第32話 アイザックのフォロー
エルフ達との会談が終わると、王都へ向かう。
慌ただしいが、去年も行った事だ。
本当は日にちに余裕があったのだが、モーガンと共にもう一往復したせいでギリギリとなってしまった。
この王都行きによって生まれる時間はちょうど良かった。
交流再開という興奮から熱を冷まし、冷静に考える時間ができるからだ。
モーガンは魔法による整地を見た事により考えを変えた。
最初はエルフに金を稼がせる手段としてしか考えていなかったが、その有用性を認める事により、街道整備の依頼を積極的にするべきだと思い直した。
モーガンは自分の考えに固執せず、状況に合わせた対応をできる柔軟性を持ち合わせていた。
とはいえ、エルフを領内に入れる事に対する不安はぬぐい去れない。
エルフ側は交易によるメリットを考えていた。
塩に限らず、森では取れない農作物や鉄製品の入手手段として、人間との取引は悪くない。
毛皮の収穫量は限られるので、物々交換や森で取れる物の売買では早晩行き詰まる。
そうならないよう、リード王国の金銭を手に入れる方法を用意されているというのは魅力的だった。
だが、保守的な考えをする者が多く、今のところは出稼ぎに関して否定的な考えをする者が多かった。
少なくとも、現段階では春の会談待ちというのが双方の考えだ。
その頃には状況の変化や、何か良い考えが浮かぶかもしれない。
――考える時間ができてよかった。
アイザックもそう思っていたはずだが、王都に来てからゆっくりと考える余裕が無かった。
「――というわけですから、今は国交樹立だけで取引しない可能性が高いんです。申し訳ございませんが、この話は無かったという事でお願い致します」
王都に来てから何度目かのセリフ。
数えるのも面倒臭い。
「そうですか、残念です。もし、何かお困りの際には気楽にご相談ください。いつでもお力になります」
そう言い残して客が退室していく。
彼はエルフとの交流再開を小耳に挟んで、アイザックを訪ねてきた者だ。
モーガンが外務大臣の引継ぎを始めたので、名目上はモーガンの大臣の内示とランドルフの領主代理就任のお祝い。
そんな理由で屋敷を訪れているので、客を追い返すわけにはいかない。
同年代の友達よりも、ヒゲを生やしたむさ苦しいオッサン連中の友達が先にできそうだ。
(オルグレン男爵め! あのジジイ、ベラベラ喋り過ぎだろう!)
アイザックはオルグレン男爵を恨む。
彼が「アイザック様は素晴らしい。エルフとの会談もウェルロッド侯に負けず劣らず主導していた」と言いふらしていたからだ。
口止めをしていなかったアイザックが悪いのだが、貴族の当主があそこまで口が軽いとは思わなかった。
これは情報に関する意識の違いだ。
アイザックは飲食店だったのでお客様の個人情報など滅多に触れる事が無かったが、個人情報保護に関する社員教育は受けていた。
個人情報の保護という概念が無い世界である以上、噂話として話されるのは防ぎようが無かった。
もっとも、よほど秘密にしなければならない重要な話でもない限りは、口止めされても情報は洩れる。
「ここだけの話なんだが――」と、人に話す者がいるからだ。
オルグレン男爵の情報漏洩は、貴族界隈でエルフに関しての情報が流れるのが少し早くなっただけだ。
実際は責めるほどのものではなかった。
「なんだか、アイザックと話したい者ばかりだな」
同席していたランドルフが愚痴をこぼす。
領主代理になったので十分にお祝いの言葉をかけられている。
だが、貴族社会での話題をアイザックにかっさらわれているせいで、どうしてもアイザックのついで感が否めない。
少し寂しさを感じていた。
「物珍しさのある今だけですよ。冬の間は進展がないので、すぐに飽きられるでしょう」
アイザックは「とりあえず唾をつけておこうという感覚で客が来ている」と考えている。
金になるかどうかハッキリとしないうちに、本気でアイザックに取り入ろうとする者はいないはずだ。
すぐに領主代理として確実におこぼれにありつけるランドルフに媚びを売り始めると思っていた。
「そうだろうけどな……。とりあえず、今のところは受け答えは良い感じだ。どうなるかわからない以上、期待を持たせるような事は言わないように」
ランドルフはアイザックに念押しする。
迂闊な事を口走っても“まだ子供だから”で話を反故にする事はできる。
だが、そういう事をすればアイザックの信頼が傷ついてしまう。
あらかじめできない約束をしないようにと教えていた。
「はい、気を付けます」
(気軽に考えておきますも言えないんじゃなー)
――よく考えておきます。
断る時によく使われる言葉だが、貴族社会では解釈の違いという事で都合よく受け取られる。
「(どう断るかを)よく考えてきます」というのが「(どう実現するかを)よく考えておきます」と、自分に都合よく受け取られるのだ。
「考えたけどダメでした」と後日答えると「期待を持たせておいてどういう事だ」と、攻める口実を与えてしまうらしい。
イエスかノーかはハッキリ相手にわかるようにしておかねばならないそうだ。
美味しそうな利権が関わるところは“曖昧に済ませる”という事が許されず、ダメな時はキッパリと断れと教えられていた。
しかし、これはあくまでもランドルフの価値観。
貴族の中には、曖昧な表現をして自分に良い条件を引き出そうとする者が数多くいる。
