第4話 新世代のお菓子

 母ルシアの実家であるハリファックス子爵家は、代々ウェルロッド領内にある都市の一つを任されており、ルシアの父が統治している。

 兄のアンディは、ウェルロッド家の官僚として働いている。

 ルシアがランドルフと結婚しても、外戚として振る舞うような事はなく、今まで通りの立ち居振る舞いを通してきた清廉な人物だ。

 その家族も領都内にあるハリファックス家の屋敷に住んでいるものの、政治的な配慮でルシアのもとへは頻繁には訪れてこない。


 だが、たまには義理の姉妹で一児の母親同士、子育てに関する話をしたいという理由で集まっていた。

 ルシアと義理の姉カレン。

 そして、アイザックとティファニーの四人でのお茶会だ。


 ティファニーは、ゲームでは青い髪を三つ編みにした眼鏡っ子の優等生キャラ。

 しかし、まだ三歳のティファニーはおかっぱに近いショートカット。

 眼鏡もしていない。

 今はまだ、ゲームキャラとしての面影はない。

 ニッコリ笑うとこっちも微笑ましくなる、年相応の可愛い女の子だ。

 そんな可愛い女の子が隣に座っていても、アイザックにとっては、このティータイムは苦痛でしかない。


 本来ならば、体の欲求に従いお菓子をむさぼりたいところだった。

 しかし、この世界における菓子とは砂糖を大量に混ぜ込んだ物。

 基本的に砂糖は富裕層の使う甘味料であり、その砂糖を多く使うのが貴族にふさわしい菓子として広まっていた。


 今、目の前のテーブルに並べられているケーキもそうだった。

 生クリームはもとより、飾りつけのフルーツも砂糖漬け、スポンジ生地すら甘ったるい。

 アイザックは味の調和を考えない、ただ甘いだけの菓子にうんざりしていた。

 大人たちは普通に食べていたが、食べ慣れていないティファニーにも合わないようだ。


 アイザックは前世で様々な菓子を味わってきた記憶がある。

 前世では種類が豊富で、味付けも好みの物がいくらでもあったのだ。

 そのせいで、現世での菓子に満足できないのは仕方ない。


 だから、アイザックはお菓子を食べる事を諦めて、普段は子供でも食べられるように細切りにした干し肉を齧っている。

 幼児期から顎を鍛えるために、甘いだけの菓子の代わりに食べているのだ。

 時々ビールが飲みたくなる。


 だが、母のルシアはそんなアイザックを心配していた。

 それも当然の事。

 どこの世界に菓子よりも、干し肉を好んで食べる幼児がいるだろうか。

 こういった機会に、好き嫌いせず甘い物も食べるようになってほしいと思っていた。


「ねぇ、アイザック。男の子だから甘い物が苦手なのかもしれないけれど、好き嫌いはしちゃダメよ」


 ルシアはやんわりと注意する。

 アイザックは賢い子だ。

 これまでしてはいけない事は、口頭で注意するだけでわかってくれる。

 しかし、これに関してはアイザックも譲れない。

 貴族として普通なのだろうが、砂糖を直接舐めているとしか思えない物を菓子と認められなかった。


「ですが、お母様。これは甘すぎます。もっと甘さを控えた物が良いです」

「お菓子というのは、こういう物なのよ」


 困ったわね、といった感じでルシアは頬に手を当てながら首をかしげた。

 暗い赤色をした長い髪が横に揺れる。

 貴族だからなのかわからないが、アイザックが今まで会った人々は皆が美男美女ばかり。

 ルシアもアイザックの前世とほぼ同世代のようなので、ついつい見惚れてしまう。


「そんなに気に入らないなら、自分で作ってみたら良いんじゃない?」


 カレンがクスクスと笑いながら冗談っぽく言った。

 まだ三歳児なのだ。

 本当にやるとは思っていない。

 だが、相手は普通の三歳児ではなかった。


「はい、そうします!」

「えっ?」


 冗談だったのに、真に受けて作ってくるという。

 これにはルシアとカレンは驚いた。


「アイザック、お菓子を自分で作るのは難しいわよ」


 ルシアが止める。

