第43話 入札はまもなく終わる。そしてデニスも。
七月も半ばが過ぎ、気温が高まり始めた頃。
十回目の入札のためにアイザック達はティリーヒルへと向かう。
だが、問題もあった。
「ねぇ、なんでいつも私たちまで行かなきゃなんないの?」
――ブリジットだ。
彼女は若いからか、クロードよりも早く屋敷での暮らしに順応した。
いや、順応し過ぎた。
自分で料理を作らなくても、頼めば使用人達が持って来てくれる。
喉が渇けば好みのジュースも持って来てくれた。
布団は柔らかく、使用人達が常に清潔にしてくれる。
元々ズボラな一面を持っていたブリジットにとって、ウェルロッド家の屋敷はこの世の楽園だった。
「いつも言ってるでしょう。安全だと皆に顔を見せるためですよ」
これはクロードとブリジットの二人を丁重に扱っているという証明のためだ。
だから、アイザックがティリーヒルに向かうついでに連れていっている。
それでも「楽園から離れたくない」と、ブリジットはティリーヒルに行くために屋敷を離れるのを嫌がっていた。
「それなら、クロードだけでもいいでしょ?」
「クロードさんよりも、女性であるブリジットさんが行かなきゃ意味ないでしょう」
アイザックは溜息混じりに答える。
アロイスもエルフの女性を奴隷にするのではないかと心配していた。
ブリジットが顔を見せなければ、人間に酷い目に遭わされているので会わせられないのではないかと疑うはずだ。
彼女の言う事とは逆に、ブリジットだけでも連れていかねばならなかった。
「それにほら、こうしてエルフの仕事を確認できるのも悪くないでしょう?」
アイザックは馬車の床を指差した。
正確には、その先にある地面を指差している。
「うん、まぁ……」
それでもブリジットの反応はイマイチだった。
馬車の中で会話ができるようになったのは、道が整備されたお陰だ。
いつ馬車が揺れるかわからず、話をしていて舌を噛むかもしれないという恐怖から解放された。
そのお陰でこうして呑気に話をしていられる。
気分も悪くならないので、これだけでもエルフと友好を結んで正解だったと思えた。
「ブリジット、お前は顔を会わせる家族がいるじゃないか。会えるのは相手が生きている時だけだぞ。こういう機会に顔を会わせておけ」
クロードがしんみりと語る。
「でも、私だってもう独り立ちできる大人だよ?」
「何を言っている。俺から見れば、まだまだ子供だ」
「そうそう。『自分は大人だ』っていう人って、実際はまだ子供の事が多いよね」
クロードの言葉にアイザックも乗る。
「あなたがそれ言うの?」
ブリジットが悲痛な声を出す。
「ほら、アイザックのような子供に言われるほどだ。独り立ちとか言うにはまだ早い」
「うーん、そうなのかなぁ……」
このまま否定し続けて、六歳児に論破されでもしたらプライドはズタズタだ。
被害が増えないうちに、さっさと負けを認めて撤退するに限る。
ブリジットは”認めたくないが、認めざるを得ない”といった感じで、渋々とクロードの意見を受け入れた。
「でも、あんたに言われるのは納得いかない」
「まぁまぁ、いいじゃないですか」
しかし、アイザックに言われるのは受け入れられなかったようだ。
まだ不満そうにしている。
アイザックは、そんなブリジットを宥める。
そして、アイザックに宥められてブリジットはよけいに不機嫌そうになる。
そんな二人の姿を見て、クロードが笑う。
道が整備され、馬車の揺れが無くなっただけで、馬車の中には穏やかな空気が流れていた。
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だが、入札は穏やかにはいかなかった。
落札者はまたしてもブラーク商会。
グレイ商会が60億リード。
ワイト商会が75億リード。
レイドカラー商会は73億リード。
それに対し、ブラーク商会は90億リードだった。
おそらく、ワイト商会とレイドカラー商会は「落札できた方に30億リード程度を貸す」という約束をしたのだろう。
相手の30億リード+自分の予算を上乗せという形で入札したようだ。
しかし、ブラーク商会はその上を行った。
前回の入札が55億リードだった事を考えれば、90億リードという入札は不自然だ。
これで一つ確定した事がある。
