第95話 伯父のアンディ

 地味な書類仕事が続く。

 ときおり、仕事に余裕ができたら秘書官達の仕事を隣で眺める。

 誰がどんな仕事をしているかを把握するためだ。

 見られている方はやり辛いだろうが、後学のために見ておくようにとハンスに言われている。

 さすがにまだ子供なので全て教え込もうとはしていないが、身近にいる者の仕事だけでも覚えさせようとしているのだろう。


(これでも、俺が子供だからいろいろ配慮してくれて楽な方なんだよな)


 ――書類、書類、書類、時々領都を通り掛かった貴族と面会、書類、書類、書類。

 

 アイザックは絶望感を味わう。

 今はハンスがいてくれているので助かっているが、大人になって本格的に領主代理を任された時の事が怖い。

 軽く判断の基準などを教えてくれるだけでも、書類を処理する時に大助かりだ。

 本当に自分一人でやっていけるのかと、どうしても不安になってしまった。


(漫画や小説だと、格好良い戦闘の場面とか謀略シーンとかばっかりだったけど……。そうだよなぁ、地味な仕事シーンなんて書かないよなぁ……)


 アイザックは現実を知り、少しガッカリする。

 実のところ、妹がプレイしていたゲームの世界に生まれたせいで、アイザックは自分が「他のモブとは違う特別な人間」だと勘違いしていた節があった。


 ――ネイサン排除後に颯爽と社交界デビュー。

 ――そして、大勢の支援者を集めて将来に備える。


 正直なところ、そのような事になると妄想していた。

 しかし、実際はそこまで上手くいかない。

 歴史上の人物のように華麗で格好良く決める事なんてできなかった。

 家族間の仲が崩壊しそうになるわ、父親が病で倒れるわで散々だった。

 当面の間、冷や飯を食わされる事すら覚悟していたくらいだ。

 何でも自分の思い通りにいくと思う方が間違っている。


 こうして書類仕事をしていると、その事が身に染みてよくわかった。

 歴史上の人物の派手な活躍にばかり目を奪われていたが、その活躍の裏には地味な仕事をしていたのだろう。

 小さな事を積み重ねて、活躍する下地作りをしていたはずだ。


(そう、積み重ねだ。俺だってわかっていたはずじゃないか。才能がない分、地道な積み重ねで上を目指すつもりだった。なら、こういう仕事を嫌うよりも進んでやっていかないとな)


 代わり映えのしない書類仕事は面白くない。

 だが、だからこそ逃げずに立ち向かわなければならないとアイザックは思った。


 大きな成功を収めるには才能が必要で難しい。

 しかし、大きな失敗をしないのは成功を収めるよりも簡単だ。

 嫌な事から目を背けず、失敗の目を一つずつ潰していけばいい。

 苦労の割りに成果がわかりにくいが、少なくとも自分の人生においてプラスの要素となる。


 ――この書類仕事を通して領内の状況を把握し、将来に備える。


 そう思うと、少しは前向きにこの仕事をこなせるような気になれた。


(書類も残りはちょっとだし、もうひと踏ん張りだ)


 アイザックは残り少なくなった未決裁の書類の束を見る。

 これが終われば一服しようと思っていた。


 その時、執務室のドアがノックされる。

 秘書官がドアを開けると、そこには新しい書類を持った男が立っていた。

 彼はアイザックに一礼すると、机のところまで来て未決裁の書類を追加した。

 書類が追加されてアイザックは少しウンザリする。


「アンディ伯父さん。最近のティファニーの様子はどうですか?」


 書類を持ってきたのは、ティファニーの父であるアンディだった。

 仕事が追加されてガッカリしたので、アイザックは少しだけ世間話をして気を紛らわせるつもりだった。


 彼が代官を務める父の下で働いていないのは、将来に備えて横の繋がりを作るためだ。

 代官の子供は代官としての教育を受けたあと、ウェルロッド侯爵家で官僚として働く。

 これは他の代官の子供達と一緒に働く事で、将来代官になった時に周囲と円滑な関係で付き合っていけるようにするためである。


「最近は婚約者のチャールズと文通したり、女の子の友達と遊んだりしています。アイザック様のお相手をさせたいのですが……」


 アンディの歯切れが悪い。

 その反応から、ティファニーがまだ怖がっている事が読み取れる。

 このくらいわかりやすければ、アイザックにだってすぐにわかる。


 ちなみに、アンディがアイザック「様」と呼んでいるのは立場の違いのためだ。

 甥と伯父という関係であっても、仕事中は領主代理と配下である。

 伯父のアンディでも、人前では配下としての態度を取らなければならなかった。

 この点は指導する立場であるハンスとは違った。


「いえ、元気ならいいんですよ。ティファニーもそろそろ同性の友達と遊ぶのが楽しい年頃だと思いますので、気にしないでください。それに、僕は仕事で遊ぶ暇もありませんので」


