第50話 ニコルとの予期せぬ出会い

 今年のアイザックはエルフも一緒にいるため、去年以上に忙しい日々を過ごしていた――という事はない。

 ブリジットとギルモア子爵の事件以来、直接エルフと関係を持とうとする者は二の足を踏んでいた。

 訪問する者はよほど肝の据わった者か、失う物の無い者くらいだ。

 予想とは裏腹に、暇な時間を過ごしている。


 ただ、去年と違うところはエルフがいる事だ。

 ウェルロッド家の屋敷に滞在しているため、去年とは違って話し相手がいる。

 リサやティファニーが遊びに来られない時も、独りぼっちではないのだ。

 エルフは動物と相性が良いのか、パトリックも懐き始めている。

 ブリジットの事件以来、問題無く平穏な日々を過ごしていた。


 そんなある日の事。

 一組の訪問客が訪れる。


「ネトルホールズ男爵が来ている?」

「はい。面会の予約を取られていませんので、どうしたものかと……」


 ニコルの祖父であるテレンスは、去年アイザックに道徳を教える家庭教師をしていた。

 しかし、効果が薄かったので今年は家庭教師として雇われていない。


(また雑談でもしに来たのかな……)


 テレンスは、この世界の常識とは違う考え方をするアイザックと話をするのが好きだった。

 そのせいで、道徳観念を教えるのがおろそかになっていたという面もある。

 良くも悪くも、自分の知的探求心を優先する学者肌の人間なのだろう。

 アイザックは近くに座るクロードに声をかける。


「去年、僕の家庭教師をしていた人だけど会ってみる?」

「そうだな……。どんな人物が教えたら、こんな子供が出来上がるのか見てみたい」


 アイザックは苦笑する。

 別にテレンスに教わったから今の自分がいるわけではない。


「クロードさんの言い方じゃあ、まるで僕が変な子供じゃないか」


 クロードはニヤリと笑う。


「自覚ないのか?」

「ないよ、そんなの。やっぱり同席はなしね」


 アイザックは失礼なクロードを置いて、テレンスに会いに向かう。

 その後ろを、クロードが付いてくる。


「まぁ、気にするな」

「まったく……」


 アイザックも「来るな」ときつくは言わない。

 クロードがこうやって付いてくるのは、エルフと関係が深くなりそうなアイザックを見定めるためだ。


 ――どんな相手と会い、どんな話をするのか。


 それを知り、アイザックとどこまで関係を深めるのかを判断する。

 これはクロードとブリジットの二人に任されていたが、実質クロード頼みになっている。

 アイザックとしても、エルフのクロードが横にいる事は、話し相手にエルフとの仲をアピールする事ができる。

 どうしても秘密にしたい話以外は、クロードの同席を許していた。



 ----------



「お久しぶりです。アイザック様」


 挨拶をしてきたテレンスは、今にも死にそうな顔をしていた。

 以前は「アイザック殿」と呼んでいたのに「アイザック様」と呼び方も変わっている。

 肉体面だけではなく、精神面でも大きく弱っているのかもしれない。


「こちらは孫娘のニコルです。さぁ、挨拶をして」

「はじめまして。ニコル・ネトルホールズです」


 テレンスの横で黒髪でキツネ目の少女が挨拶をしてくる。

 その少女を見た時、アイザックの心が揺さぶられる。

 パメラほどではないが、魂が引かれるような気までしてしまう。


(クソッ、これがヒロイン補正か。まだ魅力のステータスが低いから、この程度で済んでいるけど……。将来どうなるのか不安だな)


