02:ロミオとジュリエット


 登校前。いつものように家を出た俺は、向かいの家の二階を見上げる。

 出窓には、あの猫の姿があった。

 高いところから俺を見下ろすその姿は、どうしようもなく愛らしい。


 下界から見つめる俺には、その名前を聞くこともできない。

 こんなのはまるで、ロミオとジュリエットだ。

 実際には、彼らは互いの名前を知っているのだが。――俺の一方通行だという状況についてはこの際置いておく。


 今日も届かぬ想いを胸に、名前もわからぬ『彼女』をジュリエットと名付けて、俺は学校へと向かった。



「はあ……」


「クソデカ溜め息いただきましたー。愛人あいと、もしかしてまた振られた?」


「愛人くん、元気出しなよ。女の子は星の数ほどいるんだからさ」


「そんなんじゃない。これは恋煩こいわずらいなんだ」


 昼休み。俺をなぐさめに集まってくる友人たちは、俺がまだ失恋を引きずっていると思っているらしい。

 だが俺はすでに、新しい恋へと足を踏み出しているのだ。

 いつまでも過去にとらわれ続けるわけにはいかない。


「なんだあ、いつもの病気か」


「心配して損したね、れんくん」


「損ってなんだ!? それに病気じゃなくて、俺は新しい恋をしてるだけだからな!?」


 明るい茶髪にピアスのいかにもなチャラ男・辻森つじもり 蓮。

 焦げ茶のゆるいパーマに可愛らしい顔立ちをした男・羽柴一星はしば いっせい

 それぞれタイプは異なるが、コイツらは俺のクラスメイトであり親友だ。


「新しい恋って、じゃあ愛人、広橋さんのことはもう吹っ切れたんだ?」


「愛人くん、恋愛体質だから切り替え早いもんね」


「切り替えって、失恋したんだから次の恋見つけたっていいだろ!?」


 俺の恋愛遍歴をすべて知っている二人にとって、このサイクルはもはや日常茶飯事になっているらしい。

 二人に抗議の声を上げつつ、俺は教室の反対側にいる転校生・皇 真姫すめらぎ まひめを見た。


 あれから、彼女に話しかけてみようと隙をうかがっていたのだが、さすがは美少女転校生だ。

 連日クラスメイトに囲まれてしまって、俺が近づけるタイミングが見つからないまま日にちが過ぎてしまっていた。

 お陰で、いまだにジュリエットの名前を聞くこともできていない。


(けど、なんて聞いたらいいんだろうな……)


 そんなことを考えながら、今日も今日とて彼女に近づくことすら叶わなかった。



 肩を落とす俺がまだ失恋を引きずっていると思ったのか、蓮と一星に連れられてカラオケを楽しんだ。

 男同士で遊ぶ時間は、何の気兼ねをすることもなくて楽しい。

 つらいことも忘れられるので、失恋した時には特に助かるのだが。

 今の俺は、そんな男同士の時間ですらも、頭の中は『彼女』のことでいっぱいだった。


(……また、出窓にいるかな)


 そんな期待をしながら帰宅した俺は、向かいの家の前に転校生の姿があるのを見つけた。

 まだ制服を着ているところを見ると、彼女も丁度帰宅をしたところのようだ。

 もしかするとこれは、千載一遇せんざいいちぐうのチャンスなのではないだろうか?


「す、皇……!」


「え……誰……?」


 思わず声を掛けてしまったが、驚いて俺の方を見た彼女は怪訝けげんな顔をする。

 どうやら俺のことを、クラスメイトとして認識していないようだった。

 転校してきてから一度も会話をしていないのだから、当然といえば当然だろう。


「俺っ、同じクラスの犬飼愛人……! で、お前んちの向かいに住んでる」


「あ……そう、どうも」


 軽い会釈えしゃくをして門をくぐろうとした彼女の腕を、俺は咄嗟とっさに掴んでいた。

 ここで彼女を逃がしては、もう二度とチャンスが無いような気がしたからだ。


「ちょっ……何、離して……!」


「あのさ、名前教えてくれないか!?」


「…………は?」


 俺の唐突な要求に、彼女は面食らったような表情でこちらを見ている。

 その表情はやがて、どこかムッとしたような不機嫌そうなものへと変化した。


「……転校した日の挨拶で名乗ったでしょ、聞いてなかったの?」


「転校した日の……ああ、そうじゃなくて」


 彼女は確かに皇 真姫とフルネームで名乗っていた。それはちゃんと覚えている。

 だが、俺が聞いているのは彼女の名前ではない。


「俺が知りたいのは、お前んちの猫の名前なんだけど」


「は……猫……?」


「そう、猫」


「あ、アタシはてっきりナンパの口実かと……」


「え、ナンパ?」


 思わぬ言葉に、今度は俺が首を傾げる番だった。

 彼女ほどの美人なら、告白をされるようなことは日常的にあるのだろう。

 つまり、俺が声を掛けたのもナンパが目的だと思われたということだろうか?


 けれど、彼女の勘違いだったことに気がついたらしい。

 徐々に小さくなっていく語尾に比例して、皇の顔が真っ赤に染まっていく。


「あ……アンタなんかに教える筋合い無いわ!!」


「えっ……!?」


 掴んだままだった腕を振り払った彼女は、そう言うと足早に家の中へと姿を消してしまう。

 せっかくのチャンスだったのに、名前を教えてもらうことができなかった。

 残念に思いながら見上げると、出窓にはジュリエットの姿が見える。

 俺と彼女のやり取りを見ていたのだろうか?


 ああ、ジュリエット。

 俺はキミの名前を知ることができるんだろうか。

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