第63話 素直になれないネイサン

 九月に入った頃。

 アイザックを訪ねる者がまた増えだした。

 来訪者は主に元ネイサン派の者達だ。


 ――本当にメリンダを煽ってもいいのか?


 そう尋ねるためだ。

 アイザックが次々代の当主として立場を確立させたいというのはわかった。

 だが、彼らはそのやり方に疑問を抱いている。

 だから、貴族が集まる王都に行く前に確認をしておきたかった。


 ――もしも、何かをやるのならば、貴族が自分の任された街に分散している領内で行なわないのは何故か?

 ――わざわざ、ウェルロッド侯爵家傘下の貴族が集まりやすい王都で何かをしでかそうとしなくてもいいのではないか?


 そのように思ったからだ。


 アイザックはそんな彼らに――


「ひいお爺様なら、こういう時どうするんでしょうねぇ」


 ――と、明言を避けてほのめかすだけだ。


 だが、それで十分だった。

 一定の年齢以上の者ならば、先代当主であるジュードの記憶は今でも鮮明に焼き付いている。

 その存在を思い出させられただけで彼らはアイザックが「メリンダ達をどう料理するのか」を勝手に想像し、戦慄した。

 最近になって、アイザックは「自分を実際以上に大きく見せて相手をビビらせる」という事を覚えた。


 ――自分の言葉を勝手に解釈して、何を行なうかを勝手に想像してくれる。

 ――そして、恐れてくれる。


 相手に自分を大きく見せて恐れさせるのは有効だった。

 自分に才能がない以上、何か人を惹き付けるものが必要だ。

 残念ながら、カリスマ性は身に付けられそうにない。

 だから、飴と鞭を使いこなすしかないという答えを出した。


 ――飴は利益。


 自分に従えば利益を得る事ができる。

 今回の場合、協力した元ネイサン派の者達には免罪をエサにしている。

 長年に渡りアイザックやルシアを軽んじてきた事を許す。

 その後の働き次第で、それ以上のメリットも示唆した。


 ――鞭は恐怖。


 ウェルロッド侯爵家、三代の法則を利用する。

「ジュードから三代後の当主を継ぐ者は、当然恐怖心を煽る者が当主となる」と皆が考えるはず。

 その心理を利用して、恐怖心を煽るような言動を取る。

 そうする事で、ジュードの姿を自分に重ね合わさせて従わせるのだ。


 恐れさせて強制的に命令するだけではなく、アイザックに従えばちゃんと利益を得られるようにする。

 そして、恐怖は裏切り者を出さないようにするための手段としてしか使わない。

 恐怖を与えるのは、手段であって目的ではないのだ。


 ワンステップ成長したアイザックだったが、その成長が通用しない難敵が現れる。


 ――ルシアだ。


「よくできました」


 キャンパスに描かれた歪な人物絵をルシアが褒める。

 椅子に座って絵のモデルとなっていたメイドは「モデルが終わって動ける」と安堵の表情を浮かべている。

 アイザックにとって、美術というものは苦痛でしかなかった。

 だが、こうなったのもアイザック自身が招いた事だ。


 ノーマンの報告により、アイザックは学生として十分な学力を持っているとわかった。

「それならば、勉強は入学前に復習する程度で良い」と両親に判断され、代わりに情操教育のために美術を学ぶ事となった。

 テレンスのように、ランドルフが感銘を受けた学者でも効果がなかった。

 そこで、まずは絵を描く事に慣れるまではルシアが教えようという事になった。

 貴族として芸術に通じておくのも良いという事もあり、アイザックにお絵描きを教え始めた。

 アイザックがもっと子供らしい子供であれば、情操教育のために芸術を学ばせようとは思われなかっただろう。


「これがよくできてるんですか?」


 アイザックは自分が描いた絵を見ながら言った。

 椅子に座りながら微笑んでいたメイドを描いていたはずなのに、ムンクの叫びのような不気味な絵になっている。

 ある意味、これも才能だろう。


「子供の描く絵だったら、頭が大きく描かれたりするけれど、あなたはちゃんと体のバランスを考えて描けている。最初はそれだけで十分だわ。もっと練習すれば、線をまっすぐ描けるようになると思うから、気長にやっていきましょう」


