第114話 予想外の噂

 別室には確かに食べ物があった。

 ビュッフェ形式で、中央にはテーブルと椅子が揃えられている。

 そこでは、料理人らしき者達とメイド達が待機していた。

 一部の子供達がそちらに向かう。

 服装から判断すると、男爵家や子爵家の子供達のようだった。


(あいつらは気楽でいいな)


 アイザックは、まずジェイソンに挨拶を済ませなければならない。

 アマンダとフレッドが挨拶を済ませたのを確認し、アイザックはジェイソンの前に歩み寄る。

 

(ちくしょう。良いな、その位置)


 ジェイソンの隣にはパメラが立っている。

 この交流会の間、婚約者のいる者は基本的に一緒に行動する。

「誰と誰が婚約しているか」というのをわかりやすくするためだ。

 アイザックには直接関係の無い事だったが、こうしてジェイソンとパメラが並んでいるのを見るのは精神的に辛い。

「いつか自分がその位置に立ってやる」と思いつつも、笑顔を浮かべて話しかける。


(最初の第一印象が大切だからな)


「殿下、お初にお目にかかります。ウェルロッド侯爵家ランドルフの息子、アイザックです」


 アイザックは明るい声で話しかけた。


 これに対する返答も明るいもの――


「ふむ」


 ――ではなかった。


 ジェイソンはアイザックを値踏みするような目で見ている。


(なにかしくじったか?)


 その目を見て、アイザックは疑問に思った。

 戸惑うアイザックを見て、ジェイソンは笑みを浮かべる。


「失礼した。君の噂はフレディから聞いていてね。想像していたのと違ったので、少し驚いていたんだ」


(フレディ? ……あぁ、フレッドの事か)


 ジェイソンの斜め後ろから睨んでいるフレッドを見て、彼の愛称の事だと理解する。

 ウィルメンテ侯爵家は王党派であり、現当主のフィリップもメリンダと同じく王家の親戚だ。

 王子の友達候補として、最初に選ばれたのがフレッドだった。

「ジェイソンの友達は王党派から選ばれている」という事はアイザックも聞いていたので、すぐにこの答えにたどり着いた。

 だが、それはそれで問題だ。


(マズイな。前もって悪評を吹き込まれていたのか)


 第一印象を気にするどころではない。

 人間という生き物は、バイアスのかかった見方をする。

 以前から悪口を吹き込まれていたのであれば、ジェイソンの印象は最悪の部類だろう。

 良い印象を与えようとしていたが、一歩目から躓いてしまった。


「気にしなくていいよ。君に対して含むところはない。ジェイソンだ。これからよろしく」

「よろしくお願いします」


 ジェイソンが差し出した右手を、アイザックはしっかりと握り返す。

 アイザックの心配は、ジェイソンの懐の深さに救われた。

 もしかすると、パメラの前だから良い恰好をしただけかもしれない。

「公衆の面前で握手を断られるという事にならなくてよかった」と、アイザックは安堵した。


 この対応を見て、フレッドは口をへの字に曲げて不満を隠そうとしなかった。

 

「ジェイソン!」

「フレディ。君が友達とはいえ、その言葉を一方的に信じるわけにはいかない。僕も色々と話を聞いているが、やむを得ない状況であったとも思っている。それに、アイザックは先代ウェルロッド侯の後継者。彼のような家臣を扱ってこそ王になる資格があるというものだ。僕は彼を遠ざけたりはしない」


 ジェイソンの言葉は立派なものだった。

 少なくとも、立場が逆だったらアイザックが同じように言えるかわからない。

 それが良い恰好をするためだったとしても、堂々とした態度のおかげか器の大きさが感じられる。


(バイアスのかかった見方をしていたのは俺の方か?)


