第44話 入札の結末
最後となる十一回目の入札。
この日は少し重苦しい雰囲気になっていた。
しかし、アイザックだけは平然としている。
「それでは発表と参りましょう。最後となりますので、落札者の金額も発表します」
アイザックの言葉で、ワイト商会とレイドカラー商会は肩を落とす。
どちらかが落札している場合は、落札回数三回で横並びになる。
彼らが落札していれば、もう一度行われるはずなので、最後と言われた時点で落札できなかったという事を察した。
実質的にグレイ商会とブラーク商会の一騎打ちだ。
「低い順番で始めます。レイドカラー商会、88億リード。ワイト商会、92億リード」
溜息が聞こえる。
わかっていた事とはいえ、やはりガッカリだ。
ワイト商会は食料品で単価が低い。
レイドカラー商会は装飾品で単価は高いが、売れ続けるというわけではない。
彼らにはここの辺りが限度だった。
しかし、アイザックは入札に参加した商会を無下には扱わないと言っていた。
それを信じて、彼らは席を立たずに結末を見届ける。
「次にブラーク商会。200億リード」
「嘘だ!」
勢いよく立ち上がりながら、デニスはアイザックの発言を否定する。
「グレイ商会が用意したのは80億リード前後。他の商会から金を借りたとしても200億リードを超えるはずがない!」
他の商会の懐具合がわかっているからこそ、デニスは信じられなかった。
思わずアイザックが侯爵家の継承権第二位という事を忘れ、強い言葉で真っ向から否定した。
「グレイ商会が250億リードで落札です」
対するアイザックは冷静だ。
こういう反応をすると予想はついていた。
そして、グレイ商会が勝った理由もわかっている。
全てアイザックの計算通りに進んだので、慌てる理由など無かった。
落ち着いて落札者を発表する。
だが、これを受け入れられないデニスは諦めない。
「そして、その根拠はこれです」
アイザックは一枚の紙切れを取り出す。
それは「175億リードの借用書」だった。
「借用書! そんな物は無効だ! 金をこの街に持ってこいと言っていたじゃないか! 大体、ウェルロッド家の力を借りるのはダメだというルールもあった! それは二つのルールに違反している!」
デニスの語気が荒くなる。
仮にも大手商会の商会長。
その言葉には迫力が籠っている。
しかし、子供であるはずのアイザックはまったく動じていない。
それどころか、冷たい視線で見つめていた。
(注文ミスった時の店長の『殺すぞ』という殺気立った目付きほどの迫力ねぇよ)
ブラック企業で働けば、自然と心が荒む。
心が荒み切った店長に比べれば、騎士によって身の安全が確保されている今の状況で凄まれても怖くはない。
……嫌な慣れである。
「どちらも問題ありませんよ。お金はこの屋敷にあります。……175億リードという数字に覚えはありませんか?」
「そんなもの……。……まさか!」
改めて言われて、デニスはこの金額に思い当たるところがあると気付く。
「先月までにブラーク商会が支払った金額です。この街に運ばれる金の動きを見張っていても、出ていく金までは調べてなかったようですね」
アイザックはクスクスと笑う。
これはデニスの手抜かりだ。
払った金の行先を、まったく調べようとはしなかった。
誰かに貸し出すために、ティリーヒルに残しているとは思わなかったはずだ。
他の商会の予算を知る方法があるからこそ、三商会の持ち込む金の多寡に囚われてしまっていた。
だが、この方法には疑問点がある。
「し、しかし……。その方法は、ウェルロッド侯爵家の力を借りてはいけないというルールに違反するでしょう」
デニスはもう一つのルールに違反を主張した。
これにアイザックは、軽い溜息を吐いてから答えた。
「あなたも商人なんだから、文言はよく読みましょうよ。『アイザック以外の』って書いているじゃないですか。僕に借りるのは良いんですよ」
「それは――」
バンッ! とアイザックは机を平手で叩く。
その音でデニスの言葉は途切れる。
