魍魎を喰らう

濡れた大福

序章 怪異を喰らう者

第1話 夕暮れ教室

 夕暮れ時。

 部活動の生徒も帰宅を始めている時間帯。

 血のように赤い西日が教室に差し込んでいた。

 痛くなるほどの眩しさに目を細めながら視線を外に向けると、野球部の坊主頭たちがT字型の道具を使って校庭を均しているのが見下ろせる。

 影法師が長く伸びており、まるで足元から真っ黒の化物が産まれているようだった。


「それで。今回はどの廃墟に行けばいいんだ?」


 窓から目を離し、廊下側に振り向く。

 気怠げに、もうこれで勘弁してくれ、と言う気持ちを込めて。


「おお! 先輩、今回はやる気ですね!」

「どこがだ」


 能天気なのか、わざとなのか。

 俺の気持ちを微塵も感じていないのか。

 目の前にいる後輩に対してため息がもれた。


に付き合わされて、もう2週間だぞ。いつになったらヤツらに会える」

「まあまあ、そうカリカリしない。焦っても何も良いことはありませんぞ?」


 揶揄している口調で少女は言った。

 図星ではあった。焦りを感じている。

 だが、このままでは時間がない。この体がいつまで持つのか、それすらも分からないのだから。

 急激に視力が落ちて見えづらくなった左目に、まぶたの上からそっと触れる。


「先輩の事情は重々承知しています。ですが、『急がば回れ』という言葉の通りです」

「『善は急げ』とも言うがな」


 つい口を挟んでしまう。

 しかし、憎たらしいことに、この後輩の言う通り、焦ってもどうにもならないことは俺も理解している。

 なんせ、俺が探しているのは ――


「とは言っても、『おばけ』ですからね。そう簡単には見つからないでしょう」


 目の前の後輩はニヤニヤとこちらの顔を覗き込んだ。

 白い、まるで陶磁器のように滑らかな肌に、濡れ羽色とも言うべき漆黒の髪が揺れる。

 上品で、瑞々しいぷっくらと膨らんだ薄ピンクの唇が孤の字になっている。

 そして目は大きく、ハッキリとした二重が特徴的で、その瞳は朱色であった。

 微かに香る桃のような甘い匂いに少し胸が跳ねる。

 俺は多少の気まずさから、何となく時計に目を向けた。

 18時半過ぎ。 逢魔が時。昼と夜が曖昧になる時間。

 教室の中も薄暗くなっていた。


「なんか無いのか? 探し物を見つける『術』みたいのは」

「失せ物を探す術はありますけど。おばけを探すのはちょっとムズカしいんですよ」


 彼女は少し拗ねたような口振で続ける。


「『陰陽術』はそんなに便利なものでもないんです」


 先輩ならご存知でしょうけど、と口には出していないが、そう言いたそうだった。


「そうだな。すまん。茨戸ばらと

「んー、よろしい! 湍禰たんね先輩!」


 茨戸明理ばらとあかり。俺の妹と同い年で中等部3年。今年の春からうちの学校に編入して来た。

 そして、彼女は現代に生きるである。

 俺の厄介な『』について協力してもらい、こちらも茨戸の都合に協力している。

 本当なら陰陽師なんて言うファンタスティックでオカルティックな怪しい奴と付き合いたくはないんだが。


「それで? 今回の廃墟はどうなんだ?」

「今回はかなり有力だと思いますよ? タレコミがなんと! 『常闇とこやみの魔女』さんからです!」

「そんなバカな。あの年齢詐称女が、どうしてそんな役に立つ情報をくれる!?」


 常闇の魔女。その名を聞いて反射的に口元が歪んでしまう。

 俺の知っている常闇の魔女は、他人の利するような行いを自らすることはない。

 必ず自分が得をするようにし、何かを教えるときは、それで誰かが愉快な目に会っているのを嘲笑うような奴だ。

 少なくとも、困っているだけのガキに優しく教えてくれるような、真人間ではない。


「茨戸。お前は奴に何を支払ったんだ? 心臓か? それとも魂か?」

「いやいや、先輩。彼女も先輩の体質のこと、気にかけてますよ?」

「どうだか。初対面の俺に対して『貴様が死んだら、その魂をくれないか?』とかいうやつだぞ」

「あはは……。でも暇な時でも良いので、先輩に来て欲しいそうですよ」


 やっぱりあの魔女は何か企んでやがる。この廃墟の情報を対価として、俺に何かをやらせたいんだろう。

 もし、魔女の下に向かわなければ、俺は酷い目に会う。間違いない。

 そして、行ったら行ったで、俺は酷い目に会う。これも間違いない。


「それじゃあ、気を取り直してぇ、廃墟へ行っくぞー!」

「はあ」


 ため息しか出ない。廃墟に行く前から既に憂鬱だった。

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