第77話 ブリジットの怒り
話し合いの予定は、翌日の朝には決まっていた。
モーガンが出掛ける前に「今日は早めに帰るから、夜話し合おう」と伝言を残していたからだ。
だが、話し合いが決まれば決まったで、アイザックは負担を感じていた。
(拒絶されたらどうしよう……。顔を潰したようなもんだしなぁ……)
ウェルロッド侯爵家主催のパーティーで問題が起きた。
普通に考えればメリンダとネイサンが悪いが、アイザックが二人の行動を知って罠を仕掛けていた事を勘付かれている。
アイザックにも責任があると思われているかもしれない。
いや、確実に思われている。
そうでなければ、怒られたりしなかった。
(この方法でいけると思い込んで、それ以上深く考える事をやめたせいだ。家族への影響なんて、真っ先に考えるべき事だったのに……)
考えれば考えるほど気分が落ち込んでいく。
こんな時は気分転換をしたいところだ。
だが、その相手がいない。
リサも毎日来るわけではないし、ティファニーには怖がられている。
身近にいて気楽に話せる相手といえばブリジットだったが、彼女との間には微妙な空気が流れている。
なんとなく話しかけ辛い。
(いや、だからこそ話しかけるべきだろう。俺がやった事で微妙な関係になったんだ。なら、俺から歩み寄るべきだ)
前世で似た事があれば「話すきっかけが欲しいから、相手から話しかけてくれないだろうか?」とウジウジしていただろう。
だが、今世では前世とは違う生き方をすると決めている。
こういった時に自分から話しかけるというのは、ちょっとした変化でしかない。
しかし、些細な変化であっても変化は変化だ。
そして何よりも、アイザックは行動するという事の大切さを学んでいる。
ウォリック侯爵家の時は行動した事が大変な事態を引き起こした事は記憶に新しい。
その一方で、エルフの時は友好的な関係を築く事ができた。
行動する事が、必ずしも悪い結果を残すとは限らない。
ブリジットと仲直りするには、まず行動だ。
まずは「辛い思いをさせてごめんなさい」と謝らなければ、関係の修復も始まらない。
アイザックはブリジットのいる書斎へと向かった。
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王都の屋敷は娯楽関係の書物が少ない。
これは主に仕事で使ったり、勉強に使う資料が多いせいだ。
ウェルロッド侯爵家は代々文官の家系なので、特に歴史関係の資料が揃っている。
クロードはそこで過去の資料を使い、ブリジットに説明をしていた。
――人間という種族に関してを。
クロードがアイザックに気付き、先に声を掛ける。
「どうした?」
「あの、えっと……」
アイザックは先に声を掛けようと思っていた。
なのに、クロードが先に反応したせいでアイザックは言いだし辛くなる。
ブリジットの冷たい視線も合わさって、何とも言えぬ重たい空気だ。
だが、意を決してアイザックは口を開いた。
「兄上の事なんだけど……。驚かせて……、というか悲しませてごめんなさい」
言い終わってから頭を下げる。
(言えた)
最難関の謝罪を口にできた事に安堵する。
まずはボールを投げた。
あとはどのようにボール返されるかを待つしかない。
その時、ガタリと椅子から立ち上がる気配を感じた。
「何言ってるのよ! 謝るなら私達じゃなく、ネイサンにでしょう! なんでお兄ちゃんを殺したりしたのよ!」
ブリジットの怒声が書斎に響き渡る。
そんな彼女の肩にクロードが手を回し、落ち着かせるように軽く叩きながら椅子に座らせる。
「ブリジット、言っただろう? 人間というのは同族でも殺し合う生き物だと」
クロードは優しい声で諭すようにブリジットに語り掛ける。
「でも!」
「落ち着け、ブリジット」
クロードはチラリとアイザックを見る。
そして少し悩んだ後、ブリジットに説明し始めた。
「例えば、森の中で狼が縄張り争いで殺し合っていたらどう思う?」
突然の例え話。
ブリジットは少し戸惑うが、問いに答える。
