第54話 ランカスター伯爵

 年が明けてからまもなく、テレンス・ネトルホールズ男爵が死んだ。

 借金の問題が無くなったものの、心労による体調不良を乗り越えられなかったようだ。

 短期間ではあったが、家庭教師であったためアイザックは葬儀に出席した。

 その際に香典を弾んでやったので、チョコレートを使った商品の開発、製造が終わり、販売するまでの間は持つだろうと思われる。


 協定記念日から年が明けて一週間ほどの間にあった大きな事はそれくらいだった。

 小さな事では、エルフ達の中からホームシックになって「一度帰りたい」という者が現れた事くらいだ。

 だが、それはアロイスの説得によって抑えられる。

 とはいえ、重要な話し合いは終わり、あとは時と共に浮き出る課題を解決していこうという状態となっている。

 エルフ達は王都に残っていても観光以外にする事が無い。

 そのため「アイザック達よりも先に帰ってもいいのではないか?」と話し合われていた。


 そして、アイザック自身は概ね平穏――とはいかなかった。


 ――新たな協定記念日という大切な日に招待され、別室に呼ばれるほどの子供。


 当日は挨拶だけで済ませていた者達も、腰を据えて話をしようとして面会の申し込みが殺到している。

 今までと違い「私の娘と婚約しないか?」という申し出もあるので、家族の誰かが常に付き添っている。

 今回はサミュエル・ランカスター伯爵が訪れており、祖父のモーガンがアイザックに付き添っていた。


「モーガン、この子は凄い子供に育ったな。いや、まだ育っている・・・・・と言った方がいいのか。将来はお父上ジュードを超えるのかもしれんぞ」


 朗らかな笑みを浮かべて、ランカスター伯爵が言った。


「そうだな、サム。だが、知謀ではなく、人間として超えてほしいものだ」

「それは随分と低いハードルだな」


 二人は笑う。

 どうやら同じ貴族派だというだけではなく、個人的にも友人関係にあるようだ。

 二人の仲の良さは見ればわかるほどのもの。

 少なくとも、名前で呼び合う程度には仲が良いらしい。

 だが、アイザックには疑問が残る。


「ランカスター伯爵は体調不良だったのではありませんか?」


 外務大臣を辞任した理由が体調不良だった。

 だから、モーガンが代わりに外務大臣に任命された。

 なのに、目の前にいるランカスター伯爵は健康そのもの。

 辞任するほど不健康のようには見えなかった。


「会った事のない君にはわからんだろう。先代のウェルロッド侯は凄い人だった。いろんな意味でな。その後の外務大臣を継ぐのは非常に大変だったのだ。どうしても比べられてしまうからな。モーガンに大臣を代わってもらい、大分楽になった」


 返ってきたのは、アイザックにもわかりやすい答えだった。

「長年のプレッシャーで体調を崩していた」という事だ。

 アイザックは「元はゲームだから」と知っているが、そうでなければジュードのような人間が存在するはずがない。


(いや、歴史上にも『謀神』と言われる毛利元就とかがいるか……)


 日本の歴史上にもかなりヤバイ奴がいる。

 アイザックが知らないだけで、この世界のどこかにジュード以上の危険人物がいるかもしれない。

 王国史に名を残す危険人物の後を継ぐ重圧がどんなものなのか。

 確かにわからないし、わかりたくもない。


「確かに父上の後はな……。サムが引き継いでくれて助かった」


 モーガンはジュードの息子だけあって、その存在感をよく知っている。

 その後を引き継ぐ重圧もだ。

 ランカスター伯爵に対する感謝も本物だろう。


「そう言ってくれると嬉しいな。こちらも提案が言いやすくなる」


 ここでランカスター伯爵が本題を切り出した。

 ランカスター伯爵と話すとなると、どうしても体調の話題になる。

 もしかすると、前もって断り辛い空気を作り出す流れを考えていたのかもしれない。

 友人であっても、根っこは貴族。

 隙あらば、そこに喰らい付いてくる。


「エルフ達は住処から遠く離れたくないらしいが、幸いにもランカスター伯爵領はウェルロッド領の隣。しかも、テーラーから一日の距離にあるティリーヒルの東の森に住んでいるエルフ。領都ウェルロッドよりも、ランカスター伯爵領の方が近いくらいだ。我が領はエルフを受け入れてもいい。その方が彼らも安心して働ける。どう思う、アイザック?」


