第99話 ティファニーとの和解

 十月上旬。

 アイザックの領主代理としての役割は無事に果たせたといえる。

 もちろん、ハンスなど大人達がサポートしてくれたおかげだ。


(波乱の一年も、もう少しで終わる……)


 アイザックは、ホッと胸を撫で下ろす。

 できる事なら、この一年はもっと家族と向き合って話をしたかった。

 名目上のお飾りとして必要だったので仕方ないと受け入れていたが、やるべき事をやれなかったのは心残りだ。

 王都へ行っても、家族との対話でかなりの時間を使う事になるだろう。

 とはいえ、関係修復には時間がかかる。

 年単位で時間がかかる事を覚悟していた。


 今日はハンスを送り出す日だった。

 この半年、かなり世話になった。

 仕事のやり方だけではなく、雑談で色々と教わった。

 教会に関する話も聞いたが、何よりも貴族としての心得を少しばかり聞けて勉強になった事が大きい。

 父や祖父よりも教わるところが多かったくらいだ。


「ハンスさん。大変お世話になりました」

「気にするな。こちらも寄付金集めに地方を回るのに比べれば、非常に楽で良かった。兄上によろしく……。いや、先に顔を会わせるから、その必要はないな」


 そう言って、ハンスは笑う。

 アイザックはエルフの代表団の到着を待ってから王都へ向かう。

 先に出発するハンスの方が、先にモーガンと会う事になるはずだ。

 アイザックに言付けを頼むのは間違っていると思ったのだろう。


「教会におられるのでもう会う事はないでしょうが、今年の事は忘れません。ありがとうございました」

「別に教会に来てもいいんだぞ? お前はもう少し神へ祈りを捧げてもいいくらいだ」

「そうですね。考えておきます」


 アイザックは乾いた笑いで答える。

 リード王国教区の事務局副長という大物と過ごしても、アイザックの信仰心は刺激できなかった。

「やはり、宗教は胡散臭い」という認識のせいで神を信じる事ができなかった。

 魔法がある世界なので「もしかしたら、神はいるかもしれない」とは思うが、簡単には心を入れ替える事ができなかったせいだ。


「では、元気でな」

「ハンスさんもお元気で」


 握手をした後、ハンスは馬車に乗り込み、出発していった。

 馬車が見えなくなってから、アイザックは屋敷へと戻った。


(こういう時に頼れる身内がいるってのはいい事だな)


 今の事務局長の任期切れが近く、次の事務局長の椅子に座るために支援が欲しかったハンスと、領主としての教育を受けた者のサポートが欲しかったモーガン。

 彼らの利害が一致したため、ハンスに任される事になった。


 ハリファックス子爵に頼る事も考えられたが、こちらはすぐに却下された。

 別に外戚として専横を振るう事をモーガンが恐れたわけではない。

 アイザックが領主代理になったのは、あくまでも一時的な事。

 代官が領政に口出しした場合、自分にとって不本意な判断をされた他の代官が不満を持ってしまう。

 ハリファックス子爵家と他の家の関係が気まずくなり、今後の付き合いに悪影響を及ぼす恐れがあったからだ。


 アイザックの曾祖父であるジュードは国家の安定には欠かせない最適な人物だったのだろう。

 しかし、肝心の家庭の安定という面では、最悪の人物でしかなかった。



 ----------



 アイザックはエルフの客人達と一緒に王都へ向かう。

 エルフと付き合いの深いウェルロッド侯爵家が、王都までエスコートするためだ。

 この件に関しては、ハリファックス子爵家が主に協力する。

 子供が代表者では「我々を侮っているのか?」と思われかねないからだ。

 そのため、ハリファックス子爵家が協力するために屋敷に泊まり込む事になった。


 ――という事は当然、ティファニーもいる。


「や、やぁ。久し振りだね……」

「久し振り……」


 予期せぬ事態に、二人は気まずい再会をしてしまう。

 ティファニーの家族が「しまった」という表情をする。

 エルフの出迎えという役目に気が行ってしまい、アイザックとティファニーの事にまで気が回らなかったのだろう。


(ハリファックスの爺ちゃんと婆ちゃんが来るだけだと思ってたのに……)


