第76話 マーガレットとの対話

 しばらくして、二人は泣き止んだ。

 泣き止んでみると、抱き合って泣いているのが気恥ずかしくなる。


「まったくもう。心配させたお詫びは、大人になってもパーティーに付けていけるようなブローチでいいわよ」


 リサはハンカチで鼻水を噛みながら言った。

 女が物をねだるにしては、あまりにも色気の無い姿である。


「あまりにもストレート過ぎる要求に驚くんだけど……。とりあえず、ブローチはやめたほうがいいんじゃない?」

「なんでよ?」

「若い女の子はイヤリングとか指輪を付ける方が良いんだって。ブローチやネックレスは美貌に自信が無くなってきたおばさんが、男の視線を胸元に逸らすために使う物だ。……って、本に書いてた」


 実際は、前世で友達に聞いた話だ。

 若い女の子はイヤリングで自分の顔に視線が行くようにする方がいいらしい。

 問題があるとすれば、その雑学を話していた友達が男であり、女性にまったくモテていなかったことくらいだ。


「じゃあ、イヤリングでいいわ。入学祝いのパーティーに付けていけるようなのをお願いね。男爵家の娘が付けていても悪目立ちしないよう派手すぎず、地味すぎないのをね」

「幅が限定され過ぎて、逆に難しいんだけど……」

「そこを何とかするのが男の甲斐性ってものよ」

「凄い無茶振りだね」


 アイザックは笑った。

 今はこういう他愛のない話が嬉しい。

 リサは物をねだるような子ではないと知っているので、冗談で話してくれているのだろうとアイザックは受け取った。


「いい? これからはちゃんとお爺さんやお父さんに相談するのよ。話さなきゃ何にも伝わらないんだから」

「うん。反省すべきところは反省して、同じ事を繰り返さないようによく考えるよ」


 ――今度は上手くやる。


 それがアイザックの本音だ。

 中には相談できない類の内容もあるだろう。

 それ以外はできるだけ相談しようとは思っている。


 今必要とされているのは、過ちを犯さない事ではない。

 同じ失敗を繰り返さない事だ。


「ほら、顔を拭いてあげるからジッとしてて」

「ちょっと待って、待って」


 アイザックは顔を背ける。

 リサがアイザックの顔を拭こうとするからだ。


 ――鼻を噛んだハンカチで。


「恥ずかしがらなくてもいいじゃない」

「いや、そうじゃなくて。あっ……」


 ベチャリ、と顔に湿ったハンカチの感触を感じた。

 不快さに思わず顔を歪める。

 リサもアイザックの反応でわかったのだろう。

 慌ててハンカチを離す。


「ごめん、ごめん。そういう事は早く言ってよ」


 リサの笑いのツボにハマったのか、彼女は笑い始める。


「こっちは笑い事じゃないだけど……」


 やられたアイザックは苦笑いをするしかない。

 自分のハンカチを取り出して顔を拭こうとする。

 その時、ドアがノックされた。


「どうぞ」


 アイザックが入室を許可すると、アデラが現れた。


「あらあら、どうしましょう」


 二人の泣き腫らした目を見て困惑するが、まずはアイザックに近寄った。


「私も色々と話したい事があるんですが……。マーガレット様がアイザック様をお呼びです。顔を洗って行きますか?」


 凄惨な有り様を見かねたアデラがアイザックの顔を拭き始める。


「うん、そうするよ。リサお姉ちゃんはパトリックの相手をしてくれない? ここ数日遊んでやれなかったからさ」

「いいわよ。でも、私も顔を洗ってからね」


 リサも泣いたせいで顔がぐしゃぐしゃだ。

