第98話 冷たいお菓子の魅力

 七月半ばには、モーガン一行が帰ってきた。

 交渉の結果は成功。

 マチアスだけではなく、他の村に住んでいる600歳台の老エルフを三人追加で呼ぶ事ができた。

 王子の十歳式という記念日に、エルフ側が配慮した形となった。

 もちろん、森では手に入らない物資の提供が魅力だったという事もある。


 モーガン達は屋敷に一泊するだけで、すぐに王都へ出発した。

 もう少しゆっくりしたそうだったが、大臣である以上は他にも仕事がある。

 アイザックに「年末に会うのを楽しみにしている」と言い残して去っていった。




 今、アイザックは食堂にいる。

 それも、官僚用の食堂にだ。

 屋敷には三つの食堂がある。


 ――ウェルロッド侯爵家の家族や客人で使う食堂。

 ――屋敷で働く官僚達用の食堂。

 ――使用人達用の食堂。


 なのに、官僚用の食堂にいるのには理由があった。

 それは、クロードとブリジットの存在だ。

 七月の半ばになり、気温が高くなり汗ばむようになってきた。

 彼らの魔法による冷房の恩恵を、休憩時間になった官僚達にも分け与えるためだった。

 ときおり、食事を済ませた者が名残惜しむような顔をして食堂を出ていく。


「それにしても、二週間ほど一人で留守番していましたが何も起こりませんでしたね」


 アイザックがハンスに話しかけた。

 彼はニコニコ笑顔を浮かべている。


「それもそうだろう。王都での会議の練習を見て、あんな対応を取る者相手に悪巧みするはずがない」

「あー、あんな事でも一応は役に立ってたんですね……」


 今思えば、恥ずかしい事だ。

「今回は本物の会議ではなく練習だ」と直前に言われてたのに、本当に領主代理の座を乗っ取ろうとしていると誤解して暴走してしまった。

 しかし、その暴走が抑止力となり、短期間ならばアイザック一人でも留守番ができたのだから世の中何が役に立つのかわからない。


 だが、そんな話をしてもハンスはフローズンヨーグルト――砂糖とジャムを混ぜて凍らせただけのもの――と呼ぶには少々簡素な物を口に含み笑顔を浮かべたままだ。

 アイザックとの会話よりも、フローズンヨーグルトの方に集中していた。


「まったくもって、けしからん。暑い季節に涼しい部屋で凍ったヨーグルトを食べる。ただそれだけなのに、なぜここまで贅沢に感じるのか。陛下ですら、このような贅沢はしておらんだろう」


 ハンスの意識は、エルフがいる事による環境の違いに向いているようだ。


「教会には魔法を使える方が多いのではなかったのですか?」


 魔法を使えるのはエルフだけではない。

 その事に疑問を持ったアイザックがハンスに質問する。


「何を言っている。人間はエルフほど魔力が多くない。教会関係者は治療の練習をする時以外は、怪我人が出た場合に備えて魔力を残しておかねばならないのだ。食べ物を凍らせるだけに魔法を使うなど、まずありえない」

「そうなんですか」


 アイザックは教会が病院の代わりという事で、魔法を使える者を医者として考えてみた。


(まぁ、そうか。医者が気持ちいいからって麻酔を使い込んで、事故で運び込まれた患者に使う麻酔がなくなったとか馬鹿みたいだもんな)


 限りがあるから、使い道に気を付けて節約しなければならない。

 ハンスの言い分には納得のいくものがあった。


「では、陛下はどうなんですか? 王宮には魔法使いが集められていると聞きますが」


 治療魔法が得意ではない者は、王家が近衛騎士として雇い入れている。

 そして、格闘術を学ばされ、王家の者の護衛に着く。

 これは三百年ほど前に他国の使者が警護の騎士の剣を奪い、当時の王を切り殺した事が原因だった。

 それ以来、王が誰かと会う時は剣を持たない近衛騎士が護衛に当たるようになった。

 数名が素手で下手人を足止めして、残りの者が魔法で仕留めるという護衛方法を取るためだ。


 アイザックがこの事を知っているのは勉強していたからだ。

 王家打倒のため、何か方法はないかと模索していた時に知った。

 結論としては「丸腰の状態で王と会う機会に暗殺を狙わず、正面から正々堂々と兵の数の差で押し潰せばいい」という考えに至った。

 素手で命を狙うには、近衛騎士が邪魔で無理なせいだ。


「近衛騎士か? 彼らも似たようなものだろう。訓練で魔法を使う以外は、魔力を温存しているはずだ。陛下に冷たい食べ物を提供して、いざという時に守れないでは意味が無かろう」

「確かにその通りですね」


 ハンスの言い分はもっともなものだった。

 ただ、フローズンヨーグルトをニコニコ顔で食べていなければ、もっと説得力や威厳というものを感じ取れたかもしれない。

 二人の話を聞いていたクロードが、何かを思いついたように話し出す。


「そういう事なら、リード王家にエルフを正式な大使として何人か送り込んでも良さそうだな。普段は魔法で快適な暮らしを提供すれば……。さすがに王家に送る人材が……。いや、爺様がいる! でも、さすがに爺様はありえない……」


