第33話 テレンス・ネトルホールズとの出会い

 アイザックは基本的に王都では暇だ。


 リサは同じ年頃の友達を作って遊び始めている。

 王立学院に入学する前に、ある程度は同年代の友達を作るのが普通のようだ。

 寂しくはあるが、友達作りをおろそかにして困るのはリサだ。

 貴族社会において、縦の繋がりだけではなく横の繋がりも重要となる。

 アデラの娘だからこそ、今までアイザックの相手をしていてくれたのだ。

 アイザックはちゃんと納得してリサを送りだした。


 ティファニーは、まだアイザックと遊んだりしている。

 だが、婚約者ができた事で、礼法などを学び始めた。

 アイザックと違い、前世の記憶が無い分基礎からしっかりと教えなければならない。

 ティファニーの未来のためにも、学ぶ邪魔をするわけにはいかない。

 こちらも理由を理解したうえで、アイザックは送り出す。


 他にも年の近い友達はいるが、二人に比べて遊ぶ頻度が低い。

 二人は身内といえる身近な存在だったから、遊びに来る頻度も高かったのだ。

 こうなると、友達の少なさが響いて来る。

 ダミアンもアイザックのところに来たのがきっかけとなり、今ではフレッドの取り巻きとなっている。

 自分自身が嫌われるような事をしていないのに「気が付けばボッチ」という状況になっていた。

 アイザックに友達を作らせないというメリンダの嫌がらせが、アイザックには地味に効いている。




 だが、暇なら暇でやる事を作れば良い。

 アイザックは会議室を借り、侯爵家で雇っている菓子職人のアレクシスとその弟子達と地図を囲んでいた。

 砂糖控えめのお菓子屋作りのためである。

 それも、店舗で食べられるようにテーブルなどを多めに設置した喫茶店形式でだ。


 ――金を貯めたいなら、どうするか?


 前世のアイザックなら、地道に給料を貯金していた。

 しかし、今回は違う。

 今まで入札で稼いだ分の金を使い果たしても、来年の春以降に稼げる。

 ならば、ただ金を貯めておくよりも、さらに増やすために投資する。

 爪に火を点すような思いをしなくても、転がせるだけのあぶく銭があるのだ。


 ――金が金を生む。


 金を転がして金を増やす。

 お菓子屋は、実験的な試みの第一段階だ。


「やはり、王宮へ続く大通り沿いが良いでしょう。他の菓子店もこの通りにあります」

「いえ、せっかくの新しい物です。官公庁の近くに店を作って、贈答用に使ってもらえれば良い宣伝になるでしょう」

「いっその事、焼き菓子を中心にして他の店に卸す形式はどうでしょうか」


 それぞれが思い思いの意見を発言する。

 弟子の誰かには店で職人として働いてもらう事になる。

 弟子とはいえ、侯爵家の厨房で働く者だ。

 アレクシスが上の上なら、彼らは上の下くらいの腕前を持つ。

 大量生産の菓子作りには十分な実力者だ。

 侯爵家の直営店で働かせて恥ずかしい腕ではない。


「僕は王立学院の近くが良いと思う。砂糖が控えめで他の菓子店よりも価格を抑えられるから、帰宅中の学生をターゲットにしてみたい」


 アイザックが考えたのは、王立学院の立地だ。

 学院は比較的王宮の近くに作られている。

 その理由は“王族が徒歩で登下校するから”というふざけたものだ。


 これはゲームの設定で「王子様と下校デート」というイベントのために作られた設定だ。

 この世界では「徒歩で歩く下々の者の気持ちがわかるようにするために大昔の王様が決めた」という理由が付けられている。

 貴族街も近いので治安は良い。

 とはいえ、アイザックが「貴族が王族の暗殺狙ったらどうするんだ?」と思うほど、杜撰な設定である。

 今回はこれを利用する事にした。


「なるほど……。学生が立ち寄るようになれば、口コミで自然と親や友人にも広がっていく。それに一年生であっても、三年もすれば社会に出る。今すぐではなく、五年後、十年後の知名度を考えれば悪くはない考えですね。何よりも競争相手が近くにいないのが良い」


 アレクシスがアイザックの意見に賛同した。


「えっ……。あぁ、うん。そうだよ」


 自分の考えとは違う立派な意見を言われ、アイザックは少し戸惑う。


(下校デートとかで「ここ、僕の店なんだ」がやりたかったとか言い辛いな……)


