第96話 モラーヌ村の様子

 アイザックとハンスが隣り合って座り、二人の向かいにクロードとブリジットが座る。

 彼らの周囲では使用人達が手際よく動いていた。

 ブリジットが持ってきた箱から大福を取り出し、皿に並べていく。

 ただ一点、ナイフやフォークといったカトラリーの用意にだけ迷っている。


「お皿だけでいいわよ。手掴みで食べるから」


 ブリジットが彼らを見かねてフォローを入れる。

 すると、そのまま取り皿だけ用意するのかと思いきや、フィンガーボールとナプキンを各人の前にそっと添える。

 彼らに抜かりはないようだ。


「こっちの白くて小さいのが私のお母さんが作った大福で、緑色のがクロードのお母さんが作ったヨモギ餅よ」

「ん? お袋に会ったのか?」


 自分の母親が作った餅と聞いて、クロードがブリジットに尋ねる。


「年に一回の帰省もしない親不孝者に渡してって、こっちに来る前に渡されたの」

「むぅ……」


 確かにクロードは今年、実家に帰っていない。

 しかし、それはちゃんと理由があっての事だ。


「冗談半分だったけどね。ちゃんとアイザックの事を心配して残ったって伝えているから、理解は示してたわよ」

「まぁ、そうだろうな」


 クロードとしては、エルフのために残っていたようなものだ。

 アイザックが何をするのか心配だったが、それ以上に「子供が領主代理になっても大丈夫なのか?」という事が心配だった。

 誰だって子供が領主代理になれば侮ってしまうはずだ。

 そうなると、ウェルロッド侯爵領で混乱が起きるかもしれない。

 その混乱はエルフにも悪影響を及ぼすはず……、だった。


 幸い、今のところは問題は起きてないように見える。

 クロードの心配は杞憂に終わる。

 だが、それでも何かあった時にすぐわかるように、屋敷に滞在していたのは間違いではなかったと考えていた。

 非常時に備え情報を入手する事こそ、大使として本来求められている仕事なのだから。


「しかし、これがアイザックやハンス殿の口に合うかどうか……」


 クロードの心配は大福の味にあった。

 甘いケーキやチョコレートなどに慣れたアイザックには物足りないのではないかと心配している。

 何よりクロード自身がチョコレートにハマっているので、大福で満足できないのではないかと思ってしまっていた。


「大丈夫、大丈夫。普段食べてるのとは別物ってわかってるしね」


 アイザックが餅を取ろうと手を伸ばす。


「待て」


 その手をハンスが掴んで止めた。


「毒見が先だ」

「えっ!?」


 予想外の言葉にアイザックは驚いた。

 これにはブリジットも驚いている。


「ブリジットさんは毒を入れたりしないと思いますよ」

「そうではない。万が一の時のためだ」


 今の状況を理解していないアイザックのために、ハンスが説明を始める。


「いいか。エルフが普段食べるような物でも、人間には毒となる物があると聞いた事がある。相手を信頼しているか、していないかは関係無い。人間に悪い影響を与える食べ物が使われているかもしれん。それも悪意無くだ。毒見をさせるのは自分のためだけではない。先に安全を確認するのは、ブリジット殿のためでもある」

「なるほど、そういう事でしたか。確かにブリジットさんに迷惑を掛けるのは嫌です」


 ここで種族の違いによる問題が表面化する。

 普段同じ物を食べているので気にしなかったが、食べさせてはいけない物があるというのはアイザックにも理解できる。

「それ美味しそうだし頂戴」とチョコレートをねだられても、犬のパトリックには絶対に食べさせない。

 チョコレートが犬には毒だと、前世で聞いた覚えがあるからだ。

 同様の問題が人間とエルフでもあるのだろうと考えれば、ハンスの心配も当然だと思った。


「そもそも、お前は残り少ない貴重なウェルロッド侯爵家直系の男子。お家騒動もあったのだから、自分の身を守る意識を持て。兄上は何を教えていたのか……」


 ハンスは天を仰ぐ。

 彼の親が親だけに、そういう事には敏感だった。


 これにはアイザックも同感だった。

 メリンダが毒殺を狙ってきた場合、アイザックは死んでいた危険性がある。

 身の安全を守る方法に配慮してくれても良かったのではないかと思ってしまう。

 とはいえ、アイザックの知らないところで誰かが毒見をしていたかもしれないので、すぐに非難しようとまでは思わなかったが。


「私が緑の方を毒見させていただきます」

「では、私は白い方を毒見致します」


 二人の使用人が毒見役に立候補する。

 一人で両方を食べると、どちらに毒が入っているのかわからない。

 なので、別々に食べようとしている。

 毒見をするのに慣れているようなので、やはりアイザックの知らないところで彼らのような者の働きがあったのだろう。


「むっ」


 ヨモギ餅を食べた使用人が呻く。

 彼に周囲の視線が集まった。


「まるで野に生える草を口に含んだような……。ですが、えぐみはなく、中に入っている豆のような物とマッチしているような……。食感も不思議な感じですね。喉に詰まらせたりしないように気を付けた方がいいかもしれません」


