第三章 継承権争い -決着編-

第46話 ネイサンの交渉とメリンダの沈黙

 入札は終わったが、九月は今年最後のティリーヒル行きとなっている。

 アロイスとその護衛を王都へ連れていくためだ。


 エルフは国という枠組みを作っていない。

 村を最大単位とする都市国家のような政治体制を敷いている。

 とはいえ、村長が独裁者というわけでもなく、大統領でもない。

 皆のまとめ役くらいの立場だった。


 エルフ達とは仲良くしたいが、国王としての面子がある。

 そのため、国王自らが出向いてアロイスに挨拶をするわけにはいかなかった。

 エルフ達としても対等な関係を築くために関係を持ちたくても、決して臣従したわけではない。

 手下のように呼びつけられる事は認められなかった。

 だが、国王と村長では、さすがに立場が違い過ぎるという事も理解している。

 だから、臣下として呼びつけるのではなく、友好の使者として国賓待遇で出迎える事にした。

 実質的には呼びつけるのと同じとはいえ、名目というものは面倒でも重要なもの。


 アロイスが世界中のエルフの代表者というわけではないが、ウェルロッド領の東に位置する森林地帯に住むエルフの代表者にはなれる。

 そのために、これまでの間周辺の村の者達と調整をしてもらっていた。

 護衛として他の村の者も混ざり、王都に招く予定だ。


 まずはランドルフが迎えに行く。

 そして、ウェルロッド家の者達と一緒に王都へ向かう段取りになっている。

 彼らを迎えに行く際、ブリジットをひとまず森へ送り返す予定だった。

 クロードはともかくとして、ブリジットは王都で国王やその周辺の重鎮に会わせる事に不安がある。

 同様の理由で、長老であるマチアスも使者の候補から外れていた。

「ちょっとしたイタズラ」を行ないそうな者は、最初の交流には不要だという判断だった。


 だが、王都行きの候補から外れたブリジットは必死だ。

 ウェルロッドよりも華やかなイメージのある王都。

 是が非でも行きたいと思い、アイザックに猛アプローチを仕掛けていた。




「ねぇ、せっかく王様とかに会うんだよ? 綺麗どころがいた方が絶対喜ばれるって」

「それなら、モラーヌ村から大人の女性も来るそうなので間に合ってます」


 アイザックはブリジットと目を合わせようともしない。

 黙々と花壇に生えてきている雑草を引き抜いていた。


「あぁ、もう! 私が行きたいのよ。連れていってくれたっていいじゃない。半年ほどの付き合いがあるでしょ!」

「あっ」


 ブリジットがアイザックを背後から抱き上げる。

 取り付く島もないアイザックの態度に業を煮やしたのだ。

 とりあえず、花壇の手入れから遠ざける事にした。


「ねぇ、連れていってよ。私も王都が見てみたいなぁ」


 ブリジットはアイザックの耳元で、猫撫で声を出す。


「ほら、こういうところがダメなんですよ。子供じゃないんだから、自分の希望が叶わないからといって、すぐに行動に移さないでください。国王陛下やその側近に軽率な行動をしてしまい、やっぱりエルフとは断絶状態のままでいいとなったら、困るのはブリジットさんなんですよ」

「うっ……」


 自分の行動がダメだと言われ、さすがにブリジットも言葉が詰まる。

 しかし、外の世界への興味はある。

 そう簡単に諦める事ができなかった。

 アイザックの背中に胸を押し付ける。


「じゃあ、偉い人には会わないから。……ねっ?」


 そう言いつつ、背中に胸をグリグリと押し付けてくる。

 だが、それはアイザックには逆効果だった。


「ダメなものはダメです。大体、お父様くらいの年齢の大人ならともかく、子供相手に色仕掛けとかどうかしているんじゃないですか?」


 アイザックには反省してもしきれない失敗がある。

 前世で妹の頼みを聞いて、パソコンを買いに行った帰り道で事故に遭ってしまった事だ。

 あの時は、妹が胸を押し付けてきたり、女友達を紹介するという色仕掛けに騙されてしまったせいで起きた事だ。

 アイザックは、その事がトラウマになっている。

 女の色仕掛けには絶対に乗らないと、固く誓っていた。

 年頃の女性に抱き着かれても、考えが揺るがないのはそのせいだった。

 

「お父様って、ランドルフさんの事? 大人の男の人相手にこんな事できるわけないじゃない。何言ってるのよ」


「頭、大丈夫?」と言わんばかりに、アイザックの頭をペチペチ叩く。


「そういう事はわかるのに、なんでわかってくれないのかなぁ……」


 まったく理性が無いというわけではないのが厄介だ。

 子供相手なら大丈夫と、わかったうえでやっているのが鬱陶しい。


(親父とか大人相手に色仕掛けを使ってくれれば、誰もが王都には連れていけないとわかってくれるのに……)