 思っていたよりも、ジェイソンはまともなようだ。

 今まで攻略サイトに書かれていた事を鵜呑みにして、一方的にダメな奴だと決めつけていた。

 一部だけを見て、全てを見たような気になっていたのは自分の方だった。

 その事をアイザックは反省する。


(それはそれで、国家転覆が難しくなるから困るんだけどな)


「殿下のお言葉、ありがたい限りです。今後ともよろしくお願いいたします」

「こちらこそよろしく頼む」

「フレディもよろしくね」

「お前がフレディと呼ぶな!」


 最後にフレッドをからかってから、アイザックはこの場を離れる。

 ジェイソンに挨拶をしようと思っているのは、他の子供達も一緒だ。

 いつまでも話し込んでいては邪魔になる。

 パメラには軽い会釈だけをして、声は掛けなかった。

 ジェイソンの前で何か間違いがあっては大変だからだ。

 その場を少し離れて、アイザックは周囲を見回す。


(アマンダは……、どこだろ)


 挨拶の順番でいえば、残る侯爵家の一つウォリック侯爵家のアマンダに挨拶をするべきだ。

 しかし、フレッドの近くにいるのが辛かったのだろう。

 ジェイソンに挨拶をしたあと、その場を離れてしまっていた。

 話している間にどこかに行ってしまい、すぐには見つからなかった。


 アイザックがアマンダを探してキョロキョロしていると、ティファニーが話しかけてきた。

 彼女は男の子と一緒だった。


「アイザック、この子が私の婚約者のチャールズだよ。チャールズ、この子が従兄弟のアイザック」


 ティファニーはかつて約束した「チャールズを紹介する」というのを律儀に守ってくれているのだろう。

 本当にアイザックに会わせてくれに来たようだ。


「アダムズ伯爵家ジョンの息子、チャールズです」

「ウェルロッド侯爵家ランドルフの息子、アイザックです」


 チャールズは銀髪のおかっぱ頭で、眼鏡を掛けた知的キャラだ。

 しかし、まだ子供だからか眼鏡を掛けていない。


(この二人はなぁ……。どうせ別れるって知ってると、応援し辛いよなぁ……)


 チャールズは子供の頃から頭が良いという事もあって、頭の良い人物を好む。

 しかし、学院に入ってからは、その考えが変わるようになる。

 学院では生徒の成績を、順位として書いて張り出す。

 そこでティファニーの方が自分よりも頭が良いと知り、嫉妬し始める事になる。

 その心の隙をニコルに突かれる事で、ティファニーとの婚約を破棄するという残念な男だ。


 ティファニーは、本に人並みの関心しかなかった。

 しかし、婚約者のチャールズが本を好きなので、彼女も一緒に本の話ができるように本を読み始めた。

 そして、頭が良い子が好きだというので、気に入られるように勉強も頑張った。


 ――だが、その結果は婚約の破談。


 ニコルもチャールズより成績が良くなるが、ニコルの事をライバル視してから成績を越えられたので、素直にその結果を受け入れた。

 負けを認められる潔さを持ち合わせているのに、ティファニー相手には負けを認める事ができなかった。

 もしかすると、ティファニーが婚約者という身近な存在だったからかもしれない。


 仲が良さそうに見えるが、それは今だけ。

 二人の関係に、入学後から亀裂が入る。

 その事を知っているだけに、二人の関係を祝福する気にはなれなかった。


 だが、チャールズはアイザックがそんな事を考えているとは知らない。

 笑顔で話しかけた。


「ずっと君とは話したかったんだ」

「僕と?」


(ティファニーが何か興味を引きそうな話でもしていたのかな?)


