4曲目『探せ!怪奇日直』前篇

 彼方優(かなたゆう)はその日、自らがかつて足しげく通った場所に再び入らんとした。ガラガラと割と大きな音を立ててスライド式のドアを開ける。

 しかしもう、昔の様に立て掛けが悪いなんてことはないのだ。押し出された勢いは抵抗に吞まれぬまま壁まで無劣化でぶつかっていく。サラウンドの衝突音が周囲の環境音とハーモニーを奏でる。

「こんにちは、あなたは…どなた…?」驚いた養護教諭が奥から出てくる

「私、5年A組の彼方優というものですが」

「彼方優さん、かぁ。初めて聞くお名前だねぇ。なんか用?」

 しかし、時代が流れれば人も流れるのが公職の性。今やかつての面影はなく、担当養護教諭の趣味で大量に配置されていた小物や世界地図もすべて撤去され、装飾で溢れていたベッドの先の宇宙ももはや見知らぬ天井と形容するがふさわしい如くになっていた。

「ははぁん、キミも昔はここの常連だったんだ」別に休みたいとかではなく、ただ話に来た意を告げると、養護教諭は態度を途端に軟化させだした。

「と言っても、2年位前までですけど」

「この学校は勝手が他と違くて困る、生徒の見分けも付きやしない…まあそんなことで悩む日が来るなんて、新鮮ではあったがね」と嘆く新たな養護教諭の嘆きも首肯できる。

「まあ分かりづらい…ですよね」

「でも楽だよ、私が来てからはね。前の担当が言ってた保健室登校してくる子って言うのも私が着たとたんにパタッといなくなったし。それに…」



彼女の予想していた「保健室登校」という線はこの時点で無くなったことになる。

だとすれば、”雛市リト”の正体は…

あくまでみはるちゃんの勘を完全に信用しきった場合、保健室登校でないのなら…

「生物学的には男の子、とか…?」まさかね…とは思いつつも、一物に不安が、いや、一抹の不安がよぎる。


(そうだったとして、今のみはるちゃんたちにどう説明を付ければ…)

 他人のセクシャリティにとやかく言うなと言われる社会になって久しいが、しかし個人間の恋愛関係、即ちセクシャリティ同士のぶつかり合いになれば、それを知らないことはすなわち事故一直線だ。仮にそうなのだとしたらそれは本人の口から述べてもらわないと、どんなにバレバレだったとしても(今回の場合のように相手の側から探るような挑発的行為をしているように見えても)アウティングになってしまい、道徳的に問題のある存在はこちら側、ということになる。


(いやなジレンマだよ…)

 「同級生は全員友達」という性善説を掲げる優だが、それは彼女自身が八方美人にならなければならないこととほぼ同義である。

一旦、このことは心に留めておくだけにしよう。



 そう思いながら、彼方優は最近の愚痴をつらつらとしゃべり続けている保健室の先生の隣で、無為に首肯を続けていた。



湿気委員会の朝は早い。

今日俺、亜末日向(あすえひなた)と加湿器の取り換えペアを担当しているのは飯綱天(いいづなあまつ)。同学年のD組、バドミントン部所属であまり委員会活動は熱心ではないが、それでも朝の活動に付き合ってくれる数少ない人間の一人だ。

「で、今日は自分たちの学年だけでいいのか」6人の分担はわざと不平等にしている。やる気を無くしたり、日によって変化、刺激がないのは退屈であるからだ。

教室の扉…建付けが悪く数回生徒総会でも議題が上がっているが毎期「防衛上の事情」とかいう不明瞭な理由で却下されている…を力を入れながら開け後ろロッカー側から入っていく…そちら側に加湿器が設置されている…と眼前に見える黒板には堂々と

「雛市リトを探す会」という文字がでかでかとチョークで書き残されていた。


「折角の羽衣チョークをなんてことに…というか雛市リトって誰」飯綱がぼやく。この学校に置かれているチョークは教員の書き心地を優先してコストの高いものを使用している。そのため休み時間における生徒の使用にあたっては別途生徒用のチョークを使用することになっているのだが、ほとんどその規則は有名無実化しているのが現状であった。

「行方不明の子供探してる団体みたいになってるが」俺は給水を飯綱に頼んで、黒板に立てかけられていた黒板消しでその文字や珍妙な仮説を消そうとする。


「あっこれね」そう話しかけてきたのはクラスメイトの桐原。

「何か昨日かなさんとか柳君とかが部活動の後に書いてたやつ、なるべくクラスメイトに助力ほしいから呼びかけするんだって。消さないで、だってさ」

「というかなんで消そうとしてたわけ?湿気委員会の管轄ではないでしょ」

「…今日の俺は日直でもあるからな」

「なーるほど」


 昨日の放課後、5年A組教室では、「雛市リトを探す会」の第1回作戦会議が開かれていた。

「はい、はじめるよー」


「絶対お母さんに叱られるんだが…」とうつむき気味の僕。

 僕にとって門限は何より守らなければならないものである。この日に当たって何度となく母親に対して説得を重ねては見たものの、ついぞOKの返事はもらえずじまいなのだ。

 それに、あの後もラジオや曲をリピートしてみてはいるけど特に雛市リトの正体に関する手掛かりは得られずじまいだ。こちらも飼い殺し状態で辛い身である。


 この会を仕切るのは箕輪天音さん。こういうのはかなさんがやると思っていいたんだが、本人が辞退したのと意外と箕輪さんが乗り気だったので彼女がリーダーになった。


「思うんだけど”雛市リトを探す会”ってもうちょっとひねれなかったのかい、このネーミング」吹奏楽部のオーボエ担当である柳君。帰りそうだったのを引っ張ってきたらしい。にしてはやけにその目は情熱に満ち溢れている。