 アイザックがここまで嫌がっているのは、ブリジットをネイサンから引き離すためでもある。

 ネイサンはアイザックと違い、ブリジットを年上の綺麗なお姉さんとみて惚れている。

 当然、ブリジットに対する態度も柔らかい。


 ――しかし、将来的にはネイサンには死んでもらうつもりだ。


 ネイサンが自分に好意を持っていると気付いていた場合、ネイサンが死んだ時にブリジットはさすがに悲しむだろう。

 アイザックは、友好的な関係にあるブリジットを悲しませるような事は避けたいと思っている。

 そのために、できるだけ関係を深める機会を減らそうと気を揉んでいた。


「とりあえず、僕には万が一が起きた時の責任を負い切れません。お父様やクロードさんといった大人相手に交渉してください」


 小さいとはいえ、胸を押し付けられるのは嬉しい。

 だが、人目があるので、いつまでも楽しみ続けるわけにはいかない。

 ランドルフとクロードにブリジットの扱いを任せる事にした。

 丸っ切り嘘というわけでもないので、間違った事は言っていないはずだ。


「む~……」


 ――アイザック、ランドルフ、クロード。


 誰が一番説得しやすいかをブリジットは考えている。

 しかし、考えるまでも無かった。


 ――狙い目はランドルフだ。


 アイザックは子供のくせに「ダメなものはダメ」と強い意志を持って拒否する。

 しかも、ちゃんとした理由があるので意見が揺るがない。


 クロードは同じ村の大人という事でよく知っている。

 マチアスの孫なのに――いや、マチアスの孫だからこそ、祖父を反面教師にしっかりとした大人になっている。

「王都に行きたい」という理由だけでは説得できそうになかった。


 だが、ランドルフは違う。

「森の中で生まれ育ったから、王都を一度で良いから見てみたい」と、涙ながらに頼み込めば許してくれそうだ。

 領主代理として無難に仕事をこなしているが、まだ政治家としては脇が甘い。

 下手を打たなければ、同行を許してくれると思われる。


「わかった。そうする」


 ブリジットはアイザックを地面に降ろした。

 ようやく地に足がついた事で、アイザックは安心すると共に寂しさを感じる。

 前世ではまったく体験できなかった女性の温もり。

 終わってしまうと、簡単に手放すのは惜しく感じてしまうのが男の性だ。


「お父様の仕事の邪魔はしちゃダメだからね」

「大丈夫、大丈夫」


 思い立ったが吉日と、ブリジットは早くも交渉に向かう。


「何が大丈夫なのか、主語がないから不安なんだけど……」


 ブリジットは足早に遠ざかっており、アイザックの呟きに答える者はいなかった。 



 ----------



 アイザックの不安は的中した。

 花壇の手入れが終わり、パトリックと遊ぼうかと思った時に父に呼び出された。


(あちゃー、ブリジットを押し付けた事を怒られるかな……)


 実務は秘書官を始めとした官僚が行うとはいえ、アイザックは名目上のエルフ関係の責任者だ。

「説得を押し付けるな」と、お小言をもらう覚悟をした。

 これは面倒から逃げた代償だ。

 自分が受けるしかない。

 アイザックは嫌々ながらも、逃げる事なく執務室に入る。


「……えっ? 兄上!? メリンダ夫人も!?」


 執務室の中にはクロードとブリジットだけではなく、ネイサンとメリンダも居た。

 予想外の事態で、アイザックは状況が飲み込めない。

 その様子を見て取ったランドルフが、状況を説明するためにもアイザックに話を始める。


「アイザックはブリジットさんが王都へ向かうのに反対だそうだな」

「はい。連れていくにしても、今年は避けて来年以降にするべきだと思っています」


 最初は祝いだなんだとパーティーに出席する機会も多いはずだ。

 そこでボロを出されては困る。

 連れていくにしても、エルフの物珍しさが減る二年目以降にするべきだと考えていた。


「ブリジットさんだけのけ者にするなんて、お前は酷い奴だな! 恥を知れ!」


 アイザックにネイサンが噛みつく。

 

「いえ。のけ者ではなく、むしろ守っている方ですよ」


(っていうか、お前がそれを言うな!) 


 年の近い男の子は全員ネイサンが独占している。

 そのせいでアイザックは男友達がいない。

「友達がいなくて泣く」というほどではないが、時々寂しく思う事もある。

 その元凶に「ブリジットをのけ者にするな」と言われて、少しムッとする。


「ブリジットさんは、立派で素敵なレディーだ。王都へ連れていってあげてもいいじゃないか! ですよね、父上!」

「ん、あぁ……。そうかもな……」


 ネイサンがブリジットに肩入れする。

 ランドルフも、ネイサンがブリジットにあからさまな好意を向けている事に動揺している。

 ネイサンもランドルフの血を分けた可愛い息子だ。

 できる事なら、その願いを叶えてやりたい。

 しかし、アイザックの意見も無視できない。

 可愛い息子の間で板挟みとなっていた。


(なんだ、この状況……)


