第5話 裁ち屋の宿命

 月夜の光に照らされて彼の顔がよく見える。笑ったまま、楽しそうに那央真は話し始めた。

「そう。俺が次期紡ぎ屋の当主になる。……ああ、鼓太郎がこの土俵に上がってきてくれて本当によかった」

 彼は手を掲げ、それを雪に向けた。間髪入れずに雪は糸に縛られ、動きを封じられる。何もないところから突然現れた糸に。それはギリギリと音を立て、雪を縛っていった。

「ゔっ……!ぁ」

「雪!! お前、何するんだ!! 雪を離せ!」

 月明かりに照らされ、黒い無数の糸が雪を縛っているのが見えた。そして今も、何もないところから糸が生まれ続けている。

「時枝様、ダメです!!」

「雪っ」

 時枝が鋏を取り出そうとしたのを雪が止めた。その必死さに思わず時枝も手を止める。鼓太郎はその状況を黙って見ているしかできない。

「っ誰だ!!」

 突然、那央真が後ろの建物に向かって叫ぶ。彼の目線は完全に雪から逸れていた。

「静かに」

 時枝は雪を拘束する糸を全て切った。那央真は舌打ちをし、雪は時枝のそばに走る。

「と、時枝様……」

「気にしなくていい。大丈夫だよ」

 雪はワナワナと震えている。それほど怖かったのかと鼓太郎も心配になった。

「確か当主様は累数80ほどだとか。否、今ので90までのぼったかなぁ」

「累数……?」

 “累数”という聞きなれない言葉に鼓太郎が問い返す。那央真は嬉しそうに口を開いた。雪はそれを聞いてから目に見えて怯えている。

「教えてあげるよ鼓太郎。裁ち屋はね、銀糸を切ることでしか歳を取れないのさ」

「え!?」

「現にここにいる2人はしばらく歳をとっていないのさ。縁を切る大役を引き受けたからこその、神からの恩恵だね」

「道理で……」

 うっすらと抱いていた疑問がこんなところで解決する。勘違いではなく、本当に時枝は歳をとっていなかったのだ。ずっと変わらない姿のまま、布屋に居続けているということになる。

「しかし、切ってはならない銀糸を切れば、最後に歳をとってから切った縁の数だけ歳を取る。累数は次にとる歳の数なんだよ」

「時枝さんは累数90……!?それって……!」

「そう。次に当主様が銀糸を切れば、今の年齢に90歳が加算される。確実に寿命を越えるだろうねぇ。」

「そんな……」

「もう失敗はできないところまで来てしまっているのさ」

 これまで雪が何に怯え来たのかやっとわかった。テツの母親の話を隠していたのも、先ほど捕まった時に強く時枝を止めたのも、縁を時枝に切らせたくなかったからだったのだろう。これ以上切ってしまえば時枝がその場で死んでしまうかもしれないから。

「本来累数が50を超えた時点で次代に引き継ぐはずだけれど……次代が縁を切れないんじゃぁね。次に縁を切れる人物が現れるまでは現当主が切らなければいけない」

「なんなんだ……それ」

「糸を切るには綾瀬家の血と鋏がいる。身内でなんとかするしかないんだよ」

 鼓太郎は慄き、寒気に身を震わせた。そこまで追い詰められていた2人のことを何も察していない自分が情けなく見える。

「きゃーーーーー!!!!」

「なんだ!?」

 突然、夜道に悲鳴が響いた。悲鳴が聞こえた方向、3人は先ほどの遊善の屋敷を見る。その様子を見て、那央真は楽しそうな笑い声を漏らした。

「高原遊善に何かあったみたいだね。」

「お前の仕業か……!?」

「さあね」

「くそっ!!」

「雪。いけるかい?」

「っはい……!」

 3人は那央真を置いて遊善の屋敷へ向かった。彼は追いかけても来ず、その場でただ微笑んでいた。

「よかった、まだ近くにいらしたんですね……!」

「何があった」

「突然遊善様が苦しそうにされて……!」

 説明を聞きながら彼の部屋に向かう。挨拶もそこそこに一歩足を踏み入れた瞬間、その異常が鼓太郎にも分かった。

「これは……」

「ゔっああ、…っく、」

 先ほど切ったはずの縁が再び復活しており、遊善と義父の写真を結んでいる。その糸は先ほどとは桁違いに太く、不気味に蠢いていた。

「とにかくすぐにっーー……」

「時枝さん!!!」

 鋏を取り出そうとする時枝を黒糸が縛り付ける。姿は見えなくとも那央真の仕業だとわかった。

「あ……ああ」

「雪っ……!」

 今、糸を切れる力のある人間は雪だけだ。しかし、この間のテツの母親のことでトラウマになっているのか、一歩も動けない。先ほど、今日は鋏を持っていないと言っているから、そもそも切れないのか。

「どうすれば……」

 何かないのかと鼓太郎は部屋を見渡す。そして雪の手元に握られている縁切り鋏が目に入った。

「(ちゃんと持ってきていたのか)」

 しかし、雪の状態的になんとかできる様な状況ではない。今もなお縁は成長し、遊善の首を絞め続けている。


“実はねぇ、一度鼓太郎に縁を切らせるつもりだったのさ”


「……あ」

 先ほど、夜道で言われた言葉がよぎった。もしもそれが叶うなら、鼓太郎こそ、この状況をなんとかできる唯一の存在なのではないのか。

「雪、鋏と目を借りる。こちらに来られるか?」

「え……」

 戸惑いながらも雪は鼓太郎のそばに来た。鼓太郎は手を差し出して鋏を受け取る。そしてもがき苦しむ遊善の首近くにしゃがみ、太い黒糸を握った。

「今握っているのは悪縁だけか?……銀糸は避けられているか?」

「悪縁だけです……銀糸は入っていません。しかし鼓太郎さんっ」

「できる可能性があるならばやるしかないだろう」

「あ……っ、ゔう」

「すぐ終わります。じっとしていてください」

 握っている糸に鼓太郎は鋏を当てる。部屋の明かりに照らされ、水色の鋏がきらりと輝いた。


 シャキンッ……


 鋏を交差させ、鼓太郎が握っていた縁が切れる。それはすぐに空に消えた。

「切れ……た」

「え……」

 切った瞬間、遊善は呼吸が落ち着き、そのまま眠った。すぐに屋敷の人間が布団まで運ぶ準備を始める。糸を切った姿勢のまま、鼓太郎はしばらく固まっていた。


 “糸を切るには綾瀬家の血と鋏がいる。身内でなんとかするしかないんだよ”


 鼓太郎が縁を切れたという事実がある以上、これは鼓太郎が綾瀬家の血を持っていることを証明することになる。

「鼓太郎……アンタ」

 時枝を拘束していた糸が解かれていく。途切れ途切れに紡がれた言葉には抑え切れない感情が乗っているように見えた。彼女はその目に大量の涙を浮かべている。

「晴一郎様……がお戻りになられた……っ」

 そう言い、時枝は泣き続ける。彼女が発した“晴一郎”という名に心当たりはない。しかし、その目は鼓太郎に向いていて、赤の他人の話をしている様ではなかった。

「晴一郎様……!?そんな、本当に……」

 雪は時枝の言葉を聞いて驚き、後ずさる。鼓太郎は話が見えず、ぼうっとそのまま立ち尽くしていた。

ーーー

 一方、屋敷の塀近くで1人分の高笑いが響いている。それは和郷那央真のものだった。

「あははは……! 鼓太郎……素晴らしいよ……!! やっと成功したんだ。やっと、この時が来た……!」

 彼は喜び、笑い声を途切れさせることはなかった。


続く

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