Band∀

影宮さつき

1曲目『恋する、古典的な』

 高校生、三田春雨(みたはるさめ)、そんな僕の日々は「変わらない」。

 何処が?高校生なら特に人生の側から努力せずとも学校という制度が変化を与えてくれるではないかというご意見はごもっともかもしれない。

 けれど根本的な部分の平凡で退屈だと思っている内心にある何かは、日々更新される学校や家での刹那的課題に覆い尽くされ、今はなんなのかは分からない。一つ言えるのは、まだ、渇いている。


 今日も「6時には帰る」と言いながら6時5分、白い無人駅の目の前で人を待つ三台の自販機の内「アメリカン・コーヒー」のボタン、一番左だ-をプッシュ。「質より量!」他のやつに比べるとちょっとだけmlの値が大きいので得した気分になれる。原価がいくらかも分からないけど…手を温めることもかねて買うのはいいけど、手袋とる必要があるんだよね…

 やる事もないので漠然と駅前に駐車された大量の自転車を眺める。その数ざっと200は超える。今の時間帯は帰宅ラッシュなので段々と減っていくのだろう。でもいつもそのぐらいある気がする。駅「から」登校している自分も、その怪現象「無から現れる自転車」を現出させる要因の一つではあるのだが。


 「そういえば、明日発売だったな」推しのアーティスト“雛市リト”のYouTubeチャンネルを開いてみると、新曲の先行配信が。現役高校生アイドル、tuberと呼ばれる人々が多く生まれてしまった世の中ではただデビューしただけでは埋もれてしまいそうな中、突如奇抜な楽曲やmvという変化球直球一本勝負で殴り込みをかけてきた期待の新星だ。

「恋する、古典的な」…アルバム「古ーしょん」収録予定の新曲だ。投稿者コメントに記載されているを見る限り「実用性」を重視しているらしくその為かなんかPVもやたらと艶っぽい感じだった。彼女がそういう路線に行かないという確証やポリシーがあったわけではなかったのでコメント欄はちょい荒れくらいだな…。ただ、一二単を一枚ずつ野球拳で脱いでいくシーンは色気というよりは手間と金が気になった…

 まあ僕個人としては普段からエロい目、下心のような部分もで見ている、追っている動機に含んでいたので何とも言えないというか、それはともかく和ロック的な曲調の雛市サウンドは現在。ただ歌詞が古典単語ギッチギチに詰め込んだ関係上か韻の踏みが甘く、だがそこが等身大の高校生らしさ、愛嬌として捉えられる部分もある。しかし何となくだがここ最近の学校の授業で聞いたことのある単語が多い…日本の学習指導要領がいくら教育機会について平等を与えようとしていても、単語一つまで授業時期を指定してるなんて話は陰謀論でも聞かないので、単なる偶然あるいは聴いたから思い出しただけということかもしれないが…


 と中学時代からもう5年の付き合いになるイヤホンで曲を聴きながら、つべのアンチコメントへの反論を書くのにに夢中になっていると


「キミ、アタリ出てるけど、いらないの?勿体無いよ」


と声をかけられた。確かに自動販売機の4桁の数字は揃っており、結構暗くなってきている寒空をイルミネートするかのように煌々と点滅していた。7ではなく4だったが。


「すみません、ありがとうございま…」


 軽く会釈をしてから振り向いた。僕には免疫がないので人の顔を、特に女の人の顔を覗く事にはワンクッション置かないと難しいと実感しているところである。ただその声には何となく聞き覚えがあるような気がした。普段会話する女の人なんて母親程度しかいないというのに。共学だから自分と会話しなくても話し声は聞こえてくるのだが、物覚えが悪い…


