2曲目『コーヒー牛乳とカフェオレ』

 変化は齎された。しかし、それはほとんど内面的なものに終始している。よく他人を変えるより自分を変えろという話がなされるが、それはどちらにせよ行動の話であり、実は内面でのドキドキといった高揚にせよ価値観の変容にせよ、行動として変化がなければ内面の変化はただ期待とそれに対する変わらない日常との摩擦で精神的負担にしかなり得ないのだ…などと思いながら僕、三田春雨(みたはるさめ)は机の上、紙パックのカフェオレをパックをずらさずストローの位置に自分を頭を持っていき啜りながら考える。腕は頭の下、手を組む形で考え事だ。


「一体、誰が彼女なんだ…」


 見ているのは総合的な学習の時間の発表順が書かれた紙である。直近でクラス、ひいては全員の名前が載っている紙というのはこの程度しかなかった。


 昨日、帰宅後の調査の結果歌詞の内容は直近に予定されている単語テストや期末試験で現在予告されている内容とほとんど一致することが判明した。あまりにも揃いすぎていて不気味にすら覚えてきた。じゃあMVの撮影をどのタイミングでやってたんだよ…と、雛市リトのそのリリース間隔の速さに。


 ただ、ここで問題となってきたのが、単語テストで同じ範囲になっているのが自分の所属しているA組だけではなくB組もそう、であるということだった(C・Dは担当教員が違うので単語テストをやっておらず、期末試験だけ同じだ。)


「おはよう。何そんなに人の名前見てんのさみはるちゃ…春雨くんはさ」


 左後ろから見ているプリントを眺める形に関わってきた少女は桐原湊(きりはらみなと)さん。ポニーテールがトレードマークだ。同じクラスで入っている部活はこの前までは陸上部だったはずだが、先月あたりに何故か辞めていた。自分は部活動入っていない、というよりも諸事情で入れないので、入ってるのが羨ましいと考えるのだが、どうやら運動部というのはキツイらしく、自分のようなあまり人と関わることがない身でも年に数人同期が退部しているという話が聞かれる。


「桐原さん、おはよう。いや総合の発表他の人はどんなテーマだったっけ…って気になってさ」


 今は同じ帰宅部という身ではあるが、相手は数ヶ月前まで陸上部で割と上位層にいた文武両道の存在。自分とは趣味嗜好が合うはずもなく、興味ねーだろーなーと思ったので適当な話題でいなしてみた。


「そういえば発表近いか。春雨くんはやっぱりあれの発表だっけ」


「まあ、部活もそれのせいでできて無かったくらいだし」


「でも偉いよ、自分なんか背負うものもないからさ、この前だってすぐ部活辞めちゃった」


「まだ背負えるほどの身にもなってない気がするけど」


「謙虚ー。いつも思うけどみは…春雨くんって自己評価低い気がする、もっと自信つけた方がいいって」


「そうかなぁ…僕は昨夜寝れなかったしみたいな理由で朝早く来てるだけだけど桐原さんみたいに部活辞めたのにこんな時間から来てるとかの方が偉いと思う」


「あー、それね。部活辞めたんだけど身体が朝早くから起きちゃうんだよねぇ、長年の習慣ってやつ?あと寝不足も絶対精神にダメな影響出てるからちゃんと寝な?」

 

 あははははーという大きな笑い声とともに桐原さんは他のクラスの「ヤメ陸」友達のところに用があると言って教室から消えていった。部活動の朝練が終わるのも結局のところホームルーム直前なのでそれまでは教室にはほとんど誰も入ってこない。


(しかし、数年後の同窓会で再会した時には桐原さん側から雛市リトの話題に触れてきた。数年間の間の流行に乗ったのかと思えば、高校時代には同じ話題を共有できる相手がおらずTwitterに壁打ちみたいな形で考察を書くことぐらいしかフラストレーションの解消法がなかったらしい…)


「今日も、他愛のない会話だったな」

 挨拶を覗くと実は桐原さんと会話するのは実に前回から22日ぶりだった。せっかく朝7時40分に登校して、少しでも少ない他人との会話量を増やそうとしているのに、会話の内容それ自体よりも会話を行なった間隔の方ばかりを記録してしまうなんて、これだから自分は。


「気持ち悪いんだよなぁ」


 と反省はしてみるものの、どうせ誰に言うことでもないので今後も続けるんだろうな、このカウントを…そもそもこれが悪癖なのかどうかについてすら誰かに相談することすらしづらい。


 高校生にとって、朝早く登校するのは朝練のある部活がある人間以外からすると静かなところで勉強したいと思う人間くらいで、大半の場合はすぐにホームルームギリギリの時間まで来なくなるのがありがちなこと。朝学習としてもっと早くから登校させようっていう試みも昔はあるにはあったらしいが、保護者がそんな早くから弁当は作れないともう抗議した末、廃止になったらしい。


(そういえば、桐原さんが雛市リトという可能性もあるのか…)


 そうやってこれから自分は校内で出会った異性全てに対して疑いの目を向けなければならないのだろうか、なんかそれって人としてダメになってる気がするな…


 ただ、学校で紫がかった髪というのは見かけたことがない。一応、校則上頭髪の色に関する規定はないはずだが、噂として個別指導が入ったという話を聞く。曲調的にそこまでヤンキーという感じはしないし、むしろ自分のような根暗が共感できるようなリリックなどが多いような気がする。ということはウィッグであることが濃厚だ。とすると、あまりに長い髪の毛の人、B組の米沢さん、とかについては除外できるのかもしれない。


