第84話 ランドルフが塞ぎこむ事の影響

 ランドルフとは面会ができないので、自然とそれ以外の事から取り掛かった。

 アイザックはまず、ティファニーへの謝罪の手紙を書いた。

 他にも友達と呼ぶにはちょっと微妙だった関係の女の子達にも謝罪の手紙を送った。

 もちろん、花束とお菓子を添えてだ。

 お菓子のおかげか、とりあえず返事は送られてきた。

 そのほとんどが「まだ怖いから会うにはもう少し時間が欲しい」という内容だった。


 これはアイザックも当然の事だと受け止めた。

 いくらなんでも、普通の子供には刺激が強過ぎたという事はわかっている。

 ネットの掲示板で「エロ画像のリンクだ」と騙されて、グロ画像を何度も見せられていたアイザックでもネイサンを殺した後にトイレでこっそり吐いていたくらいだ。

 一時的に距離を置かれるのも当然だと理解していた。

 今はみんなに考える時間が必要な時だ。

 その事はよくわかっている。


 そのため、気分転換にアイザックはお菓子店の売り上げ報告を受けていた。

 完全に人任せでも良かったが、気を紛らわせるために必要だと思ったからだった。


(ヤベェ、仕事に逃げた爺ちゃんの気持ちがわかるかもしれない……)


 最初はなんとなく売り上げ報告書を読み始めただけだったが、報告書を読んでいるうちは確かに気を紛らわせる事ができた。

 何かに集中していれば気分が楽になる。

 嫌な事を忘れたい時は仕事に集中するといいという事がよく理解できた。


 前世では悩み事が仕事に関する事しかなかったので、仕事が逃げ場所になるなんて思いもしなかった。

 新たな発見ではあるが、仕事一辺倒もよろしくない。

 現実逃避していても、現実は好転したりしないからだ。

 何かを変えたいと思うのならば、現実と向き合わねばならない。


(とはいえ、今はやることがないし、少しくらいは現実逃避も悪くないか)