 ――恩着せがましく要求するのではなく、あくまでも提案。


 だが、実質的に要求である。

 なぜ要求してきたのかというと、ウェルロッド=テーラー間の街道整備の効果を聞いているからだ。

 荷物を満載した馬車が悪路を通れば、振動による負荷が加わって車軸が折れやすい。

 車軸の交換に手間がかかるが、それ以上に時間がかかる。

 エルフによって整備された街道を利用した商人から「ランカスター伯爵領も、ウェルロッド侯爵領のように街道を整備してほしい」と言われていた。

 だから、こうして「次はランカスター伯爵領に連れてきてほしい」と要求をしている。


 他の侯爵家のように「どこを優先するのか? どこを軽んじて後回しにするのか?」という、面子にこだわっての要求ではない。

 純粋に道を整備してほしいというものだった。

 このように街道整備の価値をわかって要求してくれるのは、アイザックにとっても嬉しいところである。


 この要求自体は受けてもいい。

 だが、アイザックはランドルフから不用意に答えてはいけないと以前に教わっている。

「いいと思います」と答える前に、祖父の様子を見る。


「確かに近場で人間社会で働いて慣れてもらうという点ではいいかもしれんな。支払う日当はもちろんそちらで持ってくれるのだろう?」

「もちろんだ。労役で平民を使うより、結果的には安上がりだ」


 労役で平民を使えば、畑に手をかける時間が減る。

 大雨が降れば、道がぬかるむ。

 そうなると、また街道整備を命じなければならない。

 それならば、エルフに金を払って頑丈で平坦な道を作ってもらうほうがいい。

 平民は畑に集中でき、長期的に見れば税収が増えて、エルフに支払った金は取り戻せる。


 そして何よりも、王家からエルフに支払った日当の半額が補填される。

 これは良い恰好をしたいエリアスがエルフとの友好促進のために決めた事だった。

 お陰で仕事を頼みやすくなっている。


 モーガンから断る気配を感じなかったので、アイザックも前向きに考えてもいいだろうと考えた。

 しかし、それでも即答を避けた。


「まずは働きたいという人が集まるかですね。王都から他の侯爵領の領都への街道整備も頼まれています。今回の会談の結果を受け、アロイスさん達が他の村にも声をかけてくださるので、他の村のエルフ達がどうするか様子を見てから返答させていただきたいと思います。人数が集まるようであれば、前向きに検討させていただきます」


 エルフ次第だと伝える。

 だが、その答えはランカスター伯爵を驚かせた。


「今の話の流れなら頼んでみますと弾みで言ってもおかしくない。特に成功を収めている時には気が大きくなっているものだ。ちゃんと働く人数によってできる範囲の仕事とはどこまでかを考えている。モーガン、本当にお前の孫か? 中にお父上を詰めているのではないだろうな?」

「そんな事はせんよ。父上には天国で安らかに眠っていてほしい。目覚められては私が困る」


 モーガンは苦笑交じりに答えた。


「まぁ、前向きに考えてもらえるという言質を取っただけで、今は良しとしよう」


 ランカスター伯爵は紅茶を飲む。

 そして、お茶請けのお菓子を食べる。


 アイザックも最近、人の応対をし始めて気付いた。

 お茶請けも食べるという時は大体が「この話は一段落ついた」という意思表示であると。

 話題を変えるつもりがないなら、お茶を飲むだけに留まる。

 そこで、別の話を振る事にした。

 アイザックは一口お茶を飲んで口を潤してから話し出した。


「そういえば、ランカスター伯爵のお孫さんは僕と同じ年だそうですね」


 アイザックが気になっているのは、ランカスター伯爵の孫娘であるジュディス・ランカスター。

 彼女はニコルに婚約者を奪われる被害者の一人だ。

 黒髪のロングヘアーで、俗に言う貞子ヘアーの女の子だ。

 着ヤセするタイプであり、髪の下は美少女で豊満なボディーを持つという設定がある。

 占いが好きで、的中率は90%を超えるらしい。


「ん? なんだ、その年でもう女に興味があるのか」

「いや、違――」

「ダメだぞ。もうブランダー伯爵家のせがれと婚約しているからな」


 アイザックの言葉を遮り、ランカスター伯爵は先にダメだと言い切った。


(別にくれなんて言ってないのに……)