 振り向ききって目のピントが合うと、僕は思わず「えっ…」と声を漏らし、そして全身が熱を発し始めた。


「アレ、どうしたのキミ…いきなりそんな急に赤くなって」


 目を合わせている焦点に伺えるのは、その若干目線がキツいけど愛嬌のある顔、その紫がかったツインテールの髪、そのわざとらしいくらいに芝居がかった仕草…


「ああ、もしかしてアタシが有名人だからそうなっちゃってたってこと?あーゴメンねー」


 目の前にいたのは雛市リト、その人であった。ホットコーヒーで身体を温めていたはずなのにさらに体の震えが止まらない。別に女の人に話しかけられると蕁麻疹が出るみたいなフィクションのような設定を持ち合わせてはあるまいに、どうした自分。


 雛市リトは僕の震えている手を掴んだ。「えっ…」女の人のすべっとした肌が僕に触れるのなんて何年ぶりだろうか、それもこんな形で。その後彼女は若干溢れて缶の周りについている僕のアメリカンコーヒーを徐に舌で舐める(下品な話をするとこの時の舌遣いは今でも思い出す)と上目遣いで、


「で…本当にアタシの名前、知ってる…?」


 とさっきまでとは異なる甘えたような声で聞いてきた。

 え…ファンサービスにしてはスキンシップが激しすぎないか!?と冷静に考えればそもそも名乗りも名乗られもしていないのに何故か雛市リトのコスプレをしている変態異常アバズレ女だろうという判断も下せたのだが、そもそもインディーズでありファン数は多いもののコスプレイヤーが無から出現するほどの知名度は失礼ながらないはずなのと、本人と出会ってしまったという突然の衝撃からか、意味をなす言葉がどこにも浮かんでこない。


「雛市リト、さん…」


 精一杯口を開く。するとコーヒーごと僕の腕を掴んで僕の耳に口が触れんとする距離まで寄せてきて、僕の未だにつけていたかイヤホンをそっと外した。


「そう…ならよかった」


 耳元でハスキーボイスで囁かれる。余計に全身の震えが止まらなかった。震えと同時に硬直も始まっていたが、囁き終わると彼女はそっと手を離した。コーヒーはまた揺れたが、今度はこぼれる事はなかった。


「じゃあね。」


そうすると彼女は自販機の元から去っていった。


「あと、イヤホン音漏れしてるよ」この言葉を残して。


 一連の出来事に僕は何かいうこともできず、ただいま疾風怒濤のように起きた嘘のような現実を、いつの間にか勝手に選ばれていたあたりの海層深層水を出口から取り出しつつひとりごちた。


「地元、一緒だったのか…」


 処理しきれないのでまずそんな前提から出来事を咀嚼していく。何もない日々のスパイスとしては過剰だった気もする。渇きを満たすことを求めていたけれど、そういえばコーヒーは飲んだところで喉が潤うというわけではなく、利尿作用などでより喉は渇くと聞いたことがある。そんな感じだ。


 甘い幸福感と、残ったさらなる渇き…


 家に帰ったらまず、来週の古典の単語テストの範囲の確認と、いい加減新しいイヤホンを通販で注文しようと決めた。



 …そして見ないふりをしていたが、雛市リトはその後割と自転車を探しており駅を出るのは実は僕より遅くなっていた。お互い気まずいだろうし話さなかった。



…ちょっとからかい過ぎたな。普段はこんな格好で外出しないのに、で、なんでこういう時に限って会っちゃうかなー。でもまさか通っている高校の同級生にすら認知されていたとは、これは困ったことになるかもしれない。

 このつけ絶対「俺」にまわってくるぞ…とボクはちょっとだけ内省した。けど逆にやりすぎたのでおそらく悟られる事はないんじゃないかと思う。それより今は、どこにやったかを忘れてしまった自分の自転車を探し出すことが先決だ。


 後で思うにその時はそう慢心していた。そう、まだ、この行動が出会った彼、後に僕は三田春雨とそれ以外の名を知ることになる人物…とボクとの数奇な運命の始まりになるという事は気づいていなかった。

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