「有力な後ろ盾を持たない無力な小僧。そう思って、入札に影響を与えられないだろうと見過ごしていた者の責任だ! 受け入れろ」
強く叩きすぎて、手の平がジンジンとする。
だが、ここは決め所だ。
痛みなど無いかのように堂々と言い放った。
デニスもアイザックを子供だと思って侮っていたところがある。
こう言われてしまっては、反論の言葉がなかなか出てこない。
(そうか! これは俺をハメるための……)
反論を考えている時に、デニスは気付いた。
――王都でモーガンに呼び出されたのも、自分を罠に導くため。
――入札に参加する事を認めたのも、金を吐き出させるため。
――そして、これらの絵図を描いたのが、おそらくアイザックであるという事。
ランドルフが領主代理になると聞いて、様子を見るために放ったジャブ。
そのジャブがアイザックを怒らせ、リング外に引きずり下ろされてリンチを食らう事になってしまった。
あまりにも過剰な報復を理不尽だとは思うが、ここまで完膚なきまでに叩きのめされた以上、涙を呑んで受け入れるしかない。
既にアイザックとの格付け勝負は終わった。
ここはその結果を受け入れるしかない。
アイザックの変貌に驚いたのはデニスだけではない。
他の者達も驚いていた。
確かに変貌の片鱗は以前にも見られた事があった。
しかし、まさか自分に有力者の後ろ盾が無い事を上手く利用して、デニスを油断させていたとは思わなかった。
しかも、それだけではない。
――この入札はブラーク商会を叩きのめすだけが目的ではない。
――入札を利用して自分の頭脳を周囲にアピールする。
――そして、あわよくば個人の財力を身に付ける。
そういった目的も含まれていると読み取った。
一石二鳥どころか、三鳥や四鳥といった複数の利益を得ようと狙っている。
その事だけでも、十分にアイザックの能力を知らしめる事ができていた。
「これで終わりなので、どうやって他の商会の予算を知ったか教えていただけますか?」
アイザックは、いつものような語り口でデニスに質問する。
「いや……。それはまた使うかもしれないので……」
先ほどとは違い、デニスの言葉に力は無い。
格付けが終わった今、格上だと身をもって思い知ったアイザックに反発する気力を失っていた。
「言っておきますけど、これから先は整備が進んでいくので道を使った方法は使えなくなりますよ」
「えっ、なぜそれを!」
アイザックの言葉に、デニスはさらにアイザックの知謀を恐れるようになる。
「道を使った方法とは、どういうものなのですか?」
話についていけないオルグレン男爵がアイザックに質問した。
どうやれば、道を使って資金を計算するのかがわからなかったからだ。
純粋に興味深いと思っていたというのもある。
「簡単なものですよ。荷馬車がぬかるみを通った後の、轍の深さを調べれば大体はわかります」
アイザックがテーラー=ティリーヒル間の街道整備を後回しにさせたのは、誰かにこの方法を使わせるためだ。
この世界の道は、前世に比べて非常に状態が悪い。
だから、そこに目を付けた。
貴族などが乗る馬車は様々なデザインや大きさの物がある。
しかし、荷馬車は別だ。
道の状態が悪いため、大きな荷馬車に荷物を満載した場合、ぬかるみにハマると動かなくなる。
車軸の品質も現代社会とは比べ物にならないほど悪いので、大きな馬車は振動で車軸が折れやすい。
だから、荷馬車の最大サイズは規格化され、同じ形の物ばかりだった。
荷馬車が同じ物なら、後は積荷によって重さが変わる。
今回の場合もそうだ。
轍が70億リードよりも深く、80億リードよりも浅い。
それで「ワイト商会は多くとも80億リード以内の予算」と、答えを出したのだろう。
だが、その方法はアイザックに気付かれていた。
アイザックが轍の深さで調べられると気付いたのは、街道整備が貴族の支持を集める方法になると思いついていたからだ。
入札の金額が増えていくにつれて、金の重さも比例して重くなっていく。
積み荷が重くなれば、轍も深く残される。
街道整備の事を思いついていなければ、荷馬車のサイズなど気にする事などなかっただろう。