 だが、正直なところ興味はあった。

 なので、ハッキリと否定しにくいところだ。


「友達になれたらと思っただけですよ」

「そういう事か。……だが、難しいだろうな。ジュディスは人見知りが激しいから、女の子同士でもなかなか仲良くなれない。もう少し大きくなれば、人見知りも和らぐだろう。今は気持ちだけ受け取っておこう」

「そうですか、残念です」


 子供の頃を知っていれば、大きくなった時に感じる違いも大きいはず。

 会ってみたかっただけに、本当に少しだけ残念そうな顔をする。


「そういえば、この子に婚約者は探してやらんのか?」


 ランカスター伯爵はアイザックを見て、モーガンに質問をした。

 侯爵家の後継ぎであれば、すでに婚約者が決まっていてもおかしくない年頃だ。

 しかし、そのような話は社交界で噂にもなっていない。

 しかも、今の王国で最も注目を浴びている子供なのだ。

 決まっていない事に「何か理由があるのではないか?」と疑念を抱いた。


「まぁ……、色々とあってな。王立学院を卒業するまでは自由にさせるつもりだ」

「卒業まで……。あぁ、そういう事か」


 ランカスター伯爵は一人で勝手に納得した。

 アイザックの両親であるランドルフとルシアは恋愛結婚。

「おそらく、同じように恋愛結婚したいと夢を見ているのだろう」と思い込んだ。


「二代続けて恋愛結婚か……。しかし、この子にはそんな事は許されんだろう。すでに実績を残している」

「それは私がなんとかする」

「大丈夫なのか?」


 アイザックはエルフとの交流再開に功績がある。

 そのため、王家が親族の娘をあてがおうとしたり、王党派の貴族の娘と婚約させようとするはず。

 何よりも、ジュードから三代先の男児。

 才能の片鱗を見せた以上、取り込もうと娘と婚約させようと話は殺到しているはずだ。

 それらを断り続けていれば、モーガンの立場も悪くなってしまう。

 ランカスター伯爵がモーガンを心配する。


「アイザックと約束した事だ。約束は守る」


 だが、そんな事はどうという事もないと、毅然とした態度でモーガンは答えた。


「そうか。何かをするとは言えんが、何かあったら愚痴くらいは聞いてやる」


 祖父と孫で決めた事を覆せとは言えない。

 それに、決めた結果どうなるかはモーガンが一番よくわかっているはず。

 ランカスター伯爵は「考え直せ」とは言わなかった


「しかし、婚約者を作らない理由が『本命の子がいて、その子が忘れられない』とかだったりしてな。まぁ、その年でそんな事はないか」


 ランカスター伯爵は「ハハハ」と笑った。

 実は核心を突いた言葉にモーガンは苦笑いを浮かべ、アイザックは「ハハハ……」と乾いた笑いしか出てこなかった。



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 客の対応をしていない時のアイザックは、ようやくアイザック付きの秘書官見習いとなったノーマンから勉強を教わっている。

 そろそろ普通の勉強をしても良い頃だと思われたからだ。

 道徳や倫理の家庭教師は「テレンス殿で効果が無かったのなら……」と、教師のなり手がいなかった。


 そこで、仕方なく秘書官見習いとなったノーマンが簡単なところから教える事になったのだが――


「教えるところがあるんですかね……」


 ――何も教えられなかった。


「なんで卒業前の試験問題すら解いちゃってるんですか!」

「なんでって言われても……」


(小学生レベルだし。俺は腐っても大学卒業してるんだからな)


 貴族であっても、必要とされるレベルは低い。

 これは小学校や中学校が存在せず、学院は三年間しかないという事も関係している。

 だが、この世界では何らかの専門分野を持つ学者にでもならない限り、それで十分だった。

 一番の問題だった歴史も、幼い頃から小説代わりに暇つぶしで読んでいたので特に問題は無さそうだった。

 問題があるとすれば、ノーマンのメンタルだ。


「十歳以上差があるのに負けてるなんて……」


 自分が満点を取れなかったテストで、アイザックはあっさりと満点を取った。

 大人としてのプライドは粉々だ。


(確かに十歳以上の差はあるけど、実は俺の方が上だなんて信じてくれないだろうしな……)