 ティファニーと彼女の両親は先に王都へ向かうものだと思い込んでいた。

 さすがに一家揃って屋敷に来るとはアイザックも思っていなかった。

 ティファニーと話す心構えができていなかったので、何を話せばいいのか戸惑ってしまう。


「あの時はごめんね」

「うん……」


 まずは謝罪だろうと思ったが、ティファニーが目を合わせてくれない。

 すぐにカレンの背後に隠れてしまった。


「ごめんなさいね。これでも落ち着いた方なのよ」


 カレンが申し訳なさそうな顔をしながら言った。

 彼女もアイザックのしでかした事を見ていたが、色々と家庭内で複雑な事情があったと理解している。


 ――アイザックが死ぬか、ネイサンが死ぬか。


 そのどちらかしかなかった以上、彼女はアイザックが生き残ったという結果を受け入れていた。

 ただ、事件の起きたタイミングが予想外過ぎて驚いてはいたし、結果を悲しんではいたが。


「いいえ、いいんです。顔を合わせた時に泣かれたりしなかっただけで、今は満足ですから」


 大人でも衝撃を受ける場面を子供が見てしまったのだ。

 すぐに立ち直れるはずがないとはアイザックだってわかっている。

 とりあえず「顔を見られた事で、今は良しとしよう」とアイザックは思い始めた。

 その場に沈黙が流れ、何とも言えない重苦しい空気が流れる。


 そこへ、二つの人影が割って入った。


「ティファニー、久し振りー。もう、今までどうしてたのよ」


 ブリジットがティファニーを抱き上げて頬擦りする。


「……あれ、ちょっと重くなった?」

「違う、重くなってないよ!」


 子供とはいえ、ティファニーも女の子。

 デリカシーの無い台詞を否定し、降ろしてもらおうとしてジタバタし始める。


「もう、ブリジットさん。成長期とはいえ、そんな事を言っちゃダメですよ。エルフと違って、人間の子供は毎年大きくなるんですから」


 ブリジットをたしなめるのはリサだ。

 王都に向かう途中、アイザックの話し相手をするために彼女も両親と共に呼ばれていた。


「確かに人間の成長は早いわよね。リサの身長も私と変わらなくなってるし」


 ティファニーを降ろしながら話すブリジットの視線は、言葉とは裏腹にリサの胸元に向けられている。

 二人の見た目は同世代。

 しかし、リサも年頃となり、種族の差が顕著に現れ始めていた。

 種族の違いという事をブリジットもよく理解している。

 それにエルフはスレンダーさが美しさの基準でもある。

 だがそれでも、何となく羨ましさを感じてしまっていた。


「その通りですよ。背も高くなるんだから、去年よりも重くなるのも当然です。重くなる心配がない人は気楽でいいでしょうけど」


 今度はリサがブリジットの胸元に視線をやる。

 美貌ではブリジットには勝てないと思っているが「部分的に彼女に勝てる部分がある」という事が、少しだけリサにも自信を与えてくれていた。


「エルフは大器晩成なのよ。美しい時間が人間より長いんだから」

「そこは羨ましいところですよね」


 二人の楽しそうな話し声で、先ほどまでの重苦しい空気が吹き飛んだ。


「みなさんお久し振りです。挨拶が遅れて申し訳ありません。ティファニーをお借りしてもよろしいでしょうか?」


 リサがハリファックス一家に向かって、遅ればせながら挨拶をする。


「ええ、ティファニーがいいならかまわないけれど……」


 答えたのは母親であるカレンだった。

 彼女は視線をティファニーに向ける。

 ティファニーは迷っているようだ。

 チラリチラリとアイザックの方に視線を向けている。

 それに気付いたブリジットがフォローする。


「大丈夫よ。女の子だけのおはなし会だから。アイザックは抜きよ」

「えぇ……」

「たまには女の子同士のお話も必要なのよ」


 リサもブリジットの意見に同意する。

 これにはアイザックが驚いた。


(ティファニーとの間に入って、仲を取り持ってくれるって流れじゃないの!?)