――ブラーク商会は他の商会の予算を知っている。
前回の入札金額を考えれば、今回は70億リードや80億リードだった方が自然だ。
しかし、今回はワイト商会とレイドカラー商会が手を組んだ。
ブラーク商会はその事を知り、両商会が入札に使える金を調べたうえで、確実に上回る金額を入札してきた。
その方法が賄賂による商会員の買収かどうかまではわからない。
だが、相手の懐の内がわかって安心しているからこそ、ブラーク商会を罠に掛ける事ができる。
とりあえず、今回はワイト商会とレイドカラー商会の協力を教えた事により、ブラーク商会の入札金額が高くなった。
少しでも多く搾り取る事ができたと、今は満足する事にする。
(問題があるとすれば、気付いてくれるかどうかだな)
アイザックはその点だけが心配だった。
最悪の場合は、自分から話を持ちかけて助けてやらねばならない。
(俺が助けてほしいくらいなのに……)
他人に頼るばかりではいけないと思っているが、アイザックはどこか釈然としない。
それでも、彼らを見捨てるわけにはいかない。
自分の足場を固めるためには、手間暇をかける必要がある。
面倒だと思っても、見返りを求めて手助けしてやらねばならない。
「今回も金はこちらで保管ですか?」
オルグレン男爵が考え事をしていたアイザックに話しかけてくる。
「うん。来月が多分最後になると思うから、来月まとめて持って帰るよ」
モーガンに渡した16億リードは無いが、それ以降の計85億リードはオルグレン男爵の宝物庫に保管してもらっている。
今回のを合わせて175億リードにもなる。
そのような大金を預かる事に、オルグレン男爵は負担を感じていた。
「このような田舎町で預かるには多すぎます」
ティリーヒルの年間の税収よりも多い。
しかも、アイザックの金なので誰かがくすねたりしないように気を付けねばいけない。
預かっている間は気が休まりそうになかった。
「まぁいいじゃないですか。二割は手数料として入るんですし」
「まさか、ここまでの大金になるとは思っていませんでした……」
「数千万リード程度でも手に入れば嬉しい」と思っていたオルグレン男爵だったが、10億リードを超えてからは気が気でなかった。
次回を考えれば、彼の取り分は40億リードは超えるだろう。
田舎貴族としては過分な報酬だ。
周囲からの嫉妬が怖い。
「これからは、エルフ関係で気を揉む事も増えるでしょう。その手間賃の先払いと思っておいてください」
「そういう事でしたら、ありがたく頂戴します」
エルフ関連で戦争沙汰になれば、最初に被害を受けるのはティリーヒルだ。
そうならないように、色々と気を使わねばならない。
入札の場を貸しただけで大金を貰うのは気が引けるが、エルフ関係の手間賃も含まれていると言われれば断る必要などない。
ありがたく、民衆を慰撫するのに使わせてもらおうと考えた。
「エルフといえば、交易所も少しずつ稼働し始めたとか?」
「はい。ブラーク商会以外の三商会が取引を始めたようです。確認なされますか?」
「もちろん」
自分が関わった案件がどうなっているのか気にならないわけがない。
アイザックに断るという選択肢は無かった。
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交易所はコンビニのような四角の建物が商会ごとに並んで作られている。
枠組みを組み立てた後は、エルフの魔法によって壁や天井が作られ、ドアや窓は人間の手ではめ込まれた。
これは「どうせなら早く作ってほしい」というエルフの要望に応えるためにこうなった。
出稼ぎ労働者の給与の内1万リードは本人が、残りの2万リードは村が受け取るという形式になっている。
これは村ぐるみで必要な物を買い揃えるという初期の間だけの措置だ。
しかし、村で買い物するだけではなく、個人でも買い物をしたいという者もいる。
そのため、毛皮や宝石の原石などを買い取るための買い取りカウンターも設置されている。
最初の一年は「交流復活祭」と称して、査定を甘めにするようにと指示を出していた。
そのお陰で、村に残っているエルフ達も不用品を売る事で現金を手にする事ができた。
「……なんだか、エルフの方が多いくらいですね」
「始まったばかりで物珍しいのでしょう」