 ニコルはアイザックを見て頬を染めている。

 攻略キャラとして認識されてしまったのかもしれない。


「はじめまして、ニコルさん。ウェルロッド侯爵家、ランドルフの息子アイザックです」


 心の中の動揺を表面に出さないよう、営業スマイルを浮かべながら挨拶をする。


「モラーヌ村のクロードです。人間社会の勉強のためにアイザック様に付いて色々な人と会っています。よろしければ、同席させていただいてもよろしいでしょうか?」


 アイザックの立場を考えて、ちゃんと「様」付けでクロードが呼んだ。


「もちろんです。人に聞かれて不都合のある事は話しません」


 テレンスの許しを得た。

 クロードはアイザックが座るのを確認すると、その隣に座る。


「テレンス先生、お体の調子が悪そうですが……。大丈夫ですか?」


 まずはアイザックが気になった事を質問する。

 どう見ても、出歩けるような状態ではなさそうだったからだ。


「ええ、実は体調にも関係する事でお会いしたいと思ったのです。時間が限られているので、突然の来訪となりました。どうかお許し願いたい」

「許します。先生が訪ねてこられるのを拒むことなどありません」


 もちろん、社交辞令だ。

 ニコルまで連れてこられて迷惑極まりない。

 万が一、ニコルに狙いを定められでもしたら困った事になる。

 現に今も、美少年と言っても過言ではないアイザックの顔を見つめている。

 ニコルにはジェイソンを攻略してもらわないと、アイザックの下剋上が上手くいかなくなってしまう。

 想定外の行動はやめてほしかった。


「まずはこちらの本をお納めください」


 テレンスは一冊の本を差し出した。


「ありがとうございます。この本は……、えぇっ! ゲヘッゴホッ」


 アイザックは驚きのあまり、唾が気管に入ってむせてしまう。


 本のタイトルが――


『アイザック・ウェルロッド語録』


 ――と書かれていたからだ。


 少し咳が落ち着いてから、アイザックはテレンスに少しきつい目つきで問いかける。


「なんですか、これは!」

「去年、アイザック様と話した事をまとめた本です。売れ行きは好調……。とはいかないものの、読んだ者の評価は上々です」

「えぇ…………」


 軽くパラパラと読んでみると、確かに去年話した内容が書かれていた。


 ――農奴は貴族によって保護されているから、解放する際には悪意から身を守る方法を教育すべし。

 ――国家が富むには、平民が富まねばならぬ。三角形のような形が理想的で、富が少数の上位者に集中して逆三角形になれば国は簡単に転んでしまう。


 など、よくわからないのに偉そうに語った内容だ。

 それに、テレンスの解説などが加わって理解しやすくなっている。


「それ、後で読ませてくれ」

「えぇ……」


 クロードの要求に嫌そうな顔をする。

 誰だって中二病に罹患する時がある。

 去年のアイザックがそうだった。

 その内容を見られるのは恥ずかしい。


「アイザック様の思想は私と違う方向性ではありますが、天下万民のためになる思想。まだ知らぬのならば、是非ともお読みいただきたい」


 テレンスのせいで「読ませない」という選択が取り辛くなった。


(どうせ、他の奴にも見られているんだ……)


 アイザックは渋々、本をクロードに手渡す。


「今回は勝手に本を出した事の謝罪にでも来られたのですか?」


 まさか自分の黒歴史を本にして出されるとは思ってもみなかった。

 少し棘のある声になってしまう。


「いえ、今回はニコルがどうしてもアイザック様に売り込みたい物があると言うので、無理を承知で訪ねて参りました」

「売り込みたい物?」


 アイザックの視線はニコルに移る。


(まさか、自分自身とか言わないよな……)


 申し訳ないが、ニコルの顔は好みではない。

 ニコルより、その辺にいるモブ顔の女の方がよっぽど好みだ。

 そんな申し出をされてないのに、勝手に断るという失礼極まりない行為をしそうになってしまう。


「こちらです」


 ニコルは持ってきたカバンから、素焼きの壺を取り出す。

 アイザックが騎士に渡した薬壺よりいくらか大きい物だ。

 蓋を開けると、茶色のドロドロとした物が入っていた。


(ウ〇コ……、じゃないよな。この匂いはチョコか!)


