第55話 埋伏の毒

 ネイサン・ウェルロッド。

 彼は七歳くらいまでは順風満帆の人生だった。

 だが、アイザックがエルフとの交流の話を持ちかえってからはおかしくなっていく。

 ネイサンは「アイザックは落ち着いたところはあるが女々しい奴だ」と思っていた。


 女の子の友達しかいない。

 花を育てている。

 お菓子作りに口出しする。


 それが、気が付けば――


 大金を稼ぐ。

 ブラーク商会を打ちのめす。

 エルフと仲良くなる。


 ――という活躍をしていた。


 それは「長男である自分がやるべき事だ」と、ネイサンは不満に思っていた。


 ――弟が兄を差し置いて、なぜ勝手にそんな事をするのか?

 ――自分だけ良い恰好をしようとしているんじゃないか?


 どうしても、そう考えてしまう。


「自分だけ手柄を独り占めするなんてズルイじゃないか」という思いが日に日に強くなっていく。

 アイザックはネイサンを兄として立てる気配がない。

 それどころか、まともに相手にしようとすらしなかった。

 馬鹿にされても、受け流すばかりだ。


 小さなときからネイサンは全てにおいて優先されてきた。 

 誰もがネイサンの機嫌を伺い、その一挙手一投足に注目していた。

 なのに、アイザックだけはネイサンを相手にしようとしない。

 だから、無視できないようにしてやろうと考えた。


 まずは勉強だ。

 アイザックは頭が良い。

 ならば、勉強で頭の良さを超えてやればいい。

 そう思って頑張っていたが「アイザックは著名な学者でも手に負えない」という話が耳に入った。

 これは道徳面での事だが、ネイサンはその事を知らない。

 アイザックが学者以上の頭脳があると思い、自信を喪失する。


 次は運動に挑戦する。

 やはり子供。

「強くなれば絶対に無視できない」と思ったからだ。

 最初は騎士に負けていたが、段々と強くなっていき、騎士にも勝てるようになった。

 だが、それでもアイザックはネイサンを相手にしようとしない。

 取るに足らない者として扱っていた。

 それが何よりも腹が立った。


 だが、これらの経験がネイサンに良い影響を与える。

 まず最初に、集められた友達役の中で大人しく孤立気味だった子供にも目を向けるようになった。

 今まではつまらない相手は無視していたが、相手にされない痛みを知った事により「仲間に入れ」と声をかけるようになった。


 子供の頃からワガママ放題に育てられ、傲慢な性格に育っていた。

 しかし、一度自信を失った事により、少し性格が丸くなった。

 強引だった性格は転じてリーダーシップとなり、子供達の中で本物のリーダーとなりつつあった。


 八歳になった今、同年代の子供より頭が良く、体格も大きくなり、リーダーシップを発揮しつつある。

 アイザックがいなければ、ランドルフの後を継ぐ者として期待されていたであろう事は想像に難くない。

 メリンダもネイサンの急成長に戸惑いながらも、素直に喜んでいた。

「絶対に後継ぎとして認めさせる」と、再度決心を固めるほどに期待している。


 だが、残念な事にアイザックが存在する。

 才覚があろうとも、それ以上の実力を持ち、実績を残している相手がいる。

 その事がメリンダにはとても耐えられなかった。

 何とかできないかと、方法を探していた。



 ----------



 一月も終わる頃、メリンダは二人の男と話をしていた。


 一人はバーナード・キンケイド。

 彼はウェルロッド侯爵家の王都の屋敷で警護を任される警護隊長だ。

 三男で家を継ぐ事はできないが、キンケイド男爵家がネイサン派のため、実家からメリンダに協力するように言われている。


 そして、もう一人はデニス。

 ウェルロッド侯爵家のお抱え商人であるブラーク商会の商会長をしている。

 幾度か行われている密談も、彼が提案したものだった。


「アイザックが実績を残した以上、継承権の順位変更は行われないでしょう。やはり、ネイサン様が正式な後継者になるのにはアイザックが邪魔になります」


 デニスにそう言われたメリンダは不機嫌だ。


「そんな事はわかっています! 何とかする方法は何かないのですか!」