 頭の良いアイザックといえども、まだ幼い。

 小麦粉を混ぜるのも一苦労だろう。


「自分では作りません。砂糖控えめのお菓子をアレクシスに作ってもらいます」


 アイザックは、屋敷お抱えのお菓子職人であるアレクシスの名を出した。

 本当に自分で作るのではなく、作れる者に自分好みの物を作らせば良い。

 これなら、他のお菓子も砂糖の量を調整してもらえば良いだけだ。

 食べたい時に自分で作らなくて済む。


「でも、職人は自分の仕事に誇りを持っているから断られるわよ」

「そこはなんとか説得してみます」


 もちろん、侯爵家の継承権を持つ者としてのお願い圧力ではない。

 可愛らしい子供からのお願いだ。

 無下にはできないと思われる。


「そこまで言うなら仕方ないけれど、ダメだって言われたら諦めるのよ」

「はいっ!」


 返事は良いが、アイザックには言いつけを守るつもりなどない。

 誰だって美味しい物を食べたいはず。

 一度でも砂糖以外の味のするお菓子を食べてもらえれば、自分の言っている事に理解を示してくれると思っていた。


「わたしもいくー」


 ティファニーは状況を理解していない。

 だが、アイザックが何かやりそうだとわかっている。

 友達として、自分も一緒に楽しみたいと主張する。


「そうねぇ……。ティファニーも一緒にいいかしら?」


 カレンがルシアに聞く。

 ここはウェルロッド侯爵家。

 外部の者が勝手に許可を出す事ができない。

 ウェルロッドの者が許可を出す必要があった。

 たとえそれが子供の事であってもだ。


「いいわよ。どうせ、ちょっと話をするだけですもの。アイザック、ティファニーをちゃんと見てあげるのよ」

「はい。行こう、ティファニー」


 アイザックはティファニーの手を取り、一緒に歩き出す。

 前世では恥ずかしくて女性の手を取るなんてできなかったが、今世では違う。

 アイザックは前世とは違う生き方をしようと決めた。

 これくらいは、違う生き方の手始めとしてやっていける。


 しかも、相手は幼児とはいえ女の子だ。

 長い間、女っ気の無い人生だった。

 実のところ、自分の大胆な行動に少しドキドキしている。


 その様子を、念のために付いてきているメイドが微笑ましい顔で眺めていた。



 ----------



「ダメです」

「えー」

「えー」


 アレクシスの取り付く島もない態度に、アイザック達は残念がる。

 しかし、これはアレクシスにも譲れない部分があった。


「私は侯爵家お抱えの菓子職人です。侯爵家の皆さまにふさわしい物を作るように求められております。そのような物を菓子として、アイザック様に食べさせるわけにはいきません」


 貴族というものは厄介だ。

 大きな権力を持つ代わりに様々な制約がある。

「体面を保つ」という事も、その一つだった。

 砂糖を大幅に減らした菓子を食べているなど、誰かに知られるわけにはいかない。


 ――ウェルロッド侯爵家はお菓子の砂糖を減らさなければならないほど困窮している。


 そう噂されてしまうからだ。

 貴族だからこそ、家格にふさわしい暮らしをしなくてはならない。

 アイザックは、侯爵家だからこそ好きな物を食べられないという状況に愕然としていた。


「そ、それじゃあ、これならどう? 屋敷で働いてくれている人のねぎらい用のお菓子作り。その試作品を僕達が試すってことで」

「それは私の仕事ではありません。使用人に食べさせるのなら、見習いがやるべき仕事です。そして、見習いが作るような物は侯爵家の方が口にしてはいけませんよ」


 アレクシスは意地でもアイザックに食べさせようとしない。

 これは彼が意地悪だというわけではなく、アイザックの立場を考えたうえでの事だ。


「うーん……。だったら、ティファニーが食べるんだったらいいよね? 見習いが作るとはいえ、侯爵家で働く見習いだもん。子爵家のティファニーに食べさせるなら問題ないよね」