 冷蔵したわけではないので、気温で溶けてしまっているようだ。


「これは……、なんですか?」


 思わず「チョコレートか?」と聞いてしまいそうになってしまう。

 だが、今までチョコレートなどこの世界で聞いた事がない。

 初めて見る物を言い当てるような事を、なんとなく避けていた。


「これはチョコレートという物です。これを買ってもらいたくてお爺様にお願いして連れてきてもらいました」


 ニコルはもじもじとしながら、アイザックの問いに答えた。

 アイザックと話すのが照れ臭いのか。

 それとも、こうして商談をするのが照れ臭いのかまではわからない。

 少なくとも、半々くらいではありそうだった。


「これを買う? ……わざわざニコルさんが売りに来なくても、テレンスさんには去年十分な報酬が支払われているはずですが?」


 アイザックには、こんな少量のチョコレートを売りに来る理由がわからなかった。

 金ならば家庭教師代として1,000万リード単位で支払われていたはず。

 攻略キャラに接触しようと考えたにしては、いくらなんでも行動が早すぎる。

 王立学院に入ってからが本番だ。

 こんなゲームのシナリオ外の場所で接触を図るヒロインなど、ゲームにならないではないか。

 そう思うアイザックだった。


「実は……、去年の収入で私の息子がカブトムシやクワガタの養殖を始めまして……」

「は?」


 アイザックにはテレンスが何を言っているのか、一瞬理解できなかった。


「養殖?」

「はい。ですが、養殖場を作っている最中にうたた寝をしてしまったようで、養殖のために集めたおがくずに焚き火が引火。息子ともども燃え尽きてしまいました」

「それはその……、ご愁傷様です……」


(何やってんだよ!)


 何とも言えない空気が室内を漂う。

 前世ですら、カブトムシの養殖など専業でやっても儲からない。

 この世界でそんな物を養殖して、どうするつもりだったのか。

 しかも、それが原因で焼け死ぬなど馬鹿でしかない。


「その際に近隣の畑や家に火が燃え移ってしまい、先ほど差しあげた本の売り上げも賠償金で消える始末でして……。それ以来、私も体調を崩してしまいました」

「だから、ニコルさんが作ったチョコレートを売りに来たと」

「その通りです」


 領地を持たない宮廷貴族は、決して貧しくはないが豊かではない。

 日本における地方公務員程度の安定感はある。

 だが、それは平民を含んだ平均的な収入の話だ。

 貴族としては貧しい。

 臨時収入で入った大金を使い、一発逆転を狙って起業する事自体は間違いではない。

 しかし、今回はそれが大きく裏目に出てしまい、借金だけが残る事になってしまった。


 本来ならば、ニコルが大きくなって入学した後も余裕を持った生活ができる程度の金額は手元にあったはずだ。

 それが本の印税を借金の返済に充てるほど苦しい生活に一変した。

 さすがにこれはアイザックも同情する。


「クロードさん、魔法でテレンス先生を治せませんか?」


 アイザックは治療を提案した。

 少なくとも、ニコルの父が死んだという事は収入が減る。

 その分をテレンスに稼いでもらわなければならない。

 だが、クロードは首を横に振る。


「怪我ならばともかく、病気や心の病から来る不調は魔法でも治せない。すまないが、魔法では何もできない」

「そうですか……」


 魔法も万能ではない。

 RPGではかならずある状態異常回復の魔法も無いようだ。

 恋愛SLGの世界である事が残念で仕方ない。


「では、チョコレートの味見をして、どうするか考えましょう。エリザ、スプーンをください」


 アイザックは近くのメイドに声をかける。

 用意されたスプーンは二本。


「私が先に毒見させていただきます」

「うん」


 たとえテレンスの孫が持ってきた物でも、誰かが毒見をする。

 面倒な事だが、アイザックは侯爵家の嫡流。

 安全のために仕方のない事だった。


「うっ……、これは……」

「どうしたの?」


 エリザが顔をしかめる。

 アイザックはエリザに心配そうに声をかける。


「かなり苦い……、です。毒ではないかもしれませんが、アイザック様には少々厳しいのではないかと思います」

「なるほど」


(そういえば、カカオの多いチョコって苦かったような……。これはカカオ100%なのかな?)


 それはそれで少し興味を引かれる。

 受け取ったスプーンで少しだけチョコを取り、口に運ぶ。


(苦っ! ……けど、懐かしい味だ)


