第85話 大叔父ともう一人の祖父

 三月初め。

 この頃になってもランドルフは精神的に病んだままだった。

 何とかしようとしたモーガンが「王都散策でもさせて気分転換をさせよう」と騎士に命じ、強引に馬車に押し込もうとするなどした。

 しかし、その時に嘔吐や目まいといった症状を見せ、強引な手段は逆効果だとわかった。

 まだ外部との接触は厳しいようだ。


 そうなると、領主代理をどうするかが問題となってくる。

 実務面では官僚達がいればどうにかなるが、最終的に彼らの仕上げた書類を承認するためのサインを書く者が必要となる。

 それはアイザックでもいいのだが、領主としての教育をまだ受けていなかった。

 書類の内容を理解しないまま、何でもかんでもサインしてしまうかもしれない。


 ここで一番問題となるのは、アイザックが騙されるかもしれないという事だ。

 根が真面目な者でも「どんな内容の書類でも実質ノーチェックで通る」となれば、どうしても悪さを考える者が一定の割合で出てくる。

 例えば、自分と付き合いのある代官のところに有利な政策を提案したりするなどだ。

 秘書官などの補佐があるにしても、彼らも人間である以上仕事に感情が影響する。

 彼らの言う事も完全に鵜呑みにはできない。


 そこで出番となるのがモーガンの弟であるハンスだ。

 三十年ほど俗世とは縁がなかったとはいえ、領主としての教育を受けている。

 だが、とりあえずはそれで十分だ。

 領主の仕事は過去の情報も必要だからだ。


 ――百年前に〇〇家と△△家の間で揉め事があって以来犬猿の仲。


 といった過去の情報を基に、貴族同士の揉め事を収めたりしなければならない時もある。

 そして、どのような判断を下すかも今までの判例を参考にして、双方から不満が出ないようにする必要がある。


 平民達の訴えを裁くのは街を任される代官達だが、ウェルロッド侯爵家は代官同士の問題を裁く「裁判官の裁判官」としての役割も果たさなくてはいけない。

 知識も経験もないアイザックがやれる仕事ではない。


 ハンスをアイザックの後見人にして実際に仕事をしてもらい、アイザックはお飾りとして実務を見て学ばせる。

 という方法が考えられていた。


 本来ならば、モーガンの姉達が嫁いだ家に親族として補佐を頼みたいところだった。

 しかし、ジュードが当時の当主や後継ぎを皆殺しにしたせいで、それらの家との親戚付き合いなどない。

 モーガンもランドルフ一人しか子供を作らなかった。

 そのせいで、こういう非常時に領主代理を任せられる者がいないという事態になっている。

 それらのシワ寄せがアイザックに来ていた。




 いきなり会議という事はなく、まずはアイザックとハンスの顔合わせが行われた。


「直接会うのは二年ぶりかな」

「そうですね」


 ハンスはモーガンと兄弟らしく面立ちが似ている。

 だが、似合っていない細く整えられているカイゼル髭のせいで、どことなく胡散臭いオッサンという印象を受けた。


「そちらにいるのが例の?」


 ハンスの視線がアイザックに向けられる。


「初めまして大叔父様。アイザックです」


 アイザックは身内向けの軽い挨拶をする。


「ハンスだ。王都の教会で事務局副長をしている」

「はい、お爺様より伺っております」


 教会といっても、みんながみんな祭事を取り扱うわけではない。

 そういった役割は魔法を扱える者達が行うからだ。

 教会では治療魔法を使える者がエリートとして扱われる。

 リード王国教区を任されている司教も魔法を使える人物が任命されているくらい、魔法を使える者が役職に任命される際に優先された。


 だが、だからといって魔法を使えない人間が不要だというわけではない。

 教会も組織である以上、運用には人手が必要である。

 その中でも、ハンスのような貴族の子弟は教育を受けているので重用された。

 魔法が使えなくとも事務方として活躍できるからだ。

 