(毒見役? 実はちょっと食べてみたかっただけじゃ……)


 何故かヨモギ餅の解説を始めた使用人に、アイザックは疑問を持ち始める。


「……特に問題は無さそうだね」

「そのようだな」


 使用人に異常は見られない。

 安全だと思い、アイザックは大福を手に取り、一口齧った。


「あっ、これ塩味なんだね」


 アイザックが食べた物は砂糖で甘い餡子ではなかった。

 前世で父親が好んで食べていた塩大福のような味付けだった。

 懐かしい味に、アイザックの頬が緩む。


「大福って塩味でしょ。他に何かあるの?」


 ブリジットが不思議そうな顔をする。

 アイザックとは違い、彼女は塩大福しか知らないようだ。

 だが、クロードは違った。


「俺が子供の頃、砂糖を使った甘い大福を食べた事がある。それの事じゃないか?」

「へー、甘い大福なんてあったんだ。でも、なんであんたは知ってるの?」

「えっ、……本で読んだから?」


 困った時の本頼り。

 嘘は言っていない。

 前世でチョコ大福やイチゴ大福といった物を特集している雑誌を読んだ事がある。

 本を読んだのが、前世か今世か言っていないだけだ。


「それにしても、緑茶が飲みたくなりますね」


 紅茶もいいが、大福などを食べていると渋みのある緑茶が欲しくなってくる。

 アイザックはつい呟いてしまった。


「あらそう? それじゃあ、今度持ってくるわね」

「緑茶もあるんだ。それじゃあ、味噌とか醤油もあったりするんですか?」


 なんとなく気になったアイザックはブリジットに聞いてみた。


「ないわよ」

「そうですか……」


 だが、悲しい答えが返ってくる。

 やはり、そこまで求めるのは無理だったかと、アイザックは落胆した。


「もう、そんなに落ち込まないでよ。私が悪い事したみたいじゃない。来年以降なら分けてあげる分くらい作れてるはずだから、送ってもらえばいいじゃない」

「へっ? でも、ないって言いましたよね?」

今年の分・・・・はって事よ。正月とかにみんな食べちゃうしね。人間と取引を始めて、塩が簡単に手に入るようになったから、これからはたくさん作るみたいよ。来年くらいにはできてるんじゃない?」

「あ、あー、なるほど。そういう事ですか」


(よし! 久々に和食が食える!)