 チョコレートの味も懐かしいが、それだけではない。

 かつて、妹の昌美が鈴木の妹を含めた友達数人で、カカオ豆から作る手作りチョコレートをバレンタイデーに向けて作っていた。

 前世のアイザックが「女子高生の手作りチョコ」に引き寄せられるのは当然の事。

 味見役と称して、失敗作も含めて食べていた。

 その時の成功品の味に近い。


 もっとも、バレンタイデーには昌美と鈴木の妹からしか義理チョコを貰えなかった。

 母親は「鈴木さんに貰えたなら、あなたはいらないわよね」と言ってチョコをくれなかった。

 結局、いつも通りバレンタイデーで貰えたチョコは二個。

「三個以上貰える」という新記録を作る事ができなかった。

 このチョコレートは、そんなほろ苦い思い出を思い出させてくれる味わいだった。

 涙がこぼれ落ちそうになる。


 だが、周囲の者はアイザックの事情など知らない。

 苦味で涙目になっていると受け取った。


「あのっ、チョコはそれだけ食べるんじゃないんです。お菓子に付けて食べたりするものなんです。前に送っていただいたお菓子が美味しかったので、こういうのを付けて食べるのもいいんじゃないかなーと思って作ったので。本当は砂糖を混ぜてそのまま食べてもいいんですけど、買えなくて……」


 ニコルがチョコレートについて補足する。

 王都でお菓子屋を開いた時に、関わりのある人間にはお菓子の詰め合わせセットを送り届けていた。

 それを食べてチョコレートを思いついたのだろう。


「チョコレートの原料はどういうものなんですか?」

「ウィルメンテ侯爵領の南部に自生しているカカオという果実を使った物です。作り方を買ってもらいたくて、お爺様にお願いしたんです」


 リード王国は温暖な気候だが、カカオまで自生しているとは思わなかった。

 アイザックは少し驚いた。

 もしかすると、ゲーム的な都合なのかもしれない。


「なるほど。製造方法を……、ね」


 そして、ニコルを警戒する。

 ヒロイン補正は魅力だけではなかった。

 知力も補正を受けているようだ。


 もし「自分達で作ったチョコレートを買い取ってほしい」というだけならば、その製造方法を盗んで買い取らなくなる可能性がある。

 だが「製造方法をウェルロッド侯爵家に売る」というのなら話は別だ。

 真似をして誰かが作ろうとしたら、侯爵家の権力で叩き潰せる。

 侯爵家と敵対する事を恐れて同業他社の出現は制限できる。

 男爵家とは違い、侯爵家だからこそできる事だ。


 新商品の製造方法を意地を張って自分だけの物にせず、ウェルロッド侯爵家に売るというのは良い判断だった。

 何よりも、アイザックに恩を売れる。

 短期的には利益が少なくなるが、長期的には安定した大きな利益を得る事ができる。


(あぁ、そうか。基本的には頭が悪くないはずなのに、入学当初は学年最下位レベルの学力なのはそういう事だったのか)


 アイザックは、ここで一つ気付いた。

 入学後はメキメキと学力、体力、魅力のステータスが伸びていくニコルが、なぜ入学当初は最低レベルの学力なのかを。


 ――原作では貧しかった。


 これに尽きる。

 男爵家の令嬢がアルバイトをしてデート用の服を買ったりせねばならない理由。

 それは金が無かったからだろう。

 今は家庭教師代が原因でニコルの父が借金を作ったが、アイザックがいなくても何かのきっかけで借金を作ったに違いない。

 だから、勉強する余裕もなく、スポーツに興じる余裕もなく、身なりを整える事もできなかった。

 ゲーム開始時点でステータスが最低レベルなのも納得がいく。


(恋愛SLG特有の事だと思って気にしてなかったけど、そういう事情があったのか)


 ニコルは好みではなかったので、キャラ紹介などは見ていなかった。

 こうして事情を知ってしまうと、少し同情しそうになってしまう。

 もし、彼女がモブキャラレベルの可愛さを持っていたなら、積極的に助けただろう。

 だが、残念な事にまったくもって好みの顔ではない。

 チョコレートの製造方法を購入してもいいが、あくまでもビジネスライクな取引をするつもりだった。

 アイザックはクッキーにチョコレートを塗り、一口齧る。


「確かに甘味のあるお菓子に付けると、苦味と合わさって何とも言えない味わいになりますね。チョコレートの苦味を活かしたケーキとかなら、甘い物が苦手な人にも受け入れられそうですね」

