかたなく面会するが「やっぱりやめといた方が良かったかな」と、早くも後悔し始める。


「本日はどのようなご用件ですか?」


 アイザックは営業スマイルを浮かべ、できるだけ平坦な声を出す。

 決して歓迎していないという意思表示だ。

 だが、ニコルはなかなか精神的に強いようだ。

 その対応にめげる事無く、笑みを浮かべている。


「実はアイザックくんが元気かなって思って……」


 ニコルは両手を太ももの上でモジモジとさせ、上目遣いでアイザックを見てきた。


(残念だったな。俺には効かない)


 ニコルはアイザックの好みではない。

 特に美女だらけのこの世界で彼女を選ぶ必要性を微塵も感じられなかった。

 不思議な感覚で魂を揺さぶられはするが、アイザックの心は動かない。


「見ての通り元気ですよ。ただ最近は、大勢と大切な話をしないといけないので忙しいですね」


 言外に「用がないなら、さっさと帰れ」という意思を籠める。

 それを感じとったニコルは「違う、違う」と両手を胸の前で振る。


「私も大切な用事があって来たの」


(俺と仲良くなりたいとかだったら、ケツを蹴り上げて追い返そう)


 男性が女性に対して取っていい行動ではないが、そのくらいの決意をしておかないと「いいよ」と言いかねない。

「主人公補正は本当に厄介だ」と、アイザックは感じていた。


「蒸留器なんだけど、私にも一つ作ってもらえないかな?」

「それはダメだよ。他の貴族にもお酒作りは我慢してもらっているんだから」


 ニコルの申し出は論外だった。

 他の貴族にも蒸留器を売っていない。

 王立学院に実験用として一つ納品しただけだ。

 それには、ちゃんとしたわけがある。


 ――リード王国内の酒類の生産量の問題。


 これは無視できない問題だった。

 平民の楽しみは非常に限られたものとなる。

「仕事帰りに一杯」「家に帰って一杯」というのは、平民の貴重な楽しみの一つだ。

 酒のほとんどを蒸留酒にしてしまうと、平民が飲む分がなくなる可能性が高い。

 もしくは、品不足で価格が高騰するかもしれない。

 そうなると、平民が困る事になる。

 そのため、今年はグレイ商会とワイト商会だけが蒸留酒を作る事を許された。


 ここで問題になるのが――


「なぜ平民などに配慮しなくてはならないのか?」


 ――という貴族が一定数いる事だ。

 

 彼らは「貴族のために平民が我慢して当然だ」と思っている。

 その事自体は、特権階級である貴族としては間違った考えではない。

 だが、アイザックはその事を認められなかった。

 理由としては「国を乗っ取ったあと、政府に不満を持つ者達が武力蜂起している国を治めたくない」というものだった。


 国家転覆は「アイザックが王になる」という目的を達成すればいいというものではない。

 目的を達成するだけならば、平民に一揆を起こさせて、その混乱に乗じて王家を打倒すればいい。

 しかし、そのあとは荒れ果てた国土が残るだけ。

 国の立て直しに奔走するだけの人生など送りたくなかった。

 だが、ここで予期せぬ救世主が現れる。


 ――国王エリアスだ。


「エルフのお陰で街道が整備され、労役が減った。その労働力を開墾に回した者も多いはず。今年は麦を育て備蓄に回す。そして、来年以降余剰分でビールを作ったりすればいいではないか」


 そう言って、不満を持つ貴族達をとりあえず黙らせた。

 これは「平民の人気を失いたくない」という思惑があったからだ。

「さすが賢王様だ」とアイザックは感謝した。


 このような事情があるので、ニコルにだけ特別扱いをするわけにはいかない。

 何と言っても、国王陛下直々のお達しだ。

 アイザックどころか、モーガンでも覆すような真似はできない。


 ――要求しているのがニコルかどうかはともかくとして、拒否するしか選択肢がない。


 それは決定事項だった。

 だが、ニコルは首を振る。


「待って、私だってまだ子供だよ。お酒を作るつもりなんてないって。大きさも台所で使えるような小さめのでいいの」

「それでもです。違う物を作るからという言葉を信じて誰かに蒸留器を渡せば、他の人も欲しがるでしょう。そして、その中にはお酒作りに使う人も現れるはず。特定の誰かを特別扱いできません」

