第97話 サプライズ

 七月に入った頃。


 アイザックはいつも通り書類を処理していた。

 その隣では、ハンスが未決裁の書類を品定めしている。

 最近は「こういう風に処理しなさい」と教えるだけではなく「どう処理すれば良いと思う?」と、アイザックに質問するようになっている。

 考える力を身に付けさせようとしているのだろう。

 お陰でアイザックは、まだ学生でもないのに次々と宿題を出されている気分になった。

 それが最近の平凡な日常。


 ――だが、この日は違った。


「サプラーイズ!」


 執務室のドアが突然開かれ、一人の男が部屋に入ってくる。

 その顔を見て、部屋に居た者達が凍り付いた。


「……おかしいな。サムには皆驚くと言われたんだが」

「閣下、驚いています。みんな驚き過ぎてリアクションが取れないのです。ですから、おやめくださいと言ったのです」


 不思議そうな顔をするモーガンの背後で、ベンジャミンが困った顔をしていた。


「なんでお爺様が……」


 アイザックが声を絞り出す。

 その言葉を聞いたモーガンがニヤリと笑う。


「たまには意外な事をやってみるのも、家族とのコミュニケーションに良いと聞いたからだ」


 おそらく、サム――友人のサミュエル・ランカスター伯爵――に聞いたのだろう。


(これは滑ってる……。いや、でもハッキリ言うのはなぁ……)


 普段からふざけたりする人柄であれば「何やってるんですか。驚いたなーもー」というような返しができる。

 だが、普段こんな事をしない人物だけに、どう反応していいのかわからない。

 アイザックは困惑している。

 それは秘書官達も同じだ。

 どう反応すればいいのか迷っている。


「ノーマン!」


 ハンスが咎めるような厳しい声でノーマンの名を呼んだ。

 秘書官達の中で一番下っ端の彼が来客の先触れが来ていないか確認する役目を任されている。

 モーガンが屋敷を訪れるのならば、先触れがあったはずだ。

 ハンスはきつい目でノーマンを睨んでいた。

 伝えるのを忘れていたか、協力していたかのどちらかしか考えられない状況だからだ。


 この状況に慌てたのはノーマンの方だ。

 当主の帰宅の情報など聞いていない。

 聞いていれば、忘れるはずがない重要事項だ。

 新人とはいえ、当主の出迎えを忘れるような致命的な失敗を犯すはずがなかった。

 そうなると、ノーマンが厳しい目を向けられている理由は一つ。


「違います! 本当に知らなかったんです! 知って黙っていたわけではありません!」


 ――モーガンのサプライズに協力していたと思われている。


 その事に彼は気付いた。

 だが、そのような事をしていないので、疑われてしまった事に取り乱している。


「ハッハッハッ、ハンスも驚いたようだな。前もって使用人達に黙っておくように命じておいたのだ。そう責めてやるな」

「兄上……」


 秘書官に伝わらないように口封じしていたと聞き、ハンスは呆れたように深い溜息を吐く。

 その様子を見て、モーガンは「してやったり」と笑みを浮かべる。


「それで、何をしに来たんですか? いくら何でも、大臣という要職にある方が驚かせるためだけに来たわけではないでしょう?」


 ハンスが呆れ顔のままモーガンに尋ねる。


「当然大臣としての仕事だ。お前達を驚かせに来たのは、そのついでだ」


 モーガンはハンスと再会の握手をガッチリと交わし、アイザックの頭を撫でる。


「問題が起きたという報告もないので、二人はよくやってくれているのだろう。もちろん、皆の協力もあってのおかげだとわかっている。今年の褒賞金は期待してくれていいぞ」


 この言葉で、固まっていた秘書官達の表情が和らぐ。

 やはり、苦労が報われるのは嬉しい事だった。


「えっと、お爺様に聞きたい事がありますが……。とりあえず部屋を変えますか? 長旅でお疲れでしょう」

「そうだな。クロード殿とブリジット殿も呼んでもらおうか。彼らにも話があるのでな」

「今はダンスの練習をされている頃かと思われます。今すぐ伝えて参ります」


 失点を回復しようとしたノーマンが張り切って呼びに出ていった。

 本人は悪くなかったのだが、どこか気まずさを感じていたのだろう。


「それにしても、お爺様がこういう事をされる方だったとは知りませんでした」

「私なりに家族との付き合い方を変えようと思ってな。どうしたらいいか、サムの奴に聞いたんだ」


 ネイサンの一件で、モーガンも考えるところがあったのだろう。

 家族との付き合い方を変えようと、彼なりに色々と試しているのかもしれない。

 そう思うと、年を取ってからの涙ぐましい努力に胸が熱くなる。

 その努力を無駄にはしたくない。

 だが、アイザックも「これだけは言っておかねばならない」と聞きたくないであろう真実を伝える。


「でも、それ……。たぶん、ランカスター伯にからかわれてますよ」

「なんだとっ!?」


 思いも寄らぬ友の裏切りに、今度はモーガンが驚く番だった。



 ----------



 応接室に必要な者を集め、モーガンが用件を話し始める。


「今回、私は大臣として派遣されて来た。その理由としては、アロイス殿やマチアス様を今年の協定記念日にお呼びする事。できれば、十歳式にも出席してもらえるよう交渉してほしいと陛下が仰せられたからだ。今年は殿下が十歳になる年という事もあり、記念すべき式にしたいと思われているようだ」