 そう思っていたのに、まさかリサにものけ者にされるとは思いもしなかった。


「あぁ、うん。まぁ……、うん……。ごゆっくりどうぞ」


 ちょっとショックだったが、女同士で話したいという気持ちもわからないでもない。

 それに、女同士の話し合いに「僕も混ぜて」と言うのは勇気がいる。

 アイザックは、ブリジットとリサがティファニーを連れていくのを止めたりせず見送った。


「とりあえず一度お部屋にご案内して、その後みんなで軽くお話ししませんか?」

「そうね、あとでお話ししましょう」


 ティファニーの祖母であるジョアンヌがアイザックの意見に賛同する。

 さすがに独りぼっちの状態を見るに見かねて、断れなかったのだ。

 アイザックは主家筋の子供でもあるし、自分の孫でもある。

 突き放すような事はできなかった。


「では、みなさんをお部屋に案内してください」


 アイザックは使用人達に命じる。


「屋敷で働く事はあっても、客として泊まるのは初めてだな」

「非常時には泊まり込みで働く時もあるぞ」

「それは客としてではないじゃないですか」


 アンディが父と話しながら歩いていく。

 普段と違う状況で、少しソワソワとしているのかもしれない。


「バートン男爵夫妻も食堂にお呼びして。知り合いだろうし顔合わせする必要は無いだろうけど、数日一緒にいるんだから軽く挨拶だけしておいてもらおう」

「かしこまりました」


 執事がアイザックの命を受けて、使用人にリサの両親を呼び出すように伝える。

 彼自身はお茶の手配など、もてなしの用意に向かっていった。


(今は身内だけだけど、大人になるともっと大変になるんだよなぁ……)


 子供の間はまだいいが、大人になれば貴族同士の付き合いが一気に増える。

 侯爵家はホスト側になる事が多いので、細やかな気遣いが必要とされるはずだ。


(まぁ、それくらいなら大丈夫か。注文以外で話もしない常連客の相手をするよりもずっといい)