「別に何も……。だって、そういうものじゃない」
「そうだ。人間もそういうものなんだ」
「違うでしょ! だって、人間は――」
「一緒なんだ!」
抗議の声を上げるブリジットに、クロードは強い口調で「同じだ」と告げる。
「獲物は目で見えるが、森の縄張りは目に見えないだろう? それと同じく、人間も金や物といった目に見える物だけではなく、権力という目に見えない縄張りのような物を奪い合うんだ。言ってみれば、ネイサンはアイザックに縄張り争いで負けた。それだけだ」
アイザックがチラリと机の上にある本を見てみると、どうやらそれは歴史書のようだ。
おそらく、クロードがブリジットに「人間は同族で争う生き物だ」と説明していたところなのだろう。
「でも、人間なのよ! 動物じゃないのよ!」
だが、ブリジットも簡単には受け入れられなかったようだ。
クロードに反論する。
「見た目がエルフに似ているから誤解しがちだが、人間はエルフとまったく異なる種族だという事を忘れてはいけない。それは考え方や行動も違うという事だ。同じに考えてはいけないんだ」
対するクロードは冷静に答える。
またチラリとアイザックを見た。
どうやら、アイザック――もしくは人間全体――のカバーをしようとしてくれているのだろうが、彼の話は人間にとってあまり聞きたくない内容だ。
彼なりに気を使ってくれているのだろう。
だが、アイザックに立ち去るつもりなど無かった。
「そのまま続けて」と仕草で促す。
「いいか、お前はまだ人間と接触し始めたばかりだ。だから人間に『こうあってほしい』という理想像を持っているんだろう。だが、そんなものは捨ててしまえ。人間というのは自分が欲しい物のためにいくらでも残酷になれるものなんだ」
「でも、アイザックはまだ子供なのよ。子供なのに同族、それも兄を殺したりするの?」
ブリジットの質問に、クロードは一瞬言葉が詰まる。
「俺の知る限り、そんな子供は……いなかった。まぁ、ほら。そこはアイザックだしな」
「フォローするなら、そこもフォローしてよ!」
話を邪魔しないように見守っていたアイザックも、今の言葉は見過ごせなかった。
クロードが苦笑いを浮かべる。
「さすがに……な。人間の子供が人を殺す場面は今までにも見た事がある。だが、木の上で相手を落としてしまったとかの事故ばかりだ。故意に人を殺すような子供は俺も初めてだ。それにネイサンを殺した事を差し引いても、お前は普通の子供ではない」
「酷い!」
酷いとは言ったものの、
前世の記憶がある以上、その記憶を使うか否かは関係無く普通ではないからだ。
しかも、王位簒奪まで考えているので、認めざるを得ない。
「なんでクロードは落ち着いていられるの? もっと色々と反応があってもいいじゃない」
ブリジットはクロードの反応を不思議がっている。
彼が驚いたのは「アイザックがネイサンを殺した」と聞いた時くらいで、その後はブリジットからすると奇妙なくらい落ち着いていた。
「少なくとも俺はお前より人間という物を知っているからな」
クロードは軽く溜息を吐く。
そして、昔を思い出すかのように遠い目をして語りだした。
「人間とは考え方が違うというだけではなく、寿命が違う事も非常に大きい。五十年後、お前はどうなっていると思う?」
クロードはブリジットに五十年後の事を問う。
「周囲を魅了するグラマラスな美女?」
「プッ――痛い痛い、本当に痛い!」
アイザックはブリジットの答えに思わず噴き出してしまった。
その代償として、今までにないくらいきつく頬をつねられてしまう。
これはアイザックが悪いが、ブリジットにも責任がある。
エルフは森の中で行動しやすいように進化したのか、皆がスレンダーな体付きをしている。
今のブリジットの体型も細身である。
将来的にどこまで成長するのか疑わしいものだった。
またしてもクロードが苦笑いを浮かべる。
彼も、かなりの無茶を言っていると受け取ったのだろう。
「まぁ、お前がどの程度成長するかは別としてだ……。五十年後は大人の女性になっている。だが、アイザックは死んでいる可能性が高いんだぞ」
