第47話 膝蹴り
11月半ばには王都に到着し、まずはリード王国『賢王』エリアスとエルフの会談が始まる。
挨拶というのもあるが、12月25日。
協定記念日に合同パレードを行うための下準備だ。
「とりあえず」で決められた法の適用範囲などを詳しく話し合う。
当然、アイザックはこの話し合いに参加できなかった。
(子供だからって不公平……、でもないか……)
法律をどう適用するかなど、さすがに口出しできる自信がない。
そもそも、ウェルロッド家内部だから好き勝手するのを許されていただけで、他の者がいる場所でも意見が言えるとは限らない。
うだうだと文句を言う前に、自分にできる事をしようと思っていた。
まずは、王都に作ったお菓子屋に関してだ。
夏休みの終わる9月1日にオープン。
アイザックが王都に来たので、二ヵ月分の報告がされる。
報告者はバート。
アレクシスの弟子で、店長を任せていた男だ。
「客足自体は良いと思います。しかし、それに売り上げが伴わないという状況になっています。ですが、アイザック様が上位貴族用に個室を作ろうとおっしゃっていなければ、もっと悪化していたでしょう」
――店に人気はあるが、売り上げにならない。
その原因は、相手が貴族だという事を忘れていたせいだ。
ハンバーガー店や牛丼屋ではなく、喫茶店形式の落ち着いた雰囲気の店。
さらに、ゆっくりお喋りをしながらお茶を楽しみたい貴族が組み合わさった事で、客の回転が非常に遅い。
「食ったら、さっさと帰れ」とも言えず、混んでいるのを見て帰る客も多いらしい。
侯爵家や伯爵家ゆかりの者を追い返すのは角が立つので、上位貴族専用のスペースを作っていなければ、現場の者達が怒鳴り散らされて困る事になっていただろう。
「持ち帰りはどうなってるの?」
「そちらの売れ行きは好調です。ですが、作るよりも早く売れてしまうので、儲ける機会を失っています」
これは客の回転が遅いせいだ。
店に来てただ帰るだけなのも癪なので、持ち帰りのできるクッキーなどの焼き菓子を買って帰る客が多い。
しかし、まだ開店したばかりだからか、まとめて買って帰る客が多いので売り切れやすい。
売り切れるのは良い事だが、商品が無ければそれ以上売る事ができない。
予想以上に売れているせいで、販売数が厨房の限界を越えていた。
「それじゃあ、店舗の拡張したら? その分の予算は出すよ」
あらかじめ店の敷地を広めに確保している。
厨房を拡張すればいいだけだとアイザックは考えた。
だが、バートは首を横に振る。
「店に来るのは学生客だけではありません。馬車でいらっしゃるお客様の駐車場として空き地を使っております。代わりの駐車場を確保してからでないと、道に馬車が溢れて周囲から苦情が来ると思われます」
「駐車場か……」
まさか、自動車の無い世界で駐車場の問題に直面するとは思わなかった。
店を経営すると簡単に考えたが、甘く考えすぎたようだ。
人に命令するだけでいい貴族ではなく、全て自分で対応しなければならない平民生まれだったら、今頃右往左往していただろう。
「よし、まずは近場に焼き菓子を焼くだけの厨房を作ろう」
「近場にですか? 併設するのではなく?」
アイザックの言葉にバートは首を傾げる。
「そうだよ。空き地は駐車場として使われていて厨房を増設するのは困難。それに、駐車場にするためにいきなり近くの土地を買収するというのも難しいと思う。ちょっと遠いと不便だと不満が出てくるだろうからね。だから、お土産用の焼き菓子を作る厨房をできるだけ近場に建てる。なんだったら、持ち帰れるようにその厨房から直接販売できるようにしてもいい」
「なるほど。店で食べる客と、持ち帰りでもいいという客を分けるのですね」
中には持ち帰り用のお菓子を買う事が目的の客もいるはず。
今の店舗で無駄に並ばずとも、目的の品を買って帰る事ができる。
店の混雑と生産力の不足を補う一手であった。
「そうなると、菓子職人の人手が重要になるんだけど……。アレクシス、今の新人はどう?」
アイザックはアレクシスに話を振る。
新人の育成は彼に任されているからだ。
しかし、その表情は芳しくない。
「彼らも経験者です。焼き菓子くらいならなんとかやれるでしょう。本当のところは、もう少し経験を積ませてやりたかったですが」
侯爵家で菓子職人として働けるのは、下働きであっても五年以上の実務経験者のみ。
レシピのあるお菓子を作るだけなら問題無くやってくれるはずだ。
しかし、新メニューの開発などを考えれば、もっと勉強をさせてやりたかったようだ。
「では、まずは持ち帰り用の店を作る事。その次に二号店、三号店と作っていく事も考えないとね」
「そうなると、新人育成が問題ですね。侯爵家で雇うだけではなく、店舗でも未経験者を雇って育てていかないと間に合いそうにないです」
「うん、それも良い手だね。新人の育成とかが軌道に乗るまで赤字でもいいからね。五年後、十年後を見て行動していこう」
幸いな事に資金には余裕がある。
一番金と時間のかかる人材育成にも手を付けられるのだ。
そこに金を惜しむつもりはない。