 しかし、それだけでは未だに手がかりとしては少ない。何か手立てがあればいいのだがと思って


 「ライブ映像…」歌声ではなく、彼女の生の声についてもっと知ろう、手がかりを得ようと決心したのだった。


 そしてそう思いついた時にはカフェオレを飲み切っていたので紙パックの中からズルズルと音がしていた。


 「…ちょっと煩いよ」朝早くから勉強していたメガネ男子、鏡学(かがみまなぶ)くんからそう指摘され、「…ごめん」と弱々しげに返したあと、なんともいえない気持ちでストローに歯形を残した。



湿気委員会の朝は早い。


 委員長代理である俺、亜末日向(あすえひなた)は、廊下のガラス越しに朝日を浴びながらぎりぎり「走っている」とされない程度の歩幅で全校を歩き回る。


 職員室も含めた全教室の湿度計及び加湿器の水について調整を行うのがルーチンになる日々も、1年半以上やっていれば流石に身になってくるというものである。特に職員室については朝の8時20分からは会議のために入れなくなるのだが、その時点までに全教室の点検を終えた報告までしなければならなくなるため、必然的に早起きが必須となる。


「先輩知ってます?カフェオレとコーヒー牛乳の違い」


 各教室の水という水を入れ替えている中おもむろに聞いてきたのは今日のペアである1年年下の草賀谷聖奈(くさがやせいな)。湿気委員会ではサボりや作業の虚無感の対策として各作業をペアで行うことにしている。これをしてもなお「自分で臨んだ部活でもないのに朝から学校に行かなければいけない理由がわからない」としてかなり多くの生徒がサボる。結果としていつも来る6名で3ペアでほとんど回しているというのが現状である。

 このような質問が来た時、試されているのか…?と疑り深くなってしまうのは自分の悪い癖だ。本当に。


「風呂場にあるのがコーヒー牛乳で、それ以外の場所で飲むのはなんであろうとカフェオレ…とか?」


 自分の中身のなさには常々辟易しているが、こういう時に素直に知らないと言えないのは病的な弱みと言っても過言ではないのかも知れない。


「うーん、まあ確かにイメージ的にはそんな感じしますよね…でもそういう答えが聞きたいんじゃないんで」


「実は私も知らないんで先輩に聞いてみたんです」


「ググればいいんじゃないですかそれくらい」


「先輩がJKと喋って捕まらない日数なんて残り1000日もないと思うのに、使い捨てはもったいないと思いますよ、それに朝先輩コーヒー牛乳飲んでたじゃないですか、だから知ってるかと思ったんですけど」


 そんなに俺って不審者みたいな見た目だったのか…と若干は反省するが、10割真に受けるのもなんとなく馬鹿馬鹿しい調子でからかってきたので、不満げな表情だけ返す。それを気にもせず彼女は喋り続ける。


「それに、Wi-Fiも通ってないこんなボロ学校の学生にとって、ギガの残量は死活問題なんですよ」


 LINEで他の委員からのチェック終了報告を受け取り職員室に入る。個人のものであるはずのギガを学校の係活動程度に浪費させられるのはさっきの草賀谷の指摘通り理不尽さを感じなくもない。


 職員室は中に水道が用意されている分、水の取り替えだけは楽だ。


「さっきコーヒー牛乳飲んでた件、確かにそうだったわ…俺別に朝風呂してないのに」


「いや、風呂ということは朝帰りするタイプの風呂という可能性も」


「ない。というかそういう風習聞いたことなくない?」


「確かに」


 なんか教員のいる場で話していい方向の内容なのか迷ったが、幸い誰も気に留めていないようなので続行した。まあ、このぐらいの高校生なら自分はさておき、下ネタどころか普通に経験を重ねているのが「普通」なのだろうか。しかしこんな憶測を勝手に後輩に重ねるのもどうかしてるよな…と草賀谷の方を見つめてしまっていた。相手に憶測の内容まで勘づかれたらセクハラでこの学校から消えるかもな、俺…


「先輩なんか今日おかしくないです?やっぱり普段カフェラテ飲んでたのに今日に限ってコーヒー牛乳なんて飲むからですよ」


 やはり見つめ続けているのはあと一歩でセクハラになりそうだった。よろしくないな…


「よく知ってるなそんなこと」


 単にカフェラテ自体も日替わりで飲むのを変えてみているだけ、特にそれぞれについて味の評価なんかをしているわけでもまとめたりしているわけでもなく、日々に何かしらの変化を欲しいと思ってやっていることだった。なのでその一レパートリーとしてコーヒー牛乳が入っていること自体、俺がその二種を混同していることの証左と言わざるを得ない。


「先輩がカフェイン中毒なことなんて委員の誰でも知ってますよ」


授業中・休み時間・放課後。どの時間を切り取っても自分の手元にはコーヒー缶がある。それに気づく人間がいても特におかしくはない。しかし幽霊委員が多いので全員知っているというのはいささか主語が大きすぎるような気がする。


「ってことはコーヒー牛乳の方が、カフェイン少ないのか…」


そう思うと確かにそんな気がしてくる。似てるようで違うんだな、意外と。


ーー次の曲は、『コーヒー牛乳とカフェオレ』。これで書こう。


 この日はそう決心して家に帰ったのだが、そもそも自分も草賀谷もコーヒー牛乳だけでなく、カフェオレとカフェラテを混同していた事に気付いて頭を抱えたのは夜9時のことだった。

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