 顔を洗いたいという気持ちがよくわかる。


「それじゃあ、二人とも顔を洗いに行きましょう」


 アデラがアイザックを連れていく。

 その後ろをリサが付いていった。



 ----------



「アイザック、こちらへいらっしゃい」


 部屋に着くと、マーガレットが自分の隣に座るように勧めてきた。


「はい……」


 何を言われるのかわからないアイザックは不安そうな表情を浮かべる。

 だが、いつかは対話が必要だと思っていたので逃げたりはしなかった。

 言われるがままに、祖母の隣に座る。


「あなた達は下がっていいわよ」


 マーガレットはアイザックの分の紅茶を用意したメイド達に退出を命じた。


「お婆様……」


 メイド達に退出を命じた時点で、人には聞かせられない話をするという事が理解できた。

 問題はどこまで突っ込んだことを聞かれるのかだ。

 アイザックは答え辛い秘密をいくつも抱えている。

 そこまで踏み込まれて聞かれるのは正直なところ不安だった。


「アイザック、あなたを突き放してごめんなさい。……それと、いくつか話しておきたい事があるの」


 メイド達が出ていったのを確認してから、マーガレットは口を開いた。


「メリンダには大勢の支持を取り付ける事ができたのなら、継承権でネイサンを優先させると伝えていたのよ」

「えっ」


 その事は初耳だ。

 アイザックは驚いた。

 だが、マーガレットは淡々と話を続ける。


「以前、あなたがエルフとの交流をしたいと言ってきた時の事覚えてる? 将来どうなるかわからなくて不安だって言ってたでしょう? あの時には、すでに伝えていたのよ」


 アイザックは両目と口を大きく開けて驚いている。

 そんな事を言っていたなど、思いもしなかった。


「あなたとルシアのためよ。元々、この国では長子相続が基本。なのに、次男のアイザックを優先すると決めたランドルフの決定に無理があった。だから、支持を集める事ができればネイサンに相続を譲らせるとメリンダに伝えたの。そうすれば、傘下の貴族の支持を集めるだけで家督を相続できると思って、危害を加えたりしなくなるでしょう? 前々からご機嫌取りをする者が多かったし、心に余裕を持てるから焦って変な行動をしないはずだったの」


 マーガレットは紅茶を一口すする。


「でも、なんでそんな方法を?」


「野心を見せればネイサンから継承権を取り上げる」など、メリンダの頭を押さえつける方法だってあったはずだ。

 わざわざ、尻を叩くような真似をする必要性がわからなかった。


「あなたのためになると思っていたのよ。あなたはティリーヒルに行きたいだとか、エルフと交流したいって事は言っていたけれども『後継者になりたい』とは言わなかったし、感じさせなかったでしょう? だから、あなたに継承させる事にこだわる必要がないと思ったのよ」

「それは……、何というか……」


 ――アイザックが後継者になりたいという意思表示をしなかった。


 それだけの事。

 だが、かなり大きな事だったようだ。

 確かに以前、将来どうなるか不安で身を守りたいという話はした。

 それが意外な形で行われていたと知り、アイザックは混乱していた。


「それにね。本来ならば問題が顕在化するのはもっと先だったはずなのよ。あなたが侯爵家の後継者という地位を理解し始める頃、あと五年くらいは先だと思っていたわ。そうなった時に、どちらが後継者にふさわしく成長しているかを見るつもりだったのよ。最近はネイサンも成長が著しかったしね」