(でも、俺の欲しい人材はそっちじゃないんだよなぁ……)
どうせなら、自分の参謀的な立ち位置の人材を育成したい。
先にお菓子職人を育てようとしている事に、少し思うところがあった。
そんな時に、廊下を走る足音が聞こえてきた。
「アイザック様! ランドルフ様がお呼びです!」
「ノーマン……、屋敷内は走っちゃダメだって言われてるじゃないか」
(そういえば、居たなぁ……。こんな奴)
モーガンの秘書官であるベンジャミンの息子ノーマン。
かつてアイザックに自分を売り込みに来ていた人物で、出稼ぎのエルフの世話役の一人だった。
ほぼ半年ぶりに会ったので、その存在を忘れそうになっていた。
こうして屋敷内を走ったりするあたり、まだまだ教育が終わっていないように思える。
「いえ、今回は非常事態なので……。失礼します!」
ノーマンは話しているのも惜しいのか、アイザックを抱き上げてまた走りだした。
「えっ、ちょっと!」
あまりにも突然の出来事に、アイザックは混乱する。
事情すら話されていないのだ。
いったい何が起きたのかがわからない。
何が起きたのかわからないのは、アレクシスとバートも同じ。
二人は顔を見合わせたあと、呆けた表情でアイザックを見送っていた。
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ノーマンに連れていかれたのは食堂。
そこにはランドルフやアロイス達エルフが集まっていた。
共通しているのは、皆に落ち着きがない事だ。
「アイザック様をお連れしました」
ノーマンがアイザックをランドルフの前で降ろす。
連れてきたというよりは、抱えてきたという方が正しいのだが、今はランドルフも何も言わなかった。
ランドルフの近くにはアロイスとクロード、そしてうろたえているブリジットが居た。
「何があったのですか?」
アイザックの問いに答えたのは、苦渋の表情を浮かべているクロードだった。
「ブリジットが……、リード王国側の人間に暴行を加えてしまった」
「えぇっ!」
(やっぱり、やらかしたか!)
そう思うが、さすがに理由もなく暴力を振るうわけがない。
アイザックはブリジットに視線を移す。
「た、確かに相手の頭を抱えて鼻に膝蹴りをしたのは事実よ」
ブリジットは震えている。
やはり、自分のしでかした事の大きさを感じているだろうか。
「でも、いきなり私のお尻に触ってきたのよ。それくらいやり返してもいいじゃない!」
いや、どうやら怒りで震えていたようだ。
拳を握り締めて熱弁する。
「でも、お尻を触った事に対してのお返しにしてはやり過ぎでは?」
アイザックにしてみれば「ビンタでいいんじゃないか?」という思いがあった。
顔面に膝蹴りなど、さすがにやり過ぎな感じがする。
「何言っているのよ! 好意も何も無い相手に触られて許せるわけないじゃない!」
これはブリジットではなく、別のエルフの女性の意見だ。
他にも同意する声が聞こえる。
「しかし、友好の使者として来たわけだし、暴力はダメだろう」
「じゃあ何? 女は黙って体を差し出せとでも言うつもりなの!」
エルフ間で口論が始まる。
「友好的な関係のためなら尻くらい」という意見と「その尻を差し出すのは誰だと思っているの」という意見がぶつかっている。
「アロイスさんはどう思っているのですか?」
まずは代表であるアロイスの意見を求める。
「できれば友好的な関係を築きたい。だが、人間側の友好的な関係というのがどんなものなのか不安も覚える。それで交渉が決裂するにしても、後世のために穏便な決裂が望ましい」
二百年前の戦争は人間がエルフを奴隷のように都合よく操ろうとした事もきっかけの一つである。
たかが尻を撫でられただけといっても、エルフの女からすれば性奴隷にされるまでのワンステップに感じてしまっても仕方が無い面もある。
――友好的な関係は築きたいが、危険を感じるのなら無理に仲良くはしたくない。
――だが、他の村では考え方が違うかもしれないから、交流再開の芽を完全に潰したくない。
そのように考えて、アロイスは悩んでいる。
クロードも、ブリジットを連れてこなければ良かったと後悔している。
だが、いきなり相手の尻を触るようなセクハラ親父がいるのなら、いつかは問題として浮き上がったはずだ。
それが早い段階で問題となっただけだ。
「お父様から見て、騒動はどう思われましたか?」
アイザックはランドルフに尋ねる。
エルフ側だけではなく、人間側の意見も聞きたかった。
「そうだな……。会談後の立食パーティー中の出来事でな。軽い談笑で会場の雰囲気も明るかった。そんな時にいきなり問題が起きたから陛下を含めてみんな慌てていたようだった。事態の収拾のために、一旦パーティーはお開きとなったから、エルフの皆さんにここに集まってもらったんだ。父上は王宮で事情聴取などをしておられる」
別に組織ぐるみでエロイ事をしようとしたわけではない。
パーティーの明るい雰囲気と酒に酔った個人の暴走。
それならば、何とかなるかもしれない。
「ところで、問題を起こした人の派閥とかはどうなんです?」
