08:肉球はピンク色
「
俺の言葉に目を丸くしたのは、声を掛けられた皇本人だけではない。
間もなく昼の授業が始まろうとしている状況なので、教室の中には当然多くのクラスメイトたちの姿がある。
少し前まで彼女の連絡先すら知らなかったような俺が、家に行きたいだなんてどうかしていると思われているかもしれない。
「……買い物して帰るから、それが終わってからでいいなら構わないけど」
皇の返答に、クラスメイトたちが明らかにどよめいたのがわかる。
一見
「おう、じゃあ放課後な」
だが、クラスメイトの反応など気にかけている心の余裕はない。
約束を取り付けた俺は、早く放課後にならないかと落ち着かない気持ちで授業を受けていた。
◆
放課後になって、俺は約束通り皇と教室を後にする。
クラスメイトや友人たちは何かを言いたげな様子だったが、俺の頭の中はすでにカヌレのことでいっぱいになっていた。
皇の家に行く許可が出たということは、カヌレに会うことができるということなのだ。
「買い物って……ここか?」
「そうよ、ちょっと待ってて」
皇が向かったのは、俺がこの間猫じゃらしを買ったあのペットショップだった。
尋ねるまでもなく、カヌレに必要なものを買いに来たのだとわかる。
待てと言われた俺は、ショーケースでこちらにアピールしてくる子犬を眺めながら大人しく皇が戻るのを待つことにした。
「お待たせ、行くわよ」
皇の買い物は、そう時間はかからなかった。
カヌレに会えることが確約されている以上、俺はどれだけ待たされても平気だったのだが。
彼女の手にしているそれを見て、ひとつの疑問が湧き上がった。
「……なあ、それってもしかして……猫じゃらしか?」
「そうだけど」
そう。皇が手にしていたのは、紛れもない猫じゃらしだった。
先日俺とこの店で鉢合わせた皇は、猫じゃらしを買いに来ていた。だが、俺がカヌレのためにそれを購入していたことで、彼女は購入の必要が無くなったのだ。
だというのに、なぜまた猫じゃらしを購入しているのだろうか?
しかも、俺が買ったものとは違う種類の猫じゃらしのようだ。
「この前、俺が買ったやつは?」
「…………捨てた」
「えっ!?」
思わぬ返答に、俺は思わず大きな声を上げてしまう。
驚かせてしまったお詫びだとはいえ、カヌレには気に入ってもらうことができなかったのだろうか?
しかし、この間顔を合わせた時には、確かに猫じゃらしに興味を持っていたように見えたのだが。
そんな俺の考えを見透かしたのか、皇は俺の少し前を歩きながら手にする猫じゃらしを揺らす。
「壊れちゃったの。カヌレが遊びすぎて」
「遊びすぎて……?」
「ずっと咥えて歩いてたから、よっぽど気に入ったみたい。だけど、壊れやすいタイプの猫じゃらしだったから、今日はもう少し頑丈なやつを買ったのよ」
「そ、そうだったのか……」
カヌレが気に入らなくて捨てられてしまったのかと思ったが、それとは真逆の理由だったことに安心する。
むしろ、俺が買っていった猫じゃらしをこんなにも早く破壊してしまうほど、たくさん遊んでくれたという事実が喜ばしい。
猫じゃらしを前に、無邪気に遊ぶカヌレの姿を想像するだけで、俺の口元はゆるみそうになってしまう。
そうこうするうちに、俺たちは皇の家に到着した。
もう三度目ともなるが、やはり上がり込むのはまだ慣れない。この家に好きな子がいるのだから、仕方がないことだろうが。
「カヌレ、ただいま~」
「ニャオ」
「……!!!!」
先日は出迎えが無い状態だったが、今日は皇の声を聞いたカヌレが、一目散に階段を駆け下りてくる姿が見えた。
これまでは足音だけだったが、階段を下りる姿を目にするのは初めてのことだ。
俺の姿を見て立ち止まりはしたものの、先日教えられたように視線を逸らすと、カヌレは皇のところへ歩み寄っていった。
「お邪魔します……」
俺はカヌレを驚かさないよう小声で挨拶をすると、できる限り玄関の端に寄って靴を脱いだ。
カヌレも俺の方を気に掛けてはいるものの、ひとまず逃げ出す様子はない。
「お茶淹れてくるから、アンタ遊んでて」
「え、遊んでてって……!?」
リビングのソファーに落ち着いたところで、皇はいつものようにもてなしてくれるらしい。
だが、手渡された猫じゃらしと言葉に俺はぎょっとする。
カヌレだって、まだ俺と二人きりになるのは避けたいのでないだろうか?
そんな俺たちの心を知ってか知らずか、皇はキッチンの方へと姿を消してしまった。
カヌレもその後をついていくかと思ったのだが、少し離れたところで俺のことを見ている。
正確には、俺の手にしている猫じゃらしを見ているのだろうが。
(あ、遊んでも……いいのか……?)
これまでは、皇を介してカヌレと交流を持つ形になっていた。
だが今は、紛れもない俺とカヌレとの二人きりの空間だ。
自分の唾液を飲み込む音が、やけに大きく響いたような気がする。
皇が買ってきたのは、棒の先端に丸いもさもさとした毛がついたボール状の猫じゃらしだ。
俺はそれを床に近づけて、ぎこちない動きで左右に揺らしてみる。
「か、カヌレ……」
カヌレの目は、確かにその動きを追って左右に動いている。
始めは視線だけだったそれが、少しして変化していくのがわかった。腰を高く上げて、小さな尻を左右に揺らしているのだ。
(あ、来る……!)
そう思うが早いか、地を蹴ったカヌレは瞬く間に前足で猫じゃらしを捕らえていた。
剥き出しの爪がボールを捕らえて離さず、猫じゃらしは俺の手から奪われてしまう。
後ろ足だけで立ち上がったカヌレは、その場で猫じゃらしに噛み付いたりして遊んでいた。
「あ、ピンクだ……」
そんな愛らしい姿を眺めていると、ちらりと手元の肉球が視界に入る。
その肉球はローズピンクの鼻とはまた違った、とても可愛いピンク色をしていた。
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