第45話 デニスの運命
「お待たせしました」
応接室に入ると、デニスが直立で出迎えた。
アイザックは椅子に座り、デニスにも座るように勧める。
「他の方々はどうされたのですか?」
今は部屋の中に二人きり。
デニスは護衛どころか、秘書官すら連れていない事を不思議に思った。
「僕に危害を加えるつもりですか?」
「滅相もない! そのような気はありません!」
アイザックに直接手を出せば、一族郎党揃って処刑される。
逆上したからといって、貴族に手出しするほど愚かではない。
だが、万が一を考えれば、アイザックの行動は無防備過ぎる。
「なら、いいじゃないですか。それに、これから話す内容は人がいない方が都合が良いですし」
――人がいない方が都合が良い話。
その言葉だけで緊張し、デニスは喉がカラカラに乾いた。
アイザックがどんな話をしてくるのかが、まったく予想できない。
救いだったのは、二人きりで話すという事だ。
酷い内容だとデニスが逆上し、全てを捨ててアイザックを殴り殺す可能性もある。
「少なくとも、追い詰められるような話はしないだろう」という事だけが、ほんの少しだけデニスを安心させていた。
「今回、最も多い回数落札できなかったので、禊を済ませる事ができませんでした。ですから、ブラーク商会にもう一度禊を済ませるチャンスを与えようと思っています」
デニスはホッと息を吐いた。
そして、すぐに気を引き締める。
相手はアイザックだ。
何を言ってくるのか、確かめねば安心などできない。
「僕と兄のネイサンの後継者争いについて、どの程度知っていますか?」
「へっ? あ、あぁ、それでしたら……。メリンダ夫人が熱心にネイサン様を次々代の領主にしようと色々頑張っているという事くらいですね」
アイザックはその答えを聞いて「うん、うん」と、うなずいている。
それだけわかっているのなら、話はスムーズに進められるからだ。
(自分の後ろ盾になれという事か?)
後継者争いの話を持ち出されて驚いたが、それはアイザックが「力を貸せ」と言ってくる前触れだろうと、デニスは考えた。
商人と貴族という身分差はあるが、下手な貴族よりはブラーク商会の方が影響力はあると自負している。
その力を求めるというのもおかしな話ではない。
(それも悪くないな)
アイザックにはしてやられたところだ。
恨みを持って嫌がらせをするよりも、今はまだ味方の少ないアイザックに味方して見返りを求める方が利益になる。
個人としてはアイザックに含むところがないわけではないが、商人としては味方をする事に抵抗はない。
何と言っても、アイザック本人の力量をよく理解している。
普通の子供であるネイサンよりは、担ぎ甲斐のある相手だ。
「実はブラーク商会の力を貸してほしいのです」
(ほら、来た)
デニスは自分の予想が当たった事で、少し自信を取り戻した。
「私にできる範囲の事でしたら」
(これで関係の改善どころか、後継者争いの手助けをしたという事でそれなりの立場を確保できる。お抱え商人で無くなっても、ブラーク商会は安泰だ)
アイザックから協力要請があったので、こちらから安売りせずに済んだ。
失点の回復機会を与えてくれたアイザックに感謝したいくらいだった。
「では、メリンダ夫人と兄上に『後継者としてふさわしいのはネイサン様だ。アイザックなどふさわしくない』と、吹き込んできてください。そして、協力の申し出をしてください。そうしていただけると、排除がやりやすくなって助かります」
「は?」
予想外の申し出に、デニスは間の抜けた声が出てしまう。
普通なら、ここは――
自分のために他の貴族を買収してきてくれ。
こっそり私兵を揃えたいので金を提供しろ。
お抱え商人としての人脈を使って、有力者を紹介しろ。
――といった事を要求してくる場面だったはず。
あまりにもおかしな要求に、デニスは頭がどうにかなりそうだった。
「協力を申し込むという事は、ブラーク商会もネイサン派に付いたと思われて、不利になるのではありませんか? 風向きを見定めている者もネイサン派に加わる危険もあります」
デニスはアイザックの考えが間違っていると指摘する。
お抱え商人を味方にするという事は、財力の面で不安が無くなるという事。
日和見主義者まで”確実にネイサン派が勝つ”と見て、ネイサン側に付きかねない。
「それくらいは良いんですよ。自分達が圧倒的に有利な立場にいると思わせる事で、ウィルメンテ侯爵家の本格的な介入を防ぐ狙いもありますので」
「なるほど、そういう事ですか」
後継者争いで勢力が拮抗すれば、当然メリンダは実家のウィルメンテ侯爵家に助けを求めるはずだ。
そうなれば、ウェルロッド侯爵家とウィルメンテ侯爵家の争いにまで発展する可能性も出てくる。
