09:もしかして彼氏持ちですか?


 先日はまたひとつ、カヌレとの仲を深めることができた。

 きちんと遊ぶことはできなかったのだが、俺の差し出した猫じゃらしに飛びついてくれたのは進歩といえるだろう。

 さらに、これまで出窓から見るだけでは知ることのできなかった、肉球の色まで知ることができたのだ。


(はあ……本当に可愛い……)


 俺は、自分のスマホのカメラロールを眺めて溜め息を漏らす。

 すめらぎの許可を得てカヌレの写真を撮らせてもらったのだが、まだ子猫のカヌレは眠る時以外は基本的に動き回っているらしい。

 動いている姿を撮影するのは容易なことではなく、俺のカメラロールはブレブレな赤茶色の個体で埋め尽くされていた。


 だが、ブレていても可愛いものは可愛い。

 いつか皇のように、あの毛並みに触れることができたら……そんなよこしまな考えを抱いている時だった。


愛人あいと、その後はどうなんだよ?」


「ん?」


「例の新しい恋煩いのお相手、その後進展はあったのかって」


「そうそう、愛人くんちっとも話してくれないし。どうなったのかって、れんくんもボクも気にしてたんだよ」


 俺の机の周りに寄ってきたのは、蓮と一星いっせいだ。

 俺はスマホをしまうと、浮かれ気分のまま二人に報告をすることにする。


「まあ……順調というか、少しは進展してると思う。顔見ても逃げられなかったし」


「ってことは、周りから親しくなってく作戦は成功ってことだ?」


「皇さんの知り合いの子なんだよね? 愛人くんってメンクイだし、やっぱ可愛いの?」


「そりゃあ……マジでこの世のものとは思えないくらい可愛い」


 断言する俺の姿を前に、二人が感嘆の声を漏らす。


「まあ、そりゃそうか。あの皇の友達? ならどんだけ可愛い子紹介されても驚かねえよ」


「けどさ、それだけ可愛い子なら恋人いるんじゃないの?」


「えっ……?」


 そうだろうそうだろうと頷いていた俺だが、一星の思わぬ指摘に思考が停止する。

 これまでカヌレと仲良くなるということばかり頭にあったが、その可能性を考えたことがなかった。

 確かに、魅力的な相手に既に特別な存在がいたとしても不思議なことではない。


 皇からそんな話を聞いたことはなかったが、俺が聞いていないのだから言い忘れているだけという可能性もあるだろう。


「愛人……その様子だと、そこまで頭が回らなかったんだな」


「また深手負う前に、確認しといた方がいいよ。愛人くん」


 二人の言葉を受けて、それまでの俺の浮かれ気分はどこかに吹き飛んでしまっていた。




 ◆




「皇……ちょっと大事な話があるんだけどいいか?」


「何よ、改まって気持ち悪いんだけど。まさかやっぱりカヌレは口実で、アタシと距離詰めようとしてるとか……?」


「ん? カヌレが何だって?」


「べっ、別に何でもない! で、話って何なの?」


 皇は相変わらず独り言を呟く癖があるようだが、その内容を聞き取らせるつもりはないのだろう。

 しかし、今の俺に皇の独り言の内容を知ろうとするだけの余裕はない。


「あのさ、率直に聞くけど……恋人っているか?」


「へっ!?」


 回りくどい質問をする意味はないと思った俺は、思いきって直球な質問をぶつける。

 だが、俺の問い掛けに対して皇の顔は、なぜか真っ赤に染まっていくのが見えた。


「こ、恋人って……急に何でそんなこと聞くのよ?」


「いや、大事なことだろ。俺だって彼氏持ちの子を奪うような趣味はないし、これ以上好きになる前に恋人の有無は知っておくべきだと思うんだ。チャンスがあるのかどうか、知ってるのと知らないのじゃ大違いだろ?」


「それは、そうかもしれないけど……」


 忙しなく視線を移動させながら、皇はもごもごと口を動かしている。

 もしかすると、この反応は既に恋人がいるということなのだろうか? だとすれば、またしても俺は失恋決定ということになってしまう。


 だが、好きな相手の幸せを願うのが男というものだ。

 本当に好きな相手と結ばれたのだとしたら、俺は涙を飲んで祝福をしようと思っている。


「それで、恋人はいるのか? いないのか?」


 どんな答えが返ってきても俺は受け止めてみせる。

 その思いを胸に、気がつけば俺は皇を壁際まで追い込んでしまっていた。

 俯く皇の表情はわからないが、色素の薄い髪の隙間から覗く耳は赤く染まっているように見える。


「恋人なんて、アタシ……そういうのわかんないし……けど、アンタはカヌレが好きなんじゃ……」


「そうだよ、カヌレが好きなんだ。だから、カヌレに恋人がいるかどうか教えてほしいんだよ」


「へ……カヌレに、恋人……?」


「そう、恋人。いや、正確には恋猫なのか……? まあどっちでもいいや。とにかく、いるのかいないのか皇ならわかるだろ?」


 答えを聞くまで逃すまいと壁に両手をついて逃げ道を塞いでいたのだが、彼女の身体がわなわなと震え始めたかと思うと、次いで鳩尾みぞおちに衝撃を受ける。

 皇の拳がめり込んだのだと気がついたのは、床に膝をついて暫く経ってからだった。


「まだ子猫なんだから恋人なんかいるわけないでしょ! バーカ!!」


「うっ……な、何で俺殴られたんだ……?」


 走り去る皇を見送ってから腹を押さえて立ち上がった俺のところへ、友人二人が近寄ってくる。


「お前、何やってんだ……」


「大丈夫? でも今のは愛人くんが悪いよね」


 二人がなぜ呆れたような物言いなのかはわからないし、鳩尾は痛い。

 だが、目的を達成することができた俺には、物理的なダメージなどあって無いようなものだった。


「恋人……いないってよ……」


 親指を立てて見せた俺を放置して、二人は次の授業の準備をするために各々の席へと戻っていく。

 友人たちは相変わらず冷たいが、俺の恋は今日もまた一歩前進だ。

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