 前世では男友達とだったが、下校中にコンビニやラーメン屋に寄ったりしていた。

 その感覚で、友達を連れて下校中にお菓子を食べに立ち寄ろうと考えていた。

 今は友達がいないので、その分を学生の間に取り戻そうと思っている。

 それに、上位貴族用の個室を作り「パメラと密会的な事をやってみたい」という、よこしまな考えで言った事である。

 それ以外考えていなかったのに、深い意味があるように受け取られて少し気まずい。


「その辺りで十分な広さ、そのうえで匂いの苦情が出ないようなところを探させます」

「侯爵家の名前を利用した強引な方法は無しでね」


 アイザックはこの点はしっかりと念押ししておく。

 土地の持ち主の反感を買って、不要な争いをする必要はない。

 特に飲食店はイメージが大切なのだから。


「もちろんです。その点はちゃんと注意しておきます」


 アレクシス達も言われずとも理解している。

 何よりも、自分達の作った菓子の晴れ舞台だ。

 よけいな因縁を付けられるような事は避けたかった。


「それでは、あとは任せます」


 アイザックは細かいところは店で働く者に任せればいいと考えていた。

 居酒屋で働いていたとはいえ、この世界での菓子作りに向いた厨房などはまったくわからない。

 現場の者の意見を採用し、素人の口出しは最低限にしようと思っている。


 それに、アイザックも店の事にかかりきりになれなかった。

 ランドルフが本当に家庭教師を呼び寄せたからだ。



 ----------



「王都にいる間、週に一回だけなんだけど著名な学者を呼ぶ事ができた」


 そう言って、ランドルフが嬉しそうにしていた。

 なんでも「君主論」「戦争論」「子育て論」といった様々な論文を発表している学者らしい。


(最後のだけなんか場違いなんだよなぁ……)


 特定の分野に特化せず、論文を色々と書いているのは凄い事だ。

 しかし、そういう節操のない学者にアイザックは不安を覚える。

 なによりもランドルフ・・・・・が「素晴らしい先生だ」と絶賛するのが不安だった。

 人格面では父を尊敬しているが、人を見る目に関してはイマイチ信頼できない。

 特に家庭教師を呼ぶ理由が、アイザックの道徳を中心とした情操教育のためだ。


 人を許す事の重要性を説くために――


「右の頬をぶたれたら、左の頬を差し出しましょう」


 ――というような、宗教家っぽい家庭教師が来たらどうしようかと考えてしまう。


 アイザックは宗教が嫌いだ。

 特に気にしていないというのではなく、嫌いなのだ。

 その理由は友人の鈴木に関係する。


『俺は新世界の神になる!』


 そう言い残して、新興宗教を始めるために大阪に引っ越してしまった。

 鈴木の妹が昌美の同級生で友達だったという事もあり「兄を連れ戻すのを手伝ってほしい」と泣きつかれた事もある。

 そのような出来事があったので、人の人生を狂わせてしまう宗教を好きにはなれなかった。

 こちらの世界では、教会で祈りを捧げる事がある。

 それはあくまでも付き合いで祈っているだけ。

 真摯に神に祈ってなどいない。


(宗教っぽい奴が来たら追い返そう)


 アイザックは身構えて家庭教師を待つ。


「待たせたな。先生に来てもらったぞ」


 ランドルフが部屋に入ってくる。

 その背後には、五十代くらいの気難しそうな顔をした男が立っていた。


「ネトルホールズ男爵家当主のテレンス殿だ」

「これからよろ――」

「えええぇぇぇーーー!」


 挨拶をしようとしたテレンスの言葉を、アイザックが遮る。


(ネトルホールズ男爵って……。ニコルの爺さんだよな)


 見た目はモーガンと同じような年頃に見えるので、父親ではないだろう。

 となれば祖父である可能性が高い。

 まさか、ニコルの祖父から教わる事になるとは思いもしなかった。


(まずは自分の孫を教育しろと言ってやりたい)


 だが、ニコルもまだ六歳くらい。

 さすがに他人の婚約者を奪うような女になると言っても、絶対に信じないはずだ。 

 悪女になると教えてやっても、自分の頭がおかしいと思われるだけ。

「ニコルの教育に集中しろ」と言いたいが言えない。

 そもそも、ニコルにまともになられたら困るので、絶対に言いたくない。


 なんとも複雑な相手が家庭教師としてやってきた。

 そのテレンスは、怪訝そうな表情でアイザックを見ている。


「ふむ、どこかで会った事は無いはずだが……」


 自分の事を見てアイザックが驚いた。

 その事から、何か接触があったのかと思いだそうとしている。


(ヤベッ。お互いに知らないはずなのに、知っているような反応はマズイよな……)


