第三節 復縁

第7話 綾瀬家からの依頼

「聞いたかい?」

「聞いた聞いた」

「なんの話だ?」

「道々さんの家に雪様がお生まれになったって」

「ええ! それはめでたいねぇ! 塔矢様の次が時枝様、そしてその次はその子が当主になるのか」

「そうなるねぇ、そうなるねぇ」

「また綾瀬家が続いてくよ、ありがたいことだねぇ」

「かつての雪様はお名前の通り、お姿もお綺麗だったようだねぇ。同じ名前をいただいて、美人に育つに違いない。」

「楽しみだねぇ」

「ただ、その子供は男の子だと聞いたよ」

「まあ、雪様は女性だろう?」

「そうさ。だから少し不安だと話が上がっている」

「生まれ変わりの子供が縁切りとして何か不完全じゃないかって言われていたよ」



 綾瀬家に生まれ、縁切りの魂を継いだ。

 歴代の縁切りの中でもその美貌は桁違いだと語り継がれる、注目を浴びやすいお方の意志を継いだ。

 周りは僕に、とても期待していたんだ。



 だけど、


 ぼくは――……



 “突然、縁を切ることができなくなった”



ーーー


「…――き、雪?どうした?」

「鼓太郎……様」

「もうしかして、道がわからなくなったか?」

「いえ、大丈夫です! 行きましょう!」

 なんとなく表情が冴えない雪と共に、鼓太郎は綾瀬家の敷地へと向かっていた。

「今回の依頼は時枝様の従兄弟にあたる方から頂いたものです」

「へぇ、そんなんだ。身内でも依頼ってあるんだね」

「縁を切れる人間は限られていますからね。悪縁は見えるけれど対処ができないと言う依頼は多いです」

「そっか、綾瀬家の人って切れなくても縁が見える、……のか?」

「人によります。ただほとんどの人間は見ることができるはずです」

「そりゃすごいな……」

 日が完全に暮れてきて、当たりは暗くなった。話の中に灯された明かりを辿れば綾瀬家に着くらしいので迷いはしないが、なんだか不気味というか、できればあまり通りたくない。

「もうすぐで着きます。銀糸が増えてきたのが証拠です」

「そういえば……」

 月の光に照らされ、鼓太郎にも縁が増えて見えた。それもかなりの量が張り巡らされている。相変わらず色は黒だが、なんとなくこれが銀糸ではないかなと思う糸がある。

「なんでこんなに多いんだ…?」

「銀糸の端の片方は、綾瀬家と繋がっているからです。正確にいえば、綾瀬家の奥にある大きな木と、ですね」

「そうなのか……!では、その糸の反対側は?」

「それはわかっていません。いつか端までたどった記録官がいたようですが、消息を絶ったと聞いています。それ以来、皆詮索をしないでいます」

「ええ……それは怖いな」

 ぱたり、と雪が足を止めた。その視線の先には、着物を身につけた2人の女性が立っている。

「雪様、ようこそおいでくださいました」

「すみません、少し遅くなりました」

「いえ、……また大きくなられましたね」

 どうやら綾瀬家の人間らしい。鼓太郎は簡単に自己紹介だけして後に続いた。晴一郎の生まれ変わりであることを、この場で言って良いのかわからなかったからだ。

「あら、時枝様はいらしていないのですか?」

「はい。今日は僕と彼だけです」

「しかし……」

「まず、美鈴様にご挨拶をさせていただきたいです。お願いできますか?」

「わ、わかりました! ……すぐに用意を」

 そのやり取りを呆然と鼓太郎は眺めていた。見た目8歳の子供の言葉に、大人が慌てている。これが特別な魂を持つ者の威厳なのかもしれない。

「慌てていますね」

「そうみたいだな……」

「僕に縁が切れないことはみんな知っていますから。時枝様がいなくて驚かれているんでしょう」

「そっか、……そうだよな」

「この1年で僕の背も伸びましたからね」

 雪の表情はいつになく鋭かった。縁切りは銀糸を切ることで歳をとる。時間と共に歳を重ねる雪には、先程の「また大きくなられましたね」という言葉すらあまり良いものではないのかもしれない。

「こちらへどうぞ」

「行きましょう、鼓太郎様」

「う、うん……」

 案内された屋敷は大きかった。所々に生けられた花を見ながら廊下を進んでいく。しばらく進んだ突き当たり、奥の部屋の前で案内人の女性が足を止めた。音を立てずに正座をし、素早く戸を叩く。

「美鈴様、失礼致します」

「はい、どうぞ」

 開かれた襖の向こうには白髪の混じった60代くらいの女性が座っていた。鼓太郎と雪を見て一瞬驚いた顔をし、すぐに笑顔になる。

「こんな可愛いお客さんだとは。どうぞ、すわってね」

「美鈴さん、ご無沙汰しております。雪です」

「まあ、雪かい?随分と凛々しくなったねぇ。」

 用意された座布団に座るとすぐにお茶が出された。その間にさっと雪が鼓太郎につぶやく。

「この方が、時枝様の従兄弟にあたる、美鈴さんです」

「え……ああ、そうか」

 時枝と比べ、あまりの歳の差に一瞬驚きかけたが、縁切りをしている時枝は銀糸を切らない限り歳を取らないことを思い出す。つまり、時枝の本来の年齢はこのくらいになるということだ。

