第9話 接触開始

 アイザックとルシア以外の家族が出ていった屋敷には使用人達が残ってはいるが、どこか閑散としているように思えた。

 やはり、館の主人とその供回りが居なくなるのは大きいようだ。

 だが、アイザックはこれを好機と受け取り、普段近づかないメリンダの住む別館を訪れていた。


(それにしても、出自が違うだけでこんなにも違うものなのか?)


 メイドを連れ、メリンダ用の別館を訪れたアイザックは内装の違いに驚いた。

 普段住んでいるルシア用の別館は、シックな部屋でありながら、大貴族の妻の住む場所として重厚さを兼ね揃えた内装だった。


 しかし、メリンダ用は違う。

 王宮と見間違えるようなきらびやかな部屋。

 出てくる感想はまさに「華美」の一言であった。


 部屋の内装が装飾されているのはもとより、金で縁取られた家具など派手な印象を受ける。

 それでも成金趣味ではなく、どこか品性を感じられるのは凄いところなのだろう。

 メリンダも侯爵家の娘だけあって、相応の感性を兼ね備えているという事がわかる。


(俺が住んでいたら「この金の燭台いくらで売れるんだろう」という事しか頭にないだろうな)


 本人がそう思っているように、アイザックの視線は燭台に釘付けだ。

 前世は公務員の息子。

 そして、今世は落ち着いた雰囲気を好む母親を持ったという事もあり、ここまで金の匂いがする物に近づいたのは初めてだった。


「アイザック様、ご機嫌麗しゅう存じます。メリンダ夫人とネイサン様は王都へ出発なさいましたよ」


 メリンダの住む別館のメイド長であるベラがアイザックを出迎える。

 この別館の主であるメリンダ達がいない事は、見送ったアイザックもわかっているはず。

 なぜ訪れたのか不思議そうな表情を浮かべていた。


「それはわかってるよ。僕はベラ達と話に来たんだ」

「私達とですか?」

「うん」


 ベラは不思議そうな表情から、疑問と驚きに満ちた表情に変わった。


「いつも兄上やメリンダ夫人のお世話をしてくれているので、お礼にお菓子を持ってきました。感想を聞かせてくれると嬉しいです」


 メリンダは砂糖を減らしたお菓子を「貧しいお菓子」と忌み嫌っていた。

 当然、メリンダの傍で働く彼女達の口に入るはずもない。

 実際に食べてもらい、美味しいかどうかの感想を聞きたかった。


「……それだけではありませんよね?」


 アイザックは少し落ち込んだようにベラに見せかける。

 お菓子を食べてもらいたいだけではないと察したベラが、隠されているであろう理由を聞いた。

 アイザックは悔しそうに下唇を一度噛むと、理由を話し出す。


「なんでだかわからないけど、僕はメリンダ夫人に嫌われてるみたいなんです。兄上と仲良くしたくても、会っちゃいけないって断られて……。だから、ベラ達に兄上の事を聞かせてほしいんです」


 悲しそうに語るアイザックに、ベラは同情する。

 彼女の前にいたのは、自分の孫ほどの年齢にもかかわらず、大人顔負けの頭脳を持つ子供ではなかった。

 ただ兄を慕う、年相応の子供がいた。

 そんな子供の頼みを断れるほど、ベラは薄情ではない。


「かしこまりました。メリンダ夫人も王都に向かわれましたので、急ぎの仕事もありません。お話しさせていただきます。他の者も集めますので、五分ほどいただけますか?」

「ありがとう! それじゃあ、シェリーと一緒に食堂で待ってるね」


 アイザックは満面の笑みを浮かべ、お菓子を載せたサービスワゴンを押す若いメイドと共に使用人向けの食堂へ向かう。

 内装は違うが、作りは同じ。

 迷うことなく真っ直ぐ向かう事ができる。


(それにしても、子供っていうだけで簡単に信じてもらえるもんだな。今のうちに信頼関係を築いておけば、後々楽になりそうだ)