 デニスに言われるまでもない。

 自分でもわかっているし、他の者にも同じ事を言われている。

 問題は、アイザックをどうにかする方法だ。

 ただ顔を突き合わせて「どうしよう?」「どうしようか?」と話すだけなら、デニスでなくてもいいのだ。


「もちろんございます」


 デニスが悪巧みをしているという顔をしながら言った。

 実際に悪巧みをしているのだから、本当にあくどい顔つきになっている。

 メリンダは胡散臭そうな目でデニスを見る。

 ブラーク商会はアイザックにしてやられて以来、ネイサン派の中でも急先鋒となっている。

 有力な味方でもあるので、聞かずに却下する事はできなかった。


「まずは確認しておきたい事が。ウィルメンテ侯爵家の支援はどの程度得られるのでしょうか?」

「私が頼めば全力で支援してくれるでしょうね」


 メリンダは自信を持って答えた。

 父のディーンは、メリンダが他国の王子との婚約を破棄されたあと、ウェルロッド侯爵家に嫁入りさせようと頑張ってくれた。

 ランドルフとの婚約話まで持ってきてくれたくらいだ。

 ネイサンのためにも力を貸してくれると、メリンダは確信を持っていた。

 その答えに、デニスは満足そうにうなずく。


「ウィルメンテ侯爵家の力を借りる事ができるという事は、ウォリック侯爵家も同じ王党派として力を貸してくれるでしょう。ウェルロッド侯爵家が王党派になるかもしれませんから、もしかすると王家も……」


 モーガンは地方分権の必要性を感じているので、貴族派として揺らぎのない立場を維持している。

 だが、ランドルフはそこまで広い視野を持っていない。

 今はウェルロッド侯爵領の統治で精一杯で、王国がどうとかまで考える余裕はない。

 王党派の考え方を周囲の者達が説けば、傾く可能性は非常に高い。

 それにネイサンが後継者となれば、ネイサンとメリンダのために王党派になるかもしれない。


 そして、王党派は王家を中心にした中央集権を唱えている。

 王党派の力が増すという事は、王家の力が増すという事。

 継承権第三位のネイサンが、第二位に繰り上がるのを後押ししてくれるかもしれない。

 少なくとも、話を通せば有形無形に支援してくれるだろう。


「それならば、バーナード殿の力をお貸しいただければ簡単に終わるでしょう」

「私かね!?」


 ウェルロッド侯爵家の後継者争いを簡単に終わらせる鍵が自分にあると言われ、バーナードは驚いた。


「そうです。実はこうしてはどうかと思いまして――」


 デニスは企みを話す。

 その内容は、メリンダも顔をしかめるような内容だった。


「ダメだ、ダメだ! そんなやり方では、メリンダ夫人やネイサン様にも処罰が下る。あまりにも軽率なやり方だ」


 バーナードは真っ向から否定する。

 デニスの語ったやり方は非常に危険性が高いものだったからだ。


「だから、ウィルメンテ侯爵家の支援はどの程度もらえるのかと聞いたのですよ。ウェルロッド侯も、ウィルメンテ侯爵家、ウォリック侯爵家、そして王家から圧力を受ければ厳しい処罰は下せません。何よりも、後継者がネイサン様以外いなくなればネイサン様を廃嫡する事ができなくなります」


 デニスの話した内容はアイザックの廃嫡。

 それも、ネイサンが十歳になった時に行われる、子供のお披露目会で武力を使ってだ。

 お披露目の場で狙ってというのは、この世界の人間が記念日を大切にするからだった。


 ――ネイサンが十歳のお披露目の場で後継者として確定する。


 この事はメリンダにとっても非常に魅力的な提案である。

 少し心がグラついた。


「それならば、毒でも盛って暗殺すればいいではないか」


 だが、バーナードは納得がいかない。

 安全のために、暗殺という手段を提案した。

 その方が安全、確実。

 わざわざ人前で危険を感じるやり方をしなくてもいいと思ったからだった。


「ふざけた事を! ネイサン様はウェルロッド侯爵家の後継者にふさわしいお方! そのような卑劣な手段で後継者となったと後ろ指を指されていいお方ではない! お披露目の際に誰がふさわしいかを子供達とその親に思い知らせ、堂々と後継者争いに勝利されなければならないのだ! 暗殺など口にするとは、恥を知れ!」