 アイザックはそのように考えるが、もう一つの可能性にも思い当たるところがあった。


(そうか、ネイサンとメリンダの騒動に興味を持ったのか)


 ――興味本位で話を聞きたかった。


 アイザックはそう判断した。

 しかし、チャールズの答えは予想外のものだった。


「アイザック・ウェルロッド語録を読ませてもらったよ」

「はぁっ!?」


 アイザックは驚いた。

 かつてニコルの祖父であるテレンスが勝手に出版したものだ。

 まさか、ここでその本の名を聞く事になるとは思いもしなかった、


「人と獣の違いは知性を有しているか否か。フフフッ、君は人の側のようだ。会えて嬉しいよ」

「そ、そう。それは良かった」


 アイザックの笑顔が引きつる。

 あの本は本人も忘れたかった黒歴史だ。

 こんなところで読者と出会う事になるとわかっていたら、チャールズを避けていただろう。

 だが、褒めてくれている事には違いない。

 渋々と握手を求めて右手を差し出した。

 チャールズはその手をしっかりと握り返してきた。


「一度ゆっくりと話したいと思っていたんだ。君とならこの国の未来を語れそうな気がする」

「ありがとう。でも、まだウォリック侯爵家のアマンダさんに挨拶が終わってないんだ。君たちもまだ殿下に挨拶が終わってないだろ? また今度の機会に話そう」


 チャールズと話をすると、過去の黒歴史を掘り返される事になる。

 少なくとも、こんなところでしたい話ではない。

 挨拶を理由に、アイザックは話を切り上げようとした。


「それもそうだ」

「挨拶もしなきゃいけないもんね」


 チャールズは残念そうな顔をするが、場をわきまえる事はできるようだ。

 ジェイソンへの挨拶の重要性を理解し、ここは引いてくれた。


「あまりこういう事は言いたくないんだけど……。ティファニーは僕の従姉妹であり、大切な友人だ。幸せにしろとは言わないけど、不幸にはしないでくれよ」

「もう、アイザック。チャールズは酷い事しない良い人なんだよ」


 ティファニーがチャールズを庇う。

 彼女は将来何が起きるか知らないので、当然の行動だった。

 アイザックも今は何も言う必要はないと思い、大人しく引き下がった。


「ならいいんだ。悪かった。それじゃあ、またね」


 アイザックは二人と別れて、アマンダを探しに行く。

 これはただ挨拶したいからというわけではない。

 ウォリック侯爵家と接触を持てる良い機会だからだ。


「どこかなー」とアイザックがアマンダを探していると、会場の端のテーブルにいた。

 他にも何人か女の子がいる。

 きっと彼女の友達だろう。


(服でわかりやすいな)


 アマンダの実家は苦労しているとはいえ、腐っても侯爵家。

 パメラほどではないが、他の女の子よりは綺麗な装飾の施された青のドレスを着ている。

 青いドレスと彼女の赤い髪の毛の組み合わせは十分に目立つ。

 アイザックは彼女のテーブルに近づくに連れて、アマンダの変化に気付いた。


(ベリーショートだったのに、ショートヘアくらいに髪が伸びてる)


 アマンダの祖父であるドナルドの葬式で見かけた時は、男の子と見間違えそうになるくらい髪の毛が短かった。

 原作とは違う彼女の髪型に、アイザックは違和感を覚える。


「お久し振りです、アマンダさん。アイザック・ウェルロッドです。先代ウォリック侯の葬儀以来ご無沙汰しております」

「えっ、あっ。アイザックくん。僕はアマンダですっ」


 アイザックが声を掛けると、アマンダが取り乱した。

 その事を不思議に思いながらも、アイザックは会話を続ける。


「他の皆さんもはじめまして、今後ともよろしくお願いします。ところで、アマンダさんは以前お見掛けした時に比べて、髪を伸ばされているようですね」


 まずは軽い会話から始める。


「えっ……、うん。今までは一緒に遊べる子が良いっていうフレッドに合わせて、動きやすいように髪を短くしてたから……」


 アマンダの表情が暗くなる。


(うおぉぉぉ、いきなり地雷を踏み抜いたぁぁぁ!)