 これにはアレクシスも困った顔をして考え込む。

 確かに問題はないが、この様子だと絶対にアイザックも食べてしまうだろう。


「……アイザック様は食べてはいけませんよ?」

「うん、大丈夫!」


 良い返事だ。

 アイザックは賢い子だと聞いている。

 しかし、まだ三歳の子供でもある。

 信じていいのかどうか、アレクシスは非常に困ってしまう。


「砂糖は1/3か1/4に減らしてね。素材の味を生かしたバタークッキーとかどう?」


 クッキーなら、焼き時間も短いので早く作れる。

 あまり時間が掛かると、お茶会が終わってしまう。


「では、急いで見習いに作らせます。一時間ほどお待ちください」


「とりあえず、作れば大人しくなるだろう」と思ったアレクシスは作る事を引き受ける。


「ですが、アイザック様は食べてはいけませんからね」


 念押しも忘れない。


「うん、大丈夫だよ」


 良い返事をするが、アイザックには考えがあった。


(目の前に美味しそうなお菓子があったら、子供だったらつい食べちゃうよね)


 子供であるという事。

 それを最大限に生かすつもりだった。

 アレクシスに嘘を吐いたわけではない。

 約束を守るつもりだったが、子供としての本能に逆らえなかったと言い訳をするつもりだった。

 それに、アレクシスに知られなければ良いだけだ。

 メイド達に口止めしておけば、食べても問題ないはずだ。



 ----------



(そう、思ってたんだけどなぁ……)


 クッキーが焼きあがった後、アレクシスは見習いと一緒にクッキーを持ってきていた。

 どうやらアイザックの考えは、彼に見破られていたらしい。


「アイザック様の言われた通りに、大幅に減らしたバタークッキーです。通常であれば小麦粉100グラムに対し、砂糖200グラムだったものを、砂糖50グラムにまで減らした物です」


「砂糖多っ! 小麦粉に砂糖を混ぜるんじゃなくて、砂糖のつなぎに小麦粉使っているようなものじゃないか!」


(道理で普段から甘すぎると思っていたんだ)


 ほぼ砂糖菓子といえるような比率に戦慄する。


「おいしー」


 驚いているアイザックをよそに、ティファニーが焼きたてのクッキーを頬張っている。

 甘すぎるお菓子が合わなかったのは、アイザックだけではない。

 ティファニーも甘すぎるお菓子は合わなかったようだ。

 程よい甘さのお菓子に、子供らしく夢中になっていた。

 皿に盛られたクッキーからは、美味しそうな香りが漂っている。


「アイザックもいっしょにたべよう」


 ティファニーがクッキーを手に取って、アイザックに差し出す。

 幼いながらも、人に分け与えられる良い子のようだ。


「アイザック様」


 アイザックがクッキーを手に取るが、アレクシスが名前を呼ぶ。

「食べてはダメだ」という意味を込めて。

 しかし、アイザックはそれを無視して、クッキーを食べる。


(美味い! バターの風味に程よい甘さ。香ばしく焼き上げられていて食感も良い。やっぱり、これくらいの甘さが良いな)


 思わず頬が緩む。

 やはり本当のお菓子には敵わない。

 今まで干し肉を食べていた事がバカらしくなる。

 もう一枚、と思って手を伸ばしたところをアレクシスに怒鳴られる。


「アイザック様! 食べてはいけないと言ったでしょう! ……失礼致しました。奥様」


 ルシアのいる前で、みっともなく大きな声を出してしまった。

 その事を謝罪しながらも、アイザックをきつく睨んでいる。


「本当に美味しい物を前にして、我慢はできないよ」


 アイザックはクッキーを一枚手にして、アレクシスの前に歩いていった。

 そして、そのクッキーを差し出した。


「干し肉を食べている人はいるけど、塩漬け肉を食べている人はいないよね?」

「塩辛いですから」


 アイザックはアレクシスの答えに満足そうにうなずく。


「それじゃあ、お菓子はどうだろう? 今のお菓子は砂糖を使い過ぎて甘すぎるよね?」


 アイザックはクッキーを見つめる。


「今はまだ甘すぎるお菓子が貴族向けのお菓子として、もてはやされている。けど、これでは甘すぎると誰かが気付いた時、今のお菓子は流行遅れの過去の遺物として認識される時が来るでしょう」