 大福を作っている時点でもち米はある。

 ならば、普通の米もあるはずだと思い、アイザックは胸を躍らせる。


「……アイザック。もしかして、エルフと交流をしたかったのはエルフの食べ物を食べたかったからなのか?」


 ハンスが複雑そうな表情でアイザックを見つめている。

 何か高尚な理由があるのかと思っていたが、エルフと仲良くする理由が食べ物だったとしたら……。

「子供らしい理由だ」とは思うが、ハンスの中でアイザックの評価が変わるところだ。


「いえいえ、違います。その時はエルフの文化に興味ありませんでしたので。交流を持とうとしたのは、純粋に仲良くなれそうだったからですよ」

「そうか」


 アイザックがエルフの料理に興味を持ったのは、仲良くなってからだとわかり、ホッとするようなガッカリするような複雑な感情をハンスは感じ取った。

 さすがに食べ物を理由として仲良くし始めるのはどうかと思う。

 だが、少しくらい子供らしいところがあった方が良いとも思っていたからだ。


「ただ、松茸に塩ではなく、醤油をかけて食べてみたいとは思います」

「そうか……」


 子供らしいところがあったらあったで、それはそれで不安になる。

 アイザックの行動が「制御された暴力」ではなく「子供の感情による暴力」という事になり、予測不可能となるからだ。

 子供に多くを求めるのは間違いだとわかっていても、アイザックは普通の子供ではないので多くを期待してしまうせいだ。

 どちらにせよ、複雑な感情が湧き出てきてしまう。

 とりあえず「感情的に行動するのだけは抑えてほしい」とハンスは願っていた。


「そういえば、村の様子はどうだった? 変わりはなかったか?」


 クロードがブリジット村の様子を尋ねた。

 今年は帰省していないので、やはり気になっているようだ。


「みんな元気だったよ。変わった事といえば道ができた事くらいかな」

「えっ、道!」

「道!?」


 アイザックとクロードが驚きの声を上げる。

 以前、二人は「エルフの村まで道を作ったらどうだろうか?」と話していた。

 実際に動き出す前に、村のエルフ達が行動に移していた事に驚いたのだ。


「なんで驚いてるのよ……。長老が『森を歩くのは疲れた』って言って、知り合いと一緒に交易所までの道を勝手に作ったみたいよ」

「爺様、何をやっているんだ……」


 今度はクロードが天を仰いだ。

 さすがに村の者達と相談せずに森に道を作るのは、よろしくないと思ったのだろう。

 アグレッシブな爺さんである。


「でも、文句を言ってる人はいなかったわよ。いきなり道を作りだして唖然としていた人はいたみたいだけど、道があったら便利だし。馬と荷馬車を買って年寄りの送迎とか荷物を運んだりして活用してたから、問題はないんじゃない?」


 エルフとて馬鹿ではない。

 自分達の生活に何が必要か考え、実行する事はできる。

 自然との調和を考え、妥協できる範囲で行動に移していた。

 その内、遠くの村とも道を繋いで交易を始めたりするのかもしれない。

 アイザックとクロードの話し合いは無駄になった。


 だが、これはアイザックにとって良い事ではある。

 より多くのエルフが人間と取引するようになれば、関係を切り辛くなる。

 エルフという切り札を持ち続けられるのは、何らかの交渉の場で優位に立てるという事だからだ。


「私はよくわからないが、接触した時から色々と変わっているようだな。ランドルフが復帰したら、エルフの代表者と話し合わねばならないだろう。焦って自分で解決しようとしてはならんぞ」


 ハンスはアイザックに向けて言った。

 急激な変化があった場合、改めて話し合いによって状況を整理した方が良い。

 しかし、その話し合いは、アイザックとハンスの二人は適任ではなかった。

 種族間の取り決めを、領主代理の代理とその後見人が決めるのは権限として苦しいものがある。

 ランドルフのように、次期当主として責任を取れる立場の者が同席しなくてはならない。


「はい、わかっています。僕は領主代理として経験も知識もない。今の僕に求められているのは領内を安定させる事だけ。ですが、それすら難しい事だとも理解しています。無茶はしません」

「うむ、それでいい」


 ――身の程を知る。


 一見簡単なようで、非常に難しい事である。

 幼少の身で”自分にはできない事だ”と受け入れるのは特にだ。

 それを受け入れているアイザックを、ハンスは「やはり、ただの子供ではない」と思い直した。


「ところで、ブリジットはもうアイザックの事はいいのか? 以前通りのようだが」


 ブリジットがムッとする。

 クロードが空気の読めない事を口にしたせいだ。


「せっかく自然な流れで話をしてたのに……。もうちょっと気を使ってよ」

「……すまん」


 なぜ自分が責められているのかわからないが、クロードは謝罪の言葉が自然と口から出ていた。

 ブリジットは一度溜息を吐き、話を始めた。


「長老達に話したら笑われたのよ。『なんでその程度で怒っているんだ』ってね。アイザックのご先祖様に比べると子供のおままごとだってさ」


 ウェルロッド侯爵家の先祖が話に出てきたので、アイザックとハンスは顔を見合わせる。

 二人ともリード王国の建国期は「色々凄かった」という事を書物で読んで知っている。

 都市国家をリード王国に組み込もうとしたり、離反したりしないように色々と動いていたらしい。

 主に初代当主ノーランのせいだ。


 自分がやった事ではなくとも、ご先祖様の所業なのでなんとなく居心地の悪さを感じる。

 それはアイザックだけでなく、ハンスも感じているようだ。


「でも、自分のお兄ちゃんがいなくなったからって、今度はお父さんとかお爺さんを殺したりしたらダメだからね。そんな事したら、もう大使とか関係なく村に帰るから!」

「いや、そんな事しないよ! なに? ブリジットさんの中の僕は家族を殺すのを楽しんでる快楽殺人者になってるの!?」

「違うの?」

「違うよ!」


 なんとなく懐かしさを感じる二人のやり取りを、クロードは優しい眼差しで見つめる。

 ただ一人、二人の言い合いを初めて見るハンスだけが乾いた笑みを浮かべていた。

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