 天気やファッションは、会話を始めるのに最適な軽い話題。

 しかし、今回はそれが仇となった。


 ――自分の好みではなく、フレッドの好みに合わせていただけ。


 フレッドとの婚約が破談となったアマンダにとって、髪の毛の話題はタブーだったのかもしれない。

 アイザックは自分の愚かさを呪った。


「変……、かな……」


 アマンダは自分の髪の毛に触れながらアイザックに質問する。

 これを失点回復のチャンスだと思い、アイザックは褒める事にした。


「いえ、変ではないですよ。以前の髪型は元気の良さが魅力的でしたが、今の髪型は女性としての魅力が増しているものだと思います。可愛いですよ」

「……ありがとう」


 アマンダが頬を染める。

 その様子を見て、アイザックは褒め過ぎたかと後悔する。


(男の子っぽい女の子だったから、あんまりこういう褒め方は慣れてないのかも。喜んでいるから間違いではないんだろうけど……)


 アイザックは、どことなく罪の意識を感じてしまう。

 話題を変えようと、アマンダが食べているチョコレート菓子に触れる事にした。


「チョコレートはお好きですか?」

「うん、好きだよ。アイザックくんのお店の商品なんだよね。凄いよ、こんなに美味しいお菓子作るの。お爺様も僕のためにチョコレートのお店を作るって言ってくれてたんだけど、そのあと……」


(また地雷かよ! 痛い痛い痛い痛い……)


 またしても地雷を踏み抜いてしまった。

 アイザックは罪悪感で、胸が苦しくなってしまう。


(そうか、あのジジイはアマンダのために……。いや、でもあんな言い方してくるか普通? でも、あの仕返しはやり過ぎたよな……)


 ――可愛い孫のためにお店を作る。


 憤死さえしなければ、それは実現されていただろう。

 だが、その芽はアイザックが摘み取ってしまった。

 ちょっとだけ仕返ししてやろうと思ってやった事が、ウォリック侯爵領全体を巻き込む騒動になってしまったのだ。

 その事は「さすがにやり過ぎた」と思っていたので心が痛む。


 基本的にアイザックは「ニコルに婚約者を奪われる女の子達が可哀想だ」と思っている。

 その可哀想な女の子の一人であるアマンダを、アイザックが自らの手でどん底に落としてしまった。

 ある意味、ニコルにフレッドを奪われるよりも酷い事になっているかもしれない。


「嫌な事を思い出させて申し訳ありませんでした。チョコレートを気に入っていただけたようなので、今度贈らせていただきます。今日はこのあたりで失礼します」


 アイザックは、そう言い残してさっさと逃げ去っていった。

 今日は触れてはいけないところに触れてしまった。

 日を改めて出直そうと思ったからだった。

 そんなアイザックの後ろ姿を見ながら、アマンダの友達が口を開く。


「ウェルロッド侯爵家のアイザックっていえば、もっと怖い人だと思ってた」

「気まずくなって逃げるとか可愛いところあるじゃない」

「フレッドよりも物腰が柔らかくて優しそう」

「良かったわね、アマンダ」

「べ、別に話が決まったわけじゃないし……」


 アマンダは否定するが、心のどこかで「次の婚約者はアイザックだ」と思っていた。

 爵位の近い相手で、婚約者が決まっていないのはアイザックだけだ。

 侯爵家同士、婚約者になるのは当たり前という風潮がある。

「フレッドとの話がダメになった以上、アイザックと婚約する事になる」と、周囲は決まった事のように思っていた。


 そして、それはアマンダも同じ事。

 父からは「ウェルロッド侯爵家との縁談が進むように努力している」と聞かされていた。

 心の中では「アイザックって兄殺しの怖い人」と思っていたので、本当はアイザックの婚約者になる事を嫌がっていた。

 そんな時に、今回のような穏やかな出会い方をした。

 婚約を破棄して以来、あまり相手をしてくれなくなったフレッドよりもいいかも、とアマンダが思ってしまうのも仕方が無い。


 それに、フレッドはアマンダの事を婚約者ではなく、友達のように扱っていた。

「可愛い」などと言ってもらった記憶がない。

 同年代の男の子に可愛いと言ってもらえたのは初めての事だった。

 アイザックの方はその気がなかったが、アマンダの方はアイザックの事を少しずつ意識し始める事になる。

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