第2話 廃墟
「とうちゃーく!」
能天気な声が闇に飲まれた森に響いた。
微かに波の音が聞こえる。ここら辺は確か、北側が断崖絶壁になっていて、すぐ下が海になっているはず。強く吹く海風を防ぐためか、松のような木々が隙間なく生えており、海は見えなかった。
少なくとも夜に来ることが推奨されることはないだろう。崖から落ちたらひとたまりもない。
辺りを見渡すと、完全に日が落ち、懐中電灯でもなければ何も見えない闇に包まれている。
しかし、俺も茨戸もそのような灯りの類は持っていない。持つ必要がないからだ。
茨戸は陰陽術で闇を見通し、俺は体質のせいで勝手に夜道でも見えてしまう。
いや、むしろ昼よりもよく見えるようにさえ感じる。
自分の体が自分のものでないような感覚が一瞬よぎり、肌が粟立つ。
「……それで、この廃墟がそうか」
放った言葉にはわずかに恐怖が混じった。
深呼吸をして肺の中の重く冷えた空気を入れ替える。心臓から暖かい血液が広がり、竦んでいた脚に熱を感じる。手を握ったり開いたりして、指先までその熱を循環させる。気が付いていなかったが、手が震えていたらしい。
気持ちの悪さを感じるのは、自身の体のせいだけではない。目の前のモノを見上げて、再び気味の悪さを背筋に感じる。
身の丈ほどもある柵だった。柵の一本一本は太く、手首程の直径がある。さぞや頑丈だったのだろう。
しかし、今や、赤錆にまみれ朽ち果てている。所々虫食いのようになっており、刃のように尖っている所もあった。潮風の浸食にしてはどうも嫌な感じがする。
巨大な柵の向こうには琉球王国を思わせる――以前は鮮やかな朱色だったであろう――門が見えた。
そして、他には、自転車の車輪のように放射状に伸びた先に四角い箱が付いた巨大な建造物。胴体を上から貫かれた馬の模型が円形に並んだ小屋。曲がりくねった大蛇のように縦横無尽に張り巡らされたレール。
そう、これは――
「まあ、廃墟と言っても家屋ではないんですよね。廃遊園地と言うのが正しいかもです」
観覧車、メリーゴーランド、ジェットコースター。
何のこともなさそうに茨戸は柵の手前にあった看板を見ながら言った。
『ようこそ! 夢の里、
この看板も朽ちており、辛うじて読めたのは、ここが龍宮城と言う名前だった、ということだった。
「なんでも、数十年前に園内で起こった火事で、廃園になったそうですよ」
茨戸がスマホを片手に、この廃遊園地について教えてくれる。
「当時は国内でも有数の大型リゾート地だったそうで。一日に数千人は訪れていたそうです。特に夏は崖下の海水浴場目当ての観光客で賑わっていて。さらに海の幸が格別で、遊園地内にある旅館兼料亭が目玉の1つだったみたいです」
いやあ、行ってみたかったですねえ、なんてのんきな感想を述べている茨戸を尻目に、柵の周りをつぶさに観察する。
すると、柵の一本がへし折れて、人一人入ることができそうな隙間があった。
足元まで伸びている手入れのされていない下草を乗り越えて、隙間から遊園地に入る。
茨戸は歩きスマホをしながら付いてきた。
よほど旅館の料理が気になったのか、今度はその旅館について調べているらしかったが、不意に目を細めた。
「――なんと、その旅館は全焼してしまったらしいですね」
「全焼したにしては、随分と立派じゃねえか」
柵の外からは見えなかったが、崖に張り出すように建っている三階建ての建物が今は見える。
まるで崖が城の石垣のようであり、天守閣は闇に溶け込んでいてよく見えない。
数十年の月日を感じさせない、荘厳で威圧感さえある建物。白い壁と朱色の屋根が夜だというのに明るさを感じさせる。
全焼したはずの建物が無傷で残っている。
まるで火事などなかったかのように。
冷汗が背中を流れる。夏の夜だというのに寒気が首筋を舐めた。
園内に入ってから感じていた左目の疼きは建物を目にしてからさらに強くなり、自分のものではないように感じた。
「ほら! 今回は当たりですね!」
茨戸が満面の笑みで腰に手を当てて、どうだ、と言わんばかりに胸を反らしていた。
そして、俺の左目に触れながら何か呪文のようなものを唱えた。
「――
彼女は人差し指と中指を伸ばして剣のように立て、他の指をたたみ、俺の左目の前の空中を星形に切った。
「先輩の目にちょっとした結界を貼りました。これで少しは良くなると思います」
実際、左目の痛みが幾分かましになった。
「ああ、助かる」
「いえ……こんなことぐらいしかできませんから」
いつもは自信にあふれている茨戸の朱色の瞳不安げに揺れていた。
闇夜に浮かぶそれは、不気味というよりむしろ、闇を照らす篝火のように頼もしく感じる。
「本当は、先輩を連れて行くべきではないと思うんです。でも、私の実力では……」
「俺は、俺の体質を克服するために、協力してもらってるし、俺も協力しているんだ。気にしなくて良い」
「でも」
「俺がやりたくてやっているんだ。手伝わせてくれ」
彼女の言葉を少し強引に遮って、声を上げた。
本当はこんな不気味な場所に来たくはなかった。
でも、この宵闇の中、こちらを伺うような不安そうな目付きの後輩に対して、少しはカッコつけたいとも思った。
妹と同い年だ。
別に、茨戸の兄というわけではないが、学校の先輩として、年長者として、夜に後輩の女子を一人で歩かせる訳にも行かない。
そう、仕方なくだ。
「ほら! さっさと行くぞ!」
少し感じた気恥ずかしさを振り切るように先に進む。
「……ありがとうございます。先輩」
聞こえなかった振りをして、全焼したはずの旅館に近付いていった。
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