 デニスは強い口調でバーナードの暗殺という提案を非難する。


「でも、確かに無茶なやり方な気がするわね……」


 メリンダもデニスの提案に不安を覚えた。

 あまりにも力技過ぎる。

 他の方法を取った方がいいのではないかと思い始めた。

 だが、デニスは首を横に振った。


「そう思われるかもしれません。ですが、出席者がネイサン様を支持し、アイザックを支持しない。そして、警護の騎士が乱入し、アイザックに剣を突き付ける。そんな光景を見れば、ウェルロッド侯も考え直すでしょう。こいつには人の上に立つ資格はないとね」


 メリンダはデニスの言葉に「うーん……」と唸る。

 やはり、強引過ぎる気がする。

 イマイチ、その方法に納得がいかない。


「ですから、ご実家の力を借りるのです。王党派が働き掛けて、王家より『そこまで嫌われている者は侯爵家の後継者にふさわしくない。ネイサンを後継者にするように』とお達しを出していただければ、ウェルロッド侯も認めざるを得ないでしょう。好むか好まざるかは別にしてです」


 強引ではあるが、目的を達成する方法ではある。

 だが、メリンダはどこか不安を覚える。

 言葉に表せないが、何かを見落としているようなモヤモヤとした気分だ。

 その直感により、デニスの提案を即座に採用する事ができなかった。


「考えてもみてください。アイザックに普通のやり方で勝てると思いますか?」

「それは……」


 ――できるはずがない。


 そう言いそうになって、メリンダは口を堅く閉ざす。

 わかってはいるが、その事実を認めたくはなかった。

 エルフとの交流再開というだけでも、十分に大きな功績となっている。

 このまま何もせずに待ち続ければ、アイザックがまた他の功績を残しそうな気がする。

 今ですらネイサンの後継者となる可能性が危ういのにだ。

 時間は敵にしかならない。

 良い方法が出てこないか待っているだけでは不利になるばかりだった。


「中途半端な事をして警戒させず、アイザックが考えもしない方法で一撃を加える。そして、その一撃で継承権争いから脱落させるのです。メリンダ様にはネイサン様を後継者として認めさせる力があります。ですが、今は流れが悪い。その悪い流れを断ち切り、本流に戻すには強引な方法しかないのです。ご決断ください!」


 デニスは強く押す。


「本当に……、できるのですか?」


 メリンダもついに折れた。

 他にアイザックを蹴落とす方法が浮かばない以上、仕方のない事だった。


「できます! これから二年は怪しまれないように大人しくしておいていただけますか? メリンダ様が動けば怪しまれますので、代わりに私がウェルロッド領内の貴族に働きかけます」