「そのまま食べてもいいんですけど、他の物に塗って食べるという使い方もできます。パンとかにも合いますよ」


 アイザックが興味を持ったと思い、ニコルは推してくる。

 父が死に、祖父もそう長くないとなれば少しでも金を稼ぎたいと思うのも当然だろう。


「確かに製造方法を買っても良さそうですね。ご希望の金額はありますか?」

「い、1億でどうでしょう」


 ニコルは本人には思い切った金額を提示しているのだろう。

 アイザックも二年前なら驚いていた。

 しかし、今は違う。

 エルフ関連の出費はウェルロッド侯爵家持ちとなったので、街道整備の給料を支払わなくていい。

 自分で自由に使える金が80億以上ある。

 1億くらいならば、余裕を持って支払える。

 だが、アイザックはテレンスの方を見た。


「借金はどの程度あるんですか?」

「……9,000万リードを超えます」


 ここで借金の事を聞くという事は、その分を支払うという事を意味する。

 テレンスは数か月しか関わりの無かったアイザックに、そこまで頼るのは気が引けた。

 しかし、それでは自分が死んだ後で息子の嫁とニコルが路頭に迷う事になる。

 恥を忍んで正直に借金の額を伝えた。


「それでは契約金1億リード。さらに製造法の独占利用料として、チョコレートを使った菓子の売り上げから何%かを毎月支払う。というのでいかがでしょうか?」


 これは破格の条件だ。

 1億リードとニコルが言うのだから、それ以上支払う必要はない。

 だが、ニコルにはアルバイトをしてもらいたくない。


 ――王子達の攻略に専念してもらわねばならないからだ。


 これは以前から思っていた事だ。

 必要以上の力を付けてもらいたくはないが、いざとなれば契約を打ち切れば良い。

 侯爵家としての権力を使って製造方法を独占したままで。

 これはその時の状況を見て柔軟な判断をしようと考えていた。


「えっ、いいんですか!」

「構いませんよ。ですが、正式な契約はまだです。まずは今あるチョコレートを頂いて、当家で働く菓子職人に試してもらってからとなります。まぁ、多分大丈夫だと思いますけど」


 アイザックの返答にニコルは満面の笑みを浮かべる。


「よろしくお願いします」

「ありがとうございます。これで私も安心して逝けます」

「テレンス先生、そんなに弱気にならないでください。まだニコルさんが十歳にもなってませんよ。もっと頑張ってくれませんと」


 この世界で一つの節目となる十歳。

 それを思い出して貰う事で、テレンスの気力を取り戻させようとした。


「悪いようにはしませんので、先生はお身体を治す事に専念してください」

「突然の来訪にもかかわらず、お会いしてくださった事感謝しております。健康になってまたお会いできますよう、努力致します」


 その後、ニコルとも軽い挨拶を交わしてアイザックはテレンスの帰りを見送った。

 この世界に来て、初めて「死」というものを感じさせる再会だった。

 そう遠くないうちにモーガンやマーガレットとも死に別れる時が来ると思うと、少し物悲しい気持ちになる。

 だが、死に別れた方がいいのかもしれない。

 アイザックが王位を簒奪した時、喜ぶどころか悲しむ可能性の方が高いのだから。




「……何やってるんですか」


 テレンスとニコルを見送ったアイザックが応接室に戻ると、クロードがクッキーにチョコレートを塗って食べていた。


「いや、なんとなく気になってな。一度食べたらやみつきになってしまった。これは売れるぞ。俺みたいに甘い物が苦手な者でも美味しく食べられる」


 そう言って、また一口チョコレートを塗ったクッキーを食べる。

 苦味が甘味を中和して、彼にはちょうどいい塩梅となっているようだ。


「それは良いんですけど、食べ過ぎないでくださいよ。菓子職人に使ってもらわないといけないんですから」


 すでに小さな壺に入ったチョコレートが1/4ほど食べられている。

 このまま放っておけば全部食べられてしまいそうだ。


「これが売り出されたら俺は買うぞ」

「ええ、もちろん製造方法を買い取るつもりですよ」


(世界各国、老若男女問わず人気のある菓子だっていうのは知ってるしな)


 砂糖たっぷりで甘いチョコレートから、苦味のあるチョコレートまで全て人気がある。

 売れるとわかっている商品を独占販売する好機を逃すわけにはいかなかった。


(それにしても、主人公補正は凄いな。パメラと会ってなかったら、初恋がニコルって事になってたかもしれないとは……)


 まだ胸が少し高鳴っている。

 それだけニコルのインパクトは強かった。

 アイザックは、何もかも「主人公補正」で納得してしまった。


 そのせいで「なぜチョコレートの作り方を知っていたのか」という事に思い至らないままでいた。

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