05:まさかのお宅訪問


 今日は雨だと天気予報で言っていたので、忘れないよう傘をしっかり持って出かけた。

 だが、いつもはきちんとポケットに入れるはずの家の鍵を、今日に限って忘れてしまったのは誤算だった。

 おまけに帰りがけに、スマホの充電も切れてしまった。

 夜中までゲームをして、そのまま寝落ちをしたのが悪いのはわかっている。


 こんな日に両親は仕事で遅くなると言っていたので、俺はどちらかが帰ってくるまで、家の外で待たなければならない。

 まだ秋とはいえ、こんな風に雨の降る日は結構冷える。


「金があれば、ファミレスにでも行くんだけどな……」


 残念ながら、バイトの給料日前なので所持金はほぼゼロに近い。

 こんなことなら、昼に欲張って購買でパンを三つも買うんじゃなかった。

 そう思ったところで後の祭りだ。


「……カヌレもいないし」


 出窓にカヌレの姿があれば、少しは気も紛れるかと思ったのだが。残念ながら事はそう上手くは運んでくれないらしい。

 仕方なく玄関先で座り込んでいた俺は、雨音に混じって足音が近づいてくるのに気がついた。

 やがて姿を現したのは、すめらぎだった。


「え……何してんの、まさかストーカー?」


「いや、違うって! 鍵忘れて入れないんだよ」


「あ、そう……」


 雨の中で玄関先に座って、自分の家の出窓を見上げる男がいたら確かに引くだろう。

 けれど、状況を理解してくれたらしい皇はそれ以上突っ込むことなく、家の中へと姿を消していった。


 少しして、出窓のある部屋の電気がつく。皇がつけたのだろう。

 そんなことを考えながら、何の姿もない出窓を見上げていたのだが。


「……家の人、帰ってこないの?」


 私服に着替えた皇が、玄関から出てきてそんなことを尋ねてくる。

 パーカーにスキニージーンズというラフな格好なのだが、素材がいいからなのかオシャレに見えるから不思議だ。

 俺は彼女が戻ってくるなんて思いもしなかったので、面食らいつつ頷いた。


「あ、ああ。今日は遅くなるって言ってたから、まだ帰らないかな」


「そう……」


 皇はなぜか難しい顔をして俺のことを見ている。

 何か用事があるのだろうかと思ったのだが、次いで彼女は思いもよらない言葉を発した。


「じゃあ、ウチ来たら」


「…………え?」


 何を言われたのかわからずに、俺は反応が遅れてしまう。


「っ、だから……! そんなトコでボケッと座ってて、風邪なんかひかれたらアタシの寝覚めが悪いでしょ! 親が帰ってくるまで入れてあげるって言ってるの!」


「え、いいのか……?」


「嫌ならそこで雨に打たれてたらいいけど」


「や、嫌じゃないです! じゃあ、お言葉に甘えて……」


 そうして俺は、皇の家にお邪魔することになった。

 引っ越してきたばかりというのもあるのだろうが、玄関の中からすでに整頓されていて、掃除も行き届いている。

 なんとなくいい匂いもするような気がするのだが、これは皇家の匂いなのだろうか?


「リビング、適当に座ってて。お茶くらいなら出してあげる」


「あ、ありがとう……」


 俺の家も決してゴミ屋敷というわけではないが、皇の家はどこもかしこも綺麗で無駄がない。

 何となく緊張から姿勢を正して、お茶を持ってきてくれるという彼女を待っていた時だった。


「ニャア」


「!!?」


 突然聞こえてきた声に、俺は息が止まったのではないかと思った。

 まるで鈴を転がしたような可愛らしいその鳴き声は、皇が出したものではない。

 その声の主は、廊下からリビングに続く扉の、僅かに開いた隙間から姿を現した。


 焦げ茶というか赤茶のような色の毛並みに、出窓越しではわからなかった、先端がチョコレート色をした尻尾。

 ローズピンクの小さな鼻に、グリーンの瞳をした『彼女』は。


「か、カヌレ……!」


 間違いない。俺が焦がれて止まなかった、愛しのジュリエットだ。

 この家にいることは当然わかっていたが、まさか家の中を自由に歩き回っているとは思わなかった。

 心の準備も整わないままの初対面に、俺は心臓の鼓動が物凄い音を立てているのを感じる。


 思わず立ち上がった俺は、この機会を逃してはならないとカヌレに近づこうとした。……だが。


「あっ……!?」


 俺の姿を視界に入れたカヌレは、目にも留まらぬ速さで廊下へと引き返していった。

 人間のそれとは異なる足音は、階段を駆け上がっていったようだ。


「あれ、カヌレ来てた?」


「来てたけど……逃げられた……」


「プッ。アンタ嫌われたわね」


 キッチンから戻ってきた皇は、落ち込む俺の姿を見て笑っているようだ。

 どのように接したらいいかわからなかったが、まさかこんなにもあからさまに逃げられるなんて想定外だった。

 皇でも、俺の顔を見て脱兎だっとのごとく逃げ出すようなことはなかったのに。


「俺……嫌われたのか……」


 カヌレに嫌われるようなことを、知らず知らずのうちにしてしまっていたのだろうか?

 もしかして、毎日出窓を見上げていたのが気持ち悪かったんだろうか?

 それとも、俺が臭かったのか? 猫は嗅覚が鋭いと聞くし、あり得ない話ではない。


 そんなことをぐるぐると考えている俺の隣に、皇が腰を下ろす。

 お茶と言っていたが、持ってきてくれたのは紅茶のようだ。いい香りがする。


「ま、当然よね。カヌレは甘えん坊だけど人見知りなトコもあるし、家族以外に会う機会もないから」


「俺、もうカヌレに受け入れてもらえないのかな……」


「さあ? ……そんなに落ち込むとか、アンタ本当にカヌレが目当てだったんだ」


 皇が何かを呟いた気がするが、絶望感でいっぱいの俺の耳にはそれが言葉として届いてこない。

 項垂うなだれている俺に、皇は湯気の立つカップを差し出してくれた。


「人が嫌いってわけじゃないから、慣れの問題じゃない? アンタのこと覚えれば、怖がらなくなると思うけど」


「覚えればって……また、来てもいいってことか?」


「ッ……! それは、運よくアタシの気が向いたらの話だけどね!」


「!! ありがとう、皇……!!」


 目の前が真っ暗になっていた俺は、彼女の言葉に希望を見出みいだせたような気がした。

 そうだ。俺とカヌレは、まだ出会ったばかりなのだ。

 最初がダメでも、これから仲を深めていくことができればいい。


「……そういえば、今さらだけどカヌレって女の子だよな?」


「……オスだけど」


「えっ!?」


「……ウソ。カヌレはメスよ」


 そう言って笑う彼女の顔は、教室で見るそれよりもどことなく無邪気なように思えた。

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