侯爵家同士の争いとなれば、収拾を付けるのは至難の業。
下手を打てば、双方の家が取り潰しという最悪の事態になるかもしれない。
メリンダとネイサンの二人に狙いを絞り、排除後の混乱を最低限に抑えるつもりなのだろう。
アイザックの深謀遠慮を知り、デニスは感心するどころか、恐れを抱いた。
「この件についてランドルフ様達はご存じなのですか?」
「いいえ、知りません。僕が勝手にやっている事ですよ」
アイザックの答えはデニスを悩ませる。
確かにアイザックの歓心を買いたいところだが、モーガンやランドルフの反感を買っては意味がない。
デニスの顔色が渋いものとなる。
「ここであなたが兄上の味方になるのは、当然の流れだと思いますよ。だって、僕が後継者として確定すると、ブラーク商会は将来的にお抱え商人ではなくなるのですから。ブラーク商会が兄上の味方に付く動きを見せても”ブラーク商会としては当然の行動だ”と、お父様もお爺様も責めはしないでしょう」
悩むデニスに、アイザックは後押しをする。
「禊を済ませるためというのはわかります。……その他に報酬はあるのでしょうか?」
確かに悩んでいるのは事実だ。
その悩む姿を利用して「もう一声!」と要求した。
どんな状況でも利益を求める行動を取るのは商人の鑑と言える。
アイザックも不快には思わなかった。
むしろ、報酬を求められた方が安心できた。
「僕が領主代理などになった暁には、グレイ商会がお抱え商人となり、食料品はワイト商会、装飾品はレイドカラー商会に仕事を仲介するという事になりました。木工品に関しては他の商会と同様に、グレイ商会が仕事を請け負って、ブラーク商会に仲介するというのはどうでしょうか? 木工品限定の疑似お抱え商人のようなものです。協力していただけるのであれば、決してブラーク商会を無下には扱いません」
木材や木工品といった木製品は、ブラーク商会が昔から中心に取り扱っている商品だ。
今よりも商会の規模縮小を余儀なくされるが、ブラーク商会が潰されるというわけではない。
アイザックが権力を握るまでという準備期間もある。
しかも、1億リードの仕返しで175億リードも奪い取ったアイザックが相手だ。
ワイト商会やレイドカラー商会と同列に扱ってもらえるだけ、まだマシと言える。
「それだけの条件を出していただけるのであれば、喜んでお引き受け致しましょう。……ですが、本当に私がネイサン派になってしまったらどうされるのですか?」
なんとなくだが、そんなくだらない事を聞いてしまった。
「その時は『少し気に入らない相手』から『排除すべき敵』に変わるだけですよ。手段を選ばずに叩き潰されたいのなら、いつでもどうぞ」
「いやいやいやいや、仮の話です。仮の。そのようなつもりはございません」
――そして、後悔する。
少し気に入らない相手への仕返しがあれなら、手段を選ばずに叩きのめされるというのはどういう事なのか……。
想像するだに恐ろしい。
少しでも本気でネイサンに付く事を考えてしまった自分の愚かさを悔やんでしまう。
何かの間違いで、アイザックの矛先が自分に向かない事を願った。
「最初はメリンダ夫人や兄上を焚き付けるだけで結構。頃合いを見て、新たな指示を出しますのでそれに従ってください。何か質問はありますか?」
デニスに対して、アイザックは平静を保っている。
その姿を見て、慌てている自分に気付き、デニスも少し冷静になれた。
「焚き付ける必要はあるのですか? 今のままでも、後継者になれると思うのですが……」
デニスの質問はもっともなものだった。
――ブラーク商会のデニスをやり込めた。
――エルフとの交流再開のきっかけを作った。
――領内の街道整備を進めている。
全て六歳の子供のやる事とは思えない。
時が経てば、後ろ盾など関係なく誰もが認める大人物になるはずだ。
今でこそアイザックは不利だと思われているが、その流れは変わってきている。
無理にメリンダを動かして足をすくうような真似をする必要はないように思える。
少なくとも、デニスはそう思った。
「ありますよ。だって、兄上が生きている限り、当主になっても暗殺に怯え続けなくてはならないでしょう?」
ネイサンの継承権を失わせても、アイザックが死ねばネイサンを担ぎ出す者がいるはずだ。
それに、アイザックによって冷や飯を食わされた者が、ネイサンを旗印に反乱を起こす可能性だってある。
ウェルロッド侯爵家の直系の血を受け継いでいるネイサンは、生きているというだけで迷惑な存在だった。
この世から居なくなってくれないと、アイザックは枕を高くして眠る事などできない。
アイザックは軽い笑みを浮かべる。
だが、言われたデニスの顔は引き攣っていた。
「つまり、ネイサン様を
これはあまりにも想定外の発言だった。