「ハンス。手紙にも書いたがランドルフがどうなるかわからない。とりあえず一年だけアイザックの後見人を頼みたい」


 アイザックがハンスと対面する前に聞かされた話では「還俗するのではなく、一時的にウェルロッド領の教区に出向する」という形を取るそうだ。

 ハンスも教会内で立場を築いている。

 それを捨てさせるのは心苦しい。

 それに、教会内部に身内の人間がいれば何かの役に立つかもしれない。

 なので、名目上は教会に所属したままアイザックの後見人をさせようというらしい。


「それに関しては構いません。ですが――」

「わかっている。事務局長の任期が切れる三年後には多額の寄付をさせてもらおう」


 モーガンとハンスが顔を見合わせてニヤリと笑う。

 ハンスもそれなりに野心があるのだろう。

 どうやら兄弟の情による頼みだけではなく、金銭面での取引もあったようだ。

「地獄の沙汰も金次第」と言うが、それは現世でも有効なのは言うまでもない。

 おそらく、ハンスの「ウェルロッド侯爵領への出向」という形を取った時も、相応の金額が動いていそうだ。


「まぁ、三年後に何があるのかはともかくとして、寄付していただけるのは教会関係者として嬉しい限りです」


 ハンスはヒゲに触りながら笑みを浮かべる。

 この場にはモーガンとハンス、アイザックの三人以外は誰もいないというのに白々しい言葉だ。

 いや、もしかするとアイザックの口から漏れる事を恐れているのかもしれない。

 大人でも口の軽い者が多い。

 子供の口の堅さを信じられないのも無理はない。


「アイザック、今日は午後から街や村の代官を任せている者達が集まる予定だ。そこで軽く会議をして慣れてもらおう。私も出席するが口出しはしない。領主代理として今やれる事をやってみせてくれ」

「はい、お爺様」


 アイザックの顔が緊張で強張る。

 一応、前もって一つは議題を用意しているが、上手く話ができるかどうかが不安だ。

 失敗してもいいと言われているが、やはり不安だった。


「ハンスも手紙に書いた通りにやってくれ」

「ええ、任せてください。よろしく頼む、アイザック」

「こちらこそご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。大叔父様」

「うむ、やれる限り手助けはしよう。ところで話は変わるのだが――」


 ハンスがアイザックに向かって話しかける。


「通商協定の時にも『エルフによる治療行為は教会の妨げとならないようにする』という条項が盛り込まれている。アイザックもエルフによる治療行為をさせぬように心に留めておくように」

「もちろんです」

「教会の妨げとならない状況をわざわざ作って治療する、という事をやらぬようにな」

「……もちろんです」


 これはハンスに言われるまでもない事だった。

 エルフとの交流再開で一番危機感を覚えていたのは教会関係者だ。

 教会は治療行為を行い、それに対する”寄付”という名目で金を集めるのが大きな収入源となっている。

 だから、彼らは魔力に優れるエルフによって、病院としての役割を奪われる事を警戒していた。

 教会の既得権益を侵す危険性はわかっていたので、アイザックもエルフに医者の真似事をさせるつもりなど毛頭なかった。

 少なくとも、今は。


「エルフには土木作業をメインでやってもらうつもりです。風雨に晒されれば魔法で整備された道も劣化するそうなので、一定期間で再度整備し直す必要があるそうです。ですので、エルフが治療行為に携わる余裕はありませんので安心してください」


