第49話 ネイサンの苛立ち
「へー、アイザックも叱られる事があるんだ」
ティファニーがクスクスと笑う。
「時々お爺様に言われるよ。良い子にしようと思っても、ついやっちゃうんだ」
アイザックは苦笑いをしている。
ブラーク商会の時のように狙ってやっている時に怒られるのはいい。
自分でわかってやっているのだから、その責任を負うのも理解できる。
だが「人のためだ」と思ってやった事の方で厳しく怒られた。
確かに自分は世間知らずで、配慮に欠けていた。
そんな自分の愚かさを思い知らされるのが、何よりも辛かった。
自分の無能さを考えるきっかけにしようと前向きに考えられる分、まだマシかもしれない。
「そういえばさ、弟が生まれたんだって? どんな感じ?」
アイザックは新しい話題を振った。
ティファニーが王都に住む事になったのは、カレンが王都で子供を産む事になったからだ。
新しい家族ができたのなら、やはりその事を聞いてみたい。
「マイクの事? 可愛いけど、あんまり可愛くないよ」
「わけがわからないんだけど……」
アイザックは困惑する。
「まだ赤ちゃんだから、髪も生えそろってないし違和感があるみたいなのよ。弟だから可愛いけれど、赤ちゃんの顔つきが気になるみたいね」
カレンがティーカップ片手にティファニーの発言を補足した。
彼女は息子を家族に任せ、ルシアとの会話を久し振りに満喫している。
「弟かー。いいなー」
(夫婦仲は良いはずなんだけど、そういえば二人目以降生まれないな)
アイザックはチラリとルシアの方を見る。
「こ、子供っていうのはね。神様からの授かり物なのよ。だから、神様にお祈りしていれば、いつか弟をプレゼントしてくれるかもしれないわよ。それよりも、ティファニーはブリジットさんに会ってどうだった?」
やや早口になったルシアが話を逸らした。
いくら早熟な子供とはいえ、男女の営みに関して触れるには早すぎる。
「エルフに会ってみたい」と言っていたティファニーに、同席してもらったブリジットの感想を聞く。
こういう時、気軽に出席してくれるフットワークの軽いブリジットの存在は便利だった。
「綺麗なお姉さんっ!」
「やだっ、この子。凄く良い子じゃない。あなたも可愛いわよー」
ティファニーの返答は単純明快なものだった。
純真無垢な子供の素直な感想。
それだけに、言われた方も素直に嬉しい。
ブリジットはティファニーを抱き寄せ、頬ずりをする。
彼女が今まで接触を持っている人間の子供はアイザックがメインで、たまにネイサンと会うくらいだ。
アイザックは反応が冷たい。
ネイサンは照れているのか、距離を置こうとする。
ティファニーのような子供らしい子供に会えた事が、逆に新鮮だった。
「こうして見ると、エルフも人間とあまり変わらないのね……」
カレンも素直な感想を口にする。
美人だとか、耳が長いとかの特徴以外は人間と変わらない。
本などに書かれている、恐ろしいエルフ像など当時の人間の主観で歪められているように感じられた。
……これはブリジットの年齢の重みを感じさせない態度が与える印象のお陰だ。
ある意味、人間とエルフの架け橋には良い人物なのかもしれない。
「食生活が違うと思う時もあるわ。でも、それ以外は人間と一緒よ。怯えたりする方が失礼かもね」
ルシアが今まで暮らしてきて感じた事をカレンに話す。
教育を受けた貴族の娘にも、時々ブリジットのような能天気そうな者がいる。
庭などで捕まえてきた昆虫を「素揚げにして」と厨房に持ち込む事以外は、人間と変わるところはなかった。
「ねぇ、アイザックにも言ってやってよ。なんだかあの子、私に冷たいのよねー」
「えぇっ、なんで? こんなに綺麗なお姉さんに冷たいの?」
「なんでって言われても……」
短時間のうちに「アイザックがティファニーにはキツイ態度を取らない」と見て取ったブリジットが、ティファニーを利用してアイザックを責める。
これにはアイザックも困った。
本物の子供相手に、大人気ない態度を取れない事を逆手に取られた形だ。
的確に弱点を見つけるあたり、ブリジットもなかなか侮れない。
「ティファニーの方が可愛いからかな」
「エヘヘ、それじゃあ仕方ないね」
「くぅ……。言ってくれるじゃない」
さすがに「貧乳だから」とはハッキリと言えない。
ティファニーを利用して、ブリジットの追及を躱す。
だが、ブリジットも良い手駒が見つかったのであきらめたりはしない。
新たな手段を考え始めた。
久しぶりにあったティファニーとのお茶会は、明るい雰囲気で進んでいる。
モーガンに叱られてヘコんでいたアイザックには、良い気分転換となっていた。
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アイザックが楽しそうだからと言って、他の者も楽しい気持ちになるわけではない。
アイザックが楽しそうだからこそ、不愉快に思う者もいる。
――ネイサンだ。
彼はアイザックが成功すれば成功するほど不愉快だった。
特に、ブリジットの件では怒り心頭となっていた。
本当ならば、自分が助けたかった。
だが、父ランドルフが求めたのはアイザックの助けだ。
自分ではない。
そのイラ立ちはいつまでも消えず、庭で騎士相手に発散する事が日課となっていた。
「うわっ、負けました」
剣を弾き飛ばし、騎士が負けを認める。
(剣の練習は騎士に勝てるようになった。なのにお父様は僕に頼ろうとしない。あんな奴、小賢しいだけなのに!)
