第5話 アデラとリサ
生まれ変わったアイザックにとって幸いな事に、この世界は紙に不自由しない世界のようだ。
書斎には、かなりの数の本があり、なぜか全て日本語で書かれていた。
――日本語で話し、日本語で文字を書く。
それは日本人――高橋 修――であったアイザックにとって、大きなアドバンテージとなっている。
文字を覚えなくていいというのは、文字の習得に使う時間を省けるという事だ。
それでも、周囲の者に不審に思われぬよう――すでに遅かったが――最初の頃は絵本でひらがなやカタカナをわざわざ教えてもらい、少しずつ覚えていったフリをしていた。
だが、それも面倒臭くなり、漢字混じりの本を読む頃には辞書を手元に置いて、調べながら本を読んでいるフリをするようになっていた。
こんな子供は「悪魔が憑りついている」と、殺されても仕方が無い。
では、なぜ見過ごされているのか。
これには理由がある。
――ウェルロッド侯爵家、三代の法則。
ウェルロッド侯爵家には、初代当主の頃より他の家にはない特徴があった。
初代当主は、誰もが認める極めて優秀な男だった。
しかし、その性格は厳しく、奇行癖もあった。
二代目当主は、優秀であり、性格は厳しくもあり優しくもある。
人並み以上の能力を持ち、人としては普通の男。
三代目当主は人並みの頭脳で優しい男。
決して侯爵家の跡取りとして失格ではないが、優しいだけで物足りない。
四代目当主は、極めて優秀で性格に難がある。
五代目当主は、優秀で性格は普通。
六代目当主は、人並みで性格は優しい。
このように、三タイプの当主が繰り返されていた。
普通であれば優秀だったり、無能だったりが続いてもおかしくない。
だが、ウェルロッド家では不思議なほどこのパターンが続いていた。
アイザックの祖父、モーガンは優秀だが普通の性格をしている。
父のランドルフは、優しいが能力は普通の男。
ならば、次は優秀だが性格に難がある者の番だ。
つまり、それはアイザックの事だと思われていた。
性格はまだわからないが、お菓子作りに口出しするほど頭が良い。
きっとアイザックがウェルロッド侯爵家の系譜を受け継いでいるだろうと見られている。
だからこそ、子供にしてはおかしいところがあっても見過ごされていた。
本来、ウェルロッド家を継ぐべき人物だからだ。
しかし、外戚の力はネイサンの方が圧倒的に上。
後継者レースでは数歩後れを取っている。
それならば、当主になれずともどこでも生きていけるように、学ぶ機会を奪うべきではないと思われていた。
悪魔憑きとして処分されなかったのは、三代の法則という理由があったからだ。
この読書の時間は乳母のアデラとしては楽だった。
自身も本を読むか、ソファーでうとうとしているだけでいいのだ。
そんな彼女も、アイザックの将来が不安で仕方なかった。
過去にも幼少の頃より、頭角を現す偉人というのは歴史上にそれなりの人数がいた。
しかし、そのほとんどが「名君となりその力で人々を正しい道に導く」か「暴君としてその才能を使い、欲望のままに振る舞う」かのパターンが多い。
前者であってほしいと願っているし、そう育てていこうとも思っている。
だが、彼女にはこの年にしてアイザックの自我は確立し、既に明確な目標を持っているように思えた。
普通の子供なら方向性を示し、人としての道を逸脱するようなら修正してやればいい。
ならばアイザックはどうなのか。
性格としては、正しく育っているように思える。
わがままを言わず、周囲の者と上手くやっていこうと努力しているように見えた。
しかしながら、その知性から感情を隠しているようにも思える。
このくらいの子供に多いイヤイヤ期もなく、周囲の者の言う事をよく聞く。
わからぬ事は、理解できるまで質問してくるのだ。
――まるで自分の知識とすり合わせるかのように。
不気味なところもあるが、基本的には良い子だと思う。
アイザックは賢く、他人への気遣いもできる子供だ。
アイザックに比べると、自分の娘が同じ年だった頃は何だったのだろうかと思ってしまう。
彼女には、アイザックと娘が別の人間だとはわかっている。
だが、ついついそんな事を考えてしまった。
ただ、魔法の教本を読んで実際に使おうとしたりするなど、子供らしい一面もあった。
しかし、人間は一万人に一人魔法を使えるかどうか。
アイザックには魔力がないと伝えると、見てわかるくらいガッカリしていた。
その姿を見て「やっぱり子供らしいところもあるのね」と、アデラは悪いと思いつつも少し安心してしまった。
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アイザックが本を読むのは自由時間のみ。
誰かが遊びに来たりした時は、そちらの相手をする。
もっとも、他の子供達も教育があるので毎日遊びには来ない。
この日は、アデラの娘であるリサがアイザックと遊びに来てくれていた。
五歳も年上の八歳だが、アイザックにしてみれば五歳差など大した問題ではなかった。
精神年齢で言えば二十七歳。