 モーガンは確かに外務大臣の仕事で来たようだ。

 さすがに、孫の仕事ぶりを見に来たり、驚かせるために来る適当な理由ではないらしい。

 だが、この申し出にクロードはあまり良い顔をしなかった。


「村長は大丈夫でしょうが、爺様はどうでしょう……。一昨年の事を気にしているようですので、王都へ行きたいとは思っていないでしょう……」


 クロードだけではなく、この場にいる誰もが一昨年の事を忘れていない。


 ――酒に酔って国王であるエリアスに無礼を働く。

 ――十歳式では長々と話をして、めまいで倒れる子供が出た。


 これだけでも、王都へ行くのは気まずいはずだ。

 さらにクロードは「平民の直訴を聞く陛下を褒め過ぎた。そのせいであんな事になってしまった」と、先代のウォリック侯爵の憤死のきっかけを作ってしまったと、マチアスが思い悩んでいた事を知っている。

 だから、王都へ行かないだろうと思っていた。


「ご足労願ったお礼はしっかりとさせていただく。他にも過去にリード王国と関係のあった方が他にいれば、その方にも出席していただきたいと思っているそうなので、できれば多くの方に出席していただきたい」


(あっ、これ子供のためっていうよりも、自分のためだ)


「他の方」という言葉を聞いて、アイザックはカーマイン商会を懲らしめた後にエリアスと会った時の事を思い出した。


『またマチアス様をとは言わないが、過去のリード王国に関係する者を連れてきてくれると嬉しい』


 かつてエリアスはそう言っていた。

 王子であるジェイソンのためという面もあるだろうが「実際は自分の権威を示すためなのではないか?」と、アイザックはどうしても考えてしまった。

 適当な貴族を送るのではなく、外務大臣を直々に送る時点で気合の入り方が違う。


 もちろん、それを口に出すような事はしない。

 わざわざ言う事ではなかったからだ。


「それに一昨年はマチアス様を自由にさせ過ぎた。久しぶりの王都なのだから、もう少しこちらでサポートするべきだったと一同反省している。今回は我々が全力を挙げてサポートするので、クロード殿にはマチアス様を説得する協力をお願いしたい」

