第34話 秘書官候補

 年末は大人向けのパーティばかりで、さらに寂しい時間を過ごすはず――だった。


(こいつウゼェな……)


 年末でも関係無く、ニコルの祖父であるテレンスが定期的に訪れていた。

 どうやらアイザックの思想が珍しかったようだ。

 この世界の人間は、どうしてもこの世界の常識に囚われてしまう。

 アイザックは常人とは違う考え方をするので、論文のネタに何か使えないかと色々と質問してくるようになった。

 今では授業を受けるアイザックだけではなく、テレンスまでもメモを取るようになっていた。

 腐っても学者、知識への探究心はあるようだった。


「先生、年末年始はパーティに出なくても良いんですか? 当主なんですよね?」


 それとなく「ウザイから帰れ」という意味を込めて聞いてみた。


「大丈夫だ。役人を辞めて学問の道に専念し始めた時から、実質的な当主は息子になっている」


 しかし、それも不発。

 軽く受け流された。


(クソッ、ニコルの爺さんじゃなければ首にしてるのに……)


 アイザックが他の家庭教師にしてくれと頼めばしてくれるだろう。

 だが、そうしないのには理由がある。


 ――ニコルに金を渡すため。


 原作では良いドレスや装飾品を買うために、ニコルはアルバイトをしなければならない。

 アイザックが「やってほしい」と望んでいるニコルの逆ハーレムエンドは、かなりシビアなスケジュール管理の下で達成される。

 最大の障害であるアルバイトをしなくて済むように、テレンスに仕事を与えたままにしていた。

 祖父のテレンスが稼げば、その金はネトルホールズ男爵家の金となる。

 家に金銭的な余裕ができれば、キャラの攻略も容易になるだろうとの考えだ。


 だが、その代償が大きかった。

 暇だからといって、ニコルの祖父と親しくなんてなりたくなどなかった。

 ニコルを利用するが、手を組むつもりはない。

 テレンスと親しくなってしまえば、ニコルを使い捨てる時に心が痛むだろう。

 できるだけ距離を保っておきたかった。


「そう邪険にするのではない。我らは知を高め合う間柄。心行くまで語り会おうではないか」

「いやいや。あなた、僕の教師ですよね? 何で自分の仕事を放棄してるんですか」


 自分の知的好奇心をちゃっかり満たそうとしているテレンスに抗議する。

 こんな男からでも、この世界の倫理観などアイザックの知らない事を学べるところがあるのが憎らしい。


「ニコルさんでしたっけ? ご自分のお孫さんに勉強を教えようとかは思わないんですか?」

 

 ニコルの事に触れて未来に影響を与えるのは怖いが、それでも彼女の話題に触れてしまう。


「ニコルはアイザック様ほどではないが頭が良い。普段から少しずつ教えているので、学生になればトップの成績も夢ではない……。いや、二番ですな」


 そう言ってテレンスは笑う。

 アイザックがいる以上、一番にはなれない。

 だが、そのアイザックも道徳だけとはいえ自分の教え子だ。

 教え子と孫娘がトップクラスの成績を残せるのなら、教師として誇らしい事なのだろう。


(そういえば、ニコルは頭が良い……。っていうか、体力面でも良いって事になるのか)


 アイザックはゲームの主人公であるニコルの事を考える。

 勉強をすれば確実に身に付け、学力の能力が上がる。

 体力面のパラメータもメキメキ成長していく。

 努力をすれば、努力しただけ結果を残す事のできるある意味化け物だ。

 もし、この世界でもそうなら、ある意味王子よりも恐ろしい相手となるはず。


(ゲームでは入学から始まるけど、もしも子供の頃から努力し続けていたとしたら……)


 アイザックはショックのあまり唾を飲み込む。

 少なくとも「同年代では頭脳はトップ」と思っていた。

 だが、一を聞いて十を知るような者が存在していたら……。

 自分の夢を阻む最大の壁となるかもしれない。


(ニコルの目的は良い男をはべらすだけじゃない。金と権力も欲しいという俗物だ。あんな女に負けるわけにはいかない)