 アイザックは本人も知らず知らずのうちに仕事を言い訳に使ってしまっていた。

「プライベートより仕事を優先するというのが当然」という前世の悪習が身に付いてしまっているのかもしれない。


 だが、アイザックにそう言われても、アンディの方は申し訳なさそうな顔をしていた。


「アイザック様のおかげで、みんなウェルロッドに帰ってこられたのに申し訳ございません……」


「アイザックのおかげ」とは、街道を整備した事だ。

 ティファニーの弟のマイクはまだ幼い。

 以前のガタガタの道では、子供は長旅に耐えられない。

 だが、整備された道のお陰で、幼児でもなんとか耐えられるようになった。

 単身赴任状態だったアンディも、家族と暮らせるようになったので感謝していた。


「いいんです。ただ、落ち着いて話ができそうだったら教えてください。ですが、決して無理強いはしないでくださいね」

「ティファニーは少しずつ落ち着いてきています。いつになるかはわかりませんが、もうしばらくお待ちください」

「うん」


 これに関しては急ぐつもりはない。

 心の傷は目に見えない。

 アイザックは無理をしてティファニーの傷口を広げるような事だけは避けたかった。

 彼女は従姉妹であり、そしてアイザックの貴重な友人だったからだ。


「他にも何かありましたらお気軽にご相談ください。さすがにこの部屋にいる方々ほど役には立ちませんが、身内の人間に相談したい事とかあるでしょうし」


 アイザックは部屋を見回す。

 領主の側近は相応の能力を持っている。

 一官僚に過ぎない彼よりも、フランシス達の方が能力面では上回っている。

 だが、どの程度の能力を持っているのかわからないとはいえ、親族として頼れるアンディの存在は確かに頼もしい。

 ハンスは一時的に手伝ってくれているだけ。

 これからも頼れる相手がいるのは嬉しい事だった。


「その時はお願いします」

「では、お仕事頑張ってください」


 元々アンディは書類を届けに来ただけ。

 アイザックとの雑談が終わると、自分の仕事に戻っていった。


(さて、やるか)


 アンディが未決裁の書類を持ってきたせいで仕事が増えた。

 だが”仕事が増えた”とウジウジしていても書類は減らない。

 アイザックは”軽い雑談で良い気分転換ができた”と前向きに考えて、仕事に取り組む事にした。



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 アンディが訪れてから一時間ほど経った頃、新たな来訪者が訪れた。


「久し振りー、実家から戻ってきたから報告にきたよ」


 ――ブリジットだ。


 彼女は王都から帰って来たあと、エルフの村へ帰っていった。

 慣れない人間社会に長く居たので、一ヵ月のリフレッシュ休暇を取っていた。

 前世のアイザックには無縁の言葉である。


「お帰りなさい。村の様子とかはどうでした?」

「色々変わってたわよ。話を聞きたいならお茶にしない? お母さんがお土産に大福作ってくれてるんだけど」

「大福!?」


 アイザックは驚いた。

 この世界で聞くとは思わなかった言葉だったからだ。


(いや、エルフは元々なんか坊さんが掃除している時に着ている服っぽいのを着ていた。食文化も和風なところがあってもおかしくない)


「大福を知ってるの?」

「ええ……、以前に本で読んだ事があります。でも、今はまだ仕事中ですので、また後でお茶にしましょう」


 鋭い指摘を受けた時に便利な「本で読んだ」という言い訳。

 それをアイザックは使った。


「いや、この辺りで一服するのもいいだろう」


 ハンスが休憩を提案する。

 仕事が残っているのに”休憩しよう”という意見はアイザックにとって少し衝撃的だった。

 その驚きがハンスにも伝わったのだろう。

 休憩しようと言った事の説明をする。


「教会で子供の世話をした事もあるが、みんな集中して何かをやっていられるのは短時間だった。それに対して、お前は熱心によく頑張っている。そのせいでつい忘れがちになるが、やはりまだ子供だ。張り詰めた糸は切れやすいとも言う。少し休憩を取っておきなさい」


 どうやらアイザックの事を心配してのようだ。


(これくらいなら大丈夫だけど……。そうだな、まだ体のできてない子供の体で無理はしない方がいいか)


 ――長時間休む間もなく働き続け、バイトの代わりにクレームを付けるお客様の応対をして罵られ、嘔吐した客の内容物を掃除する。


 そんな生活に比べれば、書類仕事はつまらないだけで心身共に負担は少ない。

 せいぜいが、長時間椅子に座る事によって痔にならないかと心配するくらいだ。

 とはいえ、休みをくれるというのなら断る理由はない。

 アイザックはありがたくこの申し出を受け入れた。


「ありがとうございます。ハンスさんも一緒にどうですか? クロードさんとは話しても、ブリジットさんとは挨拶くらいでしたよね? それに、今の交易所とかの話が聞けますよ」

「私は歓迎するわよ」

「ふむ、ならご一緒させてもらおうか」


 ハンスも交易所の事が少し気になっているのだろう。

 アイザックの後見人として知っておかねばならない事というよりも、幾分か個人の興味の方が勝っているようだ。


「ノーマン。クロードも呼んでおいてね」

「あっ、はい。いえ、その……」


 ブリジットに頼まれてノーマンはしどろもどろになる。

 この場にいる者の中で一番の下っ端は彼だ。

 しかし、屋敷の使用人とは違う。

 アイザックの秘書官見習いである以上、ブリジットの命令を聞く必要はない。

 自分に任された仕事や、他の秘書官から学ぶという事が優先される。

 判断に困ったノーマンはアイザックの方を見た。

 アイザックは一度うなずく。


「そうだね、クロードさんも呼ぼう。ノーマン、クロードさんを食堂に呼んできてくれる?」

「はい、すぐに行って参ります」


 正式な命令が出された事により、ノーマンが部屋を出ていく。


「みんなも適当なところで休憩とってね」


 アイザックはフランシス達に一言言い残して部屋を出ていった。

 自分達だけが休むのは気が引ける。

 みんなで休憩を取れば、その心苦しさが緩和されると思ったからだ。

 休みを取るにも「自分達だけ休む」という状況では気が休まらない。

 どちらかというと「自分のために休憩してほしい」という思いが強かった。

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