「そうですね……。口添えくらいならなんとか」


 一昨年はマチアスの身内という事で尻ぬぐいが大変だった。

 それらの事を任せられるというのなら、クロードとしては文句はない。

 王家の歓心を買う事はエルフ全体にとっての利益となるはずだと、クロードは考えていた。

 今後、交流が拡大していくにつれて、良い影響を与えるだろうと思われる。

 特に断る理由は無かった。


「特に今回はアイザックが十歳を迎える年。クロード殿とブリジット殿にも出席していただきたい。来年はもう今年のような事は起こらないので安心してほしい」


 同じ事が起こりようがない。

 ネイサンは死に、アイザックが行動を起こす理由がないからだ。

 さすがにウェルロッド侯爵家以外の者がアイザックを害したりはしないはずだ。

 そんな事をすれば、家同士の争いになってしまう。

 潰されるとわかって手出しする者はいないだろう。


 モーガンの申し出を、クロードとブリジットは顔を見合わせて視線で会話する。


「喜んで参加させていただきます。ですが、あまり気の利いた挨拶などはできませんよ」

「ええ、結構です。参加してくださる事、心より感謝申し上げます」

「ありがとうございます」


 二人が参加してくれるというので、アイザックもお礼を言う。

 好かれているとは思わないが、決定的に嫌われてはいないというだけで今は十分だった。


「交易所……、か」


 ハンスの呟きをアイザックは聞き逃さなかった。 


「エルフに興味があるんですか?」

「当然ある。もちろん、布教したいという理由ではないぞ。純粋な興味だ」


 彼が会ったエルフはクロードとブリジットの二人だけ。

 会った人数で言えば、氷菓子屋の客の方が多くのエルフと会っているくらいだ。

 他のエルフとも会ってみたいと思うのも仕方ない。


「では、お爺様と一緒に交易所へ行かれてはどうですか? 教会に帰った時の土産話になると思いますよ」

「確かに興味深い。だが、その間はどうする? 一人でやるというのか?」

「はい。道が整備されたので、ティリーヒルまでは早馬で一日で着きます。非常時にはすぐに連絡が付くので大丈夫でしょう」


 アイザックの提案を聞き、ハンスは少しソワソワし始めた。

 交易所に興味があるのは事実。

「どうなっているのか?」という立場を越えた興味は抑えきれない。


「確かにハンスも一度行ってみるのも良いかもしれんな。人間とエルフの交流の最前線である交易所を見ておくのも、教会関係者として良い経験になるだろう」


 モーガンもハンスを誘った。


 教会は病院としての一面を持つ。

 これは人間とエルフが袂を分かつ事となった二百年前の戦争が原因だ。

 人間はエルフの魔法による治療を頼れなくなった。

 そんな時に組織立って行動したのが教会だった。


 停戦の混乱している最中、教会は保護を名目に治療魔法を使える者や薬師をかき集めた。

 それは治療行為に必要な知識の継承が容易になるなど、医療面で良い影響を与えたのでそう悪い事ではない。

 そして、医療の独占は教会の立場を大きく補強する事となる。

 ただ神の教えを説くだけはなく、治療行為を「神の慈悲」と無知な庶民に時間をかけて刷り込む事で、信仰心を高めさせて人間社会における教会の立場を確立していった。


 だが、これは人間とエルフが交流を再開し、エルフが治療行為を行い始めれば崩れてしまうかもしれない危ういバランスの上で成り立っている。

 実際に人間とエルフがどのような関係でいるのか。

 エルフが魔法による治療行為を積極的に行う意思があるのか。

 そういった事を、いつかは確認しておかねばならない事だ。

 協定を結んだからと安心するのではなく、実際の現地における意識を確認しておいても損はない。


「確かにこれは下っ端に任せるわけにはいかない。それに、私が行けばウェルロッド領に来た理由に寄付集め以外の理由ができる。将来の事を考えれば悪くないかもしれんな」


 ハンスも「今回は良い機会なのかもしれないな」と思い直す。

 それに、ティリーヒルにある教会の誰かが確認しているだろうが、肩書き持ちが確認した方が説得力がある。

 悪い話ではなかった。


「お爺様がいるので、ついでにオルグレン男爵とティリーヒルの拡張について話してきてくださると助かります」

「それもそうだな。街の拡張のような大仕事は最高責任者がいる時に話すべきだろう」


 重要な案件は保留にして、王都へ連絡だけしている。

 内容を吟味してランドルフが復帰してから処理するかどうかを判断してもらうためだ。

 すぐに処理しないといけないものはモーガンが指示を出していた。

 ティリーヒルの拡張は保留案件となっているので、この機会にモーガンとハンスがオルグレン男爵と話をしてきてもいいはずだ。

 その考えに、モーガンも同意を示す。


「せっかくウェルロッドに帰ってきたのだ。たまには現地で会議をするのも悪くない。だが、アイザックは行かないのか? 少しくらいなら留守にしても大丈夫だぞ」

「はい、今回は留守番をしておきます。お飾りとはいえ領主代理。まずは自分の役目を果たそうと思います」


 そう返事はするが、本当のところは一緒に行きたかった。

 ちょっとだけでも良いから、エルフの村を見学に行きたいと思っていたくらいだ。

 だが、だからこそ我慢する。

 アイザックは、今の自分に必要なのは「不動心」だと思っている。

「一緒に行きたいから行く」という感情に任せた行動を耐えられるようにしなくてはいけないと考えていた。

 不動心を鍛えるためにも、あえて留守番する事を選んだ。


「そうか、その心がけは立派だな……」


 しかし、モーガンは少し寂しそうだった。


 ――孫と一緒にお出掛け。


 そのついでに、今まで家庭を顧みなかった事の穴埋めをしようとしていたのかもしれない。

 祖父の思いを感じ取ったアイザックは気まずくなり、気になっていた話をして話を逸らそうとした。


「そういえば、お父様の様子はどうですか? 少しは良くなったのでしょうか?」

「ああ、少しは良くなってきた。今は部屋での食事ではなく、食堂で食事を取るようになった。十歳式の前に、お前とゆっくり話せるくらいに快復してくれていればいいのだがな」


 モーガンがランドルフの事を思って遠い目をする。

 本来なら、心が病むような事件が起こる前に対応してやるべきだった。

 当主として、父親として彼も色々と反省しているようだ。


 モーガンが、フッと笑った。


「ビックリは突然の来訪というだけではない。お前が王都に来た時、今度は良いビックリをさせてやる」

「いえ、ビックリはもう結構なんですが……」

「そう言うな。試してからでも遅くはない」


 そう言って笑うモーガンを見て、アイザックは不安になる。


(もしかして、人を驚かせるのがクセになったりしないよな……)


 祖父は今までふざける余裕のなかった人生だっただけに、おふざけの加減を理解しているのか少々不安になってしまう。

「驚かせてみたらいい」と祖父に吹き込んだランカスター伯爵を、アイザックはつい恨んでしまった。

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