 アイザックはアレクシスの目を見つめる。


「アレクシス。ここは分岐点だよ」

「分岐点?」


 突然、何を言い出すのかと怪訝な表情をする。


「砂糖を多く練り込んだ物を綺麗に作り上げるだけ、そんな旧態依然とした菓子職人として歴史に埋もれて終わるか。それとも、お菓子という物の本来の姿を取り戻した、近代菓子作りのパイオニアとして歴史に名を残すか。どっちが良い?」


 この言葉にはティファニー以外の者が絶句する。

 三歳の子供が言う事ではないからだ。


 ――これはただ事ではない。


 そう感じ取ったアレクシスは、アイザックからクッキーを受け取る。

 そして、一口齧った。


「……マズイ」


(あれ? やっぱり甘いのになれた人には合わなかったか……)


 アレクシスも美味しいと言ってくれると思っていた。

 アイザックは思っていたのと違う反応に、少し戸惑う。


「練り方が悪い。そのせいで固くなり過ぎています。この優しい味わいには、もっとふんわりとした食感の方が合うでしょう。私なら……、もっと上手く作れます」


 アレクシスは悔しそうだ。

 確かに小麦粉の香ばしさや、バターの風味を感じられる方が美味しい。

 砂糖を馬鹿みたいに使う事が常識だったので、自分も同じやり方をしていた。

 そのせいで「素材の味の調和」という基本的な事を考えていなかった。

 三歳児に言われるまで、その事に気付かなかった事が悔しいのだ。


「ですが……、これは侯爵家にはふさわしい物とは言えないでしょう」


 だが、世間一般の常識は違う。

 砂糖を大量に使ったお菓子が基本。

 体面を気にする貴族には似合わない。


「そんな事ないよ。“素材の味を生かした新世代のお菓子”っていえば、他の人達も食べてくれるはずだよ。違和感なく受け入れてもらえると思うよ」


 何事も言い方だ。

「砂糖を減らしたお菓子」では、貧しいお菓子だと受け取る者もいるだろう。

 だが「新世代のお菓子」だと言えば、そういうものなのかと受け取られる。

 中途半端ではいけない。

 堂々と言い切ってしまえばいいのだ。


「そういうものでしょうか?」

「そういうものだって。ほら、ティファニーを見てよ」


 こうしてアイザック達が話している間も、彼女は食べ続けていた。

 お茶会のために用意されたケーキになど見向きもしない。

 程よい甘さのクッキーに夢中になっている。


「美味しいと思う方を食べている。子供は正直だよ」


 ――それをお前が言うのか?


 周囲の大人達はそう思った。

 大人びているとはいえ、少なくとも子供が言う事ではないからだ。


「お母様も食べてみませんか? 砂糖の味しかしないお菓子より美味しいですよ」

「そ、そうね。一つ食べてみようかしら」


 我が子の言葉に驚きながら、ルシアもクッキーを食べる。

 甘いケーキを食べた後なので、少し物足りないような表情をするが、ダメではなさそうだ。

 アイザックもクッキーを食べながら、少し考え事をする。


(そう、これは分岐点。だが、アレクシスのじゃない。俺のだ)


 ――ちょっと頭の良い子。


 その評価のまま様子を見ようかと思っていたが、それはやめた。

 ネイサンの方が後継者争いに一歩以上リードしている。

 母方の家の力など関係ないくらいに、自分の力を少しずつでも証明していかねばならない。

 その決意表明として、今回はお菓子に口出しをした。


 いきなり領地経営になど口出しはできない。

 小さな事だろうが、少しずつ侯爵家内部での評価を積み上げていくつもりだ。


 麒麟児ルートはアイザックに大きな負担を強いる。

 しかも、どこかで失敗すれば「やっぱり、ちょっと頭が良いだけの子供だったんだ」とガッカリされる、リスキーな人生だ。

 だが、前世とは違う生き方を選んだのだ。

「あの時、あれをやっていれば」などと後悔したくない。

 やれる事はやっていくつもりだった。


(でも、お菓子に口出しってスケールが小さいよな。いや、三歳の子供だしこんなもんか)


 少なくとも、ティファニーを笑顔にして、これからは美味しいお菓子を食べられるようになった。

 今は小さな成功でもいいやと、アイザックは満足そうにしていた。

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