 アイザックの身の安全を守りつつ、後継者として競争をさせるつもりだったと聞かされ、アイザックは何とももどかしい思いをする。


「競争させるのでしたら、少しくらい手助けをしてくださっても良かったのではありませんか?」


 当然の疑問がアイザックの口から出る。

 これにはマーガレットも困ったような顔をした。


「そうなのよねぇ……。でも、ブラーク商会の事やエルフとの事を考えると、多少はハンデを付けなきゃいけないっていう結論になったのよ」

「ハンデって……」


 アイザックは唖然とする。

 そして、すぐに気を取り直した。


「いくらなんでも酷過ぎませんか!」

「確かにそう思ったんだけどね。けど、あなたなら何とかするんじゃないかって思ったらつい……、ね。その点は謝るわ。ごめんなさい」


 ――ハンデがありながらも勝利した。


 その事実がある以上、ハンデ差に関して文句を付け辛かった。

 ハンデがあったからこそ、ネイサンが成長していく姿も見れた。

 今となっては、無駄になってしまったが……。


「……お爺様はどこまでご存じなのですか?」


 アイザックは浮かんだ疑問を質問する。

 今話されている内容だけでも、人間不信になってしまいそうだ。

 もし、祖父まで全てを知っていて、あのような反応をしたのなら人を信じられなくなるだろう。


「メリンダに話をして、後継ぎに希望を持たせるところまでよ。あの人は良い人だけれど、仕事を優先させて『家庭内の事は女に任せる』っていう点だけはちょっとね……」

「あぁ……」


 アイザックには覚えがある。

 前世でもそうだった。

 父は仕事優先で、家庭の事は母に任せきりだった。

 その事を母が愚痴っていたのを覚えている。


 モーガンも同じように、マーガレットに任せきりだったのだろう。

 だから、家庭内の事を全て把握できていなかった。

 表面的な事だけを見て、実情を知らなかったのだろうと思われる。


「私もいくら何でも、命の取り合いにまで発展するなんて思わなかったのよ。それで思ったんだけど、メリンダかネイサンが動き出すきっかけになりそうな事が何かあった? あまりにも動きが性急過ぎるのだけれど?」


 ――何かあったか?


 そう聞かれても、全てを正直に話すのは躊躇われた。

 祖母も無自覚になかなかエグイ事をする。

 彼女に手の内を全て明かすのは「あまりよろしくない」と直感的にアイザックは思った。

 ネイサンがいなくなったので、何をしたのか全て話してもいいとは思う。

 だが、内容が内容だけに、関係が今以上にこじれてしまう事を恐れたからだ。

 当たり障りのなさそうな事だけ話す事に決めた。


「九月頃、兄上に後継者を諦めろと言われました。その時、諦めないと答えましたので、それじゃないですか」

「なるほどね。あなたが後継者の座を譲る気がないと知ったメリンダが焦った……。それにしてもおそまつなものね。意思表示するという事は、それなりの用意があるという事。明確な差ができる前にと焦ったんでしょうけどねぇ……」


 マーガレットは、また溜息を吐く。

 パーティーの様子を見る限り、貴族の切り崩しは以前から進んでいたはずだと思った。

 ある程度態勢が整っていたから、アイザックも後継者を譲らないと言ったのだと、マーガレットは考えた。

 その事にまで考えが至らなかったメリンダに対しての溜息だった。

 さすがにマーガレットも、アイザックが裏で全て仕組んでいた事にまでは考えが及ばなかった。


「お婆様があの時怒っていたのはなぜでしょうか? 競い合った結果が出たというだけの事。怒る必要などなかったのではないですか?」


 アイザックは話を聞いていて、疑問に思った事を質問する。

 予想よりも早く結果が出たとはいえ、競い合わせていたのならいつかは結果が出るのは当然である。

 その結果に怒るのは理不尽だという思いもあった。


「それはネイサンを殺したからよ。あなたが大きくなって結婚するまでに、病気になったり事故で死んだりするかもしれないでしょう? 家の存続を考えれば、あなたに子供が産まれるまで、嫡流の子供は残しておきたかったのよ」