「ネイサン様、終わりです。参りました」
何度も何度も騎士の体に木刀を叩きつけ、負けを認めた騎士に怒りをぶつける。
これは以前から時々癇癪を起こしたネイサンがやっている事だ。
今回はブリジットが絡んでいるだけに、いつもより執拗になっている。
練習用の皮の鎧の上からとは言え、木刀で打たれてはアザになる。
最近は騎士の体に青アザが絶えない。
「何が騎士だ! 子供に負けて誰を守れる!」
ネイサンは木刀を放り捨てて屋敷へと戻る。
自分の方が立派な血筋にもかかわらず、誰も彼もアイザックの事ばかり。
まだ自分は一人で出掛ける事を許されていないのに、アイザックはティリーヒルまで一人で行っている。
そういった事も含めて、何もかもイラ立つ事ばかり。
少しばかり騎士を痛めつけても、簡単には気が晴れない。
「大丈夫か?」
別の騎士が今まで木刀を打ち込まれていた騎士を助け起こす。
「ああ……。だが、いつもこれじゃあ、たまったもんじゃないな」
彼も騎士だ。
弱いはずがない。
ネイサンは剣の練習だと言われても、負けると不機嫌になる。
ネイサンがメリンダにある事ない事を入り混ぜて告げ口し、何人もの騎士が罷免されていた。
職を失う事を恐れる者は、黙ってストレス解消の的になるしかない。
だが、こんな状況を喜んで受け入れる者などいるはずがない。
――将来的に後継ぎになりそうなネイサンだから、我慢して付き合っている。
それだけだ。
いつかネイサンのストレス発散に付き合っている事がメリットになる。
そう信じて、彼らは今の辛い時期を耐えていた。
そんな彼らに、小さな人影が近づいてきた。
「アーヴィンさん、ハキムさん。いつも兄上がご迷惑をお掛けしております。ごめんなさい」
アイザックが申し訳なさそうな顔をして、騎士達に頭を下げる。
「アイザック様が謝られる事ではございません。お気になさらないでください」
アーヴィンと呼ばれた騎士が答える。
むしろ「ネイサンに痛めつけられたから、憂さ晴らしに弟のアイザックに謝らせている」と誰かに勘違いされる恐れがある分、謝られる方が迷惑ともいえる。
「あの……、これをどうぞ」
アイザックはコルクで栓をされた、子供の手の平サイズの素焼きの壺を差し出した。
「これはなんでしょうか?」
「クロードさん達が薬草で作ってくれた塗り薬です。アザや切り傷くらいならすぐに治るそうです」
「もしかして、エルフの霊薬ですか!」
「そう言われているみたいですね」
「そんな物受け取れません」
彼らが驚いているのは、エルフが作った薬の希少性ゆえだ。
その効果は知られているが、人間社会から失われて久しい逸品。
王族ですら持っていないような貴重品を末端の騎士が受け取れない。
だが、アイザックは薬の入った壺を彼らに押し付ける。
「これは僕が貰った物です。だから、僕が使いたいように使います。……これはアイザック・ウェルロッドとしての命令です。薬を受け取って、怪我の治療に使ってください」
「かしこまりました」
ウェルロッドの名による命令とあらば断わるわけにはいかない。
その場にひざまずき、首を垂れてうやうやしく両手で受け取った。
「なくなった時に言ってくれれば、また新しいのをあげる。だから、なくなったら教えてね」
「ありがとうございます」
「兄上の事、よろしくお願いします。それじゃあね」
バイバイと手を振ってアイザックは立ち去っていく。
二人の騎士はひざまずいたままアイザックを見送る。
そして、アイザックの姿が生垣で見えなくなると、残された騎士は顔を見合わせる。
「……どうするよ、これ」
アーヴィンが薬壺を見つめながら言った。
正直なところ手に余る。
「どうするも何も、売って酒代にするわけにもいかないだろう。もったいないけど、使うしかない」
「それもそうだけどな……」
それでもアーヴィンは使う事に戸惑いがあるようだ。
ハキムが薬壺を奪い取ると、蓋を開ける。
中には白い粘液が入っていた。
「臭いがちょっとキツイな」
少し指先で薬を取ると、自分の手首付近のアザに塗り付ける。
「おい、見ろよ! アザがだんだん消えていくぞ!」
「本当だ。やっぱエルフって凄いんだな」
魔力を籠めて作る薬の効能は通常の薬と違って、魔法を使った時のようにすぐに現れる。
保存しておける治療魔法のようなものだ。
その分効果は弱いが、魔法を使えない者には最高級品の薬といえる。
彼らは自分の目で治療効果を見て、エルフというものの存在の凄みを感じていた。
そして、こんな貴重な物をあっさりと他人に譲り渡せるアイザックの器の大きさにも。
「悪いが背中に塗ってくれるか? 手が届かないんだ」
「ああ、いいぞ。脱げよ」
ハキムが鎧と上着を脱いでいる間、アーヴィンは太もものアザに塗るためにズボンを脱いでいた。
「それにしても、アイザック様は色々言われてるけど良い方だよな。俺達みたいな騎士の名前も憶えているなんて」
「まったくだ。ネイサン様なんて『おい、お前』だけだもんな」
「ティリーヒルへ護衛で付いていった奴なんて、特別手当を支給されていた。気風もいい方みたいだぞ」
「最近はアイザック様に風が吹いてるみたいだし、どうせならアイザック様みたいな方に後継ぎになって欲しいよな」
薬はまだかなりの量が残っている。
他の者達にもアイザックから貰った薬を分ける事もできるだろう。
そしてそれは、アイザックの評価をあげる事になる。
二人は話をしながら、お互いの体に薬を塗り合っていた。
そんな二人の姿を、屋敷の中から数人のメイドがガン見していた。
騎士二人が庭の片隅でお互いの体をまさぐり合う姿を目に焼き付けようと、仕事の手を休めてカーテンの陰から見守っている。
アイザックの人気取りのための行動は、意外なところにも効果がありそうだった。
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