第5話 怪異を喰らう
厨房の中は思ったよりも清潔だった。
戸棚には食器の類が綺麗に整頓され、包丁なども錆の一つもなく、手入れされているのが見て取れた。
今にも板前やら女中やらが料理を運んだりしてもおかしくないほどに。
他にも何か核になりそうな呪物を探していると、
「なんか、熱くないか?」
「先輩もそう思いますか?」
茨戸がワイシャツの胸元をパタパタさせながら答えた。
汗でシャツが張り付いて、露わになった胸のふくらみが目に入り、慌てて目線をそらす。
額から汗が流れてくる。先ほど走ったせいかと最初は思ったが、そうではない。
この部屋が異様に、それこそ、火であぶられているように熱いのだ。
じっとりとした湿度の高い熱。呼吸をすると高温のサウナにいるように、肺が焼かれる。
そしてあることに気付いた。
「入口がなくなっているな」
俺たちが、この部屋に飛び込んできた入口が、跡形もなかった。
廊下と同じ現象なのだろう。ここから二度と出ることができない、と絶望させるための罠。
だが、もはやそんな子供だましに構う必要もない。
「廊下で迷子の次は、蒸し焼きか? まだ下味が済んでねえぞ」
『注文の多い料理店』ですら、裸にさせて塩を振ったはずだ。
すでにブレザーを脱ぎ、シャツとスカートだけになった茨戸が、ハンカチで汗を拭きながらこちらを見てくる。
「けっこう余裕そうですね」
まさか。
「……いい加減、こっちも頭に来てんだ」
二週間も体調不良。さらに夜は廃墟巡りで寝不足。ようやく見つけたと思ったら、全速力の長距離ランニング。おまけにサウナときた。
我慢の限界だった。
こんなふざけた体質になってから、こんな目にばかり遭っている。
常日頃感じている不満と、厄介ごとに巻き込まれる理不尽への怒りが腹の中を渦巻いている。
「さっさと出てこい! クソったれ! ……出てこないんだったら、この部屋をかたっぱしからぶっ壊すぞ!」
思い切り脚を振り上げて、並んでいる釜戸の一つにかかと落としの要領で振り下ろした。
轟音と共に、床板がまくれ上がり、並んでいた他の釜戸にも大きな亀裂が入る。
怪異のせいで手に入れた怪力で床までぶち抜けた。
「コホッ、コホッ……相変わらず、乱暴ですね。ですが、見てください」
舞っていた埃でむせた茨戸が指さした。
木の板のようなものが釜戸の近くに落ちている。
あれがこの怪異の核か、と近づいた瞬間。
――釜戸から大量の炎が現れ、こちらに襲い掛かってきた。
「――急々如律令!」
とっさに茨戸が、一枚の札を水が溜まっていた四角い棺桶のような容器に投げ入れる。
すると、水が蠢き、天井近くまで吹き上がった後、水流が束なり、水の大蛇を形作った。
大蛇は炎を吞み込み、そのまま釜戸ごと押し流そうとした。
しかし、釜戸に触れた瞬間、大蛇は流れを堰き止められ、四方に飛び散り形を成さなくなった。
五行説において、万物は火・水・木・金・土の五要素から成り、それぞれが影響を与えている。
木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生む。
水は火に剋ち、火は金に剋ち、金は木に剋ち、木は土に剋ち、土は水に剋つ。
つまり、火に水の大蛇で対応したが、この厨房は全体的に土気が満ちているため、大蛇はせき止められたのだ。
「茨戸!」
「はい! 先輩!」
茨戸は俺の合図と共に一枚の札を飛ばしてきた。
それを右手に貼り付け、己の霊媒としての力を高める。
この札は木気の札だ。
そして、今、この部屋には大蛇から発散した水気が溢れている。
霊媒としての力は、何も、変な奴らを引き寄せるだけではない。あまりにも強すぎる霊媒体質は、他者の力を伝える媒体にも、さらに、その力を増幅させることもできる。
札に込められた木気を最大限にまで高め、床を全力で殴る。
床を放射状に木気が走り、部屋中に散らばった水気を吸って大量の木々が津波のように生えてくる。
五行相生。
木に押し潰された釜戸は、時間を早送りしているかのように、朽ち果ていった。
五行相剋。
「やりましたね! 先輩!」
「ああ」
木の成長が止まらない。
すでに部屋の大半を押し潰し、天井さえも突き破っていた。
幹の太さは樹齢数千年レベルにまで太くなり、まだ成長している。
やり過ぎだった。
「あ、あはは。……新しい観光名所の誕生でしょうか? ですが、目的のものはあっちみたいですね」
茨戸は宙に浮く人型の光を指さした。内側がろうそくの炎のようにゆらゆらと揺らめいている。
「怪異の魂ですね……。では、私は辺りを警戒していますので、どうぞ」
怪異は存在の核たる魂がある。幽霊にも妖怪にも。
怪異の霊障によって引き起こされた俺の身体の不調は、この魂を喰らうことで完治する。
静かに脈打つ怪異の魂を持って口を大きく開ける。
怪異の魂を食べるのは初めてではない、幾度となく繰り返してきたことだ。
口に含み咀嚼する。中から血のように何かがあふれて来る。口いっぱいに広がる腐敗と汚泥の香り。だが、味はもう気にしなくなった。
魂を食べる度に自分が本当に人間なのか不安になる。
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