 アイザックは、まず状況を見極めようとしていた。

 といっても、ブリジットに関しては一目でわかった。

 自分の味方になってくれているネイサンの頭を撫でている。

 おそらく、彼女がネイサンに「私は王都に行っちゃダメなんだって。寂しいなぁ」とでも吹き込んだのだろう。

 ランドルフを説得する道具として、ネイサンを使ったようだ。

「使えるものは使う」という姿勢を責めはしないが、ウェルロッド家内部の事情も知らずに接触するのはやめてほしいと、アイザックは思った。


 そして、一番不可解なのはメリンダの存在だ。

 傍にいる彼女も、ネイサンがブリジットに対して恋心を抱いている事には気付いているはずだ。

 それなのに、なぜネイサンの好きにさせているのか?


 ――将来的にブリジットをネイサンの嫁にする。

 ――アイザックだけがエルフとの接触を持っているのが気に入らないので、接触を持つきっかけにする。

 ――アイザックの決めた事が気に入らないから、それに反対する行動を取っている。

 ――もしくは、勢いを持ち始めたアイザックの決めた事を覆す事で、周囲にネイサンの方が上位だと知らしめる。


 どれか一つかもしれないし、全てかもしれない。

 他にも理由がある可能性だってある。

 今この場で判断するのは、なかなか難しい。

 この場で結論を出すのは無理そうだった。


「同じ村の住人として、クロードさんはどう思われますか?」


 少しでも時間を稼ぐために、アイザックはクロードに話を振った。

 執務室には秘書官達がいる。

 どんな答えを出すにしても、意固地にならず周囲の意見を参考にする柔軟性を見せておいて損はない。


「ブリジットはエルフとしては子供だが、人間より寿命が長い分長年蓄積した経験と知識によって状況に合わせた態度を取る事ができると思う」

「ほらね。クロードもこう言ってくれてるし、行ってもいいでしょ? なんだったら、王様には会わなくてもいいし」


(そういう軽い態度をこういう場面で見せるから、イマイチ信用できない原因になってるんだけどなぁ……)


 そう思わなくもないが、クロードも大丈夫だろうと言っているのだ。

 これ以上、自分一人だけ反対していても仕方が無い。


「わかりました。クロードさんが大丈夫だというのなら、反対はしません」

「やった。ありがとう」


 ブリジットは喜び、ランドルフと話してくれたネイサンを抱きしめる。

 恥ずかしがってブリジットの胸から離れようとするが、ネイサンもまんざらではなさそうだ。


「ですが、僕が懸念を表明したという事だけは忘れないでください」


 アイザックは念のために保身に走った。

 これでブリジットが王都で問題を起こしても「ほら、やっぱり」と言える安全圏に立つ事ができる。

 何も問題が起きなければ「心配し過ぎたようです」と、後で謝ればいい。


「わかった。覚えておこう」


 ランドルフは返事をしながらも、不安を覚えていた。

 クロードやブリジットとの付き合いは短い。

 彼らを信じたいという気持ちもあるが、アイザックがブリジットを不安視するので、ランドルフまで不安になってくる。


「他に無ければ、僕はこれで失礼したいと思います」

「ああ、下がって構わない」


 アイザックは退室前に挨拶をして、先に部屋を出ていった。

 誰もいないところで、少し考えたかったからだ。

 廊下を歩きながら、アイザックは先程の事を考える。


 ――ブリジットの事。


 いや、違う。

 彼女への配慮は済ませた。

 それに気付いてもらえなかった以上、ネイサンが居なくなった時に悲しむのは自己責任だ。


 ――王都での事。


 これも違う。

 さすがにランドルフが誰かの失態に連座して処罰を受けないかは心配だが、それはその時になってみないとわからない。

 今から考えても、どうすればいいのかわからない以上、考える時間の無駄だ。


 ――メリンダの事。


 アイザックが気になっているのはこれだ。

 さっきはずっと黙ってネイサンを見守っていた。

 普段の彼女ならば、ブリジットがネイサンに抱き着いた時に「馴れ馴れしい」と、叱りつけてもおかしくない。

 ネイサンがブリジットに片思いしているとしてもだ。


(ネイサンも意見を通せるという実績を与えたかったのか? だから、最初から最後まで黙っていると決めていたとか?)


 ネイサンに任せず、メリンダが普段通りにランドルフに要求していれば、アイザックが反対してようが押し切られていたはずだ。

 それをしなかった。

 デニスがメリンダに接触し始めたせいか。

 それとも、他の何かがメリンダの心を動かしたのか。

 アイザックには何もわからない。


 何かを言われたりしたわけではない。

 ただ、沈黙を貫いていただけだ。

 だが、メリンダが普段とは違う態度を取っていたせいで、何かを言われるよりも効果的にアイザックは混乱させられていた。


 このモヤモヤとした気持ちの悪いものは晴れる事無く、王都行きの準備で忙しくなって忘れるまで、アイザックの心に残り続けていた。

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