アイザックの疑問にオルグレン男爵が答える。
人間も商会の人間だけではなく、大工が建物の骨組みを作ったりしているのでそこそこの数がいる。
しかし、それ以上にエルフの数が多かった。
――買い物に興じる者。
――持ち込んだ毛皮を高値で買い取ってもらおうと交渉する者。
――森から歩いてきたから疲れて休憩しているのか、木陰で座り込んでいる者。
おそらく、100名を超えるエルフがいる。
さすがに一つの村が総出で来ているとは思えないので、アロイスの村以外からも来ていると思われる。
「近所の神社で祭りの屋台が出てるし、見に行ってみよう」くらいの気持ちなのかもしれない。
だが、こういう注目を浴びている時こそチャンスだ。
商人達には上手く興味を惹き付けておいてほしい。
アイザックは様子を見に店の前まで移動する。
その移動の最中にエルフ達から注目を浴びた。
「護衛を引き連れている人間」というのもあるだろうが、それが子供だからよく目立つ。
それに、今回の立役者が子供だと噂で聞いている。
アイザックと会った事がない者も”この子供がアイザックだ”と察する事ができた。
注目を浴びるのも当然といえる。
食料品を扱うワイト商会では、やはり塩などの調味料がよく売れていた。
たまに小麦粉などを買ったりする者もいるが数が少ない。
その姿から「食料には困ってないが、塩に困っている」という事が窺い知れる。
今はまだ交流がどうなるかわからないので、とりあえず塩を買い溜めているというところか。
付き合いが続いていけば、他の食料品にも興味を持つようになるだろうと思われる。
金属の加工品を扱うグレイ商会では、調理用品が売れているようだった。
包丁や鍋を中心に、焼き網などが人気らしい。
その他にも矢尻やナイフといった狩りに使う物も売れている。
鉄製品はどうしても重くなる。
遠いドワーフと高品質の物を取引するよりも、近い人間とそこそこの品質の物を取引する方が楽なのだろう。
他の村とも取引が広がるなら、安定した売り上げが期待される。
装飾品を得意とするレイドカラー商会は、冷やかしの客が多い。
しかし、たまに昔の指輪などを持ってきて修理を依頼されているようだ。
装飾品を取り扱っているという事もあり、関係の深い商会から洋服や服の生地を出してもらっているようだった。
これは移動販売車で商売をした時に「下着や服はないの?」と言われた事を忘れていなかったからだろう。
女性客だけではなく男性客も多いので、そう遠くないうちに客であふれる事になると思われた。
そして、ブリジットが店の前で同年代の女の子に洋服を見せびらかしている。
羨望の眼差しを浴びている姿が、洋服も売れるという確信を持たせてくれた。
(ん?)
アイザックはもう一度レイドカラー商会の店の前に視線を送る。
そこでは、ブリジットが店の前で同年代の女の子に洋服を見せびらかしている。
ブリジットとクロードは服をウェルロッド家で用意していた。
駐在大使がみすぼらしい恰好をしていては、エルフと初めて会う者に侮られる。
そのため、貴族が着ている物と同レベルの服装をしていた。
店に並んでいる物よりグレードが高いので、ブリジットは鼻高々だ。
(あいつ、何やってんだ……)
アイザックは思わず天を仰ぐ。
人間でいえばまだ子供に分類される年とはいえ、駐在大使になったのだからそれ相応の立ち居振る舞いをしてほしい。
友達に服を見せびらかして自慢するのは、あまり好ましい行動とは思えない。
だが、アイザックの願いなど知った事かと、ブリジットは楽しそうに話をしている。
「ちょうど良かった。会いに行こうと思っていたんです」
注意をしようか迷っていたアイザックに、グレイ商会のラルフが話しかけてきた。
「どうしたの?」
「実は、次回の入札に関してお願いが――」
ラルフは誰かに聞かれないよう、アイザックに耳打ちする。
その申し出はアイザックが申し込んで欲しかったものだった。
つい、ニヤリと悪い笑みを浮かべてしまう。
「もちろん結構です。お引き受けしましょう」
「おぉ、ありがとうございます」
二人は握手を交わす。
それは、ブラーク商会の敗北がほぼ確定した瞬間だった。
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