「まったく……。父上に王都行きの準備を投げ出されたと思ったら、お前がエルフとの友好関係を築こうとしていると聞いて驚いたよ。鉄鉱石の入札に行っているはずだったのにな」
ランドルフが呆れたようにアイザックの頭を撫でる。
「申し訳ないです。森に入った際、偶然出会ってしまいました。僕もそんなつもりはなかったので驚いています」
「森なぁ……。父上に怒られてわかっただろうが、危ない事をするなよ」
「はい、気を付けます」
撫でていた手でポンとアイザックの頭を軽く叩いて終わらせた。
アイザックは厳しく叱らないのは、子供の教育には良くないと思っている。
時としてモーガンのように躾ける必要があると考えているからだ。
だが、人を許す事のできるランドルフの事が好きだった。
自分が持ち合わせていない器の大きさを感じる。
自分もランドルフの優しさに付け込んでいるところがあると自覚している。
だが、表面上は余裕があっても、ネイサンを蹴落とすまでは実質的に余裕が無い。
利用できるものは利用しなくてならないのだ。
その分のお礼は余裕ができた時にするつもりだった。
「そういえば、ブラーク商会から買わされた宝石を2億リードで売ってくれませんか?」
ブラーク商会の事を思い出したので、この機会に話題にする事にした。
幸いな事に、宝石を買うくらいの余裕はある。
「ん? あれは粒が小さかったり形が悪かったりする安物だぞ。欲しいのなら自由にしていいぞ」
さすがに自分の息子から金を取ろうとは思わない。
それにウェルロッド家の財産なので、すでにアイザックの物とも言える。
だが、アイザックは首を振った。
「レイドカラー商会に頼んで装飾品にしてもらい、エルフ達に安く売る。もしくはタダ同然で配るつもりです。ドワーフ製には負けるかもしれませんが、いつかは“自分達が稼いだ金で、家族にもっと良い物を買ってやろう”と思ってもらおうと考えています」
しょぼいからこそ、そのしょぼさを利用して粗品のように取り扱う。
エルフの物欲を刺激する小道具として使うつもりだった。
「なるほど、責任者として上手くやりなさい。わからない事は聞くんだぞ」
モーガンの方針により、アイザック一人が責任を取るようなやり方をするつもりはない。
問題が起きた場合は、ちゃんと侯爵家でエルフに対して責任を取れるようにしている。
しかし、エルフに対して恐れも何もないアイザックが、秘書官の補助付きとはいえ交渉責任者に任命された。
初めて仕事を任されて張り切っているのだろうと、ランドルフは良いように受け取った。
「はい。侯爵家からではなく、商会からの製品サンプルとして配ってもらえば警戒せずに受け取ってもらえると思いましたから」
「なら、1億リードでどうだ? 2億も払う必要はない」
「いいえ、商品を売買するには手数料とかが必要だと思います。2億リード支払います」
アイザックの決意は固い。
ランドルフもそう感じ取ったのか、アイザックの提案を受け入れた。
「わかった。気の済むようにしなさい」
「ありがとうございます」
アイザックは嬉しそうに笑みを浮かべる。
去年、ランドルフはブラーク商会にコケにされて1億リードを奪われた。
「入札でお金を稼いだので、損失補填します」と金を渡せば、ランドルフのプライドが傷ついてしまう。
「エルフに売るか配るために売ってくれ」というのが、傷付けずに金を渡すいい方法だった。
2億リードにしたのは、エドガーという男に売るはずだった価格だからだ。
当然、ランドルフも馬鹿ではない。
「2億」という数字が出た時点で、アイザックが自分のミスをカバーしようとしてくれていると気付いていた。
しかも、元値ではなく売値の方でだ。
我が子の成長が嬉しくもあり、悲しくもある。
(俺も老いたな……。いやいや、俺はまだまだこれからだぞ! 老いを感じるにはまだ早い)
思わず、自分一人でノリツッコミをしてしまった。
子供の成長が早いのも困りものである。
「その金でお前のために良い家庭教師を雇うか」
ランドルフも我が子から金を貰ったと素直には喜べない。
ならば、受け取った金は我が子の未来への投資に使うべきだと考えた。
モーガンからは“倫理や道徳を中心とした教育”をするように言われている。
これはランドルフも同感だった。
文字や数学は十分な知識がある。
それならば、その知識の使い道に関して教える方が正しいと思った。
一方のアイザックは家庭教師を雇うと聞いて嫌そうな顔をしている。
国語や数学の教師ならわかるが、倫理の教師などどんな人物が来るかわからない。
前世では一般科目の教師に比べ、専門科目の教師は個性的な人物が多かった。
授業よりも、変な人物と関わる事をアイザックは恐れていた。
だが、ランドルフは“授業を受けるのが不安なんだな”と受け取ってしまった。
「大丈夫だ。ちゃんと(実績のある)良い教師を選ぶから」
「そうですね。(性格の)良い人をお願いします」
『ハッキリ相手にわかるようにしておかねばならない』
その事を忘れて、相手にも伝わっているだろうと甘い頼み方をしてしまった。
父を相手にしての会話だったので、つい気が抜けてしまっていたのだ。
アイザックは自分の詰めの甘さを後悔する事となる。
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