「わかりました。お前に任せます。あなたも部下の騎士に信頼をおける者を集めて、その時に備えなさい」

「……かしこまりました」


 バーナードも渋々と命令を受け入れる。

 デニスのやり方には納得いかないが、決まってしまった事を覆すほどのアイデアもない。

 ただ、流れに身を委ねるしかなかった。


「それで、その……。上手くいった際には、これまで通りブラーク商会をお抱え商人として扱う事を認めていただきたいのですが……」


 デニスは揉み手をしながらメリンダに保証を求めた。


「いいでしょう。上手くいけば功績を認めます」

「ありがとうございます!」


 利益を求める姿を軽蔑しながら、メリンダは保証を認めた。

 商人とは意地汚いものだ。

「ネイサンのため」という大義では動かないと知っている。

 だから、利益を保証してやった。


 ただ、感謝の気持ちを示すために深く頭を下げたデニスの後頭部に侮蔑の視線を送る。

 しかし、デニスも頭を下げながら、舌を出していた。



 ----------



「デニス、お前のやり方には穴が多すぎる」


 メリンダとの話が終わり、帰る途中の廊下でバーナードがデニスに声をかける。


「もちろんわかっています。その穴はこれから会合を持って地道に塞いでいきましょう」


 デニスはあんな話をしたとは思えないほど穏やかな表情だ。

 むしろ、一仕事終えたとスッキリしているようにすら見える。

 胸に重い物を抱えて、気持ちの沈んでいるバーナードとは対照的だ。


「なんでそんなに気軽そうなんだ?」

「そりゃあ、大事な仕事が終わったからですよ」

「仕事はこれからだろう? おい、何をしている。そこは客室だぞ」


 廊下の途中、客室の扉をデニスが突然開ける。

 中には誰もいないはずだ。


「まぁまぁ、とりあえず中へ」

「……まったく」


 ――何か話があるのだろう。


 バーナードはそう思って部屋に入ると、アイザックが中で待っていた。


「えっ、なんで……」


 先ほどまで廃嫡の話をしていた相手が待っていた。

 挨拶も忘れ、入口近くでバーナードは固まる。

 デニスがドアを閉めた音で我に返った。


「どうだった?」


 アイザックがまるで「今日のテストはどうだった?」と友達に聞くように、デニスに気楽な声で聞いた。


「上手くいきましたよ。バーナード殿が暗殺しようとか言い出して驚きましたよ。その方法は卑怯だからネイサン様にはふさわしくないって否定しましたけど」

「そうなんだ、酷いなぁ。嘘だと言ってよ、バーニィー」


 アイザックが笑う。

 何がおかしいのか、バーナードにはわからない。

 それに、バーナードには笑えない状況だった。

「アイザックを暗殺しよう」と提案していた事がデニスによってアイザックに知らされてしまったからだ。

 これからの自分と自分の家族に降りかかる処罰を想像し、力が抜けてその場に尻餅をつく。


「ど、どうして……」


 その言葉を絞り出すのがやっとだった。

 あとは口がパクパクと動くばかりで、声が出てこない。

 じんわりと顔中に汗が浮き出てくるのが感触でわかる。


「『どうしてアイザックがいる?』それとも『どうしてデニスが裏切った?』かな? デニスはどっちだと思う?」

「両方じゃないですか? もしかすると『どうして自分がこんな目に』という意味かもしれません」

「そっかー」


 バーナードは軽口を叩くような感じで話す二人に恐怖の眼差しを向ける。

 この状況でそんな対応をなぜできるのか?

 不思議でしかなかった。


「僕がここにいるのは、二人を待っていたからだよ。デニスはメリンダ夫人を裏切ってない。裏切るも何も最初から僕の味方だったからね。そして、バーナードが企みに巻き込まれたのは王都の屋敷の守りを任されている警護隊長だからかな。不運だったね」


 アイザックの説明を受けても、バーナードの思考は追い付かなかった。


「なんで、なんでこんな事を……」

「なんでって? そりゃあ、あっちと一緒だよ。そろそろ目障りなんだよねぇ。だからさ、いなくなってもらおうと思ったんだよ」


 そこにはバーナードの知る、花を愛し、異種族とも仲良くなれる優しいアイザックはいなかった。

 目の前にいるのは、どす黒く濁った得体の知れない何かだ。


「さて、バーナード。君の選べる選択肢は二つだ。僕の前のソファーに座って話を聞くか、最後まで兄上に付くか。まぁ、僕の話を聞く方が無難だと思うよ。ちなみに一度あちらに付いちゃった以上、中立なんて立場は選べないからね」


 アイザックが笑みを浮かべる。

 この状況を知らない者が見れば、ただの子供らしい笑顔だ。

 だが、バーナードから見れば違う。

 追い詰められた哀れな獲物に向ける、獰猛な笑みにしか見えない。


(そうか、そうだったんだ……)


 ここにきてようやく、何故デニスが「暗殺」という手段に反対したのかがわかった。

 アイザックに危険が及ぶからだ。


 そして二年後、ネイサンの十歳になったお披露目の場を指定したのもアイザックのためだ。

 期限を区切っていなければ、メリンダが我慢しきれずに強硬手段に出るかもしれない。

 期限を区切る事で、二年後に視線を向けさせて余計なことをしないようにしたのだ。


 バーナードは這うようにアイザックの正面のソファーに向かう。

 ここでネイサンの方など選べない。


 ――反アイザックの急先鋒だったデニスが、実はアイザックの手駒だった。


 ならば、他にも内通者がいると考えるのが普通だ。


 ――誰が味方で誰が内通者かを疑い続ける。


 そんな状況では、勝てる戦も勝てなくなる。

 そして、この状況を作り出したのはおそらくアイザックだという思いもある。

 一商人のデニスに思いつく事ではない。

 ならば、大人しくアイザックの手駒として生きる事が賢い選択だ。

 アイザックに歯向かおうとする意思など、バーナードの中には欠片も残っていなかった。

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