「はじめまして。時枝さんのところでお手伝いをしております、南里鼓太郎です。」

「わざわざありがとうございますね。時枝は元気にしているかしら?」

「ええ。とてもお元気ですよ。たくさん助けていただいています」

「それならよかったぁ、あまり此処には来てくれないから。ああ、そうでした、縁のことでお願いをしたんでしたよね」

 話はすぐに、依頼の話へと移った。美鈴はそういえば、と首を傾げる。

「時枝が来なかったということは、雪も縁が切れるようになったのかしら?それとも、様子を見に?」

 一瞬、雪が息を吸う音だけが響く。大丈夫だ、と鼓太郎は目を向けた。雪はそれに応え、力強く頷く。

「こちらの鼓太郎様と2人であれば僕でも対処できるので、今日は2人できました。どうかお任せいただけないでしょうか?」

「そうなのね、わかりました。場所は聞いているかしら? 時間は関係なく見えるはずよ。切れたら知らせて頂戴ね」

「わかりました……!」

 雪が頭を下げて立ち上がり、鼓太郎も後に続く。部屋から出てから雪は大きく息を吐いた。

「っはあ、……すみません。少し緊張してしまいました。断られてしまうかと、思っていて……」

「よかったな。しかも、すごく良い人だったね」

「はい。美鈴さんは小さい頃から知っているお方です。とても優しいんです」

「時枝さんはなんで滅多にここに来ないんだろう? 仲が悪いわけではない気がするんだけど……」

「……歴代の裁ち屋当主は綾瀬家の近くでよく亡くなります」

「えっ」

「……綾瀬家の近くは銀糸が多いですから。誤って切ってしまいます。次代の裁ち屋に引き継ぐために、時枝様はあまり近寄らないようにしているんです……少しでも危険から身を守るために」

「そっか、そう……だよな」

 雪に、自分が縁を切れないことをまた気にさせてしまったようだ。鼓太郎はしまったと反省する。

「だから、僕の鋏を使って縁が切れる鼓太郎様の存在はものすごく大きいんです。裁ち屋の中で、男性の魂の生まれ変わりだけが、他人の鋏を扱えますから」

「そうか。だから時枝さんは自分の鋏を使い続けているんだな」

「はい。……あ、着きましたね。ここの納屋に悪縁が伸びているとか」

「すごい……なんていうんだろう、不思議な建物だね」

「そうですね……小さい頃から存在は知っていましたが……僕も入るのは初めてです」

 雪に案内され、屋敷の奥にある納屋にたどり着いた。天井は丸く、そんなに高くない。蒲鉾のような形をした建物である。雪が預かった鍵で扉を開けた。

「ここは……」

 中は半分の空間に書籍や紙類、もう半分に器が収納されている。中に入った瞬間、2人はあるものに目を奪われた。

 右端に置かれている器から左の奥にある本に向かってどす黒い、禍々しい縁が結ばっている。

「こいつか……テツの母親の病縁より太いな」

「触らずに切った方がよさそうですね……」

 縁は何やら黒い靄を纏っており、明らかに触れれば最後、という感じだ。

「雪、これは何色をしてる?」

「うーん……黒に近い紫でしょうか?」

「なるほどな。俺には真っ黒に見えるよ」

 やはり鼓太郎は糸の色まで判別できないようだった。首を捻りながらもそれを切ることだけを考え、縁にゆっくりと近づいていく。

「こちらを」

「ありがとう、少し借りるよ」

 雪の手から鋏を受け取った鼓太郎は一度それを眺めた。本当に綺麗な色をしている。装飾も、よく見ると細かいところにまで施されていた。

そのまま視線を縁に向ける。集中して一点を見つめた。そして一息ついて、縁に触れずにそれを切る。


 シャキンッ……


 鋏が鳴った瞬間に、禍々しくそこに存在した縁は空に消えた。晴れ晴れとした空気が納屋の中に漂う。

「ふう……無事に切れたな……よかったよかった」

「はい、安心しました。……報告に行きましょうか!」

「そうだね。きっと喜んでくれるよ」

 2人はその足で美鈴の部屋へと向かう。途中で会ったお手伝いの女性が案内してくれた。

「失礼します」

「はい、どうぞ」

「ご報告にあがりました。美鈴さん、無事に納屋の縁が切れましたよ」

「?」

 鼓太郎は少し疑問に思った。何故か、美鈴の表情が晴れない。何かあったのだろうかと雪も黙り込んだ。

「あら……? どうしてでしょう? まだ気配が消えていないわねぇ」

「えっ?」

「縁が切れている感じがしないよ」

 そんなはずはない。先程しっかりと切れたことを確認したはずなのだ。2人は顔を見合わせて頷き合う。

「やはり、雪には難しかったのかしら」

 すっと冷めたような声が響く。美鈴にそんなつもりはないのだろうが、今の雪には相当刺さる言葉で、言い方までそのように感じてしまう。

「ぼ、僕たちは、確かに切ったはずです……!」

「一度見に行かせてくださいっ!!」

 2人でもう一度頼み込み、先程の納屋に向かった。暗くなった道を二人分の足音が踏んでいく。

「気配が残っているってどういうことなんだ…?」

「僕も心当たりがありません。何が起きているのか、さっぱりです……」

 悩みながらもたどり着き、雪は扉を開いた。

「え……」

 奥の天井を見上げ、2人は目を目開く。

「雪……縁が戻ってる」

「そんな、どうして……!」

 先ほど切ったはずの縁は、またしっかりとそこに伸びていた。

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