 俗物という点では人の事を言えないにもかかわらず、アイザックはニコルを警戒する。

 金銭面で手助けする分には良いが、頭脳面で差をつけられては面白くない。

 この世界の倫理観に合わせて、少し卑怯な方法を使う事にした。


「でも、女の人が頭良すぎるのも、あまりよろしくないんですよね? 裁縫とか女の子らしい事にも集中させてあげた方がいいんじゃないですか?」


 ――女は男を立てるべき。


 現代社会ならSNSの炎上を引き起こしそうな発言も、世界の常識となっているのなら問題発言とはならない。

 たった一言で手強いライバルが消えてくれるのなら、プライドだって投げ捨てられる。


「確かにその通り。その才能を料理や編み物などに使わせた方が……。いや、しかし……」


 テレンスはアイザックの言葉で悩んでいるようだ。

 二十歳を過ぎれば「行き遅れ」扱いされるこの世界。

 孫娘の才能を伸ばしてやりたいが、そうすれば男に敬遠されて婚期を逃すかもしれない。


「将来、本当は女としての幸せが欲しかった、なんて恨み言を言われるかもしれませんよ」


 アイザックは追撃を行なう。

 少々心苦しいが、アイザックは王子であるジェイソンだけではなく、ネイサンという壁も乗り越えねばならない。

 新しくニコルという強力なライバルの相手まではしていられなかった。


 アイザックの言葉はテレンスによく効いているようだ。

 真剣に頭を悩ませている。

 彼もモーガン同様に孫を非常に可愛がっているのだろう。


 自分の都合で人の人生を狂わせるのは申し訳ないと思う心は持っている。

 しかし、申し訳なさと同時に、人を口先一つで惑わせる事に対して喜びのようなものを感じていた。



 ----------



 年が明け、年始の挨拶に来た者の中に一人。

 熱意のある者がいた。


「今年で卒業なのですが、よろしければアイザック様の下で働かせてください」


 そのように言ってきたのは、モーガンの秘書官をしているベンジャミンの息子であるノーマンだ。


(一月にもなって、まだ卒業後の進路が決まってないのか?)


 アイザックも前世の事があるので人にどうこう言える立場ではないのだが、ついそのように思ってしまう。


「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、ベンジャミンの子供だったらウェルロッド家で雇ってくれると思うよ」


 コネが有効な今世において、父親が侯爵の側近というのは非常に強いコネだ。

 就職先が決まっていなくても、侯爵家でいくらでも斡旋してくれるはず。

 わざわざアイザックに頼みに来なくても良いはずだった。


「ウェルロッド家で雇われるというだけでは、どこに配属されるのかわかりません。父からの手紙を読み、誰かに仕えるならばアイザック様に仕えたいと思いました」


 おそらく、花束を貰ったというだけではない。

 入札やエルフの事も書かれていたのだろう。


(そう考えると、書類仕事よりも面白そうな仕事のように思えるだろうけど……)


 働くとなれば、実際は書類仕事がメインになるだろう。

 それだけに懸念もある。


「面白そうな仕事だからやりたいという、いい加減な気持ちで働かれても困るんですよ」


 これはハッキリとさせておかねばならない。

 あとで「思っていたのと違う」と辞められたら、時間の無駄になってしまう。

 やるからには最後までやり遂げる気持ちでいてほしい。

 こんな時だが「前世で俺を面接してた奴等は、こんな気持ちだったのかな」と思ってしまった。


「確かにやりがいのある仕事だとは思っています。ですが、私が仕えたいと思ったのは、アイザック様の才覚を知ったからです。今はまだ時と場所を得ていませんが、いつか大きく羽ばたかれる事でしょう」


 そこでノーマンは言葉を切った。

 そして、拳を握りしめ、感情を籠めて熱く語りだす。


「僕も歴史に名を残るような大きな事をやりたい。しかしながら、自分の力では何も成し遂げられないという事を理解しています。ならばせめて、大きな事のできる人の手助けをしたい。そう思い、アイザック様の下で働きたいとお願いに参った次第です」