 父とは話していないが、それ以外の家族とはなんとか関係の修復ができそうだ。

 次にやる事は……、まだ見つかっていない。

 というよりも、何をすればいいのかわからないのだ。


 今まではネイサンを蹴落とすというわかりやすい目標があった。

 だが、目の前の目標を達成した事により、アイザックは「下剋上」という大きな目標と向き合わねばならなくなった。

 やらなくてはならない事はたくさんあるとはわかっている。

 しかし、やらねばならない事が多くあるからこそ、どこから手を付ければいいのかわからなくなっていた。

 こればっかりは、誰かに聞くわけにもいかない。

 自分で何をするか思いつくまで、少し時間を必要としていた。


「アイザック様、いかがでしょうか?」


 王都の店を任せているバートが問い掛けてきた。

 すでに菓子職人というよりも、経営者といった役割の方が多くなっている。

 そのせいか、以前よりも風貌に貫禄を感じられる。


「うん、売り上げはいいね。新店舗のために必要な菓子職人の育成待ちになっているのは仕方ない事だし、文句はないよ。よくやってくれている」

「ありがとうございます」


 バートは安堵の表情を見せる。

 デニスの妻と子が、国王であるエリアスの許しを得てカーマイン商会に引き取られた。

 その事は王都でも噂になり広く知られていた。

 その後、アイザックが何をやったかまでは詳しく広がっていないが「アイザック・ウェルロッドがカーマイン商会に妹と甥を引き渡させた」という噂が広まっている。


 ――王の許しを得た犯罪者を、どうやったのか引き渡させて処刑する。


 その事実だけで、アイザックがとんでもない人間であるという事がわかる。

 良くも、悪くもだ。

 ここでアイザックに呆れられるようなことがあれば、彼は生きた心地がしなかっただろう。


「とりあえず、人材を育成し終えるまでは現状維持かな。例のキャンペーンはどんな感じ?」

「キャンペーン自体は問題無さそうです。容器の確保も問題ありません」


 アイザックの言っているキャンペーンとは「バレンタインデーにチョコレートを女性が男性にプレゼントする」というものだった。

 ホットチョコレート二杯分のチョコを小瓶に入れて販売する予定だ。


 ――告白が上手くいけば、二人で砂糖を加えて甘いホットチョコレートを味わう。

 ――告白に失敗したら、砂糖無しのホットチョコレートで恋に破れたほろ苦い思いを味わう。

 ――愛とまではいかない、ほのかな思いを伝えたい時のプレゼントにチョコレート。


 といった複数の宣伝文句を押し出して売り出す予定だった。

 今はまだチョコレートの価格が高く、気軽に食べられる者は少ない。

 価格が下がるまではイベント用品としてアピールし、年一回の贅沢として定着させていくつもりだった。


「チョコレートを貰えない悲しみをお前達も味わえ」という思いがなかったとは言わない。

 今世ではかなりのイケメンに育っているので、自分が貰えないという危険性は考えていない。

「危ない奴」という噂が付いて回っていても、顔と家柄が良ければ誰かしらくれるだろうという考えだった。

「そもそも、チョコレートってウェルロッド侯爵家が販売しているからアイザックには必要ないよね」と思われる可能性については、まったく気付いていなかった。


「それじゃあ、キャンペーンをやってみよう。定着するまでに何年か掛かるだろうけど、そこは気長にやっていこう」

「はい、ではやってみます」

「頼んだよ」


 話が終わるとバートは出ていった。


(うん。やっぱり、仕事に集中してると結構気が紛れるな。新しい発見だけど、仕事にのめり込み過ぎると爺ちゃんみたいになるから気を付けないと)


 仕事は大切だ。

 しかし、そればっかりでは失う物も多くなる。

 その事がよくわかっているだけに、現実逃避はほどほどにしないといけない。

 まだ父との関係改善は終わっていない。

 気まずくても、まずは家庭内の事と向き合わねばならないのだから。



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 夜は祖父とチェスを一局か二局やるようになっていた。

 そして、対局中に軽い雑談をする。

 モーガンなりに考えた孫とのコミュニケーション手段だった。

 これはアイザックも歓迎していた。

 仲直りの一環でもあるし、外部の情報が入ってくるからだ。


「フィッツジェラルド伯が、今度の人事で元帥に任命され国軍を任される事になった」

「どんな方なんですか?」

「武官ではあるが軍政畑出身の物静かな人物だ。去年はウォリック侯、今年はウィルメンテ侯と続けざまに二人の軍の柱が亡くなった。そのため、軍を落ち着かせる間の繋ぎだと言われている」

「それは可哀想ですね……」

「だが、誰かがやらねばならん事だ」


 責任ある立場を任されるのは光栄だろうが、混乱を収めるためという厄介な事だけを任されるのは不運だ。

 どちらも自分が関係しているだけに、アイザックはフィッツジェラルド伯爵に同情した。


「フィッツジェラルド伯は領地を持たないものの、建国時からある名家でもある。陛下としては信頼して重責を任せられる相手だろう」


「誰に任せよう」と迷った時に「とりあえず彼に任せておけば良い」と思われるくらい信頼されているからだと、モーガンが貧乏くじを引かされた理由を話した。

 

「他にもあるぞ。ブランダー伯爵領で埋蔵量が豊富そうな鉱脈が見つかった。元々ウォリック侯爵領と隣接した領地だから鉱脈があるのは予想されていたが、今まではウォリック侯爵に遠慮して探されていなかった。だが、ウォリック侯爵領が混乱したせいで山師が流出し、何気なく探させてみたら鉱脈が見つかったようだな」

「それは……、ウォリック侯爵領はこれからどうなるんでしょうか?」


 なんとなく予想はできるが、聞いて確認してみないといけない。

 予想が間違っている可能性もあるからだ。


「直ちに影響はないだろう。だが、混乱が続くようであれば技術者の流出が止まらなくなる。ブランダー伯も利益になるのがわかっているので、ウォリック侯の反感を買う事を覚悟の上で技術者をコッソリ受け入れるだろう。そうなると、将来的にはウォリック侯爵領の主要産業である鉱物資源の販売に影響が出るはずだ」

「弱り目に祟り目ってやつですね……」

「うむ、そうだな」


 鉄や銅といった鉱物資源の販売量が減ったら、農産物の生産量が少ないウォリック侯爵領は壊滅的打撃を受けるはずだ。

 だが、今はエリアスによる強制的な減税のせいで混乱が続いており、地下資源の生産量も全盛期よりも減っている。

 ブランダー伯爵領で安定して採掘できるようになれば、安定供給を期待できるそちらと取引する者も増えるだろう。


 ――減税で税収が減り、税収が減って食料をまとめ買いできなくなったせいで領内が混乱する。

 ――そのせいで鉄などの生産量が減り、安定供給が期待できるブランダー伯爵領に客が流れる。

 ――客がブランダー伯爵領に流れれば税収が減り、さらに領内が混乱するだろう。


 ウォリック侯爵は負のスパイラルから抜け出せないでいる。

 もうこれは個人の能力で処理できる範囲を超えている。

 あまりにも不幸過ぎて、アイザックは彼を哀れに思った。


「おかげでウォリック侯と顔を会わせると二回に一回は『娘をアイザックの婚約者にどうだ?』と言われる。一応支援はしているのだが、より密接な関係になってより多くの支援が欲しいのだろうな」