 こじんまりとした居酒屋ならともかく、大手チェーン店で店員が客と親しくなるような事はまずない。

 せいぜいが「兄ちゃん、いつもいるな」と声を掛けられるくらいである。


 大勢の名前を覚えるのは大変だ。「店」と「客」という関係ではなく、個人の関係を築けるだけまだマシだ。

 面倒であっても、人と人の関係を作れるという事によって苦労が報われるような気がしていた。



 ----------



 食堂にはハリファックス子爵家とバートン男爵家が集められている。

 まだ幼いマイクは子守りに任されてお昼寝をしていた。


「アデラの子育ての腕前は立派なものだ。マイクの事を頼みたいが、さすがにアイザックのような子に育ったら、子爵家では小さ過ぎて器量に合わん」

「いえいえ、私は身の回りの世話をしただけで、アイザック様は勝手に育っていったんですよ」

「またまた謙遜を」


 彼らの話は自然とアイザックの話題となる。

 そのせいでアイザックは、正月に集まった親戚が自分の話をしているような居心地の悪さを感じていた。


「バートン男爵には、今まで寂しい思いをさせてすみませんでした。今年からはアデラも乳母じゃなくなるので、家族でごゆっくりお過ごしください」


 十歳になれば乳母が付かなくなる。

 これまでバートン男爵は代官として任地にいたため、領都にいた妻や娘と離れて暮らしていた。

 たまに会っていたとはいえ、長い時間一緒に過ごせるのが王都に行っている時だけだったので寂しかったはずだ。


「お気になさらないでください。アデラが乳母を任されていたお陰で、リサが結婚する時は良いドレスを買ってやれます」


 家族と過ごす時間が少なかったのは寂しいが、その分はこれから取り戻せる。

 それよりも、娘の結婚費用を稼ぎ出せた事を喜んでいた。

 無役の貴族よりもマシとはいえ、農村をいくつか管理する代官はあまり裕福とはいえない。

 余裕があるのは、都市を任されている代官くらいだろう。

 周囲に馬鹿にされない最低限の貴族らしい生活を維持するので精一杯だった。


「あら? リサにも誰か婚約者できたの?」

「それがまだなのよ。だから、学院で良い人が見つかればいいんだけど……」


 カレンの質問に、アデラは頬に手を当てて「困った」という表情をする。

 リサと同い年で、まだ婚約者の決まっていない子爵家の娘達がいる。

 その中には中規模の都市を任されている代官の長女もいる。

 そちらに人気が集まっている影響で、男爵家の娘達の婚約が少し遅れてしまっていたせいだ。


 だが、アデラは心配していない。

 リサは侯爵家の跡取りとなるアイザックの乳兄弟。

 リサの夫となれば待遇にも期待できる。

 彼女自身に問題もないので、良物件といえる。

 アデラも困った顔をしているが、実際はそこまで深刻に悩んではいなかった。


「ちょっと! もー、私の話はしなくていいでしょう!」


 ちょうどドアの前にいて漏れ聞こえた話が聞こえたのだろう。

 リサが抗議の声を上げながら入ってくる。

 ティファニーとブリジットも一緒だった。

 その時、アイザックはティファニーが泣き腫らした目をしている事に気付いた。

 椅子から降りて、三人のところへ向かう。


「あれ? ティファニーの目が赤いんだけど……。いくらなんでも、二人掛かりでイジメるのは擁護できないよ……」

「そんな事やってないわよ!」

「そうよ、あんたのためにお話ししてあげてたのに!」


 リサとブリジットの二人に強い言葉で否定される。


「えっ、僕のため?」


 ブリジットが気になる事を言っていた。

「何の事だ?」と思って彼女の顔を見上げていると、ティファニーがアイザックに近づき、アイザックの頭を撫で始める。


「私の方がお姉ちゃんなのにごめんね……」


 ティファニーが泣き出しそうな顔をしている。

 目を腫らしてたのは、アイザックに関する話を聞いてなのかもしれない。


「……いったい、何を話したの?」


 先ほどまで怖がっていたティファニーとは思えない反応に、話した内容がどうしても気になってしまう。


「色々と事情があってああするしかなかったっていうのを教えたのと、アイザックが死んでいた方が良かったのか聞いただけよ」


 リサはあの事件の事を詳しく理解していない。

 あの場に居た一部の大人達は裸の王様状態となったメリンダとネイサンの姿を見て、裏でどんなことがあったのか想像できた。

 だが、リサはアイザックが裏で色々と画策していた事を知らない。

 アイザックとネイサンの仲が良くなかった事などから、何もしなかったらアイザックが危なかったという事くらいしか理解していない。

 自分の思っている事をティファニーに「アイザックは悪者ではない」と説明してくれてたのだ。

 リサの優しさに、アイザックは感動する。


「それに、あんた友達いないでしょ? ティファニーに嫌われたら、独りぼっちになって可哀想だって話してあげたのよ」

「そんな失礼極まりない事を……」


 ブリジットには不愉快そうな顔を返した。


「じゃあ、友達の名前を言ってみなさいよ」

「……パ、パトリック」


 アイザックの言葉を聞き、周囲にいた者達の視線が憐れむような性質のものに変わる。

 大人達の視線が矢となって、自分の体に刺さっているのではないかとアイザックは錯覚してしまうほど、周囲の視線を強く感じていた。


「ブリジットさん、あんまりハッキリ言うのは可哀想ですよ」

「たまにはいいのよ。頭が良いのに、ハッキリ言わなきゃわかんない子なんだから」


 ブリジットはキッパリと言い切った。

 もしかしたら、今までアイザックが言った「チェンジ」などの失礼な言葉を根に持っていて、ここぞとばかりに意趣返ししているのかもしれない。


「二人ともありがとう……」


 なんとなくブリジットにはお礼を言いたくないが、ここは大人となりアイザックはお礼を言う。

 少なくとも、自分のために彼女達は動いてくれたのだ。

 感謝の気持ちは示すのは当たり前の事だった。


「ティファニーも怖がらせてごめんね。多分、あんな事はもうしないから安心してよ」

「多分じゃダメだよ」

「わかった。その事に関しては前向きに考えるよ」

「約束だからね!」


 二人のお陰で、少なくとも話をしてくれるようになった。

 話ができなければ謝罪もできない。

 関係の修復に一歩進んだ事を喜んでいた。




 二日後、マチアスやアロイスといったエルフ達が到着し、アイザック達は彼らと共に王都へ出発する。

 春にウェルロッドに一人で戻った時に比べ、王都へ向かう道中は賑やかなものとなっていた。

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