そして、デニスには「他の商会への直接的、間接的な妨害の禁止」というルールが効果を発揮した。
商会員の買収は”間接的な妨害”と見なされる危険がある。
特にデニスはアイザックに嫌われている。
「妨害だ」と言われてしまっては、元も子もない。
妨害だと判断されないように、たどり着いた答えが轍の深さを調べるという方法だった。
アイザックが、あえて残しておいた方法だと知らずに。
そのせいで、油断してしまって負けてしまった。
一方、アイザックはこの方法に気付いたのがデニスだけだった事にガッカリしていた。
他の商人達にも「智のしのぎ合い」をしてほしいと思っていたからだ。
ギリギリのところで、グレイ商会のラルフが借金の申し入れをしてくれなければ、デニスと手を組むのも一つの道と思っていたところだ。
「そこまで見抜かれていたのですか……。良い気になっていた自分が恥ずかしい限りです。今後はランドルフ様にちょっかいを出したりしない事を誓います。申し訳ございませんでした」
デニスは謝罪し、退出しようとする。
「あっ、ちょっと待ってください」
そこでアイザックが呼び止めた。
「デニスさんには、個別で話がしたいので応接室で待っていてくださいませんか?」
「ええ、もちろん結構です。お待ちしております」
デニスはドアのところで一礼し、屋敷の者に案内されて応接室へと向かった。
「さて、残ったみなさんにもお話があります」
アイザックは視線を最多落札者であるラルフに向ける。
ラルフは姿勢を正し、アイザックの言葉を何一つ聞き漏らさないように集中する。
「ブラーク商会は徐々に取り扱う商品を広げていきました。グレイ商会が鉄製品以外の分野に手を広げるまでの間、ワイト商会とレイドカラー商会に優先的に仕事の仲介をしてくださいませんか? もちろん、僕が領地の経営に口を出せる権限を持った時以降の話ですが」
「仕事の仲介……、ですか」
少しラルフは考え込む。
別に断ろうというわけではない。
その申し出の裏に何があるのかを考えていたのだ。
ついさっきのアイザックの様子を見ている限り、何か裏があると疑ってしまうのは仕方が無い。
だが、いくら考えようと、この提案に裏はない。
純粋に入札に参加してくれた商会へのご褒美でしかないのだから。
「その言葉に隠された意味がないのでしたら、お断りする理由はございません」
「裏なんてありませんよ。入札に参加しようともしない商会もある中、わざわざ参加してくださった方へのお礼です。幸い、ワイト商会とレイドカラー商会はグレイ商会と取り扱う商品が違います。グレイ商会の利益を損ねるような事にはなりません」
「そういう事でしたら、お引き受けいたします」
アイザックの申し出に裏が無いとわかり、ラルフは快諾する。
この申し出は、むしろ好印象を抱かせた。
――敵対的な態度の者には制裁を加えるが、誠実な対応をする者には利益を与える。
その事がわかれば、積極的にアイザックに協力しようとすら思える。
「ありがとうございます。ところで、どうでしょう。借用書を250億リードに書き換えますか? 支払い期限は僕が領主代理になってから十年後。利子はなしで」
この申し出は、グレイ商会から75億リードを今は受け取らないという事を意味する。
アイザックが領主代理のような権限を持てる時が、いつ来るのかわからない。
その時までに経営が悪化して倒産でもされたら、入札を行った意味がない。
現金を持っておけという温情だ。
「それは助かりますが……。よろしいのですか?」
「もちろんです。これくらいしないと、落札者であるラルフさんの利益が相対的に少なくなってしまいますので」
敗者であるワイト商会とレイドカラー商会が十分な利益を享受できるようになった。
ならば、勝者にも十分な利益を与えなければならない。
お抱え商人となった後なら、250億リードの借金などすぐ返せるようになるだろう。
――手持ちの資金が尽きる事無く、借金の返済にも余裕を持てる。
これは十分な利益と言えるはずだ。
