18:きみ以外の猫


 あれから夕食も思うように喉を通らずに、無気力なままシャワーを浴びて眠りについてしまった。

 目覚めた今日は土曜日なので、学校に行く必要もない。


すめらぎの家……は、行けないよな)


 こんな状態のまま、どんな顔をしてカヌレに会いに行けばいいのかわからない。

 皇も、あの二人と同じように俺がおかしいと思っていたのだろうか?


 一晩考えてみたところで、俺の中に納得のいく答えが見つかることはなかった。


「……そうだ」


 スマホの待ち受け画面に設定したカヌレを眺めていた俺は、あることを思いついて起き上がる。

 どうせ家でじっとしていたって、この悩みに結論が出るとは思えない。


 手早く着替えを済ませた俺は、駅に向かって自転車を走らせていた。



 ◆



「……ここか」


 有料の駐輪スペースに自転車を置いた俺は、背の高いビルを見上げていた。

 そこに掲げられた看板には、複数の店舗の名前が書かれている。居酒屋や整体などが混在している、いわゆる雑居ビルというやつだ。


 俺の目的とする店は、どうやら三階にあるらしい。

 エレベーターは最上階に止まっていたので、俺は階段を使って目的の階を目指すことにした。


「いらっしゃいませ、猫のお城『ニャッスル』へようこそ」


「ええと、初めてなんですけど……」


「それでは、まず注意事項と店内の説明をさせていただきますね」


 俺がやってきたのは、猫カフェだ。

 もちろん遊びにやってきたわけではない。俺の目的は、カヌレ以外の猫と交流をするということだった。


 店員から一通りの説明を受けた後、扉で仕切られた奥の部屋へと足を踏み入れていく。

 そこには二名ほどの先客がいたが、他に人間の姿はない。

 代わりに、思い思いの場所で寛いでいる猫たちの姿が見られた。


 猫の種類は様々で、カヌレのような短毛種もいればふさふさとした長毛種もいる。

 俺はひとまず部屋の端にあるソファーに腰を落ち着けて、猫たちの様子を観察することにした。


(……可愛いな)


 元々動物は好きなので、猫たちの姿を見れば素直に可愛いと思う。

 店の猫たちは人間に慣れているようで、怯えて隠れたりする様子もない。それどころか、新しい人間がやってきたとばかりに俺の足元に近寄ってくる猫もいる。


 試しに猫じゃらしを使ってみると、目の前にいた白黒模様の子猫が食いついてくる。

 それに続いて、キジトラの子猫も少し離れた場所から猫じゃらしの動きを目で追っているのがわかった。


(可愛い、けど……カヌレとはやっぱり違うんだよな)


 遊ぼうとじゃれついてくる猫は可愛いし、カヌレに似た見た目をしている猫もいる。

 だが、どの猫を見ても違う。カヌレを初めて目にした時のような、あの衝撃を感じることはない。


 ここに来た最大の目的は、俺がカヌレ以外の猫にも恋愛感情を抱けるのかということを確認することだ。


 どんな猫にでも同じような感覚になる。それならば、カヌレだけが特別なわけではないと証明できると思ったのだが。


「お兄さん、見ない顔ね。ニャッスルは初めて?」


「え……? ああ、はい。猫カフェ自体、初めて来ました」


 突然話しかけられて驚いた俺が顔を上げると、いつの間にか隣に女性が座っていた。

 二十代後半くらいだろうか? 服装はカジュアルなのに、大人の女性という雰囲気が漂っている。


「そうなの。私と、あの人もここの常連なんだけど、すっかり猫の魅力に取りつかれてるのよね」


 そう言って女性が示したのは、もう一人の男性客だ。

 年配に見える男性は俺の方に関心を向けることもなく、猫だけに全神経を集中させているように見える。本当に猫が好きなのだろう。


「……猫って、可愛いですよね」


「ええ、そうね。ウチでも飼えたらいいんだけど、家族が猫アレルギーだから」


 そう言って笑う女性が膝を叩くと、まるで魔法のように吸い寄せられてきた猫が彼女の膝の上に飛び乗る。

 常連というだけあって、猫たちとも顔馴染みなのだろう。


「俺、好きな猫がいるんですけど」


「あら、早速お気に入りを見つけたのね。どの子かしら?」


「いや、この店の猫じゃなくて……知り合いの猫で……」


 店内を見回していた女性は、俺の言う猫がこの店にはいないのだとわかると視線をこちらに戻してくる。

 その視線から逃れるように、俺は自然と俯く形になりながら言葉を続けていた。


「猫が……その、恋愛対象……って、やっぱりおかしいんですかね……?」


「恋愛対象?」


 問い掛けておきながら、俺は見ず知らずの相手に何を言っているのかと後悔する。

 冗談だと受け取られるかもしれないし、あるいはドン引きされるかもしれない。

 いずれにしても彼女を困らせるだけだと思い、発言を撤回しようと思ったのだが。


「私も、猫に恋したことあるわよ」


「えっ……!? それ、マジですか……?」


「うん、大マジ」


 思わぬ返答に大きくなってしまった声を抑えて、俺は女性の方を見る。

 からかわれているのかとも思ったが、彼女の表情も声色もそんな風には感じられなかった。


「道端で出会っただけの野良猫だったけど。凄くイケメンでね、一瞬で心奪われちゃった」


「それって、どうなったんですか……?」


「どうもこうも、会えたのはそれっきり。ハートだけ奪って去ってくなんて、罪な猫よね」


 肩を竦めて見せる女性は、膝の上で丸くなる猫を愛おしそうに撫でている。

 その時の野良猫のことを思い出しているのかもしれない。


「キミがその子だと思ったんなら、直感を信じてみるのも悪くないんじゃない? 本気で恋をする瞬間なんて、そうあるものじゃないから」


 本気で恋をする瞬間。

 俺はこれまで、多くの叶わぬ恋を繰り返してきた。けれど、これほどまでに心を射抜かれた経験は、今まで無かったかもしれない。


(俺は、本気の恋をしてるんだろうか……?)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る