 子供の姿はマイナス面もあるが、こういう利点もある。

「今だからできる事」を考えておかねばならないと、アイザックは覚えておこうと決めた。



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「ほんっとう、あいつらサイテーよね」

「立場は同じはずなのに、やけに上から目線なのよね」


 一度話が始まると、アイザックが何も言わずとも勝手にヒートアップしていった。

 ベラ達はウェルロッド侯爵家傘下の貴族からモーガンが用意したメイド達だ。

 侯爵家の屋敷で働くのは、傘下の子爵家や男爵家ゆかりの身元がはっきりとした者達。

 にもかかわらず、メリンダはウィルメンテ侯爵家から連れてきた使用人達だけを優遇している。

 今回の王都行きで連れていかれたのも、実家から連れてきた者達だけだ。


 その待遇の違いに、各人多かれ少なかれ不満を持っていた。

 ついつい、アイザックの前だと忘れてしまうほどに。


「メイドの皆さんも仲良くするのは大変なんですね……」


 だが、アイザックも止めたりはしなかった。

 メリンダやネイサンを取り巻く情報を得る事ができるからだ。

「これだけは言ってはいけない」という事は話さない程度の常識はあるようだが、個人情報の保護という概念がまだない世界。

 特にアイザックが子供なので、どうせわからないだろうと思って油断している。

 聞きに徹していると、結構ベラベラと喋ってくれる。


「そうなんですよ。特にウィルメンテとは家風も違いますから」

「どう違うの?」

「ウェルロッド侯爵家は代々文官を輩出した家系に対し、ウィルメンテ侯爵家は武官を輩出してきた家系なんです。その傘下にある貴族もその影響を受けています。本を読んだりするのが好きな人と、体を動かすのが好きな人の違いみたいな感じですね」


(文系と体育会系の違いかぁ)


 基本的なタイプが違う。

 そして、メリンダがウィルメンテ系の使用人を重用するので、なおさら両者の隔たりが大きくなるのも当然の結果だ。


「僕は本を読むのも、パトリックと一緒に遊ぶのも好きだよ」


 アイザックはベラ達を油断させるために、子供らしい事を言った。

 現にベラ達は微笑ましいものを見る目でアイザックを見ている。


「それは良い事だと思います。ですが、大人になると色々と違いが出てしまうのですよ」


 シェリーがティーカップをテーブルに置きながら言った。

 彼女は普段、毒見や味見といった名目でお菓子を口にしているので、空気を読んでお菓子には手を付けていない。


「メイド長と私は同じウェルロッド系の貴族出身で、以前から知っています。ですが、今はルシア奥様とメリンダ奥様のお傍に仕える者として分かれて働いています。同じ御屋敷で働いていても、こうして違いが出てしまいます。それのもっと大きい違いみたいなものですよ」


 子供のアイザックにもわかりやすいように、シェリーは両手を広げて「大きい」と仕草で表した。


(確かに大きい)


 仕事用のキッチリとしたメイド服を着ているにもかかわらず、たゆんたゆんと揺れるシェリーの胸元を見ながら、アイザックはそう思った。

 まだ子供なので性的興奮を感じないのが残念なところだった。


(王になったらハーレム作りからだな)


 元々がゲームだからか、美男美女揃いの世界だ。

 この世界ではモブ顔のシェリーですら、前世で「付き合ってあげる」と言われたら土下座をして感謝の意を示しているレベルだ。

 成長した自分がどこまで理性を発揮できるのか……。

 アイザックには、あまり自信がなかった。


「大人って難しいんだね」

「はい。特にアイザック様は侯爵家の跡取りなので、難しいと思います。頑張ってくださいね」

「うん」


 アイザックは紅茶を口に含むと、本題を切り出した。


「兄上は普段どんな方なんですか? 滅多に会わないので、教えてほしいです」


 今まではネイサンが「どんな暮らしをしているのか?」という質問で、ウィルメンテから来た使用人の話になっていた。

 次は本人の日常を教えてもらいたい。

 しかし、ベラ達は冴えない表情をしながら、何かを考えているようだ。


「そうですね……。とても元気な方ですよ」

「とても……、気高い方ですね」

「食欲旺盛なお方です」


 特に褒めるところが思いつかなかったが、仮にも仕える主人である。

 批判めいた事を口にするような事は、はばかられたのだろう。

 とって付けたような評価しか返ってこなかった。


(うーん……。元気はヤンチャ。気高いは生意気。食欲旺盛は食い過ぎでデブって事かな)