「王党派の宮廷貴族だ。だが、だからといって嫌がらせのためにやったわけではなさそうだった」
――単純に独身の可愛い女の子の尻を触っただけ。
本人もエルフがパーティー会場から引き上げる事態になるとは思っていなかったのだろう。
だが、身内の人間ならともかく、王党派の宮廷貴族ならば庇う必要はない。
切り捨てる方法でなんとかなるだろう。
「では、いくつか条件を付ければ解決できると思います」
「本当か!?」
アロイスが食いつく。
穏便に済ませられるのならばそれに越した事はない。
「まずはその尻を触った相手の処罰と、その人が以後エルフに関わらない事を要求してください」
「うん、それはその通りだ。しかし、ブリジットにも処罰を求められるのではないか?」
これに関しては要求するつもりだった。
問題はブリジットだ。
やり返した以上、喧嘩両成敗としてブリジットにも何らかの処罰が求められるというのは容易に想像できる。
「いえ、ブリジットさんには何の処罰も下しません。まぁ、実際はアロイスさんやクロードさんからお小言くらいは言ってもらいますが」
「それで向こうが納得するのか?」
「させます」
アイザックには自信があった。
「昔の戦争は人間がエルフを奴隷にしようとして起こりました。恋人でもない相手に尻を触られた事が奴隷にされるのではないかという恐怖を呼び起こして過剰な反応をしてしまったと主張するのです。そちらに非があるという事を前面に押し出すのです」
人間とエルフとでは似た常識を持っているが、異なる点がある。
――加害者側と被害者側。
その被害者であるという点を使い、今回は引かせる。
「なんでしたら、エルフが犯した罪は人間の法ではなくエルフの法で裁くというのも強く要求した方がいいかもしれませんね。適当な罪を着せられて、奴隷にされたりする可能性をなくすためと言えば通るでしょう」
「アイザック、それは……」
アイザックがかなり踏み込んだ事を助言しているのを、ランドルフが困ったような顔をして止める。
――エルフの罪はエルフが裁く。
治外法権を認めるという事は、後々に問題を残す事になるかもしれない。
ランドルフはそれを危惧した。
「問題の火種を起こした痴漢が悪いんです。それに、こういった要求が通るならブリジットさんのやった事は結果的にエルフにとってプラスになる事となります。後々皆さんの中で気まずい思いをしなくてもいいでしょう」
「アイザック!」
ブリジットがアイザックに抱き付く。
――禍を転じて福と為す。
自分のミスを上手くカバーしてくれた事に感謝してもしきれない。
アイザックを胸元でギュッと抱き締めた。
胸の谷間で窒息するような思いをするほどのボリュームが無いのは残念だが、感謝されてアイザックも悪い気はしない。
「しかし、そこまでこちらに都合の良い要求が通るかな……」
クロードが不安そうな顔をしている。
「大丈夫です。きっと通ります。この要求が通らないなら、交渉を止めて森に帰るとでも言えば認めざるを得ないでしょう」
アイザックは確信に満ちた顔つきだった。
エリアスが賢王と呼ばれている事以外にも理由がある。
前世で見た攻略サイトのお陰だ。
メイン攻略キャラであるジェイソンの父親だけあって、エリアスの事も書かれていたからだ。
「エリアスは賢王と呼ばれているが、良い人だと言われたいだけの薄っぺらい男」だと。
エルフとの交流を再開すれば、歴史に名を残す偉人となる。
きっかけはアイザックであっても、やはり国王であるエリアスが「さすがだ」「立派な人だ」と言われるようになるだろう。
エリアスがこの機会を逃すはずがない。
多少の不平等条約であっても、受け入れるはずだ。
それに、これはリード王国が結ぶ条約であって、アイザックが結ぶ条約ではない。
いつか国を乗っ取った時に、改めてエルフ達とまともな条約を結べばいい。
不平等条約を訂正するという事は、新しい国王として一つの功績となる。
リード王国には不利でも、アイザックが有利となるのならば、この提案は躊躇するようなものではなかった。
「そんな無茶な……。だが、言うだけは言ってみるか」
アロイスはアイザックの提案に乗った。
今はよくても、いつかは問題が起きる時が来る。
その時に奴隷となって罪を償えと言われて揉めるよりは、今のうちに有利な条件を突きつけるのも悪く無い。
ブリジットがやり過ぎたという負い目はあるが、最初に尻に触ったのは王国側。
その点を主張し、交渉を有利に導くというのは十分に有りだと判断した。
アロイスの決定を聞いて、ランドルフは溜息を吐く。
「アイザック、彼らの事を考えるのは決して悪い事ではない。だが、王国貴族として、もう少し王国の事も考えてくれ」
「申し訳ありません」
アイザックは王国貴族として、王家への忠誠心が薄い。
まだ子供だからとはいえ、このままではマズイ。
頭が良いはずなのに、貴族としての常識が抜けているアイザックに、ランドルフは苦笑を浮かべる。
まさか、忠誠心が薄いどころか、我が子が下剋上まで考えているとは思いもしなかった。
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