第8話 家族の王都行き

「たくさん人がいますね」

「ええ、そうよ。これからみんなは王都に行くのよ」


 ルシアが王都に行くと言ってはいるが、アイザックは見送る側だ。

 馬車で二週間ほどかかるので、アイザックは幼い事もあって連れていかれない。

 母親と一緒に館でお留守番だ。


「僕も行ってみたいです」


 いつかは王立学院に入るために王都に住む事になるとはいえ、王都こそ権謀渦巻く伏魔殿。

 子供の姿で相手を油断させられるうちに慣れておきたかった。

 そこが少し残念だ。


「来年には行けるわ。長旅は辛いから、五歳になるまではお留守番という事になってるの。お父様も行ってしまって寂しくなるけれど我慢してね」


 ルシアがアイザックの頭を撫でる。

 だが、アイザックは気にしてはいない。


「大丈夫です、お母様。お母様とパトリックがいるので寂しくありません」

「おいおい、それは酷いんじゃないか」


 二人の会話を聞いていたランドルフが抗議する。

 しかし、ランドルフ相手なら、この程度は簡単にあしらえる。


「僕も貴族です。お父様がいなくてもちゃんと耐えられます。……でも、早く帰ってきてほしいです」


 そう言って、上目遣いをしながらランドルフのズボンを掴む。

 もうランドルフは文句など言えない。

 その場でしゃがみ込み、アイザックを抱き締める。


「寂しい思いをさせてごめんな。でも、これも貴族として必要なんだ。来年は一緒に行こう」

「はい、お父様」


 アイザックもギュッと抱き締め返す。

 それだけでもう、ランドルフはデレデレとした顔をしている。


(これだけで誤魔化せるなんてチョロイ男だ。……ってなんで俺が悪女みたいになってんだよ!)


 子煩悩な男の気持ちを利用してしまった事を、ほんの少し反省する。

 アイザックは王になりたいのであって、人を手玉に取る悪女になりたいわけではない。

 略奪愛がテーマのゲーム世界とはいえ、自分まで同レベルに落ちる必要性を感じなかった。


 ……下剋上を狙う時点で、人としては同レベルだと気付いていないのが残念なところである。


「あら、置いていかれる女は必死ね。子供を使ってまで気を引きたいのかしら」


 声を掛けてきたのはメリンダだった。

 ランドルフが、アイザックやルシアと一緒にいるところを見るだけでも気に入らないようだ。

 切れ長の目でアイザックを冷たい眼差しで一瞥する。


(見た目だけは悪くないんだけどなぁ……)