ネイサンに死んでもらう事は、アイザックの中で”決定事項だ”という事。
彼はてっきり、先ほどアイザックが言った「排除する」というのは”支持を失わせる”だとか”継承権を失わせる”という意味での
それが”命を失わせる”という意味での
「嫌だなぁ、あくまでも排除ですよ。殺すだなんてとんでもない。誰かに聞かれたりしたら大変ですよ」
そう言うアイザックは薄ら笑いを浮かべている。
どう見ても「わざわざ言わせるなよ、そんな事」と言っているようにしか見えない。
「もし、ご領主様やランドルフ様がその事を知れば――」
「どうにもなりませんよ」
アイザックはデニスに最後まで喋らせなかった。
「あなたはご自分の置かれている状況を理解していない。今のあなたがお爺様やお父様に”アイザックはネイサンを陥れて殺そうとしている”と言ったところで信用してもらえると思っているのですか?」
アイザックはフンと鼻で笑う。
「信じてもらえるはずがないでしょう。入札でやられた意趣返しに嘘を吹き込んでいると思われるだけです。告げ口などしても、却って立場が悪くなるだけ。今のあなたが取れる道は二つ。僕に従うか、兄上に付くかです。中立などという立場は許されない。さぁ、どうしますか?」
アイザックの言う通り、モーガンやランドルフへの告げ口は無意味だろう。
ならば、正しい選択はどちらか。
「……アイザック様に従います」
たった六歳の子供に従わされる。
本来ならば屈辱を感じるべきなのだろうが、今は恐怖しか感じなかった。
子供どころか、そこらへんにいる貴族よりもずっと知謀に長けている。
まるで恐怖が具現化し、目の前に子供の形で存在しているようにすら思えてしまう。
「ジュードの生まれ変わりのようだ」と、デニスは感じてしまっていた。
そう思ってしまった時点で”ネイサンに付いて、アイザックと敵対する”という道など選べなかった。
「なら結構。メリンダ夫人に後継者はネイサン様の方がふさわしいとか、適当に耳あたりの良い事を吹き込んで、その気にさせておいてください。自然か不自然かはともかくとして、今のあなたの立場なら近づくのは容易なはずです」
「はい……」
アイザックは満足そうな笑顔をしている。
兄を殺すための話をしたばかりなのに、その笑みは子供らしいものだった。
その落差がデニスの恐怖心をより一層強く掻き立てる。
「あっ、そうだ」
何かを思いついたアイザックに、デニスは体をビクリとさせる。
「入札に参加した他の商会への嫌がらせはしないでね」
「かしこまりました」
何も反論する気など起きない。
ただ、アイザックに従う。
それだけが自分が生き残る道だと思い込まされていた。
デニスは一度叩きのめされてしまった事で、アイザックに苦手意識を持ってしまった。
その苦手意識が、先代当主であるジュードと結びついてしまい「従うしかない」と勝手に思い込んでしまったのだ。
ウェルロッド侯爵家、三代の法則という噂話も思い込ませる事に一役買っていた。
「他には何かございますか?」
「ううん、今のところは何もないよ。良い話ができて良かったです。もうお帰りくださって結構ですよ」
「ハッ、それでは失礼いたします」
デニスは一礼をすると、逃げるように帰っていった。
彼が出ていったドアを、アイザックは険しい顔で見つめている。
(デニス、文言には注意しろって言ったよな)
アイザックは
デニスが勝手に「ブラーク商会には自分も含まれている」と勘違いしているだけだ。
大体、アイザックが手出しせずとも、メリンダを焚き付けた人間が無事で済むはずがない。
「とどめを刺すのがアイザックか、モーガンか」くらいの差でしかない。
(俺が親父をコケにしたお前を、ただで許すわけがねぇだろうが!)
揉め事になった時点で、エドガーと名乗った男の首を手土産にでもしていれば別だった。
だが、デニスは口では謝罪をしても、本当の意味で謝罪をするつもりはない。
それは入札で金をケチっていた事からわかっていた事だ。
――入札で他の商会の予算を見極めて、安全マージンを取った金額で入札をする。
これは商人としては普通の行動だ。
無駄に高い金額で入札して、金を無駄にする必要などない。
しかし、今回の入札はデニスにとって贖罪の意味も含まれていた。
入札に勝つというだけではなく、高額の入札を行って金で罪を贖うべきだったのだ。
だが、デニスはそれを怠った。
その事がアイザックには不満だった。
だから、決めた事がある。
――デニスの命を以って、ブラーク商会の禊を済ませる。
これはデニス自身が招いた結果だ。
ネイサンを排除するための道具として使い捨てられる。
それがアイザックが決めた、彼の運命だった。
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