 マーガレットは「ネイサンを殺した」という事よりも「後継ぎの予備を殺した」という事に怒っていた。

 その事を知り、アイザックは少しイラつきを覚える。

 だが、マーガレットを責めたりはしなかった。

 アイザック自身、清廉潔白な人間だというわけではない。

 それにお家の存続という事を考えれば、決して間違った考えではない。

 彼女が間違っていたとすれば、競わせているのにコントロールを上手く取り切れなかった事だ。


「でも、冷静になって考えれば考えるほど、あなたは悪くなかったという事に気付いたわ。ダメなお婆ちゃんでごめんなさい」


 マーガレットがアイザックに謝った。

 家庭内の事を任されていながら、舵取りを上手くできなかった。

 その事を悔やんでいる。

 アイザックとしても、今後の事を考えれば家族と険悪な状態でいるのは避けたい。

 ここは謝罪を受け入れる事にした。


「いえ、僕ももっと自分の気持ちを伝えたりするべきでした。すみませんでした。兄上をこの手で殺した僕が言うのもなんですが……。メリンダ夫人を迎え入れたり、お母様との間にできた子に継承権を優先させると強情を張ったお父様が一番悪い気がします」


 これだけ複雑な環境を作ったのはランドルフである。

 その意見にはマーガレットも賛同した。


「そうね……。あの時、もっと上手く話をまとめられていたら、あなたに辛い思いをさせなくて良かったわね……」


 マーガレットはアイザックを抱き寄せる。


「ごめんなさい……」


 マーガレットの頬に一筋の涙が流れた。

 様々な事を成し遂げてきたとはいえ、本来ならばまだまだ庇護すべき幼い子供だ。

 

 ――アイザックなら、ネイサンを殺さずに上手くあの場を収められたのではないか?


 そのように思って、辛く当たってしまった事を反省している。

 彼女も自分が「まだ幼いアイザックに期待し過ぎて重荷を背負わせていた」という事をようやく理解した。


「いえ、僕も家族とのコミュニケーションをもっと重視するべきでした。ただ『継承者になるつもりがあるのか?』といった重要な事は、あらかじめ聞いてくだされば助かります」

「そうよね……。本当に馬鹿だったわ……」


 マーガレットはアイザックをギュッと抱き締めた。

 とりあえずの和解ができた事にアイザックは安堵する。

 しばらくはギクシャクとした関係が続くだろうが、それは時間が解決してくれるだろう。


 ――しっかりと向かい合って話をする。


 アイザックはその大切さを噛み締めていた。




 マーガレットとの話が終わり、アイザックは廊下を歩いている最中に考え事をしていた。


(これなら、爺ちゃんとも腹を割って話せば和解できそうだな。問題は親父だ)


 ランドルフはあの日以来自室に引き籠っている。

 女房、子供を同時に失った心の傷は深いようだ。

 話ができる状態になるまで時間がかかるだろう。

 それまでは気まずい関係のままだ。


(いや、親父には悪いが、しばらくはこのままでいいのかもしれない)


 今はまだ、お互いに落ち着く時間を必要としている。

 顔を合わせるまでに、少し時間を置いたほうがいいかもしれないと考えていた。


(問題は領主だよな……)


 今、ウェルロッド侯爵家直系の男子は三人しかいない。

 モーガン、ランドルフ、そして自分。


 ――もし、ランドルフが心を病んでしまったら、領主代理は誰になるのか?


 考えるまでもない。

 たとえお飾りだろうが、アイザックが領主代理を任されるはずだ。

 名目上の肩書きであろうとも、それはかなりの重責となる。

 行動の自由も制限されるだろから、諸手を挙げて喜べない。


(まぁ、その辺りの事を考えるのは爺ちゃんと話してからだな)


 話をせずに思い込むのは危険だ。

 まずはモーガンと話をする必要があった。

 だが、ここ数日は朝早く出掛けて、夜遅くに帰ってきているようだ。

 おそらく、王家や他の貴族と今回の件について話でもしているのだろう。


(あとで誰かに『お爺様と一度ゆっくり話がしたい』って伝言を頼んでおこう)


 アイザックは泣く事を止めた。

 時間が経って関係が完全にこじれてしまう前に、話し合ってこじれを解きほぐす事を選んだ。


 そうと決めたアイザックは、リサとパトリックが待つ部屋へ向かう足取りが少し軽くなっていた。

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