「お爺様、それは……」


 最後まで言うまでもないと、モーガンはうなずく。


「もちろん断っている。以前交わした約束を忘れてはいない」

「ありがとうございます。しかし、そこまでウォリック侯爵領は混乱しているのですか?」


 一年経っても混乱し続けている事にアイザックは疑問を覚えた。

 前世のニュースで見た外国の暴動も、そこまで長く続くような事はなかったからだ。


「命に係わる食料に関するものだからだ。いくら平民でも食料が不足し、命に危険が及べば貴族にも反抗する。不足しているのが酒などの嗜好品であれば、一時的な事として我慢できるだろうが、食料は我慢はできないからな」

「食事をしなければ死んじゃいますもんね」


 ウォリック侯爵領は税金を高くする代わりに、侯爵家が食料をまとめ買いするという制度がある。

 減税を強制されたせいで、その制度が崩壊してしまった。

 もちろん、食料自体はある。

 だが、まとめ買いするよりも値段が高くなるので、平民が実際に口にする量が少なくなる。

 しかも、商人達がウォリック侯爵領の混乱をこれ幸いにと値を釣り上げたせいで、平民達は購入し辛くなっていた。


 これもアイザックが――こんな事になるとは思っていなかったとはいえ――引き起こした事だ。

 ニコルに婚約者を奪われるウォリック侯爵家のアマンダは、どちらかというと助けてあげたかった方なので申し訳ない気持ちになる。

 心の中で何度謝った事か。


「アイザック、お前も覚えておけ。これは来年の我らの姿かもしれないのだと」

「どういう事でしょうか?」


 今のウェルロッド侯爵領は安定している。

 食料も自給自足できるので問題はない。

 混乱するという理由がアイザックにはわからなかった。


「もし、ランドルフが心の病を負ったままでは……。ウェルロッド侯爵領の統制が緩むと思った商人達が商品の値上げに踏み切るかもしれん。そうなると、ウォリック侯爵領ほどとはいかずとも、多少なりとも混乱は起きるだろう」

「そうですか……」


 世知辛い世の中だ。

 弱ったと見られたら食い物にされる。

 少なくとも、見かけ上は強いと見せかけ続けねばならない。


「それでだ。もう少し様子を見て、ランドルフが立ち直れそうになければ……。ハンスを一時的に呼び戻そうかと思う」


「ハンス」という名前を聞き、アイザックは一瞬戸惑った。


「あぁ、お爺様の弟の。教会に入っているのに呼び戻したりしてもいいんですか?」

「それに関しては、教会の同意の上ならかまわない。還俗して貴族の家を継いだという例は歴史上いくらでもある。ランドルフの様子次第で、ハンスを呼び戻して後見人とし、お前を領主代理にするつもりだ」

「えっ、僕がですか!?」

「そうだ」


 これはまったくの想定外の事態だった。

 せっかく自由に行動できるようになったのだ。

 たとえ名目上だけの存在だったとしても、領主代理になんてなってしまえば行動が制限されてしまう。


「でも、僕は領主の事なんてわかりませんよ?」

「領主の仕事に関してはハンスが知っている。あいつも父上に教育されていたからな」

「何十年も前の事なんですよね? 大丈夫なんですか?」

「その事は多少不安ではあるが、フランシス達秘書官や政務官達が補助する。どうしても難しい場合は私に早馬を送って聞くといい。だが、これは決定事項ではない。ランドルフ次第だ」

「はい」


 ――ランドルフ次第。


 そう言われても、今の状況を考えるといきなり快方に向かうという事は難しく思える。

 こうしてアイザックに領主代理の話をするという事は、モーガンもそう思っているからだろう。

 だから、弟のハンスを呼び戻すという考えが出てきたのだ。

 名目上のお飾りとはいえ、突然の重役にアイザックは喜ぶより困惑していた。

 アイザックの不安を見て取ってか、モーガンはフォローを入れる。


「もし、お前に任せる事になるとしてもだ。まずは王都で傘下の貴族を集めて何度か会議を行う。そこで領主代理としての軽い練習をするんだ。その時は私も付き添うから安心しろ」

「はい……」


 安心しろと言われても安心できる要素などない。

 前世ではアルバイトのシフト調整や、レジ締め。

 店長が休みの日に材料の発注や商品の売り上げ報告くらいしかやった事がない。

 責任のある立場に慣れていないので、不安で仕方なかった。

 地道に領主の勉強をして、用意を終えてから領主代理になるのとは違うのだ。


 ――野心はあるが能力がない。


 その事を自覚しているだけに、準備が終わっていない事をやってボロが出るのは困る。

「なんだ、アイザックってあんな程度だったのか」と思われでもしたら、将来的に大きな悪影響を与える事になる。

 素直に「チャンスだ」と喜べなかった。


「チェックメイトだ」

「あっ」


 話している間もチェスは続けていた。

 だが、この時ばかりはチェスではなく、まるで自分の人生に「チェックメイト詰み」だと言われたような気分になってしまった。

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