 アイザックはテレンスとの顔合わせの衝撃から立ち直った。

 そして反省し、誤魔化す事にする。


「あのー、先生の書かれた本を読んだ事があった気がして」


 色々と発表しているのなら、本も読んだことがあっても不思議ではない。

 とはいえ、著者としてネトルホールズの名前を見れば驚いているはずなので、見た事は無いと断言できる。

 少なくともウェルロッドの屋敷には無かったはずだ。

 その場しのぎの苦しい嘘で誤魔化そうとする。


「ほう、私のをかね」


 テレンスは少し嬉しそうな顔をした。


 ――こんな子供ですら、自分の書いた本を読んでくれている。


 そう思うと、嬉しくなるのだろう。

 だが、すぐに顔を引き締める。


「なるほど。この年で私の本を読むという事は、話に聞いた通り高い知能を持っているようですな。良ければ感想を聞かせてもらいたい」

「えっ……」


 今のアイザックは「読書感想文の宿題を忘れたけど、本は読んだ」と言い訳をして「じゃあ、どんな本だったか言ってみなさい」と先生に返された子供の気分だ。

 くだらぬ嘘で読んだと言わなければいいのに、わざわざ自分を追い込んでしまった。


「あの……。テレンス先生の考えは僕に合わないかなーと」

「何っ!」


 アイザックの言葉にテレンスは少し眉を吊り上げる。


「あっいや、そのっ。子供の僕には難しかったから、よくわからなかったというような気がしないでもないような気が……」


 さすがにマズイと思ったアイザックは誤魔化そうとするが、言葉が出てこずしどろもどろになる。

 テレンスは厳しい表情を浮かべたまま、ランドルフを見る。


「どの本を読んだかはわかりませぬが、全ての本で『争いは良くない。人に優しくしよう』と説いております。本を読む知能があって、それが理解できないとは思いません。おそらく、その事を理解するつもりがないのでしょう」

「そんなっ! なんとかなりませんか!?」


 ランドルフは悲痛な叫びを上げる。

 我が子が「優しさを理解しようとすらしていない」と言われて、かなり動揺している。


(おぃぃぃ! 君主論とか戦争論とかの大層なタイトル使っといて、中身それかよぉぉぉ!)


 アイザックも心の中で抗議の声を上げる。

 だが、アイザックの情操教育のために呼んだのだから、そういう方面の教師だと想定するべきだった。

 これは“君主論”という本を出している事で、色眼鏡で見てしまったせいだ。


(あのキャベツ……、マニキュア……、キュピズム? とかいう人と同じ方向の考えかと思ったのに!)


 アイザックが思い出そうとしているのは「マキャベリ」だった。

 国家の利益のためなら、どんな手段を取ってもOKという非情な考え方であるマキャベリズムを考えた人物だ。


 きっと、ニコルの祖父ならそういう事を書いていると思い、適当に答えてしまった。

 そのせいで、今のアイザックの状況は悪いものになっている。


「どうでしょうな……。アイザック殿を見る感じでは、悪ぶって答えている素振りではなかった。自然に自分には合わない答えていた様子。おそらく、ジュード様と同じ系統に育つのではないかと」

