第8話 一つの功績
再び納屋に戻ると復活している縁。
雪の鋏を持ち、もう一度鼓太郎が縁を切る。しかし、しばらくするとまたそこに縁が浮かび上がってしまった。
「すぐ戻る……?」
「こんなの……聞いたことがない……」
縁を目の前に一歩後ずさる。禍々しいオーラも相まってなんとも言えない怖さがあった。
「ほう、それは復縁だったか」
「!!」
突然納屋の入り口側から声がし、2人は体を跳ねさせた。振り返ると着物を着た老人が伸び切った髭を撫でながら中に入ってくる。
「だ、……誰!?」
「…………お祖父様……」
誰かわからず混乱していた鼓太郎に、答えが与えられる。雪の知り合い……それも祖父のようだ。
「雪は知らないだろうね、おそらく時枝も。……塔矢が生きていた頃はよくここにも出ていたよ」
「そうなんですか…!? 知らなかった……。塔矢様は、どのようにこれを?」
「それはワシにもわからんよ。塔矢は夜にこの小屋に泊まらせてほしいと言って、朝方には完全に縁を切っていたからなぁ」
「そう……ですか……」
「雪。その、塔矢さん?……って?」
「時枝様のひとつ前の、裁ち屋当主様です。とても腕の立つ縁切りでした。」
「時枝さんの……前か」
生きていた頃、と言われているから亡くなっているのだろう。その思考は、雪の祖父に寄って遮られる。
「おや、見ない顔だ。雪の友達か?」
「はい。よくしていただいております。このお方は実は、縁を見ることができるのです。」
「南里鼓太郎です。今日はお手伝いできました」
「そーかそーか、外のもんに縁が見えるとは不思議なこともあるもんだなぁ」
ぎょろりとした目でまじまじと老人に見られ、鼓太郎は一歩引いた。しばらくして老人はくるりと踵を返し、納屋から出ていく。
「雪も頑張りなさい。時枝だけに背負わせては行けないからね」
「もちろんです。心得ております」
納屋は2人だけになり、なんとなしに鼓太郎は息を吐いた。随分とプレッシャーをかけてくるおじいさんだったなぁと雪を見ると、雪は複雑そうな顔をしている。
「どうした?」
「いえ、その……僕は写真でしかお祖父様を知りません。記憶の限りでは言葉を交わしていないはずですが、何故僕が孫の綾瀬雪なのかわかったのだろうと思いまして」
「えぇ、変な人だな」
「初代やそれ以降も含め、綾瀬雪様はそれはそれは美しい女性だったと言われています。だから、男に生まれた物珍しさで僕が綾瀬雪だとわかったのかとも思いましたが……」
「まあ、確かに、雪には目を引くものがあるからな」
実際にそれ以上の年齢があるからだが、8歳の子供にしては落ち着いているし、雪色の髪や着物も、彼が儚く綺麗なものであるように感じさせる。美しい女性という表現と違わず、容姿も整っていた。
「僕が縁が切れない理由も、初代の雪様との性別の不一致が原因なのかもしれません」
「そんなことが……なるほどなぁ…」
性別の不一致。そんな理由で縁が切れなくなることがあるのか。ことごとく謎の多い一族だと、鼓太郎は頭を悩ませる。
「……今は、復縁に集中しましょうか。しかし一体どうすればいいのか……」
「その塔矢さんって人と同じ方法、とってみるか?」
「なるほど。こちらに泊まり、調査ということですね! それなら賛成です。僕もそうした方がいいと思います」
「じゃあ、美鈴さんに許可取ってこようか」
2人は頷き合い、もう一度屋敷に向かった。
この縁を完全に切るまで、帰らないと決めて。
ーーー
夜更けになり、夕食を取った2人は先程の納屋を訪れていた。納屋は相変わらず変な形のまま、そこに佇んでいる。
「入りましょう」
「うん」
夜が深くなるにつれて納屋の中はさらに暗くなり、空気も重かった。他の縁がくっきり見え始めた所為もあるかもしれない。