 ――歴史に名を残るような大きな事をやりたい。


 その言葉はアイザックの胸を打つ。

 アイザックも同じ事を考えていたからだ。

 

(……どうせなら、同じ志を持つ奴が居た方がいいよな)


 その一言で採用する事に決めた。

 熱意はあった方が良い。

 しかも、身の程を知っているので、自分の力を過信して無茶はしないだろうと思われる。

 ある程度は安心して仕事を任せられるはずだ。


「そういう事ですか。僕の下で働く前に他の部署で研修してもらってからになりますが、それでいいですか?」

「はい、ありがとうございます!」


 ノーマンは嬉しそうに何度も頭を下げる。

 自分の下で働けると聞いて、これだけ喜んでもらえるのはアイザックも嬉しい。


「では、成績表とか見せてもらえますか? 冬休みに入る前にもらってるはずですよね?」


 その言葉でノーマンは体を強張らせる。

 顔もヒクついているようだ。


(あっ! これ早まったか!)


 ノーマンの反応を見て、アイザックは自らの失言に気付いた。

 ベンジャミンの息子だから優秀だとは限らない。

 就職口が見つからないほどの無能という可能性だってあるのだ。

 そんなノーマン相手に採用するような事を言ってしまった。

 おずおずと成績表を差し出すノーマンから、成績表を受け取るのが怖くなってしまった。


「……あれ? そんなに悪くないじゃないですか」


 中を見たアイザックは、思った事を口に出してしまっていた。

 成績が7~8ばかりだったので、おそらく10段階評価だと思われる。

 一応は平均以上の能力を持っているので、恥ずかしがるような成績ではない。

 だが、アイザックが自然と口にしていたように「悪くはない」というもの。


「侯爵家の秘書官や、それに近い肩書きで働くのは正直厳しい成績なんです……。申し訳ございません」


 ノーマンは自ら白状した。

 王家や上位貴族の側近として働く者は、9~10という成績ばかり。

 あと一歩が足りていない。

 しかし、アイザックは気にしなかった。


「別に良いよ。勉強と仕事は別物。仕事の方で頑張ってください」


 アイザックも前世の成績でいえば似たようなもの。

「居酒屋チェーン店以外の、どこかの会社に就職できていればもっと力を発揮できていたかも?」という思いが胸の中を占めていた。

 なので、これは就職先の見つかっていないノーマンへの同情なのかもしれない。

 それでも、人にチャンスを与える事は良い事だと思っていた。

 本当にダメだと思った時に、別の仕事を割り振ってやればいいのだから。


「でも、今後は僕に対して誤魔化そうとかそういうのは無しでね」

「アイザック様……。ありがとうございます。卒業したら精一杯働きます!」


 ノーマンは今にも土下座をしかねない勢いだ。

 平身低頭という言葉を体現している。

 その姿を見ながら、アイザックがボソッと言葉をこぼす。

 

「良かった。汚れ仕事してくれる裏方が欲しかったし」

「えっ?」


「何か聞き逃したか?」とノーマンは顔を上げる。


「なんでもないよ。春からよろしくね」


 なんでもない事は無い。

 周囲にアデラや使用人が傍にいるアイザック本人では、下手に動く事はできない。

 そんな裏工作を誰かに命じる事で実行できるようになる。

 その事は大きなメリットである。


 特にノーマンはアイザックに成績を黙っていようとした、後ろめたいところを持っている。

 喜びはしないだろうが、黙って従ってくれる事だろう。


(酷い事かもしれない。けど、国を奪い取るまでは手段を選んでなんかいられないんだ)


 残念ながら、テレンスの授業はアイザックには効果が無かった。

 純然たる子供であったなら効果があったかもしれない。

 だが、アイザックは自我の確立された大人の精神を持つ。

 教育を受けても“そういう価値観もあるんだな”という程度で、根本的な改善にはならなかったようだ。

 その事が誰にどのような影響を与えるのか。

 今はまだわからない。

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