 特別問題視するような内容ではない。

 これらは子供であれば「そんなものか」と思える程度。

 本来なら言葉にするのを渋るような内容ではなかった。

 彼女らは、アイザックと比べてしまうから幼稚だと思ってしまうだけだ。

 冷静に考えれば、ネイサンに落ち度はない。

 弱みとするにはネタが弱い。


「他には何かありませんか?」


 ――純粋に兄の話を聞きたい。


 アイザックは、本当に兄を慕う弟のように目を輝かせて質問する。

 その理由がどうあれ、ネイサンの話を聞きたいのは事実だから何も問題は無いだろう。


「そういえば……」


 メイドの一人が何かを言おうとして、口をつぐむ。


「ドーラ。兄上の事なら、なんでも良いので教えてください」


 無邪気な少年の目で見つめられ、ドーラと呼ばれたメイドは断れなくなった。


「警護の騎士と決闘ゴッコをしていらしたようですが、勝った後も叩いたりしていましたよ」


 しかし、口にしてから後悔した。

 彼女の言葉で場が静まり返ったからだ。


(何か不満があってか、それとも楽しいからか。騎士をいたぶるなんて事をしてるなんて……。馬鹿でありがとう!)


 今回の話し合いで一番良いネタを拾えた事に満足する。

 こういった内容を少しずつでも集めていけば、いつか失脚させる時の材料にできる。

 メリンダの別館で働くメイド達は、これからも情報源として期待できそうだった。


「なるほど。兄上は相手を倒したと思って油断せずに、ちゃんとトドメを刺すのを忘れないようにしているのですね」


 アイザックはドーラをフォローする。

 気まずい空気を残してしまえば、もう二度と情報をもらえないかもしれない。

 今後のために、口が軽いままで居てもらわねば困るのだ。


「その通りです。きっと勝利への意思が強いんでしょうね」


 ベラもその流れに乗った。

 四歳になったばかりの子供に「お前の兄貴、権力を盾にして逆らえない奴をいたぶっていたぞ」などと言いたい者などいない。

 彼女はアイザックには、そのまま「用心深い兄」という認識のままでいてほしいと思っていた。


「アイザック様、そろそろ戻りませんか?」


 その場の空気を感じとったシェリーが、帰ろうと提案する。


(あまり長居するよりも、定期的に接触する方が良いネタ入りそうだし、そろそろ切り上げてもいいか)


「そうだね。みんなも仕事があるだろうし、長い間邪魔しちゃ悪いよね」


 アイザックはシェリーの提案に乗った。

 長居してウザがられる事も心配だったし、深く聞き出そうとして怪しまれるのもマズイ。

 適当なところで切り上げる口実を作ってくれて、助かったくらいだ。


「こちらこそ、ご馳走様でした。確かにほどよい甘さのお菓子は美味しかったです」

「でも食べやすいから、ついつい食べ過ぎてしまうのが難点ですね」


 メイド達は思い思いにお菓子の感想を述べる。

 一部、以前の甘い方が好みだという者もいたが、基本的に適度な味付けを好む方が多い。

 アイザックの嗜好が、この世界で少数派というわけではないとわかった。

 今は思いつかないが、いつか役に立つ事を思いつくかもしれない。

 この世界で自分のアイデアが受け入れられる可能性があるとわかったのは、ちょっとした収穫だ。


「みんな、ありがとう。また兄上の話を聞かせてね」


 アイザックは笑顔でお礼を言うと、シェリーと共に退室する。

 その後ろをメイド達はついていき、玄関口までアイザック達を見送った。




「そういえば、何で普段話さない私の名前を知っていたのかしら?」

「えっ、私に聞かれても」


 ドーラが同僚に聞くが、そんな事を聞かれても困る。


「アイザック様は屋敷で働く者は大体名前を憶えているそうよ。たまにしか屋敷に来ない者は、まだ覚えられてないそうだけど」

「まだ小さいのに凄ーい」

「名前を憶えてもらうだけでも、結構嬉しいものですね」


 ネイサンどころか、メリンダすら彼女達の名前を覚えようとはしない。

 ウィルメンテから連れてきた者達ですら、数人覚えているだけだ。

 使用人とは、高貴な者にとっては道具でしかないという態度の表れだろう。


 だが、使用人にだって心がある。

 名前を覚えてもらうだけの事だが、それが妙に嬉しく感じられた。

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