「…………」
奥側に例の縁が伸びていた。禍々しさはそのまま、触ってはいけない雰囲気を醸している。
「一度切ってみるか?」
「そうですね……お願いします」
シャキンっと音を立てて縁が切られる。しかしそれはすぐに形を取り、元に戻った。
「ダメだな……」
「うーん……」
何度切っても戻ってしまう、謎の縁。
しかしこれを切れた人間が存在するのなら、やってやれないこともないはず。
「いっそ直接触ってみようか」
「それはいけません! 鼓太郎様に何かあってからでは遅いです…!」
思い切った鼓太郎の発言に雪は顔を真っ青にして首を振った。鼓太郎はゆっくりと雪に視線を移す。暗い納屋の中でも、彼の表情はなんとなくわかる。それは暗く、悲しみに満ちていた。必死に訴えて、息を切らしている。
「雪」
「こ、鼓太郎様……?」
雪の肩に優しく鼓太郎の手が置かれる。鼓太郎は雪に微笑んで目を合わせた。今自分が持っているもので何とか彼を勇気づけられないかと、記憶を辿る。
「最近学んだ科目の受け売りだが、少しだけ聞いてみてくれないか」
「はっ、はい……!」
鼓太郎と雪はその場に腰を下ろして、お互いの目線を合わせた。
「君が感じている焦りや無力感は、他人である俺にも十分伝わっている。どんなにつらく苦しいことか、俺の想像以上なのだろう」
「…………」
「でもね、雪。見聞きした全部を受け入れて、すべてを自分の所為にしてはならない。周りから何を言われてもだ。そんな時こそ事実を整理して、自分にできる正しいと思う行動を心がけるんだ。それをして、自分を味方につけなければならない」
「自分を味方に?」
「そう。何も伝えなくても、何も行動を起こさなくても、自分だけがいち早く自らの異変に気が付ける。味方にできれば最強の仲間となり、最強の理解者となる。その仲間はいずれ、自分を奮い立たせてくれる」
雪はただ、呆然と鼓太郎の話を聞いていた。その目はじっと鼓太郎から離さず、ただ見開かれている。
「君が縁に触れられないことは、君が選んだ結果ではないだろう。それを周りに責められ、自分にも攻められたら。誰が雪をかばってやれるんだ?」
「それは……」
鼓太郎は雪をじっと見つめる。そのまま静かに息を吸った。
「雪にとって正しいと思うことをすれば、雪の心は必ずついてくる。それを続ければ、自信が付くんだ。自らの選択に自信をもてば、さらに行動できるようになる」
雪は感心したように息を漏らした。少し緊張がほぐれたことを確認して鼓太郎は続ける。
「しかし、この教えには欠点があるんだ」
「欠点ですか?」
「自分が正しいと思ったことが、非道なことだった時。自分を正当化して、暴走してしまうかもしれない」
「なるほど……。そしたら自信をもったまま、間違ったことをしてしまうのでしょうか?」
「そういう人も世の中にはいると聞いた。しかしそうならないために、自分以外の意見を見聞きするんだ」
鼓太郎は立ち上がり、縁に向かって雪の鋏の刃を向ける。
「雪が何を正しいと思っているのか、俺に正確な答えは出せない。俺は雪じゃないからね。でも雪が行動したことの正しさを判断し、心から共感したり、意見を述べたりすることはできる」
シャキンッと鋏を鳴らし、鼓太郎は自信ありげに言った。
「時枝さんは雪の所為ではないと何度も言ったんじゃないか? テツやテツの母親が今元気に出歩けるのは、誰と出会ったからか? そして何より、今ここで、縁をしっかりを見極められるのは雪だけだろう」
「…………」
「自分を責めているうちに、自分を味方につける材料を見落としているようだ。君の行動が起こした功績はたくさんある。すべてを自分の所為だと背負わず、自信になるものを探せばいいと、俺は思うよ」