「そうだ! あれならやった事が無いはずです! さぁ、音楽室へ行きましょう」

「えっ、音楽!?」

「そうです。貴族たるもの芸術も大切なんですよ」


 さぁさぁ、とアイザックを急かして音楽室へ連れていく。

 勝てる分野を見つけて嬉しかったのだろう。

 ノーマンに連れていかれた部屋は確かに立派なグランドピアノが置かれた音楽室だった。

 アイザックは学校の音楽室を思い出し、懐かしい思いになる。


「音楽室なんてあったんだ……」

「そりゃあ、大貴族の家なんだからありますよ。実際に触ってみましょうか」


 ノーマンはピアノの席にアイザックを座らせ、まずは自由に触らせる。

 アイザックなら壊したり、傷つけたりしないだろうと思ったからだ。

 まず、ドレミ――と順番に触っていく。


(こんなに立派なピアノの実物を触るのは初めてだけど、基本は鍵盤ハーモニカと一緒か)


 世界は違っても、基本は同じ。

 それを知って、これならなんとかできるかもしれないと思った。


「同じ『ド』でも音の高さが変わっ…………」


 ノーマンの言葉はアイザックが演奏を始めた事で止まった。

 今まで聞いた事のない斬新な曲調。

 唾を呑み込む音ですら、曲を聞く邪魔だと感じてしまうほど聞きほれてしまっていた。


(おぉ、弾ける弾ける。子供の体でやりづらいけど、意外と体が覚えているもんだな)


 一方のアイザックは気楽なものだ。

 鍵盤ハーモニカのように息を吹かなくても音が出る。

 身体が小さいので指が短い事が難点だったが、演奏する事は楽しかった。


 今、演奏しているのはベートーヴェンの『月光』。

 かつて「ゾンビウィルスが蔓延した洋館に入ってしまったが無事に脱出する」時に備えて、念のために練習しておいたものだ。

 幸い実践の機会は無かったし、今後もそんな機会などほしくはない。

 ホラーゲームの世界に転生せずに済んで良かったと、密かにホッとしているくらいだ。

 今思えば、子供の頃に馬鹿な事をしていたものだ。

 だが、こうして本物のピアノで演奏するのも楽しいので、決して無駄ではなかったのだろう。

 演奏が終わると、ノーマンが拍手をする。


「それだけ上手く演奏されると、もう何も教える事はありません」


 何かを悟ったような、諦めたかのような表情をしている。

 初めてのピアノでテンションが上がっていたせいで、教えてもらうという事を忘れていた。

 そう言われて、ようやくノーマンのプライドを打ち砕いてしまっていた事に気付いた。


「そんな事ないよ。この曲くらいしか弾けないし、色々と教えてほしいな」

「またまた、ご冗談を。ただ、できれば何ができないのか・・・・・・・・を先に教えていただけますかね」


 ノーマンは才能の差を見せつけられて、少しいじけてしまったようだ。

 実際は前世での経験によるものなのだが、その事を知らない彼はアイザックの才能の発露にしか思えなかったので仕方が無い。


「えっと、それじゃあ乗馬とか? 基本的に家の中にいるから、あんまり体を動かすような事はしてないんだよね」

「そうですか。では、乗馬などもカリキュラムに入れておきましょう」


 勉強や音楽では差を見せつけられた。

 だが、ウェルロッド侯爵家は代々文官の家系。

 乗馬などの運動面は得意ではないはずだと思い、少し機嫌が直った。


「馬に乗った経験は……」


 ノーマンはアイザックの表情を窺うように見る。


「さすがにないよ。パトリックの背中に乗った事はあるけど」


 そのパトリックも、最近はアイザックを重く感じてきたのか、アイザックが背中に乗ると「動きたくない」とペタンと座るようになってしまった。

「ようやく教える事ができそうだ」とノーマンの表情が和らいだ。

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