「ダメ?」


 ニコルが潤んだ瞳で上目遣いをする。


「ダメです」


 しかし、それはアイザックに効かなかった。

 前世ならば女の子にこんな視線で見つめられただけで首を縦に振っていただろうが、今世は身近に美女が大勢いる。

 自然と女性への耐性が付いていた。


「ダメかぁ……。そうだよね。アイザックくんとはまだそこまで深い仲じゃないもんね」


(まだってなんだよ。まだって)


 しゅんとしているニコルを見ながら、アイザックは背筋が凍るような思いをする。

 やはり「ニコルに狙われている」という恐怖心は中々のものだ。

「早くお家ウェルロッドに帰りたい」と思ってしまうほどに。

 そんなアイザックの心中を知らないニコルが気を取り直した。

 笑顔をアイザックに向ける。


「これから仲良くしていこうね」

「……テレンス先生のお孫さんだし、チョコレートを持ち込んでくれた事には感謝しています。ですが、特定の女性と仲良くするつもりはありません」


 ニコルの申し出を、アイザックは冷たく突き放す。

 だが、それでもニコルはめげないようだ。

 ウフフと笑う。


「アイザックくんって冷たいんだね。でも、その分仲良くなった時にどういう態度を取ってくれるのか楽しみだなぁ」


(なんだ、こいつ。どんなメンタルしてんだよ!)


 突き放せば突き放すほど、ニコルに「攻略したい」と思わせてしまうようだ。

 難易度が高いほど燃えるタイプなのかもしれない。

 だが、だからといってニコルと仲良くするつもりはない。

 それはそれでドツボにはまってしまいそうだからだ。


(進むも地獄、引くも地獄。なに? この罰ゲーム……)


 その対象をジェイソンに向けてくれたらよかったのだが、自分に向けられてしまっている。


(それも仕方ないか。攻略対象キャラの中で俺しか会ってないかもしれないし、会おうとするのが俺だけになるんだろう)


 ニコルの立場で会う事ができるのは、せいぜいダミアンくらい。

 だが、ダミアンと会うにしても、接点がない相手と会いに行くのは不自然だ。

 自然と「アイザックに会いに行く」という選択しか残らなかったのだろう。

 本当に蒸留器を欲しがっているのかすら怪しいところだ。

 蒸留器を口実に使って、アイザックに会いに来ているだけかもしれない。

 この時アイザックは「恋愛ゲームとかって遭遇イベントが起きないと、攻略キャラに会えないのもあるもんな」と思っていた。


「まぁ、今は仕方ないか。まだ子供だもん」


 ニコルはアイザックに避けられている理由を「子供の間は、なんとなく異性を避ける」という、子供にありがちな感情からだと思ったようだ。

 ひとまず諦めてくれた事に、アイザックは胸を撫で下ろす。


「蒸留器は売れるようになればお知らせします。今回は諦めてください」

「うん、今回は諦める事にするね。また今度ね」


 ニコルは食い下がる事なく、大人しく帰ってくれた。


(諦めるなら、ついでに俺の事も諦めてくれ……)


 叶わぬ事だと思いつつも、ジェイソンと出会ってそちらがターゲットになる事を願った。


「アイザック様、ネトルホールズ女男爵の事が好きなのですか?」

「はぁっ!? なんでそうなるの?」


 二人のやり取りを一部始終見ていたノーマンがとんでもない事を口にする。


「いつもなら嫌っているような相手にも丁寧な対応をされているのに、あそこまで露骨に冷たい態度を取るなんて珍しいじゃないですか。あんなに可愛い女の子なのに」


(そうか、普段と態度が違うから怪しまれたのか……)


 ニコルと仲良くなりたくないから、アイザックは素っ気ない態度を取っていた。

 しかし、それが却って良くなかったようだ。

 周囲から見れば、その態度が照れ隠しにでも見えたのだろう。


(この流れはまずい)


 そう思ったアイザックは、話の流れを変える事にした。


「可愛い女の子って……。もしかして、ノーマンってあの年頃の女の子が好きなの? そういえば、結婚したのに子供が生まれるっていう話も聞かないし……」

「違います! それに、夏ごろには子供が生まれる予定です。妻との仲は良好です」

「なるほど、同年代もイケると」

「だから違いますって! そもそも、アイザック様はまだ若いのですからそのような話はおやめください」

「ごめんごめん」


 ハハハと笑って、アイザックは誤魔化す。

 これが上手くいったのだろう。

 ノーマンもニコルの事を話題にせず、次の客へと話が移っていった。

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