 ハンスはアイザックの説明に満足そうにうなずいた。

 この件については、かなり心配していたからだ。

 協定に盛り込まれていても、アイザックなら何か抜け道を探したりしそうだと思っていたからだ。

 信用がないのは日頃の行いが悪いせいだ。

 エルフに治療行為をする余力がないというのなら、無理に医療業界に参入してこないだろうと安心する。


「アイザック、今日はハリファックス子爵も早めに来ている。私はハンスと話しているから、彼と話してきてあげなさい」

「はい、お爺様。大叔父様、それではまた後ほどよろしくお願いいたします」

「ああ、また後でな」


 アイザックは祖父の言う通り、ハンスに挨拶をしてから部屋を出ていった。

 祖父も弟と少し話したいのだろう。

 アイザックも、もう一人の祖父であるハリファックス子爵の事が気になっていた。

 ここは言われるままに一度会いに行くべきだろうと思っていた。



 ----------


 ハリファックス子爵のいる部屋に入ると、険しい顔で睨まれた。

 アイザックは一瞬たじろぐが、逃げるわけにもいかない。

 我慢して彼の正面に座る。


「お久しぶりです、お爺様」

「久しぶりだな……」


 挨拶を交わしても険しい顔をしたままだ。

 アイザックは居心地の悪さを感じる。

 険しい顔をしたままハリファックス子爵が話し出した。


「あの時、強引にでも連れていけば良かった」

「えっ?」

「連れ帰っていれば、あんな事をさせずに済んだのだ」


 アイザックは一瞬何を言っているのかわからなかった。

 しかし、すぐに理解した。


 ハリファックス子爵はアイザックが自らの手でネイサンを殺した場面を見ている。

「兄殺し」という禁忌を犯さねばならなかったアイザックの事を心配していたのだろう。

 険しい顔をしているのは、その時助けてやれなかった事を悔やんでいるのかもしれない。


「僕は後悔していません。ウェルロッド侯爵家の後継ぎとして、いつかは必要な事だったのだと思います」


 アイザックは堂々と言い切った。


 あの事件は自分が裏で仕組んだ事だ。

 身内の人間によけいな心配は掛けたくない。

 堂々と言い切る事で、ハリファックス子爵の心の重荷を少しでも軽くできればいいと思っていた。


「ウェルロッド侯爵家の後継ぎとして……か。確かにウェルロッド侯にとって、ただ一人の孫となった。もうハリファックス子爵家に来いとは言えなくなったな」


 ハリファックス子爵の顔は、寂し気な表情へと変わる。

 もしかすると、本気でアイザックとルシアに実家に帰ってこいと思っていたのかもしれない。

 それはそれで、かなり無茶な考えだ。

 だが、それだけ二人の事を心配していたのだろう。

 二呼吸ほどの時間を置いて、今度はキリッとした表情へと変わった。


「アイザック」

「はい」


 ――何か重要な話がある。


 そう感じたアイザックはとっさに姿勢を正す。


「先代当主であるジュード様のようになると、ウェルロッド侯から聞いた。それは本当か?」

「はい、本当の事です」


 アイザックはハリファックス子爵と目を合わせて答える。

 その目を見て、嘘ではないと感じたハリファックス子爵は一度深呼吸する。


「すでに実の兄を手に掛け、カーマイン商会すらやり込めた。おそらく、ジュード様を目指せる資質はあると思う。しかし、一度修羅の道を歩み出した以上は、もう休む事はできないぞ」

「……覚悟の上です」


(できれば、適度に休みたいけどさ……)


 そう思うがアイザック自身もわかっている。

 実力以上の物を望むのなら、その差額は実力以外の物で支払わなければならない。

 それが努力という対価であり、全てを望むのならば休んでいる暇などない。

 長く苦しい道のりだという事をわかっていた。


 だが、苦難が続く茨の道を避けるという選択肢はない。

 ネイサンとメリンダの二人の命を踏み台にした以上、彼らの死を無駄にしないよう高みを目指し続けなくては失礼だ。

 さらなる屍の山を築き上げ、夢まで辿り着く道を舗装しなくてはならない。

 それが今のアイザックの使命であった。


 アイザックの覚悟を感じ取ったハリファックス子爵は深い溜息を吐く。


「ジュード様を目指すというなら私では付いていけんだろう。だが、ある日ふと『疲れた』と感じた時に胸の内を聞いてやる事はできる。解決できるかどうかはわからんが、いつでも話しに来い」

「ありがとうございます、お爺様」


 アイザックがニコリと笑うと、ハリファックス子爵も笑みを浮かべる。


「ちなみに、ティファニーに怖がられている事で困ってるんですけど……」

「それはだな……。時間が解決してくれるのではないかと……」


 さすがにこの事はハリファックス子爵も困っているようだ。

 ティファニーも可愛い孫娘なので、アイザックと仲直りするように無理強いする事をしたくない。

 ハリファックス子爵は困った顔をする。


「プッ」


 その顔を見て、アイザックは噴き出した。

 ハリファックス子爵はアイザックの様子を見て”こいつ、困るとわかって言いやがったな”と、苦笑いを浮かべた。

 少し場の空気が和む。


 それからしばらくの間、二人は雑談を交わした。

 ウェルロッド領で主だった貴族達が集まる会議の前に、ハリファックス子爵と過ごした時間はアイザックの緊張を和らげてくれた。

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