「人の恨みを買って殺されて?」
「……その可能性もあるが老衰でだ」
「そこも否定してよ」
頬を擦りながらアイザックは抗議の声を上げるが、クロードはその声を無視して続ける。
「エルフにとって五十年は成長したなと思える程度の長さだ。だが、人間にとっては人生の全てといえる長さでもある。それの意味するところがわかるか?」
ブリジットは首を横に振る。
彼女にはそれが意味するところがわからないからだ。
「自分が全然年を取っていないのに、人がどんどん死んでいくのを経験する事になるんだ。ただ年を取って死んでいくだけじゃない。争いで死んでいく奴だって少なくない。そして――」
クロードは悲しそうな目をする。
「――年々、友人が変わっていく様を目の当たりにするんだ。自分は子供のままなのに、人間の友達はどんどん成長していく。俺の友達の中には、子供の頃は良い奴だったのに、大人になってから理由もなく人を傷つける行為をする事に抵抗がなくなる奴だっていた。俺はそういう奴らを大勢見てきた。まだ権力争いっていう理由があるだけ、アイザックはマシな方なんだぞ」
クロードの話を聞き、アイザックは以前考えた事を思い出す。
(やっぱり人間は反面教師みたいな存在だったのか……)
クロードは三百歳以上。
二百年前の戦争までは人間と暮らしていたのだろう。
子供の頃は純真であっても、年を取るにつれて心が汚れていく。
人間はエルフよりも成長が早いだけに心の変化も早い。
エルフの成長速度からすると、心身共に目まぐるしい変化に見えたはずだ。
クロードは自分の友人達の変化を見て、様々な事を学んだのだろう。
だから、今の状況もなんとか受け止められている。
だが、人間から隔絶された世界で育ったブリジットには、そのような経験が無い。
経験の違いが二人の反応の違いだった。
「ブリジット、お前が大使に選ばれたのはアイザックと出会ったというだけではない。若い世代が人間社会で上手くやっていけるかを確かめるためでもある。今回の件が耐えられないなら、誰か他の者と交代して森に帰ってもいいんだぞ」
ブリジットは下唇を噛んでうつむいた。
何を考えているのかはわからない。
アイザックは彼女がどのような答えを出すのかを見守った。
「わからない……」
「わかる必要などない。人間とはそういう種族だと割り切るんだ」
何ともひどい言い草だ。
しかし、彼なりにブリジットを落ち着かせ、現実を受け入れさせようとしているようだ。
「……すぐには無理だと思う」
ブリジットがポツリと呟く。
だが、クロードは残念そうな顔をしなかった。
彼も幼い頃は様々な葛藤があったはずだ。
おそらく自身の経験から、すぐに受け入れられる事ではないとわかっていたのだろう。
「そうか。ネイサンの事を悲しむなとは言わない。だが、いつまでも引きずるのは良くない事だ。アイザックもこうして仲直りしに来ている。ここは一発引っ叩いて終わりにしておけ」
「ちょっと、クロー――」
アイザックの抗議の声はブリジットの平手打ちによって中断させられた。
「私だって少しは人間に関して勉強するつもりだったから、今回は良い勉強になったって事にしておいてあげる。私は心が広いからね」
「いや、叩いている時点で広くないから」
新しい痛みが走った頬を撫でながら、アイザックはブリジットを非難する。
「何よ。もう一発いく?」
ブリジットが平手打ちをしようと構えた。
「いや、こっちでお願い」
アイザックは手を差し伸べた。
ブリジットは少し迷ってから、その手を取った。
とりあえず、完全な決別というところまでいかなかったという事だ。
その事にアイザックは安堵した。
「これが本当の
クロードは「上手い事を言った」と微笑む。
だが、アイザックとブリジットはそれに反応して何かを言うような事はなかった。
ただ微妙な顔をしてクロードの顔を見つめるだけだった。
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