 ルシアは褒める事でアイザックのやる気を促そうとする。

 何をするにしても、否定から入っては成長を阻害する事になるからだ。

 それに、画家として大成させようと教えているわけではない。

 あくまでも、アイザックの情操教育のためにやっている事だ。

 小うるさく注意するよりは、感受性豊かな子供に育ってくれればいい。


「次に描く時は花とか風景を描いてみたいです」

「それもいいわね」


 ルシアは自然を愛する我が子の事を喜んだ。

 だが、アイザックは自然が好きなわけではない。

 メイドを描く事に心理的な負担を感じていたからだ。

 座っているとはいえ、ポーズや表情を崩さないようにしているメイドに申し訳ない気持ちで一杯だった。

 元々、その場から動かない花でも描いている方が気が楽だと思っただけだ。


 アイザックにしてみれば、絵画など美術の授業で嫌々受けただけだった。

 綺麗な絵を見れば「上手いな」と思うし、個性的な絵を見れば「なんだ、この絵は?」と思う程度。

 絵は上手い人間に描かせればいいと思うタイプだ。

 自分では絵の良し悪しがわかるようになれればそれでいい。

 上達して綺麗な絵が描きたいとまでは思わなかった。

 もし、ルシアが一緒にいなければ、適当に誤魔化して絵を描く事から逃げていただろう。


「王都に行ったら、王宮を描いたりしてみましょうか」

「……はい」


 さすがに母を無下に扱う事はできず、アイザックは美術から逃げる事ができなくなってしまった。



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「はぁ……」


 アイザックは花壇の世話をしながら溜息を吐く。

 人気取りのために仕方なく始めた事が、色々と忙しくなった今では貴重な息抜きの時間となっていた。

 人生どうなるかわからないものだ。


 今はお絵描きをするだけだが、いつか陶芸や彫刻などもやらされるかもしれない。

 花の成長は花の個体次第だが、美術関係は自分の才能と実力が形として残ってしまう。

 自分の才能の無さを形として見せつけられるのは辛かった。

 こうして雑草を抜いたり、花に水やりをやったりする地道に積み重ねる作業の方が性に合っている。


「アイザック様、お手伝いしましょうか?」


 声をかけてきたのは庭師のカールだ。


「ううん、大丈夫だよ。王都に行っている間だけ頼むよ」


 このやり取りは、ほぼ毎日行われている。

 カールの立場だと、アイザック一人にやらせて放っておくわけにはいかない。

 声をかけ、必要に応じて手伝おうとする意思表示をしていた。


「必要な時はいつでも言ってください」

「ありがとう」


 その事がわかっているので、アイザックも嫌な顔をせずに受け答えしていた。

 人に使われる者の苦労は多少なりとも理解しているつもりだ。

 カールは自分の仕事をこなすために、普段通り立ち去っていった。

 いつものやり取りに、いつもの光景。

 だが、今日は少し違った。


「下人に礼を言うなんて、お前はどうかしているんじゃないか?」


 ――ネイサンがアイザックに声を掛けてきた。


 取り巻きはいない。

 ネイサン一人だ。

 いつもはルシアの住む別館側にまでは来ないのだが、今日は違ったようだ。

 どうやら、アイザックに用があるらしい。

 カールが立ち去り、アイザック一人になるのを待っていた。


「口先一つで人間関係が円滑になるのなら、それに越した事はありませんよ。兄上」

「ふん、相変わらず小賢しい奴だ」


 ネイサンはアイザックの答えが気に入らなかったようだ。

 そこから、しばしの間沈黙が訪れる。

 二人は見つめ合い、沈黙に耐えきれなくなったネイサンが口を開いた。


「お前、自分から継承権を放棄するってお爺様に伝えろ」


 どうやら、アイザックに後を継ぐ事を諦めろと伝えに来たようだ。

 あまりにも率直な物の言い方にアイザックは呆れる。


「その必要があるんですか?」

「ある」


 ネイサンはアイザックの疑問に即答する。


「お前が後継者にならないほうが良いからだ」

「それは……、どうなんでしょう」


 アイザックは半笑いで答える。


(やっぱ、良いとこのお坊ちゃんでも、ガキはガキだな)