アイザックの配慮に他の商会の者達も感心している事が、その対応が正しいと証明していた。
「もちろん、ブラーク商会が意趣返しで皆さんに嫌がらせをしないように釘を刺しておきます。その点はご安心ください」
アフターケアも万全だ。
その辺りの手抜かりはない。
「オルグレン男爵にも手数料の二割を渡さないといけませんね。グレン、全部でいくらになった?」
アイザックは落札額を記録しているグレンに総額を聞く。
「436億1,121万リードです。二割で87億2,224万2,000リードとなります」
「87億!」
最後の入札で金額が跳ね上がったため、予想の倍以上の金額となった。
オルグレン男爵は目をひん剥き、驚愕の表情を浮かべる。
「では、その金額を残して、残りのお金を運び出してください」
「かしこまりました」
250億リードは借金となったので、現金は175億リードだけだ。
およそ、現金の半分をオルグレン男爵に渡す事になる。
だが、その事に不満は無かった。
「ブラーク商会への制裁」という目的が果たされた以上、使い道が思いつかない大金の額が多少上下しても、どうでも良いとすら思っていた。
それは、金額が大きくなりすぎて、前世では庶民育ちだったアイザックの金銭感覚が現実に追い付かない事が原因だった。
身に付いた金銭感覚は、そう簡単には抜け切らない。
「やはり、そのような大金は受け取れません。10億も頂ければ十分なのですが……」
オルグレン男爵はあまりの金額にビビっていた。
田舎貴族の男爵には分不相応にも過ぎる。
いくらエルフ関連に使ってくれと言われても、桁違いでどう使えばいいかわからない。
アイザックの申し出を断ろうとしていた。
だが、この申し出は断られるわけにはいかなかった。
「オルグレン男爵。これは最初に約束した正当な報酬です。受け取っていただかねば、僕が困ります。どうか受け取ってください」
最初に二割を渡すと言った以上、二割を受け取ってもらわなくてはアイザックの信用に関わる。
誰だって「アイザックが報酬を渋った」と思うに決まっているからだ。
大金を得る機会をみすみす見逃す者なんていない。
オルグレン男爵が否定しても、誰も信じないだろう。
アイザックの信用のためにも、受け取ってもらう必要があった。
「わかりました。ありがたく頂戴します。……跡目争いが起きた時は、アイザック様が責任を持って収めてください」
ティリーヒルの統治などよりも、87億リードの方が魅力的だ。
この金を巡って、親族で醜い争いが起きる可能性が高い。
分不相応な金は身を亡ぼす危険がある。
だが、アイザックにここまで言われては断り切れない。
身内の人間が愚かな行いをせぬことを祈るばかりだ。
「僕にできる限りの事はさせていただきます。今までお世話になりました。ありがとうございました」
アイザックは深々と頭を下げる。
オルグレン男爵が喜んで屋敷を貸してくれたから、入札もスムーズに進める事ができた。
それに、アイザックの知らぬところでエルフとも上手くやっていこうと、領民達に働き掛けてくれているらしい。
目立たないが、必要な働きをしてくれている事にも感謝していた。
「こちらこそ、冥土の土産に良い経験をさせていただきました。祖先に自慢話ができる事を誇りに思います」
アイザックの入札やエルフの交流再開。
オルグレン男爵にとって、人生で最も濃厚な一年半だった。
現金収入が無くとも、自慢話ができるだけでも十分だ。
嘘偽りのない、満足そうな笑みを浮かべている。
二人は固い握手を交わした。
「皆さんもありがとうございました。時が来るまで商売を頑張ってください。エルフとの交易では優先的に仕事を回しますので、入札で使ったお金もそう遠くないうちに取り戻せると思います。それでは、これで失礼します」
アイザックは三商会に別れの挨拶をすると、部屋を出ていった。
――ブラーク商会との会談。
これを終わらせなければ、一連の騒動は終わったとは言えない。
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