 リード王国中枢部にエルフを送る事を思いついたが、さすがに王家の傍に控える事のできる人材までは思いつかないようだ。

 マチアスは昔からウェルロッド侯爵家やリード王家と繋がりがあるので、真面目にやれば礼儀作法などもそこそこできる。

 だが“いつまで真面目にやっていられるのか”という不安から、孫によって人選から除外されてしまった。

 悲しい事だが、日頃の行いというものが大切である。


「じゃあ、王宮での暮らしにも興味があるし、私が行こうか?」


 ブリジットが無謀な事を言いだした。


「それはやめた方がいいよ」

「絶対にやめておけ」

「無理はしない方が良い」

「ちょっと、なんでよ!」


 間髪容れぬ怒涛の否定三連発に、ブリジットがむくれてしまう。


「ブリジットさんは美人だから、言い寄ってくる人がいると思うよ」

「良い事じゃない。私の魅力を理解する人がいるって事でしょう」

「でも、ギルモア子爵みたいにお尻を触ってくる人がいるかもしれないよ。全員に膝蹴りをお見舞いしてたら、すぐに追い出される結果にしかならないよ」

「うっ……」


 ブリジットの脳裏で、王都で新しい協定を結びに行った時の記憶が呼び起こされた。

 パーティ会場でお尻を触ってきた男に、とっさに髪の毛を掴んで顔面に膝蹴りをお見舞いした事をだ。

「万が一、王族に膝蹴りが炸裂したら今の関係がダメになる」という事はブリジットも理解している。

 ただ、真っ向から否定されて釈然としないものを感じているのも確かだ。


「二百年前、戦争が起きたのは人間がエルフやドワーフを奴隷にして都合のいいように扱おうとしたからだ。その中には性的なものも含まれる。王宮などという伏魔殿に若い娘が行くものではない」


 ハンスがアイザックの言葉を補足する。

 基本的に若く美しい女を嫌う人間などいない。

 しかも、自分が年老いて死ぬまで、ずっと若いままのエルフの女は特にだ。

 口車に乗せられて騙されるか、何らかの弱みを握られて言う事を聞かされたりするかもしれない。

 ニコニコとしてなければ、大人として重みのある言葉だったのだが……。


「それに、王宮に滞在するとなると、今みたいな生活はできなくなるぞ。エルフの代表としてもっと厳しい目で見られるだろうし、礼儀作法などももっと厳しく仕込まれる事になるだろう。ウェルロッド侯やアイザックのように甘くはないだろう。それでもいいのなら、今度村長に話を通しておくがどうする?」

「ぐぬぬぬ……」


 クロードの言葉が決定打となり、ブリジットは王宮に行くとは言い出せなくなった。

 作法などの勉強をさせられるとはいえ、色々と配慮されて厳しく礼儀作法に文句を言われない気楽な生活は魅力的だ。

 興味本位で投げ捨てたいと思うほど軽いものではない。


「ま、まぁいいわ。私にはウェルロッド侯爵家に滞在する大使って役割があるもの。王国の大使にまでなって独り占めするのも悪いもんね」


 ブリジットが王宮に滞在する事を断念した。

 無理はしないスタンスなのだろう。

 諦めが早かった。


「その方がいいよ。それに、知らない人に変わるよりも、ブリジットさんでいてくれた方が気安いしね」


 アイザックはブリジットの判断を喜んだ。

 王宮に滞在するとなれば、将来ブリジットがどうなるかわからない。

 落城の混乱で死ぬという事もありえる。

 すでに赤の他人ではない彼女を殺すような事はしたくない。

 その程度はアイザックだって配慮ができた。


「そうだ、王都に住みたいのなら教会に入ってはどうだ? もちろん、好待遇でだ。喜んで迎え入れよう」


 ハンスがブリジットを誘う。

 しかし、その表情を見てブリジットは渋い顔をする。


「どう考えても冷たい物を食べたいだけよね……。お断りするわ」


 ――いやらしい意味ではないのはわかるが、冷たい物を作るだけの道具みたいな扱いも嫌だ。


 そう思ったブリジットは即座に拒否する。

 この時ばかりは、ハンスもこの世の破滅が来た時のような表情を浮かべた。

 ブリジットに断られた代わりに、ハンスはアイザックに食らいつく。


「アイザック、せめてエルフに王都で氷菓子屋を開かせろ。なんでウェルロッドにしかないんだ!」

「いや、それは住処から遠くに行きたくないエルフ用の仕事でして……。いつかは王都や他の領地にも店を出したいんですが、全てエルフ次第です。強制はできませんので」


 強引に店をやらせれば、せっかくの友好ムードが壊れかねない。

 ハンスに氷菓子屋の誘致を諦めさせるには、エルフ達次第と言っておけば手っ取り早い。

 彼も大人なのだから、きっと理解して諦めてくれるはずだ。


「それもそうだな……。また二百年前のようになっても困る。だが、ブリジット殿。教会はいつでも喜んで迎え入れる。その事だけは覚えておいていただきたい」

「え、えぇ……。ありがと」


 ハンスの強い誘いに、ブリジットも引き攣った笑いになる。

 彼も教会内でそれなりの立場にある。

 当然、待遇もそれ相応のもののはずだ。

 だが、涼しい部屋と冷たい食べ物の魅力に取り憑かれてしまっている。


 科学技術の進んでいないこの世界では、ただの冷房とアイス系のお菓子でも十分な魅力がある。

 その事をどう生かせるかはともかくとして、アイザックはハンスの姿を見て何かを学ぶ事ができたような気がした。

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