ほうっと雪が息を漏らした。その目は大きく揺れているが、表情は穏やかに見える。
「ありがとうございます。鼓太郎様。……鼓太郎様の言う通りです。鼓太郎様はなんでも知っていらっしゃるのですね」
「俺も最近学んだことだから。もし雪の助けになれば嬉しいよ」
雪は縁に向き直り、一度深呼吸をした。
「僕はずっと、無力な自分を呪ってきました。縁切りとして役目が果たせない僕は、生きている価値がないと思い、人と関わらないように過ごした時期もありました。これ以上、誰かに責められるのが怖かったんです。でも、一番僕を追い詰めたのは、僕自身だったのですね」
鼓太郎は雪が自分をどんなに攻めていたのかと胸を痛めた。このような小さい子供が、なぜ自らの存在価値を否定するほど追い込まれないといけないのか。同時に、雪の存在を認めてやれるようになりたいとも思う。
「そう。雪にもいつか、大きな決断を迫られる時が来るだろう。その時にこの教えと俺の考えが、何かの力になれたら嬉しい」
「鼓太郎様……」
「決して、雪の所為じゃないからね」
「はい……!」
雪が力強く頷いている。その表情を見て、鼓太郎も笑顔を返した。雪の自慢げな顔がとにかく可愛らしく、勇気づけられた気分になったからだ。
「?」
ふと、雪が小屋の奥を見て視線を止める。
「あれ? ……あの糸、あんなに細かったですかね?」
「え?」
鼓太郎も雪の視線の先を見ると、まがまがしくつながっていた縁は、銀糸のように細くなっている。
「どういうことだ。これは……」
「まさか……」
雪は振り返り、納屋の壁を探った。張り巡らされた縁に手が触れているが、すり抜けていく。雪が縁に触れられないという事実を改めて鼓太郎は思い知った。
「この中に、僕でも触れられる糸があるはずです! それが何か手がかりになるかも知れません」
「それは本当か!?」
「塔矢様と記録を見ていた時に、聞いた覚えがあります。紡ぎ屋が作った悪縁は時に、本物の糸のように実体を持つことがあると」
「実体を……」
「和合那央真に僕が捕まった時も、おそらく縁が実体を持っていました」
「確かに、普通の縁であれば、今の雪を縛り付けるのは難しいな……」
「はい。なので……。あ! ありました!」
「鼓太郎様、今見えていますか?」
「うん! 綺麗に二本見えてる」
「それでは、二本同時にお切りください」
「わかった!」
鼓太郎は素早くハサミを動かした。シャキンッと音が鳴り、二つの縁が切られる。やがて、実体となっていた縁も完全に空に溶けた。
一本を切った時とは明らかに違い、窓のない納屋の中を風が吹き抜ける。もう縁は戻らないと鼓太郎にも分かった。
「切れた……!」
「やりました! やったー!!」
手放しに喜び、2人はすぐに納屋の外に出た。重い空気は一切なくなり、澄んだ空気だけが呼吸と共に体に入ってくる。外は真っ暗ではなく、お互いの表情が分かるほどの明るさがあった。
「もうすぐ日の出のようだ。見に行こうか」
「はい!」
二人は山をもう少し上り、薄暗い空を眺める。それがだんだん明るみを含んでいく様子を眺めていた。
「雪のおかげだな。君がいなければ、この景色をこんな晴れ晴れとした気分で見ることはできなかったよ。」
「鼓太郎様。そんな、鼓太郎様が縁を切ってくださったおかげですよ」
「……ありがとう。二人で得たものだね。これで俺にも、自信が付いた気がするよ」
いつの間にか辺り全体が太陽に照らされ、二人の身体を温めている。そのぬくもりを感じ、雪は新たな自分を見つけたような感覚に浸っていた。
これで、二人の力が合わされば、時枝を救うことができるかもしれない。
続く
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