リサにおっさん扱いされかねない年齢だ。
だが、そんな事を知らないリサは、アイザックにお姉さんぶっていた。
「よく見ててね。四角を二つ描いて、その四角の角と角を線で繋ぐと……。箱に見えるでしょ?」
「本当だ、凄ーい」
(いや、知ってるけど)
リサは自信満々で三歳児に知識を披露している。
胸を張っているが、まだ張るほどのボリュームが無いのが残念だ。
「アイザックはいつも本読んでるでしょ? お勉強も大切だと思う。だけど、たまにはお絵描きや歌を歌ったりしておかないと、習い事をする時大変だよ」
「えっ、そうなの?」
「そうだよ。だって、貴族だもん」
(なんで、貴族だからって芸術を……。あー、そうか。パトロンになったりするから、最低限触っておかないといけないのかな)
アイザックには「美術や歌は上手い者に任せておけば良い」という考えしかなかった。
だが、どう上手いかを判別するだけの感性を鍛えておかねば、いつか恥をかく事になるかもしれない。
この世界の知識を集めるだけでも忙しい。
なのに、芸術の分野まで学ばないといけなくなるのは辛いところだった。
歌は友達とカラオケに行く程度。
お絵かきは学校の授業で習っただけだ。
漫画やイラストを描く趣味があれば良かったのにと、前世を後悔していた。
(……あれ? もしかして、俺って……)
特に秀でていると自慢できるような事がなかった。
学校の勉強は中の上。
特技も特になく、趣味はゲームくらい。
唯一、役立ちそうな居酒屋チェーン店での経験も、セントラルキッチンで調理された物を焼いたり、電子レンジで温めたりしていたくらいだ。
(農業改革みたいな知識もない。……麒麟児ルートを選んだのはミスったか)
人並み以上の野心はあるが、それを支える地力がない。
(これじゃ、ただの身の程知らずじゃないか……)
アイザックは身の程を知り、前世で積み上げてきたものがない事に恥じ入った。
「リサお姉ちゃん、上手にお絵描きする方法教えて」
なので、素直に教えを乞う事にした。
こういう事は楽しむという事が大切だ。
絵を描くのが嫌だ、嫌いだと思っていては成長のしようがない。
本格的な絵画の家庭教師を雇う前に、絵を描く事が楽しいと思えるようになっておいた方が良いだろう。
「好きこそものの上手なれ」という言葉もある。
絵を描く事を好きになるには、友達と一緒にお絵描きするのは良い事だ。
アイザックは前世とは違う生き方を選んだ。
前世の基準で考えれば“後継者争いに勝つには、芸術に時間を取られている暇はない”と判断するところだった。
だからこそ、あえて芸術に触れる事を選んだ。
自分が芸術家にならずとも、多少は良し悪しを理解できるようにはなっておきたい。
「もちろん、良いよ」
リサは快諾した。
断る理由は無いし、人に頼られるのは素直に嬉しい。
二人は乳姉弟。
リサは弟にお姉ちゃんぶる事ができてご満悦の表情を浮かべていた。
それから数時間ほど、二人はお絵描きに熱中していた。
「あら、楽しそうね」
アイザックは背後から声を掛けられるまで気配に気づかなかった。
それだけ夢中になってしまっていたのだろう。
振り向くと、祖母のマーガレットが立っていた。
「はい。お婆様も一緒にどうですか?」
「私も若い頃は描いていたんだけどねぇ。もう長い間描いてないから、描けなくなっているわ」
マーガレットは笑顔で答えた。
その様子から「子供と一緒にお絵描きなんてできるか」といった雰囲気は感じ取れない。
おそらく、若い頃に貴族の嗜みとして触れていただけ。
あまり上手くないので、下手な絵を見られるのが恥ずかしいのだろうと思われる。
「では、この絵をお婆様にプレゼントします」
アイザックは祖母の絵を差し出した。
一通り家族の絵を描いていたので、マーガレットの絵も描いている。
当然ながら、元々の絵心がなかった事と新しい体に慣れていない事で下手くそな絵だった。
子供特有のやけに頭が大きくバランスの悪い絵。
だが、マーガレットは嬉しそうだ。
「あら、上手に描けているじゃない。ありがとう。将来は画家になるといいわ」
「……それは、褒め過ぎです」
(でも、下手なりに一生懸命描いた物を、喜んで受け取ってくれるとこっちも嬉しくなるな)
頭を撫でてくれているマーガレットに、また描いてあげようとアイザックは思う。
(そうか、真心のこもったプレゼントを嫌がる奴はいない)
結婚式の引き出物として、夫婦の写真が印刷された皿などを渡された場合は除く。
(心の優しい子。将来的にこの子が後継ぎになった方が嬉しい。そう思わせる何かをみんなにプレゼントできればいいな)
貰って嬉しく、処分に困らない物。
そういった物を配る事ができれば、未来への足場作りに利用できるかもしれない。
(それに、前世では親孝行とか全然してなかった。今世では、家族に何かしてあげたい)
喜んでくれている祖母の顔を見て、アイザックはそう決意する。
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