「そ、そんな……」


 ランドルフはテレンスの言葉を受け、頭を両手で抱えて膝から崩れ落ちる。

 彼の記憶にある祖父の姿は、笑みを浮かべる優しい姿だった。

 だが、それだけに平然と人を陥れる祖父が非常に恐ろしかった。

 表面と内面が全く別物という、ランドルフには理解不能な恐ろしい化け物。

 その片鱗が愛する我が子に見えたと言われたのだ。

 絶望に落とされるのも仕方が無い。


 しかし、テレンスはまだ諦めなかった。

 まずはテストをしてみなければわからない。

 答えはそれからだ。


「アイザック殿に一つお聞きしたい。ウェルロッド家には多くの農奴がいる。彼らをどうしたいですかな?」

「えっと、どうってどういう事ですか?」


 突然の質問にアイザックは首を傾げる。


「奴隷が可哀想だから待遇を良くするとか、解放するとか。そういう事を何か考えませんか?」

「あぁ、なるほど」


 アイザックは納得する。

 ここでどういう答えをするかで、アイザックの事を判断するつもりなのだろう。

 ならば、よく考えなければならない。

 しばしの間、頭を悩ませる。

 その姿を、ランドルフは両手を胸の前で組み合わせ、祈るように見守っていた。

 アイザックが導き出した答えはシンプルだった。


「何もしません」


 その言葉に二人は、表情に失望の色を見せる。

 答えが奴隷を助けるという方面に行かなかったからだ。


「どうして、そう思ったのかね?」


 テレンスは一応聞いておく。

 物事を表層だけで判断するのは焦り過ぎだ。

 考えて答えた以上、その意図を聞いておかねばならない。


「農奴は平民よりも恵まれているからです」


 アイザックの答えに、今度はテレンスが首を傾げる。


「様々な権利を剥奪された農奴がかね?」

「はい」


 アイザックは自信を持って答える。


「確かに農奴は自由がありません。その代わりに多くの恩恵を受けています。衣食住はもとより、時には医療に関しても。これは侯爵家の所有物だからです。平民は自由がある代わりに、全て自分の責任で暮らさなくてはなりません。自由があっても、恩恵がないので貧しい暮らしをしています」


 これは道中の馬車で見て知った事だ。

 農奴は侯爵家の所有物として大切に扱われる。

 わざわざ自分に富をもたらす者達を粗末に扱う必要はないからだ。

 むしろ、農奴に厳しく当たるような者は、自分の財産を蔑ろにしていると馬鹿にされるくらいだ。

 だから、しっかり働けるように食事も十分に保障されている。


 それに対し、平民は「自由」の名の下に苦しんでいる。

 税金を払えば、生活にギリギリの金しか残らない者もいる。

 だが、国は彼らを助けない。

 彼らが苦しみから這い上がれないのも、本人の責任だ。

 貧しさに苦しむのも自由なのだから。


「それに権利があるといっても、平民がそれを行使できているとは思いません。教育を受けていないので、ほとんどの人が自分に様々な権利があると知らず、年老いて死んでいるのではないでしょうか? 誰かを助けるべきだというのならば、農奴ではなく平民の方ではありませんか?」

「むぅ……」


 ――権利の代わりに恩恵を受けている。


 そう言われてしまっては、なかなか返し辛い。

「農奴から解放してやるべきだ」とは言えなくなってしまった。

 農奴から解放すれば恩恵が無くなる。

 普通の農民と変わらなくなってしまえば、やがて貧しい暮らしになってしまう。

 安定した生活を失わせるだけのメリットを提示できなければ、それはただの感情論だ。

 自己満足に過ぎない。


「農奴としての暮らしよりも、自由を与える」というのと「自由の代わりに安定した生活を与える」


 どちらの暮らしが良いかは農奴本人に聞いてみなければわからない。

 少なくとも、アイザックの考えが間違っているとは言えなくなってしまっていた。


「なるほど……。その答えもまた一つの真理。ランドルフ殿、どうやら早とちりをしていたようだ。アイザック殿はアイザック殿なりに人を思いやっているようだ」


 テレンスの言葉で、ランドルフの表情は明るくなった。


「で、では」

「ジュード様のようになるかは、これからの教育次第でしょう」

「良かった……」


 ランドルフは胸を撫で下ろす。


(いや、それは失礼過ぎやしないか? ……最初に適当に答えた俺も悪いけどさ)


 ――なぜ自分が曾祖父のような外道扱いされなければならないのか?


 そう思うと、少し胸の中がモヤモヤとする。


「まず、人になぜ優しくしなければならないのかという基礎から教えましょう。意外と基礎的なところが疎かになっている者が多いですからな」


 アイザックを教え甲斐のある生徒と見て、テレンスがやる気を出したようだ。

「ニコルに教えてやれ」と思うものの、ここで断ったらランドルフが苦悩する様が想像できる。

 やむを得ず、アイザックは大人しくテレンスから学ぶ事にした。


 さりげなく家族の話題を振ったところ、本当にニコルの祖父だったので絶望した。




 後日、アイザックはテレンスの書いた本を読んでみた。


 君主論は「人の上に立つ者は優しさを持ちましょう」という内容であり、戦争論は「戦争は大勢の人が死ぬので、争いごとは避けましょう」といった内容を小難しい言葉を並べてわかりにくくしているだけだった。


(この国、本当に大丈夫か?)


 このような学者が著名だというのは納得がいかない。

 そのせいで、アイザックは「俺がこの国を乗っ取った方が絶対良い国になる。ていうかしてみせる」と決意してしまった。

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