 アイザックは前世で恋愛ゲームなどをやってきた経験から、メリンダのようなタイプですら「デレたら可愛いかも」と思えるようになっていた。

 もちろん、見た目が「可愛い」とか「綺麗」である事が大前提である。

 しかも、それは本人が居ない場所での事。

 目の前にいれば、ウザイという気持ちの方が勝ってしまう。


「メリンダさん……。そのようなつもりはありません」


 ルシアが否定する。

 しかし、その声は弱々しい。

 やはり、メリンダの方が良家の出という事を引け目に感じているのだろう。

 強く否定する事ができないようだ。


「まぁ、どこまで本気なのか――」

「メリンダ、やめるんだ。結婚する時に仲良くするって約束しただろう?」


 メリンダがヒートアップする前にランドルフが止める。

 結婚して以来、幾度も繰り返された事。

 止めるタイミングをよく理解していた。


「仲良くする方法までは指定されておりません。そして、これが私なりの方法ですわ」

「メリンダ……」


 夫婦喧嘩は犬も食わない。

 とはいえ、このまま続くのも面白くない。

 メリンダと一緒にいるネイサンを利用して、追い払う事にした。


「王都に行ける兄上が羨ましいです」


 アイザックに話しかけられて、ネイサンは笑みを向ける。

 まだ幼いながらも小太りであり、いかにも悪役然とした笑みだ。

 もしかすると、アイザックが「敵である」と認識しているせいで、そう見えるだけかもしれない。


「王都には色々と楽しい事があるみたいだ。お前の分も楽しんできてやる」

「はい、よろしくお願いいたします」


 嫌味を華麗に受け流す――だけではない。


「王都での経験を活かし、更なる成長をなされますようお祈り申し上げます」


 本人には嫌味かどうか分かりにくい言葉も返しておく。

 周囲の者からすれば、ネイサンに更なる成長を期待できるはずがない。

 体が成長しているだけで、まだ五歳児相応の知識と知能だ。

 一人の人格としてまだ成長していないのに、更なる成長もなにもあったものではない。


 とはいえ、ネイサンもまだ五歳。

 嫌味が含まれているなど気付かない。


「お前に言われなくても、僕は兄なんだからわかってる」

「そうですね。差し出がましいことを申しまして、失礼いたしました」


 アイザックは素直に謝罪した。

 だが、嫌味が含まれているかどうか関係無く、ネイサンにはアイザックの言葉全てが腹立たしい。

 それが、謝罪の言葉であったとしてもだ。

 自分がまだ学んでいないような話し方をする弟に、ネイサンは劣等感を抱いていた。


 ネイサン本人に直接言わないが、母のメリンダですら「なんでネイサンはアイザックのように頭が良くないの」と、こぼす事がある。

 それを以前、ネイサンは聞いてしまった。

 以来「自分の方が兄だから」という事を心の拠り所としている。

 ある意味、アイザックが生まれてきたせいで被害者となっているのだ。


 ネイサンはなんとなくアイザックの態度にムカついていた。

「慇懃無礼」という言葉を知っていれば、それが理由だと気付いただろう。

 母からは「アイザックと仲良くしてはなりません」と教育されていたが、そのような事を言われずとも仲良くなれる気はしていなかった。


「ネイサンも王都は初めてだし楽しみだろう? そろそろ出発の時間だし、馬車に乗ろう」


 メリンダからルシアへ。

 アイザックからネイサンへ。

 これ以上の嫌味の応酬が行なわれてはいけないと、ランドルフが強引に話を切った。

 それこそがアイザックの狙い。

 目障りな物は、誰かに目に入らぬ場所まで運んでもらうに限る。


「長旅になるので、お気を付けて行ってらっしゃいませ」


 ルシアがホッとした様子で三人を見送る。

 そして、アイザックの頭に手をポンと置いた。


「ネイサンはお兄ちゃんなのよ。仲良くしないとダメだからね」

「はい、お母様」


 返事だけは良いのだが、本当に仲良くするつもりなどない。

 しかし、その本心がわからないため、ルシアは安心した表情を見せる。


「それじゃあ、お爺様とお婆様にも挨拶しましょうね」

「はい」


 ルシアに手を引かれ、馬車三台分離れた場所に向かう。

 万が一の場合、道中で侯爵家の血筋が根こそぎやられないように離れているためだ。

 護衛がいるとはいえ、保険は掛けておかねばならないらしい。


 アイザックは何か指示を出しているモーガンではなく、マーガレットに声を掛けた。


「お婆様がいなくなると寂しくなります。お体にお気を付けて」

「えぇ、もちろん。これから寒くなるから、暖かくするのよ。お腹を出して寝たりしてはダメよ」

「はい、お婆様」


 子供扱いされているのは慣れているとはいえ、面と向かって言われるとまだこそばゆい気がする。


「ルシア、アイザックの事を頼みますよ」

「お任せください、お義母様」


 ルシアも貴族の娘。

 将来の跡取り息子の重要さは理解している。

 ネイサンに継承権の優位を奪われるかもしれないが、アイザックの教育もおろそかにはできない。

 母親としての責任は重大であった。


 指示を出し終えたのか、それとも中断したのか。

 モーガンが横から口を挟んできた。


「わしからも頼む。アイザックは頭が良いから、まずは道徳や倫理を中心に教えておいてくれ」

「お爺様、僕は道徳も倫理も兼ね揃えております!」

「ハッハッハッ、残念ながらまだまだだ。ルシアからゆっくり教わるといい」


 モーガンはアイザックの頭を撫でる。

 アイザックの道徳観念は前世の物だ。

 貴族としての物ではない。

 モーガンからすれば、アイザックはまだまだ勉強不足であった。

 だが、それは貴族の大人として。

 まだ子供である事を考えれば、今はこれ以上望むのも酷だろうと思っていた。


「わかりました。少しずつでも学んでいきたいと思います。お爺様もお体にお気を付けてください」

「うむ」


 その後、別れを告げてモーガン達も馬車へ向かっていった。

 大行列が王都へと向かい、歩み去っていく。

 アイザックは彼らを見送りながら、この行列の意味を考える。


 アイザックだからこそ、この王都行きの理由に気付いた。


(ゲームじゃあ、年末年始に攻略キャラの家族と出会うイベントがあった。三月にある王立学院の卒業式、四月の入学式にもだ。それに合わせて、領地にいる貴族も年末から春まで王都に集まるようになっているんだろう)


 十一月中旬に出発し、十二月には王都に到着する。

 そこから年末年始のパーティーの用意をし、春まで社交界のシーズンとなる。

 これは全て「その方がイベントが作りやすい」というシナリオライターの事情でそうなったのだろうと、アイザックは考えていた。


(参勤交代って感じだけど……。そういった意味はなさそうだな)


 別に王都に人質を置いているわけでもない。

 本当に他の貴族との交流のためだけに王都に向かっているのだろう。

 特に理由のない大移動に思わず溜息がでる。


 そして、自分だけではなく、もう一人分の溜息も聞こえた。

 どうやらルシアの溜息だったようだ。


「毎年の事とはいえ、寂しくなるわね」


 ――幼い子供を持つ母親は、子供と残る。


 そのような慣習があるため、ルシアはアイザックが生まれてからはウェルロッドに残っていた。

 だから、この季節はランドルフと離れ離れになってしまうので寂しいのだろう。

 母の呟きを、アイザックは聞き逃さなかった。


「そうですね。お父様の代わりにならないかもしれませんが僕がいます。それに、カレン伯母様やティファニーもいますよ」

「そうね。さぁ、体が冷えないうちに家の中に入りましょう」

「はい、お母様」


(別に王都に行かなくてもできる事はある。まずはそっちから片付けよう)


 アイザックはルシアの手を取り、屋敷へと戻っていった。

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