「まあそこをひねるよりはとっとと正体見つけたり!ってなるのが一番いいから…というかなんでそんなに君がやる気?雛市リトにはそんなに興味ないって聞いてたけど」僕は柳君に対して疑問を投げる。


「まあ彼女に対してそこまで興味があるわけじゃないけど…だとしても、僕は春雨くんのためならなんだってやる所存だよ」柳君は僕に対して満面の笑みだ。あまりにも輝かしすぎる。なんだその笑顔は。向けてくるのが怖い。


「では報告させていただきます」とかなさんがやたら真剣な面持ちと声で発表を始める。吹奏楽部副部長の名は伊達ではないということか、場慣れしている印象を受ける。


「お手元の資料をご覧ください」

真剣ではあるけど、そんなにシリアスな話題だっただろうか、と思えんばかりの深刻な表情だ。そしてやたらと文字にまみれたレジュメ!雰囲気の重さも相まって、眼球が読んでいるべき文字まで動けない。


「まず、私は雛市リトについて「保健室登校」をしている生徒ではないか、という仮説を立てていました。であれば私たちを知っているけれど、私たちからしてみればそんなに知らない生徒である」

確かにこの学年の生徒数人は名簿上だけで見かけても、実際に姿を見ない。


「でも、保健室登校になる前の…例えば入学式とかの写真なら私たちでも持ってるはずじゃね?」


「まあ、でも『男子3日会わざれば刮目して見よ』とも言うからさ。写真のまま何年もセピア色を生きてるわけじゃないでしょ~私たち」あ、補足はラフなのね…


そして続けて言う。「しかし昨日の調査の結果、その説は否定されることとなりました」ほんとに同じ人の口調かよ。


「でもそれはさ、実際には保健室登校している生徒をかばってそう言っただけって可能性もあんじゃないの?」


「その可能性は薄い気がする。何しろあっちからその話振ってきたわけだし。あ、正確性を求めるならここに2時間半話を聞いた音声記録が…」そういうとスカートのポケットの中から徐にICレコーダーを取り出す。この人はいつでも身の守りが固い。


「いや、結構です。かなさんのことは信用してるんで」そう柳君に言われると若干しょぼんとした表情で再びICレコーダーをポケットへとしまう。


「あのさ」

「この人のことあんまり知らないんだけどテストの内容とか歌ってたし。もしかしたら先生なんじゃないかと思って」とんでもない仮説を柳君が言い出した。


「は!?リトっちがうちの学校の教員だと!?」僕は思わず感情的になってしまう。他が虚飾で、このクラス(か隣のクラス)の人間であることは分かっている。だとするならせめて同年代であってほしい。そんな願望がどこかにあったからだろうか…


「いや、あくまで仮説だって。ごめんって」


「この奇跡みたいな顔面をしている教師を授業中いつでも見られたら確かに眼福かもしれないけど実際そうじゃないし、」

そう言うと僕は

「たとえメイクしているんだとしても」

スマートフォンから

「そんなことができる教員が」

リトっちの

「この学校にいると!?」

生写真を開き、

「この顔に似てる教員が」

柳君の眼に

「いると」

ほとんど押し付けるように

「思いますか!?」

見せる。


「わかったわかったうん違うと思う。いやでもこの顔、どっかで見覚えが…」

 

 分かってくれればいいんだ。そう思って僕はスマートフォンをスッと取り下げる。但し論理的に反論できたわけではないし、雛市リトが先生であるという可能性も捨てきれないわけではない。いや~でも無いんだと思うけどな…。


「春雨はこの前かなさんに似てるとか言ってたけど、ぶっちゃけそんなにてねーと思う。ね、かなさん」


「え、ええ…」

(いや、普段後輩女子の区別もついていないような柳君が見覚えがある顔、それはつまり…)


 柳君の弁明から、かなさんがひとり合点がいったみたいな顔してるが、それが一体なんであるのかについて今の時点の僕は分からなかった。多分箕輪さんも気づいていない。


「…でもどの場合にしてもさ、そんなに似ている人間がいるんだとしたらすでに誰が雛市リトなのかなんてすぐわかってなきゃおかしいはずでは?」柳君がまた仮説を提唱する。しかし今回については一応道理が通っているような気もする。

「確かに」

「だとしたらむしろ、雛市リトとは似ても似つかない人間こそ、雛市リトの可能性が高い」

 

…それはそれは嫌な推理だった。


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Band∀ 影宮さつき @itmti

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