 あまりにも下らない理由だったので、まともに聞き入れなかった。

 もっとも、アイザックは真っ当な理由だったとしても聞き入れるつもりはなかったが。

 そんなアイザックの態度に、ネイサンは不快感を隠そうとしない。


「俺は親切心で言ってやってるんだぞ!」


 何故かネイサンは声を荒らげる。

 だが、アイザックには大きなお世話だ。

 自分の輝かしい未来への一歩を邪魔する存在が何を言おうと、それは雑音でしかない。

 適当に受け流す事にした。


「どうせ当主になればブリジットさんと結婚できるとか、そんな甘い考えをしているんでしょう。もっと、まともな人を選んだ方が良いですよ」


 アイザックは小馬鹿にした口振りでネイサンを煽る。


「そんな事はない。ブリジットさんみたいに可憐な人は他にいない!」


 ネイサンは「甘い考え」と自分が馬鹿にされた事よりも、ブリジットを馬鹿にされた事の方が嫌だったようだ。

 自分が狙って煽ったネタとは違う方に反応され、アイザックは少し戸惑う。

 低脂肪乳ひんにゅうなところまで共通していたのが残念だったが、ブリジットの女友達も可愛い子揃いだった。

 彼女らも見た目だけは可憐だと言ってもいいだろう。

 とは言え、彼女らを見せてもネイサンはブリジットが一番だと言うかもしれない。

 初恋補正とはそういうものだ。


「いや、違う。そうじゃない」


 一瞬アイザックは自分の考えていた事を見透かされて否定されたのかと思った。


「俺が言いたいのはそうじゃないんだ。アイザック、お前の事だよ。お前は大金を手に入れたんだろう? ルシア夫人と暮らすのにも困らないはずだ。後継者になるのを諦めてもいいじゃないか」


 だが、それは違った。

 話が逸れた事に「そうじゃない」と言ったようだ。

 ネイサンは後継者の話に戻した。


「兄上、僕は諦めませんよ」


 80億リード。

 前世ならば、大金を得られたと喜んで、世捨て人のような暮らしを進んで選んでいただろう。

 だが、せっかく侯爵家という上流階級に生まれ、金だけではなく権力まで手に入れる事のできる機会が目の前にあるのだ。

 それを諦められるはずがない。

 そして何よりも「パメラをジェイソンから救うには自分でないとダメだ」という思いがある。


 ――金・権力・女。


 人間の三大欲求ならぬ、男の三大欲求を全て手にする機会だ。

 たかが金を手に入れただけで、残りの二つを諦めなければいけない理由などない。

 しかも、ウェルロッド侯爵家全体で見れば、80億リードよりも多くの資産がある。

「手持ちの現金」という部分的なところだけを見て、後継者の立場を捨てて隠棲するなど愚かな事だ。

 アイザックはネイサンの事を「やっぱり、こいつはただのガキだな」と、心の中で見下す。


「このわからずやっ! どうなっても知らないからな!」


 ネイサンは最後に一言吐き捨てて去っていった。


(どうなるかわからないのはお前の方だろう)


 アイザックはその後ろ姿を「やれやれ」と思いながら見送る。


 アイザックは本物の子供ではない。

 だから、忘れてしまっていた。

 ネイサンくらいの年頃に、複雑な思いのある相手に素直に言いたい事を伝えられていたかを。


 最近のネイサンは人として成長してきており、関係の希薄だった弟の心配をしてやれるくらいには心も大きく成長していた。

 母を取り巻く周囲の空気が変わり、アイザックを心配して継承権争いを降りるように伝えに来ていたのだ。

 本人なりに、精一杯の形で。

 だが、その思いは心配した相手当人によって踏みにじられる。


 今も。

 そして未来でも。

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